『県庁所在地の10年③』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて

今日は、シリーズ 母の来し方を振り返る

県庁所在地の10年の3回目です。

★ 山形市にいる間、よく山に行った。ガイドブックを買い込み友達と一緒に、1人で行くこともあった。大学が封鎖されたので同級生と蔵王山に行ったところ、山小屋が人手がいるというのでそのまま残ってしまった。

秋田犬と一緒に、付近を庭の如く歩いた。夏から冬の初めまでいた。

大学が再開されたから、だったと思う。仲のよかった同級生が帰って来いよ、と山小屋に迎えに来てくれた。

結城登美雄さんも来てくれた。結城さんは宮城県在住、今では、『地元学』の第一人者である。同級生付き合いはほとんどないけれど、内心誇らしい。去年、FACEBOOKでつながった山形の友達が、結城さんとコラボして地域活性の活動をしているということで、わざわざ電話をつなげてくれて50年ぶりにお声を聞くことができた。何十年会わなくても気心通じている有難い友達のひとりです。

さて、しかし私は山小屋に残り5年で大学を卒業した。この山小屋は、だいぶ前に大雨で流されてなくなったと風の便りが届いた。

途中退学しないのが私の当時の流儀であった。大卒の資格がいつか役に立つことがあるかもしれないとも思案した。

実家には、なんかわけのわからない娘が1人いて言葉のかけようもない。私は気が引けてもいたけれど実家にしてみれば、やりたい放題で過ごした。すみませんでした。

★ 卒業論文は、『伊藤野枝にとっての生活者』がテーマで私なりに必死で書いた。

このテーマを選んだのは、「生活者」に興味があったこともある。7人兄弟のほかの6人は中学卒業してすぐ働いていて、この違和感は何なんだろう?といつも気になっていたから。

それに加えて、全集が一冊だけで大正時代なので文献を読むことが出来たからだ。自慢ではないけれど。古文の読み方、授業で教えて頂いたがマスターできなかったのだ。なんとも勿体無い話である。

卒業してからも長い間、卒論の締め切りが迫っている!と冷や汗をかいて目が覚めた。きついけれど快感でもあった。80点を頂いた。

★ 大学闘争の空気を吸い普通の就職をする気がなく、教員免許だでは取ったけれど体制教育の先生は無理と思っていたし、大学に就職斡旋は頼まないで、

卒業してから1シーズン、天童の果樹農家に、こっちでいう出面に出た。りんご、ぶどう、さくらんぼの手入れをした。除草剤撒きもやった。果樹とはおそろしく手がかかるものであった。一緒に作業する先輩のおばさん方とは、1人若い私は話もできずじっと聴くばかりであった。

★ 映画が好きでよく見た。正月の福引で“WEST SIDE STORY”の70ミリ版を見ることができるというので、弟と2人で福引に並んでいる人から福引券を譲ってもらったりした。メインストリートの福引所の雑踏、弟と私、そのシーンが目に見える。

アートシアターの映画、フランス映画、イタリア映画よく見た。

★ 1971年の11月の末、山形にあったミニシアターで、“LET IT BE”と“WOODSTOCK”の二本立てを見た。ショックは大きく文字通り言葉を失った。

その直後、山岸会を頼って東京に出た。

山岸会には、1969年の春に、三重迄“特講”という合宿に行ったことがあったのだ。その帰りの東京、銀座ではいくつもの炎が上がり交番が燃えていた。

東京で、といっても、吉祥寺、荻窪、国分寺、国立の中央線沿い、出会った仲間達とシンクロして、玄米食養食に出会い学びあって、以来ずっと食べ物、衣食住には出来る限り自然に近くを心がけてきた。

山形市での10年は、荒木家もスーパーマーケット経済に巻き込まれ、味の素にソーセージ、白パン、インスタント食材中心に変わった。母が大石田での料理をつくっていたシーンが蘇る。

★ 去年の春早く、山形市を訪れたとき、最上藩以来のか、文化の蓄積を感じた。繁華街の街並み、駅ビルに並ぶお土産品のグレードの高さ、接客の品のよさ、住宅地のたたずまい、何もかも時間の圧倒的な差を肌で感じた。50年の間に本当にレベルアップしたものだと感動しました。

初市とかもうないのだろうか?近郷から老若男女が集まりおおいに賑わっていたけれど。

帯広は今朝一年以上ぶりの積雪でした。気温が高く山形のような重い雪でした。

『言葉に気をつけねば』

毎週水曜日は、◆読む・書く・話す

ずいぶん範囲が広いですね。

今日は、渡辺京二さんの『万象の訪れ』から、ズキリとした箇所のメモです。

京二さん、今90歳、読書量の膨大なることにもまして、思考と感覚を文になさるその力に圧倒されています。図書館にある全巻約25冊を読むことになるでしょう。

あまりにもものを知らなすぎるとため息つきつつ書き出します。

鈍感な言葉たち P220~222 より

『「体を張る」というのは賭博用語だから、革命家たる者がそんな言葉を遣うのは不見識だと中野重治が書いたことがあった。・・・中野の言葉に対する感覚の鋭敏さに脱帽した。・・・なにげなく遣う言葉に対しても敏感であれという教えを、このとき私が肝に銘じたことは間違いがない。』

(「体を張る」 知らなかった)

『「ちなみに」というのは相当構えた言い方で、学者ででもなければふつう遣うことはなかったと思う・・・

気取りたいと思っても、はずかしくてできやしない、これがひとむかしまえまでの感覚だったと思う。はずかしいということがわからなくなった。「特段に」とか「ちなみに」とか言いたがる自分を、うろんなものに感じる感覚がなくなった。つまり、言葉に対して私たちはいちじるしく鈍感になったのだ。』

(特段は私には初耳、ちなみには知らなかった。もう遣わない。)

『鈍感といえば「あげる」の流行こそそのきわみではなかろうか。「やる」と言えばいいものを、みんな「あげる」と言い換える。・・・これは気取りからではなくて、はやりのやさしさ志向、あるいは人権意識からのことだろう。・・・「あげる」というのが、目下の者あるいは弱者への慈恵的な表現であることがまったく忘れられている。』

(「これは気取りからではなくて~ことだろう」は要熟考。あげるの遣い方は知らなかった)

ああ、いやだいやだ P223~225 より

『三十年ほど前の映画を観ると、男も女もきちんとした切れのよい綺麗な話し方をしていたのがわかる。語尾もすっきりと言い納めている。しかし、こんなふうに話すというのは意識的なコントロールを要し、多少の緊張を伴う行為なのだ。それにひきかえ、語尾のばしはねあげ話法は、本質的に自分をたれ流すモノローグなので、緊張もコントロールも必要ない。つまりは人前で寝そべっているような話し方なのである。・・・ダラーッとしているのが反抑圧的で自由でよろしいという、八十年代以降この国を支配しているイデオロギーが喋りかたにも具現しているわけだ。』

(語尾のばしはいけないと話し方教室でも教えて頂いた。純正な話し方に触れる機会がまずないし、ましてトレーニングは意識してやらなければできない。伝統芸能の若い人の話し方は立派ではなくてまともなのだ、と気づいた)

『自分が喋ったあとで、いちいちうんと首を振る。・・・昔はこんなのは威張りたがり屋のすることで、ひとなみの羞恥心の持ちぬしならできることではなかった』

(いる、いる。自分も同じことを二回続けていう癖があるので意識してやめるにことにする。)

『にたーとして、無礼で横着な人間が好まれる。芸人がみなそうである。芸人は万人のあこがれであるから、日本人全部がそうなってゆく。写真をとれば必ずVサイン。ガキではあるまいしと思うが、実はみんなガキが理想なのだ。』

(Vサイン、もう止めた。吉本の芸人達の興行に行ったら会場は笑いの渦、1人取り残される私であった。人をこ馬鹿にして笑いが取れるって、ああ、いやだいやだ)

『「-させていただく」という言い方も、やさしさを装って大衆のご機嫌をとり結ぶ時代であればこそ横行する。・・・こういう欺瞞的で無知な言辞が横行する時代に生きるのはほんとうにつらい。』

(「させていただく」は、いいづらくて殆どつかわなかった。藤本先生のブログで教えて頂いて文書でもやめることにしたばかりだ。)

『・・・現代が何から何まで悪い時代だとは思っていない。むかしの悪弊があらたまった面はいくらでもある。だが、今日のように胸くそ悪い自己顕示欲・自己肯定、鈍感で無知な言辞が横行する時代は、これまでの日本にはなかったと信じる。

・・・半可通が威張っている今の日本・・・戦時中の軍人政治家や狐憑き的日本主義者の言辞を、額面通り受けとるのは子どもばかりだったのである。。

かつて日本人の話法を特徴づけていたあのしっとりとした抑制、成熟した落ち着き(実例を知りたければ昔の名人の落語、講談を聴け)は二度と戻らず、アーアーアーとカラスみたいないまどきの喋りかたが、おそらく日本語の革命的なイントネーションとして、この先定着してゆくのではあるまいか。ああ、いやだ、いやだ』

(・明治うまれの母の言葉を失わせる行儀の悪さを自由と思って威張り散らしていたガキの自分を思い出す。・わが師と私が一方的に思っている先生はよくご自宅の中に入れて下さったものだと赤面する・二周り年上だった息子たちの父親の話し方、あれが時代の文化環境だったのだ、悪いことをしたと思う。

山河破られて国あり、なこの国の現況である。破れているのは、山河だけでない。文化そのものが根こそぎ引っこ抜かれてしまっている。一般庶民の共通認識、倫理的な人の道の支えが低劣極まりないものに取って変わった。まがりなりでもトップの空気をこの国の多くのひとびとはそのままコピーする。

絶望的ではある、しかし、雑草の息吹きのごとく諦めない人々があちこちで生息している。起死回生に向けて、能天気にも、あくまで希望に焦点をあてる。コツコツ作業を重ねて継いでくれる次の世代に、未来に手渡したい、とわが身のほども弁えず、願うのである。なんとしてもオトナの門をくぐろうとの願いを久しぶりに思い出した。)

ゾクゾクしながら一読。どの本も一回では間に合わず、二回三回と読みたい。速読法覚えるかと思う。

『「自分史活用講座」を受講すると決めた』

毎週火曜日は,◆自分史をつくろう、今、未来に向かって

このブログのメイン・テーマです。

今日は、『自分史活用推進協議会』様の自分史講座を受けようと決めたことについてお話します。

★ 『しうこばーばの自分史講座』の名刺を作った(息子に作ってもらいました)途端に、FACEBOOKの友達のタイムラインで『自分史活用推進協議会』なるものがあることを知りました。

その友達、柳沢さんといいます、はすでに講師として自分史講座を始めていらっしゃいます。柳沢さんの真摯な姿勢に心打たれたこともあり、協議会さんの講座を受けよう、と決めました。

柳沢さん「え、札幌であったばかりなのに」ということでした。

ホームページを開いてリサーチしてみますと、札幌周辺で活躍中の方が何人もいらっしゃるんですね。

入門の冊子をお願いして、講座開講のメールもしました。新たな一歩です。

★ 名刺を作るまでは、実は、「おひとりおひとりの自分史」のことは、あまり考えていませんした。この20年でまとまってきた私なりの自分史の方法をワークショップ形式でお伝えしようというのが中心でした。

① 初級  ・ありがとう ラッキー・ダイアリー ・勇気の言葉集 ・ポスターとカード

② 中級  “分身手帳”をつくる  ・私が生きる意味 ・未来のイメージをつくる ・ほしいものリスト ・勇気の言葉

③ イマに集中するために  ・時間の使い方 ・健康 ・段取り 等々

④ 来し方を振り返る

⑤ 子供たちに伝えたいこと

といったところでした。

★ “自分史”で本を検索しますと、まず四冊出てきました。

・「自分史年表」 ・工藤美代子さんの「自分史の書き方」 ・齋藤孝さんの自分史の書き方」 ・「自分史2.0」

興味深々、注文します。講座に参加する前の予習をかねて読まねば。

★ ううむ、これは私にとっては新しいことにチャレンジです。

・お話を拝聴する  ・寄り添う   ・必要な場合アシストする  ・来し方の振り返り方、すくい上げ方、意味づけのしかた 等々

これまでおつきあいしたことのない方々とも一緒になることがきっとある、できるだろうか?

案ずるよりうむがやすし。一歩一歩です。と自分を励ますのです。

名刺です。テーマカラーは、キミドリです。
こちらが私の“分身手帳”です

『ぼちぼちいこかーその②』

毎週月曜日は、◆小さいビジネスを始める

今日は、『ぼちぼちいこかーその②』です。

★ 昨日の日曜日は数々の応援に恵まれた一日でした。

☆ Youtubeで、宮台真司さんからは、現在の若者の状況と生きることの核心をズバリと。自己肯定、自信を持つことについてあらためてハッと気づかされる

☆ 久しぶりに仲良しの友達から電話あり  気の置けない長話 

☆ 作文と情報発信の藤本先生のブログでは、『楽にすぐに出来て収入が入る、というのはウソ』と。

☆ 映画『誰がために憲法はある』でこれまた仲良しの友達のご両親にお目にかかった。イキイキ・のびのび、ワンダフルなお父さんとお母さん。

こうして書き出すことでぐっとハッキリとして、記録することでそのシーンがひとまず完成することを実感します。

それで夜には頑張って、このブログにYoutubeから貼り付けながら投稿をすませました。私にはチャレンジなのです。 

★ 時間の使い方は少しづつうまくなっているものの、まだまだ工夫が必要です。なかなか思い通りに進みません。

一方では、慌てていたかもしれないと思いなおしています。

それで今の課題をもう一度リストアップしてみます。

① 読書会の二回目 取り上げる本は渡辺京二さんの『逝きし世の面影』

・京二さんの本あと二冊、『逝きし世の面影』を再読

京二さんの本を選んだのは大正解だった。力をもらっている。

・自分のまとめをする

・『読書会入門』で心構えとノウハウを学んでおく

・会場日時設定 FBイベントページ チラシ 『道新デリバリー』に告知掲載依頼

② 『しうこばーばの自分史講座』

・ まずこのブログの毎日更新 ブログの書き方を学ぶ 

・ 情報発信 メールマガジン TWITTERでも

・ 講座内容の編集 紙芝居パワーポイントを作る

・ 初級講座 4月までに何回か 日時場所の設定 告知

・ 『自分史活用協議会』の講座を受講する

    『自分史2.0』を読み概略を掴む

③ 資料と本を整理する  棚を手に入れる

④ 準クラウドファンディングをする

  「自分がなぜ『しうこばーばの自分史講座』をやりたいのか」を思考して文にする

・『自分史活用協議会』の講座受講   ・本棚と書棚(リサイクル・ストア 無料交換サイトをあたる)   ・ 情報発信、作文、ビジネス構築について相談、交流する

以上の費用の援助を求める

★ キーは、

自己肯定 と 絶えず刺激を受けること 

の二つです。いつも揉まれていようと思います。

最後はこれ、

自己達成こそ最高の勇気づけである

ライフワーク『しうこばーばの自分史講座』に全力を注ぐべく、遅れている小さな政治団体の仕事にも集中です。しばらくできなかった瞑想を再開しました。

★ 今日の勇気の言葉

「たとえどんなに大きな目標でも

小さな足取りで

着実にねばり強く

一歩一歩進んでいけば

必ず実現することができます。

どんなに立派な計画でもそれを実現するために

積み重ねられる一歩一歩の大切さには

とても及びません」(J キルシュナー)

日が長くなってからまもなく2ヶ月になろうとしています。今日の夕日です。

『こんな風にトシはとりたい』

  

毎週日曜日は、◆素敵にエイジング

今日は、それこそ素敵にトシとっている人たちをコレクションしますね。

★ まずは、ジョーン・バエズ。こちらは75歳を祝うコンサートでポール・サイモン、ギターにリチャード・トンプソンを向かえて“”ボクサー”

心に沁みます。三人共、まさに最高です。リチャード・トンプソン、生きてるうちにコンサートに行きたい。

★ 次は、パティ・スミスです。

石橋知生さんのコメントより拝借します。

詩は、


>そして私たちの世界を夢に見る
混乱した回転する球体
心を痛ませる不公平
法を無視する傲慢
地球を荒らす炎
それでも私は考え続ける
素晴らしいことが起こることを
おそらく明日には
連続してつながる明日にAnd I dreamed of our world,
A spinning ball of confusion
Heart-wrenching injustice
Unconstitutional arrogance,
Fires raging the Earth
Yet I still keep thinking
That something wonderful is about to happen
Maybe tomorrow
A tomorrow following a whole successionそして、呟くように歌われ出すニール・ヤングのエコロジー・ソング「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」。

シビレます。

★ 次はウィリー・ネルソン 当時77歳くらい、今87歳、ニュー・アルバムも出しました。ちょっと体調をこわしていたようですけどまた元気に、いつまでも!

★ 次は、クリント・イーストウッド。今年の5月で満90歳。

ただ今、監督した新作公開中。ここまで来ると、この生命力と創造力は、生まれつきなのでは?と思ってしまいますね。
https://www.youtube.com/watch?v=e1iMsYI8xTU

★ 今夜の最後は、レオン・ラッセル。
よかった、デレクたちと一緒にできて。

でっぷりしちゃっても声がでなくても、そんなこと別にいいじゃない。レオンなりのトシの取り方なんだもの。

なんと、このレオンが帯広に来たことがある!信じられない!ピアノ、メチャウマ!身体が踊り出す。一生の宝物。

https://images.app.goo.gl/jWKAM1Xe3SJXqJ9cA

『土曜の朝は、ホリデー気分』

毎週土曜の朝は、NHK FM をかけてまったりすることにしています。

今日は、ゴンチチさんの『世界の快適音楽セレクション』1000回記念の特番で、“weekend sunshine ”はお休みでした。

時間を気にしないプログラムで長~い曲も次々とかかりまして、いつものこんにゃく湿布をしながら珍しく布団のなかでゴロゴロ、起床は10時半でした。

☆ 弟が送ってくれた鮭の切り身をファンヒーターの前で干して(すぐ干せました。つまづかないように気をつけて)

ゴマと青のりを入れました。生姜も入れたいところです。

☆ ついでに弁当もつくりました。

玄米にそのふりかけをかけて、宇井さんのキャベツに草薙さんの卵、白菜のキムチ。スムージーは協働学舎さんのニンジンと宇井さんのキャベツです。

弁当は、夕飯用で、パートのたい焼きやで、お客さまが途切れたときに頂きます。

『パートの後家に帰ったら①スマホもパソコンも開けることなく②もう何も口にいれることなく③10時には就寝すること』

意外と難しいんだな、これが!

☆ 寒干大根を作らねば、と息子に大根を買って来て貰いました。

糸を通して干します。寒干しは、カビを気にせずにすむので楽で、その上うまい気がします。

去年夏の高温でダメにしてしまったので今年は保存注意、煮付けのほか正月料理でひたし豆に合わせます。

☆ この31日に坂口恭平さんが帯広に来る!というので、楽しみにしています。

☆ 今日は風があって寒かった。でも気温はそれほど下がっていません。

今冬愛着の駅のイルミネーションです。

『お若い方々、頼りにしてます!』

毎週金曜日は、◆望む未来を今つくる 政治は身近・気軽に政治

苦手、といっていられなくなった政治のことあれこれです。

★ おお!目が釘付けになりました。
https://nationalpost.com/news/world/two-women-under-35-are-now-running-finland?fbclid=IwAR3EOgN0jEWAXcMWZiIeTKCim1JcAwkT7tJcqr_3l9Zh0MLmCp-KQ-PMdMU

Finland is now being run by five parties — all led by women, all but one of them under 35

‘I want to build a society in which every child can become anything and in which every human being can live and grow old with dignity,’ wrote PM Sanna Marin

フィンランドを先導する5つの政党のリーダーはすべて女性!しかも4党は35歳以下!サンナ・マリン首相は、34歳!

山本太郎さんより10も若く、うちの息子たちよりも若い!

“子供たちが、そしてひとりひとりが、尊厳を守られて成長し、生きる、そんな社会をつくりたい”

胸がすーっとしませんか!?

★ 一方、この国では、昨日流れてきてうなづいたことです。

熊沢誠氏の1月22日のタイムラインより。

『 3年間続けてきた市民塾<ひろば>in四日市は、2月8日の第3期第6例会をもって閉幕します。私など少数の中心的スタッフの高齢化あるいは繁忙、新しい企画を造る感性の鈍化、(オー-バーナ言い方ながら)財政赤字等のゆえに、心残りながらこれ以上続けられないからです。

掉尾を飾る最終例会は、韓国の秀作ドキュメント『外泊』(73分)上映です。』

 

★ さびしいです。高齢化、繁忙、感性の鈍化、財政赤字、どれをとっても、ただいまライブで身につまされる。

といっても、熊沢氏は私よりも約10歳目上の方です。

かくいう私も、不慣れなミニ政治活動を続けていて、おととしの後半はどっと疲れが、去年は、9月に山本太郎さん帯広街宣の黒子役、続いて12月には新潟から佐々木寛先生のファシリテーション・ワークショップと講演会、もちろん仲間達と一緒にやってます、やってよかった!と満足でした。それでも、年末は疲労がけっこうたまっていて正月は待ったりペースをキープして最近、また少しは頑張ろうと元気が少し出てきました。

(思えば30年前、泊原発稼動を目前にして、めくら蛇に怖じず、怖いもの知らず、よくやったものです。あのとき私は若かった。)

★ そんなところに今日は、なんと高校生の方が、

ノリやすいババはすぐ、応援しなくちゃ、とかすぐに反応してしまう。

そう、若い人ががんばっている、って、年寄りには何よりの喜びであり、チカラも出ようというものなんです。

★ 感覚、アイディア、頭の回転と動きのスピード、それにIT能力と、どれをとっても若い人には、ゼッタイにかないません。

それで、遠慮がちに、若い人たちが主催の講座、お話会に出かけては、せめて同じ空気だけでもとか、回りきらぬアタマでもうケナゲなんだから。

★ ① 政治、現代史、日本国憲法、人権、9条を学校で習うわない

  ② 管理されてふるまう環境しか知らない

  ② 生きることは消費することが世の中の潮流

平成に育った若い人たちにどう表現したら伝わるのだろうか?

65歳以上の、年金・戦後民主主義世代には難問です。

“生きるか、殺されるか(魂、尊厳を含めて)

いやなことはいやって言っていいんだ、

税金、うちらのために使えって言っていいんだ・・・”

イラスト、パソコン、希望の持てる明るい表現、

アイディアは出るんだけど、いかんせん時間、体力、それに能力と限られているんです。

お若い方々、よろしくお願いしますよ、頼りにしてます。

『県庁所在地での10年②』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて

今日は、母の来し方を振り返るシリーズのうち、『県庁所在地での10年』の後編です。

☆ 一年自宅浪人して、歩いて13分の山形大学文理学部文学科に入った。当時は学習メソッドなど聞いたこともなくひたすらやみくもでよく合格したものだと思う。

7人兄弟のうち普通高校から大学に行けたのは私ひとり、かなり気が引けていた、口には出せず自分を押し通した。

浪人中だったと思うけれど、向かいのおばさんが縁談を持ってきてくれた。そうだね、まだ世話好きのおじさんおばさんがいて仲人役を買って出るのが一般的な時代だったのだ。ピンと来なかったので断った。

★ 授業で最高だったのは。宝月圭吾教授の集中講義『日本中世の度量衡について』

研究とはこういうものか!と深く感動した。中世の文書の簡素な力強さに打たれた。

☆ 今なら、授業つまらないとかぶつぶつ言わんと、図書館の本を片っ端から読み、特に日本の古典を読破して素養を積み、英語をマスターし、図書館司書他取れる資格をとり・・・勉学に勤しむだろう。時間の使い方を知らなかった。今頃になって臍を噛んでいる。

☆ 入った「歴史学研究会」では、一年先輩の人たちが合宿で、『「期待される人間像」はここがおかしい』、農業政策の問題など教えてくれた。当時は一年先輩でも自分よりずっと優秀でこちらはまるでガキだった。一年の差は大きく、感性、学力、追及力、全体の生命力が、自分を含めて年々薄くなっていく気がした。

☆ 1965年、アメリカがベトナムを侵略、ベトナム戦争が始まった。

『思想の科学』を読んでいたので、べ平連、「ベトナムに平和を!市民連合」にはできた当初から共鳴し、べ平連ネットのデモの後ろにくっついていった。当時は全国の大学にベトナム反戦の運動体ができて毎週のようにデモが行われた。当時はジグザグデモが普通だった。

1968年、何がきっかけだったのだろう?全国の大学で大学闘争山形大学は、確か全国初?の学園封鎖となり学生会館を全共闘が占拠した。キャンパスでは連日デモがあり、それを見ながら『これはいったいどういうことなんだ?』と心の中で自問した。

この自問が私のその後の50年の人生を決めた。

これは1960年、三井三池闘争、第一次安保闘争の年に県庁所在地に引っ越して直面した『疎外』の状況に連なっている。

この疑問が、ジグソーパズルのピースがピタッとはまるように、ハッと解けたのは2015年夏の後、山本義隆さんの『私の1960年代』を読んだときだった。

今日はここまで。来週に続きます。

『筆写帳を作ってはみたけれど』

毎週水曜日は、◆読む・書く・話す

ずいぶん範囲が広いですね。

今日は、筆写帳のことをお話しますね。

 ついに筆写帳復活!したのですけれど・・・

☆ 高校生のころは、これだ!とビビッときた部分を夢中で筆写しながら本を読みました。

ビビッと来る、というのは

・言葉にならずにいたもやもやをキレイにことばにしてくれている

・ふだんの流れていく思いよりひとつ深いところが文になっている

・未知の発想で心にひっかかり、心がすくいあげる部分

・今の自分が必要としていた生きるときの指針、などなどです。

☆ 次に夢中で筆写帳を何冊も何冊もつくったのは、

20年前の我が人生の転換期です。

リサイクルの本屋さんにいくと、私が必要としている本が私を待っている!ということがよくありました。5冊、10冊と抱えて帰ってきたものです。

そして写しました。

何度も何度も同じ箇所を。

始めは乱雑に書きなぐっていたのが、次第に丁寧な字になっていきました。

何冊ものノート、最後はカードを何枚も何枚もつくりました。

それを見て、わあ、よくがんばっていたんだね、とがんばっていた自分をハグするのです。

☆ さて、久しぶりに筆写帳を復活したのですけれど、

“スキャンして印刷して貼りつければいいんでないの?”、とか、(うちのプリンターにはスキャナーがついていないんですけど)

“パソコンに保存して必要なとき出すのを覚えたら?”、とか

そういう声がIT弱者にも聞こえる時代でございます。

確かに、今、筆写する時間は作らないと持てません。(あのころはよかったな)

☆ でも、です。

やっぱり、『ノートを開いてペンを手に取り机に向かう』

いいんですねえ、これが!脳科学で説明がつくらしいです。

心が落ち着きます。故郷に帰ったようで、もうスマホなんて目じゃない。

でも、筆写できるとしても一日ひとつかな、と大量についた付箋紙を見ながら思案中です。

『悟りきったらつまらない』

毎週火曜日は、◆自分史をつくろうー今、未来に向かって

このブログのメイン・テーマです。

今日は、『悟りきってなくていい』と確認しましょう。

★ 昨夜ついつい夜更かしして、Youtubeで美輪明宏さんと瀬戸内寂聴さんの対談を一時間ばかり最後まで見てしまいました。

笑ってうなづいてはっとして感心して感激して、勇気と元気百倍、明日からまた頑張ろう!という気になりました。

この感動を今日のうちにメモしておきますね。

・ おふたりの波乱万丈な人生に目がくるくる、それが深刻にならずに語られます。時の力に年の功、加えておひとりおひとりの生きることに向かう確かなセンスがビンビン伝わってきます。まさに『自分史』です。

(このところ、何を見聞きしても、皆さまそれぞれ、『自分史』なさっていらっしゃるんだなあ、としみじみしております。『自分史活用協議会』さんの講座で勉強することに決めました)

・とても柔軟!です。型にはまってそれを押し付けようとなさらない。イキイキとしていて、上から目線で押し付けようとなさらない。


寂聴さん『私は4歳のとき娘を捨てて家を出たから、娘が来てくれるんだけど遠慮して気をつかってしまうの』

まあ、なんて親しみやすい方なんでしょう。

更に、↑『“老い”の恐怖が始まりました。・・・』の質問には

『人間はそもそも老いて死ぬために生きているんだから、そういきていけばよいだけの話ですよ』
にんまりです。年端の行かないものが口にしてはいけない言葉ですね。

信心深く毎日お経を上げ占いも透視もなさる美輪さん、『結婚相手を決めるのは結局はあなた自身。ひとりひとり本人次第です』と断言します。その言葉の背後にある経験と真摯に正面からぶつかってきた生きる姿勢の蓄積のオーラを感じて、うんそうなんだね、とこっくり素直に頷きました。

神は自ら助くるものを助く、ですもんね。

★ 丁寧な敬語、深い教養、なによりもユーモアたっぷり。ネガティブ、弱みも笑いとばし、泣きながら逞しくやっていこうと大先輩方に励まされ勇気をもらったことです。

ふわんふわんとよいとこどりして終わりでなくて、

それこそ酸いも甘いも、それよりずっと苛烈な場面をくぐり抜けてきて曲がることなく、寂聴さんは優しく親しみやすいけれど厳しさもちゃんとご存知で、

美輪さんは凛としていのちあるものをいとおしんでおられます。

★ 最後に、『戦争だけはダメ!』と訴えます。必見です。どうか最後までご覧くださいね。

夜更かししてよかった。さあ、がんばろう!もっとできる気がしてきました。

訴えま