『清水平便り~『須貝アキラ 追悼集』より』

1386/10000  月暦3月26日 太陽暦5/4(土)



「私たちが信州の清水平にいたとき(1977~85年)獏原人村、大鹿村、小谷村などと、山人同士でひんぱんに行き来しあった。
 そんな冬前のある日、清水平の小さな谷に、アキラとシャイアンが大鋸担いで現れた。ヒッチで来てくれたか、軽トラだったか、ヒッチだったような気がする。そして一冬分の薪を切って帰って行った。囲炉裏で玄米を炊いて清水平の野草山菜でうまい飯を食べた、と思う。
清水平の山と川の谷の中に、今もその時のアキラとシャイアンの姿がはっきりとと見える。
 このシーンは、私の生きるよすがの一つなのです」



 ここに引っ越してからの13年分の片付けを始めたところ 早速出てきた清水平の資料が3冊、そのうちの一冊、『足に土 原人・アキラ 須貝 アキラ 追悼集』1998年「人間家族編集室」刊)から、私が寄せた「大鹿の空にあまねくなったアキラよ」から清水平関連を中心に抜き書きしてみます。


 「昭和35年ー高度経済成長政策本格化、60年安保闘争、三井三池闘争。1965年アメリカ軍
ベトナムに北爆開始∼ベトナム反戦と大学闘争の60年代後半。
 5年かかって大学を卒業後、フツーの就職をする気のなかった私は、リュックひとつで当時高田馬場の線路沿いにあった「ヤマギシ会」の案内所をたよって東京に出た。1971年暮のこと。
 当時、岸田哲ちゃんたちが「キブツ協会」をやっており、神宮前の事務所で「コミューンの会」が定期的に行われていた。(中略)
 60年代後半の空気がまだたくさんあって、金銭経済至上主義社会の歯車の部品として生きるのではなくて、全身でいのちまるごとで生きることを求め、模索する者たちが磁石のように引き合って、期せずして「人間家族」が自然発生していった。(中略)

 私たちにはごく当たり前のそして不思議な縁。自在闊達な中世の血と遺伝子の濃いもの同士か?いずれにせよとてもラッキーな同時代体験だった。日常の生活の中で見え隠れしながら、変わらずにフレッシュ、エネルギーの源泉となっている。70年代の10年から80年代にかけてバカバッカシ沢山やった。(今でもそれほど変わらないか)めいっぱい初めっから、教科書なしに不器用に経験体験を共にしあった。ホント、ラッキーだったよね。一歩過酷な試練に耐えられなかったなかまもいたことを忘れない。


「アキラのおかげだね」「アキラがみんなをあわせてくれてるね」「もうこんなに一堂に会することないよね」 (中略)地元、大鹿のみんなの、アキラを送る気持ちがひしひしと伝わってくる。
 大勢の子どもたちがうれしい、頼もしい。(すっかりババ気分)
  🎶はなればなれにならず はなばなをまなび はなばなのみちを
   よそおいかるく あるいていけよ🎶
うちの太郎と二郎も忘れないでね。太郎の二郎も、アキラの野菜をもりもりべて食べて大きくなったのです。二郎がおなかにいるとき、南瓜やいろいろ何十㌔も大鹿から送ってくれて、清水平の入り口から担いで家に運んだ。身重の私がかついだことも気遣ってくれたアキラを思いだしてまたうるうる。
 みんな髪に白いものが混じっている。心の中にはしっかりと原石が座っている。はじめて会った頃と少しも変わっていない。キリキリイライラカリカリ、神経戦に憂き身をやつしていたころがなつかしい、トシの功、トキのチカラ、角が取れはじめているかな。
「まだまだこれからだ」電話口の向こうで。アキラの声が静かに落ち着いていて頼もしい。病の床に臥す少し前のこと。」



 それにしてもこのアキラの追悼集はすごい!1970年から28年、追悼文をよせたなかまの多くが50歳前後の働き盛り、以来26年が経つ。よくぞ編集発行してくれたものだと唸ります。当時の息吹き、年月ともに世事のなかで忘れそうになる初心が鮮やかに、当時よりも深くシブく蘇ってきます。
『うむ・はぐくむ・わかちあう』この三つのことばを与えてくれた清水平のことを、今あらためて書きとどめておこうとするとき、新たに手に出来たこの追悼集の力の大きさはなかなか言葉にしきれないものがあります。
 昔語りではなく、いまとこれからの時代に、次の世代をともに考え合い、行動し合うことを念頭に書いてみます。


『「ありがとう」の大波が来た』

1365/10000  月暦2月10日 太陽暦3/19(火)

「ありがとう」
せずにいられないですよね。
しないとハシタナイと感じますよね。

それでもいつのまにかネグレしてしまっていて
もっとほしいと
足りてないもののほうに意識が無意識にいっていたり
あたりまえのコンコンチキになっていて
鼻先であしらっていたり
MUSTな用事に気を取られて
ありがたいことに対して
正面むいて挨拶がおろそかになっていたり
することないですか?


朝4時ごろ目が覚めて布団の中で
苫米地英人さん式の逆複式呼吸で瞑想していると
ヒラメキ・タイムがおとずれるのがルーティンになっています。
今朝布団をあげているとやってきたのは
「ありがとう」の大波でした。
22日から出かける東京~山形行、
待っていてくれる、ミロさん、富士子さん、恵美さん
今回は会えなかった松永さん、
まだ連絡のつかない貞子さん
市ヶ谷で花見をセットしてくれたケンゾーさん、
享子さん、さちこさん 、わたるさん・・・
山形に連れて行ってくれる弟の利明くん夫婦、一緒に行く
ゑい子ねえちゃん、山形で待っているのり子ねえさん
ひとり一人の家族とその歴史と今の様子、
旅程をイチイチ☑入れてくれる息子たち
そのシーンの仔細のひとつひとつが
ありがたいかたまりの大波となって
まるで目に見えんばかりに大波となってやってきました。
出発前の準備とその前の課題でいっぱいいっぱいになって
ありがとうを忘れていました。

ありがとう日記をつけてから何年にもなるけれど
こころがこもっていなかったみたいだ
ありがとうにも浅い、深いの諸相があるんですね。

「ありがとう」って思っていなくても
そう口に出すだけ、心の中で唱えるだけでも
ご利益があるそうです。
イヤな目にあったとき、立ち往生した時
まずは、思っていなくても
苦虫潰した顔で「ありがとう」するのも
悪くないかもしれません。
あ・り・が・と・う の言霊が
ちゃんと応えてくれるらしいです。

もうひとつ、
私達の健康をつくるのは75%が気の持ちよう、
なかでも「ありがとうする」と免疫力が上がるんですって。
タダでできることがあるってこと。(だからと言って
治療、検査をないがしろにしていいわけないですけど)

ありがとう」は魔法のことば、
意識してタダで得しましょう。

北海道ではお目にかかることのないツバキ@山形、昨春

『人と人との間で』

1363/10000  月暦2月8日 太陽暦3/17(日) 2024


人と会うと俄然元気!になりませんか?
(相手にもよりますけど)

哲学者の鶴見俊輔さんは晩年質問に応える形で本を出されていました。
でないと話が出て来ないからとおっしゃって。
何で鶴見さんほどの方が?といぶかしく思ったものです。

今朝ZOOMでお話させてもらった
『モノと暮らしの片付けコーチ』の恩庄ともみさん
質問がほんとにじょうず、
なので相乗効果
言葉がはっきりと出せる
まだ言葉になっていなかったことが言葉になる
新たな気づきが言葉となって飛び出す、
ひびきあってクリエイティブになる時空
渋い喜びが湧きあがります。

ひとりではやらない、
知らず知らずのうちにひとりよがりになるし。
人に聞く
まわりをリサーチする
ビジネスなら,「答えはお客さまが知っている」

オンラインのZOOMで話すことが増えてきて
話が弾むと、この方と一緒にやったら
深くなって早くできて
ひとりではできないことができる
この人とならそれぞれの経験をシェアして
ひとりではできないことができると
ワクワクする。

何もかも一人で完璧に、って
そもそもムリ
山の中の一軒家で暮らしていたとき
悟ったものです、
「子育てとご飯は社会的なものである」と。
核家族で、ひとりでは不自然だと。
人生の折り返し点の混乱のさなかに、
ハタと思い当たったのは
「自分なんてどこにもいない
ほかの人のよせ集まりに過ぎない」と。

人と人の間で生きているんですよね。

早春のつらら、もう落ちました。

『季節を感じる時間がほしい』

1312/10000 1月14日(日)2024年


享子ちゃん

『普通に季節を感じられる様になりたいです』よね。
去年一年、超絶のがんばり、でしたものね。
去年だけでなくてずっと、ね。

ベランダの野菜は元気ですか?
コンテナ・ガーデニングで私も
ガーデニング、覚えました。
栽培している野菜といっしょに
季節を感じますよね。
野菜に季節を教えてもらうことも多々あります。
いとしい、うれしい、生きる喜び。

正月、このトシになる前から
思い出すのは、生まれ育った
山形の田舎の暮らしばかりです。
高度経済成長前で
季節と、旬の食べものとひとつになった
年中行事を執り行うのが
母のメインの仕事でした。
こういった年中行事って
核家族、独居ではなかなかサマになりません。
部落、コミュニティがないとむづかしい。
子どもたちに年中行事を体験させてやりたいと思いつつ
商店街の七夕、盆踊りに連れていったくらい、
今は、家族そろっての年越しがせいぜいのところです。
母に聞き書きしておいた生家の年中行事のメモも
度重なる引っこしで行方不明に。
大型店のキャンペーンにあわせての年中行事もな、と
餅のビニール袋を開けながら寂しくよぎるわけです。



壱岐ではお母様、どんな暮らしだったのかしら?
農文協さんから出ている日本の食生活全集』に
きっと壱岐ページもあるんじゃないかな。
直接聞き語りしてもらう方が早いですね。

わが家は1960年に県庁所在地に引っ越しました。
父と母、わけても母はどんな気持ちだったのだろうかと
遅まきながらその心中を思いやっています。
親孝行したいときには、です。


ゆっくりじっくり季節をあじわう暮らし
年中行事も、私たちで新たにつくって
そんなコミュニティ、コモンズつくりましょう。
自然な感じでできるように
ストレスフリーなコミュニケーションを
鍛えておこうとしています。
長期計画ですよ。


立春までまだ二十日、
お風邪召しませぬよう。
東京は沈丁花が咲き出していますか?
能登のなかまたちは皆タフで元気で、
お風呂もらいに行ったり
屋根を直したり、
避難してくる人を受け入れたりしています。

今日の夕空です。
奥の日高山脈が雪の防波堤になってくれて
冬は東京と同じで十勝晴れの日が殆どです。



『おかげさまで』

1296/10000 12月29日(金) 2023

何かいいことを話すとき
❝おかげさまで❞とひとこと添えずにいられなくなったな
とふと気づきました。忘れたらあわててあとで、
❝おかげさまでね❞と付け加えずにいられなくなった、
これって、トシの功って言うんでしょうか?



キーキーカリカリが辛くなってきて
『中庸』、モデレートがよくなってきました。
うちの息子たちの父ちゃんが、ふっと
『中庸がいい』というようなことを言ったシーンが
 朧気によみがえります。


白か黒かでバッサリできない場合が殆どな気がしてきました。
ダメなものはダメとハッキリと言わなければダメですけど、
この国の平和・人権を大切にしている人々も
その言い方はないでしょう、と辛くなることがあります。

意気揚々と断言して憚らなかった、
今なら恥ずかしいというか、ほほえましいというか、
そんな若い人を前に、何かためになる一言が言えるだろうか、
今そのような若い人がいるかどうかわからないけれど。

体力のかわりに知恵が出せたらいいですね。
そのとき、『おかげさまで』
このひとことは、けっこう効くのではないかと
期待しているのですが、どうでしょう?

沈む満月、28日朝。 朝窓を開けて空を見上げるのが楽しみです。

『身体がシュッとなると』

1250/10000  9月19日(火)2023
毎週火曜日は、◆子どもらに寄せて
子どもたちに、これだけは伝えておこう、
そのメモ書きです。


今日は、身体の姿勢のことです。
姿勢、気をつけていますか?
気をつけて、かえってこわばっていませんか?

外国人が日本人を見分けるのは、なんと
その姿勢の悪さ、なんですって。
それはなぜ、はまたいずれ。

では、どうしたら姿勢がよくなるのでしょう?
『体幹』、もうご存じですよね。
体幹を図にしました。

スッと立ちます。
丹田に気を入れて
みぞおちは柔らかく、身体の気の中心です。
鎖骨は水平に、着替えするとき、お風呂に入るとき、チェックしましょう。
足の湧泉を通して
手の小指に軽く気を入れます。
これだけでは、横隔膜にけっこうストレスがかかります。
後頭部の上、15㎝くらいのところにオレンジがあるとイメージして
そのオレンジを意識すると、スーッと横隔膜が自然に伸びて
気分は大木、その中心に体幹の線がスッとはまります。

行住坐臥意識してみましょう、
意識しなくても無意識にそうなるまで
はじめは~にしようと意識して、続けていると
~になっている、シュッとなっている、
そこまで継続しましょう。

するとどうなったか?何が変わったか?
教えてくださいな。

相性のいい先生に出会ったら合気道、太極拳などの
道をおさめるのもいいですね。
これからの時代、何がどうなるのか?なにがあっても
大切な人、なかま、家族をそして自分も
まもることができるように備えて
鍛えておきましょう。




⤵ 炎暑の中でも進んでいた秋@中央公園

『地べたに座る』

1243/10000  9月12日(火)
今日は毎週火曜日のテーマ
子どもらに寄せて に戻ります。
このトシになると、息子たち、孫たち、その後の世代のことが
気になってきます。生物のオヤとしての本能でしょうね。
伝えておくべきと思われることを思いつくままメモしていきます。

この夏、コロナ❝明け❞ということになって、メイン・ストリートでの平原祭りに出かけたら
大勢の善男善女(にみえてくる)で大賑わい、
ちょうど全道各地からの太鼓グループさんが集結して大盛り上がりでした。
舗道の最前列の善男善女さんたちは家族連れで、舗道に座り込んで腰を据えて
見物しているシーンが、なにかいい感じでなつかしいものがほわっと湧き上がってきました。
今日はスペシャルな祭りの日、家族そろって(コロナのこともあって私たちシニアが少ない気はしましたけれど)メイン・ストリートへ。一番前の人は、舗道の縁石に腰かけて演技を待っ ています。


もう一つ、日曜日の潮田先生の『認知症予防講座』で、あ、これだ!と感じたのは、
先生が、座布団・和式トイレ・畳に布団 を推奨されたときです。
確かに立ったり座ったりするだけで、足腰の運動になり筋肉がつきますよね。
今ではすっかり、クッション・洋式トイレ・ベッドですよね。
洋式トイレが出てきたときには、これでできるのか?とビックリ仰天!したものです。
しばらく前から、シンプルなベッドがほしいなと思っていたけれど、このままの方が
確かに運動になるか、と考え直し中です。

運動になって筋肉が衰えにくい、このことのほかにも
『地べたに、または畳あるいははカーペットに座ること』の意味はあるんじゃないかしら。

私たちが子供ころは、ままごとなど外で遊ぶときには、軒下からかねて準備してある薄べりの
家で使わなくなったものを手にして、地べたに広げて座り込んで遊んだものです。椅子といえば学校の教室の木の椅子くらいでした。茶舞台でご飯を食べて、座り机で宿題をして、冬はこたつに潜り込んでいました。懐かしい。

丹田、重心が地球の中心に近くなって、その分ハラが座って心が落ち着きカンが働くのではなかろうか?慣れてしまって椅子の方がラクになっていて、地べたに座る機会が殆どなくなっているなあ、とふうーっと思われたことでした。左ひざが弱くなって座れなくなったことがさびしい。

地べたに座る、の他にも、正座、下駄、体幹、と行住坐臥
子どもたちに躾けておきべきことがあったと思うわけです。

『 地べたに座る、座布団に座る、正座、下駄』と
『 椅子に座る、靴を履く』 の体感の違い、ちょっと比べてみませんか?


⤵ 矮性ヒャクニチソウ、苗屋さん、プロの手の丹精です。

『長い道のりになるだろう』

1229/10000 8月29日 2023
毎週火曜日は、◆子どもらに寄せて
このトシになると自ずと気になってくるのは
私たちの次の世代のことです。
生物のオヤとしての本能でしょうね。


子どもたちよ
今この国は
自らの国を滅ぼそうと次々と策をうちだしてくる人々が
支配しているかに見えます。
楽しいですか?心が安らぎますか?
これが当たり前だと思ってはなりません。

美しいものを作り出しそれをあなたの目の前に差し出す
素敵な人々がいます。
都会を離れて人口が減る一方の地域に入って
あらたにコミュニティを創り出している人々がいます。
夏には列島各地で伝統の祭りが賑わいます。
また伝統的な祭りとはまた別のルーツを持つ
自然発生的な祭りがあちこちで開催されています。
無農薬で、今では堆肥も使わずに
米、豆、果樹、野菜を育てている人々がいます。
学校に行かない子供たちが増えています。
理不尽な対応に負けることなく
何があってもまっとうな情理を尽くす弁護士さん、
ジャーナリストさん、学者さんがたくさんいます。
職場の中で、人間関係、仕組を改善して働きやすく
生産力が上がるようにと工夫を重ねている人々がいます。
少子高齢化とはいえ、お子たちは次々と生まれています。
子どもは宝です。

あふれるネガティブ情報はおさえておくと同時に
望む未来をつくろうと生きている人々の息吹を
感じ取りともにしましょう。
イヤなことはイヤだと平静に声を上げると同時に
あるときにはうまくかわす技術を身に着けて下さい。
いのちを消耗させられないためにです。
志を共にするなかまと切磋琢磨して
無条件に助け合うことを心しておいてください。
助けあえる基盤をつくっておきましょう。

『高度経済成長以来の60年で失ったものを
取り戻すには1000年はかかるだろう』

原子力発電所を始末して
日本政府と東京電力による理不尽な
福島原発の放射能汚染水の太平洋への排水は
即刻やめて
(この国は世界中から孤立してしまいます)
山々を海を大切にして
食糧自給率を100パーセント以上にして
化学農薬を極力減らして
遺伝子操作作物を禁止して
医療を予防医学中心に変えて
現在の常識を超えたところにある技術に
アンテナを立てて
教育、研究、芸術を大切にして福祉に力を入れて、
子どもたちを大切にして
ひとりひとりの尊厳を尊重し合って
何よりも
戦争しない、戦争させない
ほがらかな笑いが絶えない
穏やかな国にしていきましょう。
今すぐ国家に望んでも無理かもしれません、
要求すると同時に
自分たちのオリジナルなそれぞれのコミュニティが
必要ですよ。
のびしろいっぱいなこの国です。
どんなに絶望的でも絶望できない人々が
沢山います。



太平洋戦争を体験した人々に続いて
高度経済成長以前の世のなかを知るわたしたちも
まもなくこの世を去ります。
不束ながら私も次の世代に伝えるべきことをまとめておこうとしています。


どんな時代になっても
前を向いて軽やかに身体からの声に耳傾けて
長い道のりになるでしょう、
せこい裏切りとは無縁な愉快ななかまとともに
装い軽く歩いて行ってください。

⤵ My Little Gardenは今年は和アサガオの年です。

『ご飯粒は一粒も捨てたらダメ』

1222/10000 8月 22日 ( 火) 2023
毎週火曜日は、◆子どもらに寄せて
残された限りある時間で、子供たちに伝えたいことをメモ書きしていきます。


孫姫のみいちゃんへ

みいちゃんは今18歳、一番体力があるときですから
そのいきおいで自分のやり方で何でもできてしまうかもしれません。
しうこばばのいうことはピンと来ない可能性の方が大きいと思います。
それでも、誰か見てくれるかもしれないと書き残しておきたいことがあるのです。


一人娘のみいちゃん、
お父さん、お母さんの怒られたとき、なんといって怒られましたか?

しうこば~ばのお母さん、みいちゃんのおばあちゃんは、口をひらけばいつも怒っていました、今なら、どうしてそうだったのかがわかります。そして今は子どものためなら何でもしてくれたことばかり思い出されて、毎朝おかあさんにありがとうしています。そのおかあさんに怒られるとき、一番怖かったのは、
そんなことをしたらばちが当たるよ!』、この一言でした。

ばちが当たる、なんのことかわかりますか?
ばちが当たるに、理由などない、
ばちが当たるのです。
お天道様がみてるよ、とも言われました。
なんのことかわかりますか?

そもそもやってはいけないことがある、
大人たちは、子供たちに、それを教える、伝える、叩き込んでいたのです。

私たちが子供のころは、川端部落の神社、金平(こんぴら)さまを中心に
部落の暮らしがまわっていました。
境内での遊びのことはまた改めて思い出しましょう。

自然発生の宗教の気配がまだ暮らしの陰に日向に残っていました。
体制化され政治に利用される以前の宗教です。
『 私たちをこの世にあらせてくれているもの、神さまは
私たちの思いや浅知恵を超えている畏れ多い存在であり、
敬い、そむくことのないように、ばちが当たらないように気を付けるほかない』
このことが世の中の共通生命カンとして共有されていました。

ばちが当たる,お天道様がみている、
このことは、教科書で習って覚えることではなくて
暮らしと生業の中に空気のようにあったのです。

もし、私たちの次の世代からこのことがピンと来なくなっていたら
よみがらせるには、なすすべがあるのだろうか?と
考え込んでしまいます。

ばちが当たる,お天道様がみている、 一言で言うと
『畏れ多い』この生命カンを伝える、蘇らせることが
ひとつのキーポイントであり、新しい技術とノウハウをささえる
バックボーンになるだろう、という気がしています。
地球を覆うかに見える困難を乗り越えるために、です。

では、具体的になんのこと?といえば
『ご飯粒は、一粒も捨ててはならない』
私たちには当たり前だったこのこと、
みいちゃんはどうでしょうか?





⤵ 『いただきます・ごちそうさま』してゆっくりいただいて下さいね。


『戦争のリアルを知っておく大切さについて』

1215/10000  8月15日(火) 2023
毎週火曜日は、◆子どもらに寄せて

しうこば~ばから、
大切なみいちゃんとすべての子どもたちへ

◆ 8月15日、今日は78回目の太平洋戦争の敗戦記念日です。でも
この日に、太平洋戦争のすべてが終わったわけではありません。


現代史は習いましたか?
明治維新から2023年の8月までのうち、どこまで習いましたか?
かくいう私も大きなことは言えない、
今から50年前に、50年前の1923年のことをいわれても
ピンと来なかったと思う。家に関東大震災の絵葉書はあったけれど。


歴史を知りそこから学ぶことがどんなに大切か、
このことが身に沁みてわかったのは、8年前
安保法制が国会に上程され9月19日に
強硬採決で成立した
ことになってしまってからです。
この国は再び戦争ができる国に
アメリカの戦争に加担することができる国に
なってしまったのです。

■平和安全法制(安保法制)

平和安全法制は、
「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」と
「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」の総称である。平和安全法制関連2法とも呼ぶ。



その前から着々と、外堀を埋めていて
安保法制に成立以来、加速度的に
戦争加担戦争参加への道をひたすら突き進んでいるのが
今の政権です。


https://www.youtube.com/watch?v=cUGu73hnjdY

◆ 明治維新から1945年8月までの77年間は戦争に次ぐ戦争でした。
 ・日清戦争     1894~95   →   
 ・日露戦争     1904~1905
 ・シベリア出兵   1918
 ・日中15年戦争   1931∼1945
 ・太平洋戦争    1941~1945
太平洋戦争が終わったとき、
国家予算に占める軍事費の割合は約85%に達していました。

私たちは,戦後75年『日本は戦争とは縁のない国』
(そこまで甘くはなかったのですが)ぐらいに脳天気に
暮らして来ることができました。
戦争を放棄した『日本国憲法』が私たちをまもってくれていたからです。
だから安保法制の「成立」は物凄い衝撃でした。

図
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-07-16/2015071606_01_0.html#:~:text=%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E4%BA%88%E7%AE%97%E3%81%AB%E5%8D%A0%E3%82%81%E3%82%8B%E8%BB%8D%E4%BA%8B,%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%A7%E3%81%97%E3%ちいさい81%9F%E3%80%82


誰が戦争をやろうとしたのか?
戦争で得をするのがだれか?
なぜ戦争をやろうとするのか?
戦争で犠牲になるのはだれか?
その犠牲とは、実際、リアルではどのようなものか?

小さい子供たちにはムリとしても
みいちゃんはもう大学生ですから
知っておきましょう。
この世にはまことに悍ましい筆舌に尽くせない悲惨がある、
このことを知っておきましょう。
誰が、なぜ戦争をするのかも、知っておきましょう。


今、この国は多くの困難を抱えています。
いちばん恐ろしいのは、
文化と、人倫の凋落、
それにもうひとつは戦争です。
少なからぬ人々が困難をものともせず
望む今と未来のために
この国を元気にしたいと現場でクリエイティブに活動しています。
私も、この国のお子たちが安心してスクスク育つように
そういう世の中のいしずえをになうことにしました。
しかし、いったん戦争を起こされたら、 すべてがパーとなります。
戦争が終わるまで、その後も長く
身体の損傷はもちろん、こころの傷も残ります。
人を殺すことが、最優先の社会になる
権力がそうさせるから、
もうひとつはわたしたちがそれを許してしまうからです。

この世の最悪を知っておくことが必要です。
それは楽しいことではないけれど、
出来れば目を背けたい、ネガティブなことは見たくない
私もそうです、
しかし、ここを知らないでいると
生きることの半分の底が抜けることになります。
無知ではダメなのです。
見せたくないものに黒塗りして、隠して、見せないようにして
戦争に誘導するテにはまってしまいます。

この夏、コンビニで
漫画『裸足のゲン』が売られています。
これはなかなかの情報戦略で大きな希望です。
集英社さん、やってくれるではありませんか。
この国では、今のところまだものが言えます。
みいちゃんたちが戦争を体験することのないように
そのためには広く私たちが
戦争の悲惨を知ることが出発点になります。

はだしのゲン 非国民じゃないぞ編(1) / 中沢啓治




戦争のリアルを知ってほしい、その後で
みいちゃんが戦争を望むか、望まないか
こころに聞いてみて下さいな。

今日は帯広の平原祭りの最終日、
この平和がいつまでも続きますように。
私もATMに寄りがてら行って来ます。




⤵ 病葉コレクション@中央公園