『❝ばばぢから俱楽部❞のアイディアで書き直す』

1087~1094 /10000 2022 5月5日 (木曜日)こどもの日

 今日はこどもの日です。
 こどもの日に❝ばばぢから倶楽部❞のアイディアをざっとまとめてみます。
 そのわけは後ほど。

 昨日は、上の息子が来て いっしょに買いものに行ったり物置の古い戸を修繕してくれたり、下の息子からは頼んでいた プリンターのトナーが届いたりで、気分は母の日でした。息子が来たのに鯉のぼりがないのはやっぱりさびしいですね。去年の夏から気分は引っ越しモードで あり合わせだった鯉のぼりを『ごくろうさま』してしまったのです。来年はなんとかしなければ。子供のころは月歴での五月節句で、町のあちこちに鯉のぼりがたなびいて子供の元気な成長を願っていたものです。わずか60年前のことです。

大きな鯉のぼりのイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

 「願いを一つだけ」と問われたら迷うことなく答えます。
『子供たちがすくすくすくすくのびのびと育つ世の中であること』
今から150年前 明治維新前後、渡来した欧米人に『夢のように美しい国である。子供たちが実に大切にされており子育てが文化となっている』と絶賛されたこの国、今や悲しいことに、若者の死因のトップは自殺、中高生の自殺者数は二年連続の過去最多を更新、これくらい胸がズキズキすることはありません。更に急激に進む少子高齢化でまもなく労働人口の肩にOLDSが重くのしかかるという予測が私たちを不安に陥れます。

高齢化社会のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

 ここで私たちばあちゃんたちが、すっくと、とはいかなくても、手すりに頼って立ち上がっても十分十分、そんな寂しく辛い予測をふわっと乗り越えることができたら、いかがでしょうか? もちろんじいちゃんもご一緒に、未来のジジババもどうぞ。

 お若い方々に伍して、意気込んでスピーディにテキパキとはもはやムリ、そこは年季と年の功でカバーして、手すりに寄りかかって立ち上がる、これが強みになる、そんな生き方を追求する、いかがでしょう? 年季と年の功の活用の仕方も編み出しましょうよ。
 『食養』に出会って50年、蓄積してきたノウハウを私からお伝えします。
 まずは、★自分自身がなかまと共になるべく元気でトシを取っていけるように、そして
★後続のお若い方々に、存在で、(脳力と体力ではもはやムリなので) 生き切る力を感じてもらえるように。
★寝たきりになっても3か月、あらそって介護されるばあちゃんをイメージして、その心構えとノウハウを蓄えて次世代に伝えましょう。
 パソコンできなくても大丈夫、どんな時代になっても変わらないものはあるはずです。
 天に還るまで、凛として心穏やかに暮らせるように、工夫を重ねましょう。

 一方的に若い人によりかかり頼る、のはどうもね?
 私たちジジババも若い人を支えましょうよ、年季と年の功と存在と知恵で。パソコンバシバシできなくてもOK、すぐ忘れてもOK, 病気のひとつ二つ持っていたってOK。


 
 その手始めに、自分史を振り返ることから始めましょう。基礎の基礎から固めていきましょう。そう、自分史は『生きてきた証・未来への力』なのです。
 というわけで、『はがき一枚からはじめる自分史探検』のチラシを❝ばばぢから倶楽部バージョン❞に書きかえてみました。

  少子高齢化社会にびくびくしたくないおばあちゃんのための、3か月集中プログラム
おじいちゃんも未来のOLDSもどうぞ。
      寝たきりなっても3か月、あらそって介護されるおばあちゃんをイメージして
    老化をパワーに 素敵にエイジング、もう若い人に遠慮し過ぎない
      自分史を振り返って、書くことで、自分の自信と軸を紡いで
 急激に進む少子高齢化社会の中で 安心して元気に(なるべくでOK)やっていきましょう。
      ~手書きニュースレター、FACEBOOKの交流広場に参加できます~
    たった一枚のハガキから、3か月で自分と自分史の全体像が見えてきます。     
    ★いつもの言葉で    ★ 手もと足もとから    ★上手下手ヌキ
             + パソコンできなくても大丈夫
◆往復はがきが月4回毎週届きます、返信お待ちしています。  アドリブ大歓迎です。
<3か月の構成>
(内容は変わることがあります)
● 一か月め 第一部『わが人生、捨てたもんじゃない!』まっとうな自信を回復しましょう
  1 とっても楽しかった思い出      2 理屈抜きで好きで好きでたまらなかったこと
  3 感謝していること、感謝している人   4 よくがんばった自分
● 2か月め 第2部 『全体を見わたそう』鳥になって空から我が人生を見下ろしましょう
    1 自分の年表をつくろう   2 年表をつくろう その時代の出来事
    3 系図を書こう       4 家族親族の思い出、受けた影響
 3か月め 第3部 自分の「分身手帖」をつくろう いくつになっても新しい自分に挑戦
    1 未来年表をつくろう     2 生きているうちにこれだけはやりたいこと
    3 ・健康のためのプログラムをつくろう・時間の管理のための決まりをつくろう
      ・お金の基礎の基礎を抑えて計画をたてよう
      4 子供たち、未来の世代に手渡ししたいこと
◆お申し込みの方に届きます
『自分史手帖』 自分史の栞です  ★自分史探検ファイルノート  ★自分史探検付箋紙
★ 分身手帖 2冊 
★手書きニュースレター ❝Peaceful & Beautiful❞ 三か月に一回発行予定
・モニター契約書  ・郵便振替用紙
■自己紹介
『自分史探検・ばばぢから倶楽部』主宰  
自分史探検』プロデューサー  荒木しう子 と申します。
・山形県生まれ 13歳まで高度経済成長以前の世の中で育ち、20代にマクロビオティックを通じて『食養』に出会い、食の大切さを悟り人生が一変、丸ごと一つのいのちを活かせる生き方を探してなかまたちと共に沖縄から知床半島まで主にヒッチハイクで縦断、30代は信州の山の中の一軒家で電気ガス水道ナシの暮らしを8年半、そこで二人の息子を育てました。
『うむ・はぐくむ・わかちあう』この三つの言葉が動かぬものとして胸に座りました。
・50代には、更年期、慢性疲労、火の車操業の無農薬八百屋を抱えてどん底に、何度も自分史をふり返ったことが乗り越えるきっかけとなり、その時、いつか自分史の講座をやろうという思いが芽生えて、以来
構想25年、この10年は、話し方教室、作文教室、コミュニケーションの講座に通い準備を重ね、一年目は57回の初級講座を開催しました。 いつか年を重ね、年季をも活かして、『自分史で私は元気→まわりも元気に→世の中も元気に 』 この信念をこの仕事にこめています。 
・山形大学文理学部文学部で日本史を専攻、社会科教師免許を取得しました。
・1997年、『チェルノブイリへの架け橋十勝』代表として、ソロプチミスト財団様の全国表彰、千嘉代子賞を受賞しました。
◆価格 お申し込み方法      ★定員になり次第〆切となります
★ 3か月モニター 特別価格 15000円(内税)  (予価 1か月 15000円)
★ お申し込み先  ・コメント欄にどうぞ  こちらからメッセンジャーにご連絡致します。
お申し込み〆切       2022年 9月1日(木曜日)24時迄
■オフィス マギ 『自分史探検・ばばぢから倶楽部』主宰 
自分史探検プロデューサー 荒木しう子
・080-0015 北海道帯広市             ・TEL 070-4470-9592
・Email magi.shiuko@gmail.com    ・ Facebook   Shiuko  Araki
・ブログ(2019年5月8日~)『しうこばーばと縁側で』   

《モニターご希望の方へのメッセージ》     

  私の『自分史探検サークル』の心機一転立ち上げをご一緒して下さってありがとうございます。とてもうれしいです。孤軍奮闘はやめてひととひとのあいだでやっていこうと思えるようになって肩の荷をひとつ下ろしたところです。

  この仕事には三つの思いを込めています。


 ひとつめは参加メンバーへのメッセージです。ご自身をあらたにじっくりと掘り起こして、自身の軸を紡いでいきましょう。自身が大切に思えるなら、まわりの人も大切に思われてくる、元気で優しい凛とした存在になっていく~この歩みをともにしましょう。この結果は、一人一人の手作業にかかっています。


 二つめは、世の中のことが気になっています。私たちがそうであったように、若者は言葉にならなくても時代の空気を肌で全身で受け止めています。『子供たちが安心してスクスク育ち、若者が“いのちに嫌われている”』などと感じない、子供たちがしっかりと守られている世の中に変えていきましょう。
 一挙に大きなことはできません。ほんとの底の底から一歩一歩、私たちがこうなったらいいなと願う世の中の石垣の石積みの手作業を共にしていきましょう。

 最後は、自分のことになります。無知と自信の欠如で潰してしまった八百屋へのリベンジ です。自身の本然とニーズをを活かすことで仕事をして採算をとる=ビジネスとして成立させることに挑戦しています。あと10~20年早くITバシバシだったら、と思わないこともありません。でもやるしかない、サポートしあうなかまに恵まれ、求めていた マインド・セット付の緻密なノウハウ設計書を手に、トシをたまには忘れて 呻きながらチャレンジ中です。
きっと今が一番面白い時になると信じています。この立ち上げのプロセスをともにしてみませんか?

手を繋ぐ老若男女のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや




よし、これで友人知人に当たりながら、手直しを重ねていきます。

満開のスモモの花‘@北海道ホテル様



『忘れていない初心~50年以上前のこと』

1080~1086/10000  2022 4月28日 木曜日
 今日は、久しぶりに、◆子供らに寄せてのうち、私の自分史で、私の大学時代のことを
書きましょう。

 というのも、応援してもらっているFACEBOOKの友達Tさんから「Yさんに相談してみたら」とメッセージがあって、思いがけない案に、お!いいかも、と反応して、Yさんとはもう50年以上会っていないので、挨拶から書き始めたわけです。
 Yさんは山形大学の同級生で国文科、学費を貯めてから大学に入ったので私より三つくらい先輩です。長く広告会社をやった後、地元の東北を中心に、地元伝統の 農林水産の生業 と文化の 継承と創造 、『地元学』を立ち上げた、その道の第一人者です。
 あ、そうそう、何の相談かというと、私のミニ起業『自分史探検サークル』の内容と情報宣伝の相談なのです。Yさんは、国文科・広告宣伝業・地元学の実践と何十倍も人生の大先輩なのです。
 こちらが、Yさんへの手紙です。  

Yさん           2022 4月28日~

ご無沙汰です。突然ごめんなさい。
❝Sさん❞もお元気ですよね。
 Sさん(パートナーさんです。同級生でした)、ご無沙汰です。しうこです、私も75歳ですよ。北海道は十勝地方帯広に住んで37年になります。町じゅうコブシ、サクラ、ウメ、モモ、レンギョウが満開、今日はサクラも強風で散り始めています。
 Yさんのことは、農文協通しで、チラチラ拝見しておりました。御意でございます。そうそう、八百屋をやっていた時、25年くらい前でしょうか、在庫置き場で販売の準備をしているとき古新聞に Yさんの 大石田の雛祭りレポートが載っていて、びっくりというより シンクロニシティを感じて大仰でない喜びがじわっと広がったことを忘れません。月歴の三月節句、子供たちが一団となって,、❝お雛さん見せでけらっしゃい❞と挨拶して家々をまわり、路地(家の中の土の通路)からお雛さまを見せてもらってお菓子をもらうのでした。

 私アナログ75歳のミニ起業『自分史探検サークル』のことで相談させてくださいませんか? 今日はこのことで手紙を書いております。


 1969年秋、かもしか温泉まで迎えに来てくれてありがとうございました。あの後私は、冬前まで秋田犬と一緒にかもしか温泉の周囲の蔵王の山の中を庭のごとく歩き 高山の秋に目を見張り、冬枯れの山の藍色の中のイタドリは「イタドリのベンガラという」と登山者のお客さんに教わりました。 かもしか温泉、跡形もなく消えてしまったんですね。あの地形なら大雨が来たら無理もない、私たちが無事だったのが不思議だったかもなど思われておりました。

 ここで夏の終わりから初冬迄を過ごし、大学に戻り 人文学部に鞍替えはしませんと学生課に言って(ワケが分かっていたわけではありません。生物的なカンだけで)文理学部最後の卒業生のひとりとなりました。(たしかもう一人いたようです)卒業論文は『伊藤野枝の生活者』、日本史専攻なのに古文が読めず (恥)野枝の全集は一冊だけだったのでこうなりました。卒論を上げるために当時の私としてはものすごく勉強しました。大学時代もっともっと勉強しておくべきでした。後悔しています。

 ベトナム反戦と大学闘争のあの頃、私は活動家ではありませんでした。でも、連日構内に繰り広げられるジグザグデモを学生会館の坂の上から見ながら、占拠された学生会館で占拠している全共闘の連中とだべりながら、『いったいこれは何なのだ?』と身体が反応して、それが知りたくてここまで来たぜ、という感じです。
 この問いへの答えは、2015年夏安保法制反対行動の最中に読んだ山本義隆さんの『私の1960年代』で、ぴたっとジグソー・パズルのピースが嵌りました。大学一年の時、優秀な一年先輩方が合宿で❝『期待される人間像』、ここがおかしい❞、の読み合わせをやってくれたことが鮮やかによみがえりました。皆でガリ版を切ってテキストをつくっての合宿でした。
 もっと早く気づいて、原因を探りアクションをつくれて継続していたら、もちろん私一人ではなく、この列島中で、この国の目も当てられない眼前の体たらくに陥ることはなかっただろう、「この国は戦争とは無縁」と脳天気にのほほんとしていた戦後民主主義世代として臍を噛む思いで、柄にもなく苦手な政治にちょびっとだけ首を突っ込んでいます。本音は若い人のうしろによぼよぼとついて行きたい。

 一方で立憲民主主義の限界も感じていて、その周辺の、また別の生き方、視点にも注目しています。芸術、文化、ビジネス~網野史学、地生え・海生え・心映えな自然なコミュニティ、アジール、コモンズ、テリトーリオとかにです。駅から10分の古い物件に1人暮らししているだげですけど、志向は、です。自分のコミュニティ、アジールの準備としても取り組み始めたミニ起業を成立させたいのです。

 ご両親が尾花沢のTさんとは、FACEBOOKで共通の古い仲間を通じて友達になりました。私が13歳まで生まれ育ったのは大石田の川端で目の前の最上川が私の原風景です。
 “最上川逆白波の立つまでに吹雪く夕べとなりにけるかも” 茂吉
この年になると思いだすのは高度経済成長前の生まれ故郷のことばかりです。
 
 私は、遅くて長くかかるんですよね。よくいえばじっくり、でしょうか。大石田から県庁所在地に引っ越してのこの違和感とは何か?、それが知りたくて60年以上、大学構内のジグザグデモってなんなんだ?それが知りたくて50年近くがあっというまにたってしまいました。残された限りある人生を考える時期に入っています。



 一年前約15年にわたるパート修行(これも長かった)をようやくやめて、いざ『しうこばーばの自分史講座』を立ち上げてはみたものの全然勝手がわかっていなくてこの冬まで呻きまくっていました。そこから脱しかける光が射しててきたところでこの手紙を書いております。
 ご教示お願いできますれば幸甚です。

不完全版ですけど、完全を期したらいつになるかわからないのでこれ迄書いたものをラインナップ致します。

① 自己棚卸し
ネーミング  キャチコピー  コンセプ
自分史手帖
④ モニターを募集する
⑤ 情報宣伝告知作戦
(これからコピペして調整します。明日には送りたいところです)


 75歳でのミニ起業、「あと10年早かったらな」と思わないこともありません。ITもSNSも新しいことはすぐ覚えられないし。最近覚えつつあるのは、『急ぐときこそ、少しづつ少しづつ、あわてないあわてない。』
 自分がアンテナ立てていると、77歳で起業した方の情報をはじめとして、今必要としている情報が次々と入ってきます。4月の末に 77歳までの3年計画『喜寿プロジェクト』を立てました。今できることからトシなりのスピードで小さい一歩小さい一歩を重ねております。
 よろしくお願いします。


 以上 Yさんへの手紙でした。
大学時代のことを初めて書きました。自分史、なかなか書ききれるものではありませんね。70過ぎてようやく自分のたどってきた道を振り返るニーズが湧いてきた気がします。『掘り出し物は我が身のうちにあり』、このことを知ってほしくて『自分史探検サークル』を始めています。
 では、Yさんへの手紙の続きを編集しますね。

★『はがき一枚からはじめる自分史探検 3か月モニター募集!』
ご関心おありの方は、
FACEBOOK Shiuko Araki のメッセンジャーまでどうぞ。


今年の春は、ここにもあそこにもと満開のサクラが
町じゅうに溢れていました。去年まで気づきませんでした。