『戦争のリアルを知っておく大切さについて』

1215/10000  8月15日(火) 2023
毎週火曜日は、◆子どもらに寄せて

しうこば~ばから、
大切なみいちゃんとすべての子どもたちへ

◆ 8月15日、今日は78回目の太平洋戦争の敗戦記念日です。でも
この日に、太平洋戦争のすべてが終わったわけではありません。


現代史は習いましたか?
明治維新から2023年の8月までのうち、どこまで習いましたか?
かくいう私も大きなことは言えない、
今から50年前に、50年前の1923年のことをいわれても
ピンと来なかったと思う。家に関東大震災の絵葉書はあったけれど。


歴史を知りそこから学ぶことがどんなに大切か、
このことが身に沁みてわかったのは、8年前
安保法制が国会に上程され9月19日に
強硬採決で成立した
ことになってしまってからです。
この国は再び戦争ができる国に
アメリカの戦争に加担することができる国に
なってしまったのです。

■平和安全法制(安保法制)

平和安全法制は、
「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」と
「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」の総称である。平和安全法制関連2法とも呼ぶ。



その前から着々と、外堀を埋めていて
安保法制に成立以来、加速度的に
戦争加担戦争参加への道をひたすら突き進んでいるのが
今の政権です。


https://www.youtube.com/watch?v=cUGu73hnjdY

◆ 明治維新から1945年8月までの77年間は戦争に次ぐ戦争でした。
 ・日清戦争     1894~95   →   
 ・日露戦争     1904~1905
 ・シベリア出兵   1918
 ・日中15年戦争   1931∼1945
 ・太平洋戦争    1941~1945
太平洋戦争が終わったとき、
国家予算に占める軍事費の割合は約85%に達していました。

私たちは,戦後75年『日本は戦争とは縁のない国』
(そこまで甘くはなかったのですが)ぐらいに脳天気に
暮らして来ることができました。
戦争を放棄した『日本国憲法』が私たちをまもってくれていたからです。
だから安保法制の「成立」は物凄い衝撃でした。

図
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-07-16/2015071606_01_0.html#:~:text=%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E4%BA%88%E7%AE%97%E3%81%AB%E5%8D%A0%E3%82%81%E3%82%8B%E8%BB%8D%E4%BA%8B,%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%A7%E3%81%97%E3%ちいさい81%9F%E3%80%82


誰が戦争をやろうとしたのか?
戦争で得をするのがだれか?
なぜ戦争をやろうとするのか?
戦争で犠牲になるのはだれか?
その犠牲とは、実際、リアルではどのようなものか?

小さい子供たちにはムリとしても
みいちゃんはもう大学生ですから
知っておきましょう。
この世にはまことに悍ましい筆舌に尽くせない悲惨がある、
このことを知っておきましょう。
誰が、なぜ戦争をするのかも、知っておきましょう。


今、この国は多くの困難を抱えています。
いちばん恐ろしいのは、
文化と、人倫の凋落、
それにもうひとつは戦争です。
少なからぬ人々が困難をものともせず
望む今と未来のために
この国を元気にしたいと現場でクリエイティブに活動しています。
私も、この国のお子たちが安心してスクスク育つように
そういう世の中のいしずえをになうことにしました。
しかし、いったん戦争を起こされたら、 すべてがパーとなります。
戦争が終わるまで、その後も長く
身体の損傷はもちろん、こころの傷も残ります。
人を殺すことが、最優先の社会になる
権力がそうさせるから、
もうひとつはわたしたちがそれを許してしまうからです。

この世の最悪を知っておくことが必要です。
それは楽しいことではないけれど、
出来れば目を背けたい、ネガティブなことは見たくない
私もそうです、
しかし、ここを知らないでいると
生きることの半分の底が抜けることになります。
無知ではダメなのです。
見せたくないものに黒塗りして、隠して、見せないようにして
戦争に誘導するテにはまってしまいます。

この夏、コンビニで
漫画『裸足のゲン』が売られています。
これはなかなかの情報戦略で大きな希望です。
集英社さん、やってくれるではありませんか。
この国では、今のところまだものが言えます。
みいちゃんたちが戦争を体験することのないように
そのためには広く私たちが
戦争の悲惨を知ることが出発点になります。

はだしのゲン 非国民じゃないぞ編(1) / 中沢啓治




戦争のリアルを知ってほしい、その後で
みいちゃんが戦争を望むか、望まないか
こころに聞いてみて下さいな。

今日は帯広の平原祭りの最終日、
この平和がいつまでも続きますように。
私もATMに寄りがてら行って来ます。




⤵ 病葉コレクション@中央公園

『一鉢のハーブから』

1194/10000 7月 25 日(火) 2023
毎週火曜日は、◆子どもらに寄せて
70歳を過ぎたころから、私たちの後の世代のことが
気になるようになってきました。生物のオヤとしての
本能でしょうね。ビギナーながら 年季と年の功を活かして、
これだけは、と感得されていることを伝えようする試みです。


今日は、みいちゃんに宛てて書きます。
みいちゃんは横浜の大学一年生です。
もう一人の孫姫はつくつく姫、
能登半島にいます。6月で満一歳になりました。



みいちゃんへ

夏休みは帰らないとか、
横浜がすっかり気に入った様子、
ひとり暮らしにも慣れましたか

お部屋、きれいに整えていることでしょう。
勉強がはかどるようにセッティングしていますか?
ご飯、自炊してますか?
買い物にも慣れましたか?



お部屋に一鉢、
好きな花か、ハーブを置いておきましょう。
ハーブなら、料理にも使えるし
      お茶にもできます。
世話が大変なら、サボテンならわりとラクですよ。
何日か留守になっても大丈夫です。

花の種を植えている女の子のイラスト(ガーデニング)
鉢植えの苗を買って来ても
いいですね。

『うむ・はぐくむ・わかちあう』
このみっつは、私の生きていくときの
基本の心がまえです。
自らの手で、何かをつくり出して
それをケアして育てて
できたもの、その時のこころを
相通じる人とわかちあうこと、
今風に言うなら
生産脳、です。
消費脳から生産脳にチェンジすること、
このことは、今とこれからを生きていくときの
キーポイントですね。

清水町の友達が地元の
自然の中でこどもたちの自然体験を企画して
子どもたちもおとなも一回目から大喜びです。
みいちゃんも、自然の中で焚火をしたり
ご飯をつくる機会があるといいですね。
北海道で十分経験済かな。

横浜の街中なら
一鉢のハーブでもいい、
お店から持ち帰って
世話をして
伸びていく、つぼみが出て
花が咲く
その時、こころに湧いてくるものは
どんなことでしょう?
街中でキャンプはムリとしても
ハーブ一鉢ならどうかしら?
実のなるものなら
もっと楽しい。

小学校に上がる前、いっしょに
近所の池田花園に行ったとき
みいちゃんが❝きれいねえ❞とお花に見とれ
イチゴは❝がまんだよね❞と
自己コントロールしていたこと
今も思い出します。
イチゴは部屋の中では増えすぎるかな。

みいちゃんがいつも
イキイキしたものといっしょにいますように、
しうこば~ばは祈っていますよ。



⤵ 丹精のお庭で借景しました。スロー・ジョギングの途中で。

『かわし方を覚えておく』

1188/10000 7月18日(月)2023
毎週水曜日は、◆子どもらに寄せて
トシを重ねると、ビギナー・ババながら
これはほんとだ、と腑に落ちて感得することが
残っていくようになるようです。
それを伝えようとしています。
(一生あっち行ったりこっち行ったりだとも思うのですが)


きょうは、かわし方のことです。
しうこば~ばも上手とは言えないので
いっしょに考えましょう。
久しぶりに、孫姫のみいちゃんに宛てて書きます。

みいちゃん
大学生活には慣れましたか?
今が一番体力があるとき
沢山学んで沢山吸収して下さいね。
言われなくてもちゃんとやってますよね。

さて、
262の法則というものがあります。
集団、グループは20%、60%、20%と別れる。
大学なら、言われなくても自分で喰いついて
学んでものにしていくグループが上の20%、
自分から脱落していくグループが20%、
その中間が60%、となります。
およその数字で、シーンごとに対応する必要が、
もちろんあります。この大まかな数字をかぶせるだけでは
間に合いません。

横浜、暑いでしょう?
地球温暖化、上がらない給料、あてにできない年金、
上がる税金、上がる物価、ため込む大企業、
原発再稼働・稼働期間延長、敵基地攻撃能力・武器輸出解禁、
現役世代、労働人口の激減・シニア世代の増加、
留まることを知らない自然破壊、等々
ネガティブ情報には事欠きません。

みいちゃんは、どう感じてどう思っているんだろうか?
しうこば~ばは、結論を一言でいうと
勇気をもって希望にフォーカスして
こころ軽やかに生き抜いてほしい』
です。

ネガティブ情報に覆われて見えにくいことがあるけれど
最新の情報技術・コミュニケーションのノウハウを駆使して
逞しい創造力を発揮して、
世の中をよくしたいと現場で日々がんばっている人たちが
たくさんいます。しうこば~ばも今具体的に何ができるかを
探しています、大きなことでなくても
ほんとに大切なことを次の世代に伝えたい、と願っています。

この国は、すでに多くの困難を抱えています。
見方を変えれば、それだけ伸びしろが大きい。
ひたすら経済成長だけを基準にするのではない
過去のいいとこを学びつつ あたらしい活動が
あちこちで、ここ十勝でも、多くの方々が笑顔で
がんばっています。
身体が喜ぶ おいしく楽しく美しい仕事も増えています。

20%が、今を超えてクリエイティブに生き抜こうと
実際に行動する人々
20%が、どうしようもなく落ちていく人々
60%がその中間、ということになります。
落ちそうな人々を見捨てず扶けあう、
ここがひとつのキーポイントになります。
20%を極力減らそうとすることが
安心できる世の中であるか、そうでないかの
目安、指標になります。ここでもこの国は
❝伸びしろいっぱい❞です。

みいちゃんはこれからの人生、どこを選びますか?

みいちゃんは、どう感じてどう思っているんだろうか?
しうこば~ばは、結論を一言でいうと
『勇気をもって希望にフォーカスして
こころ軽やかに生き抜いてほしい』です。

☆学ぶこと、本をたくさん読むこと
☆卓越したものに数多く触れること
☆武道、ダンス、ジム通いでもいい
身体を鍛えること 身体感覚を研ぐこと
☆有害な食べ物を身体に入れないこと
☆リラックスできること
☆師匠と、助け合って向上しあえる友達に恵まれますように

☆人は選ぶこと
 逃げること、避けること、
 かわし方を知ること
 『目の前の人は、私を生かそうとしているのか
 それとも〇そうとしているのか』、
 これは、身体のことだけでなく
 心、可能性に対しても同じです。

ヒッチハイクで旅行ができた私たちの時代とは
様相が違っています。だからこそ
みいちゃんに
『勇気をもって希望にフォーカスして
こころ軽やかに生き抜いてほしい』
お父さん、お母さんも日々現場でがんばっています。
しうこば~ばもいつも
みいちゃんのことを思っていますよ。
みいちゃんは骨太だから安心しているけれど
かわし方も覚えて省エネにつとめてね。

⤵ 赤の入ったアジサイ、始めてみました。右はノリウツギ、園芸品種のようです。
借景しました。

『川、焚火、山草、わいわい料理』

1181/10000 7月11日(火) 2023
毎週火曜日は、◆子どもらに寄せて
今日は、❝うむ・はぐくむ・わかちあう❞
このことを子どもたちに暮らしの中でこれは面白い!って身体で感じてほしい

この願いのことを書きます。


公園で子供たちが遊ぶ姿を見ることも殆ど亡くなってからすでに何十年もたちます。
どうなってるんでしょうか、今の子供たちの毎日? 
学校・習い事・スポーツ・スマホ・ゲームでおわりなんでしょうか?
いまや学校に行かない、いけない子供たちは珍しくない。
学校を出て会社に入っても挨拶をしない人が普通なのだとか。
給料は上がらず、給料からは引かれる一方、
大学出ても奨学金ローンを抱えて、
二人とも派遣なら結婚もできない、子供をつくれない。
小中高生の自〇者数は昨年再び最高値を更新、
若者の死因のトップは相変わらず自〇です。
これからの人生を生きる子どもたち、若者たちをなんとかしてまもらなくては、
何かできることはないだろうか?

十勝管内清水町の友達、Maccoちゃんが夏休み特別企画を発表しました。
子供たちが目を輝かせていそいそとご飯作って、無心に川で遊ぶシーンが、すぐ目に浮かびます。

テキストのイラストのようです

◆ 社会環境にされるがままに甘んじなくていいんだ、
自分のチカラはどこにある?

土、水、草、川の流れ、足に触れる小石、魚、
野菜、山菜、野草、わいわい洗って刻んで
火を起こして、お湯が沸いたよ、
味噌、醤油、を入れて
できたよ、
わいわいみんなで食べよう!
外で、川のそばで、自分たちで作ったご飯だよ、
小さい子には親切なこころが自然に湧いてくる

なんか自分でできそう
ひとりでやらなくてもいいんだ

また来たい、お父さん、お母さんと交渉しよう。

◆うちの息子たちは、信州の山の中の一軒家で育ちました。
2番目は1歳10か月までだったので覚えていないと思いますが。
私は13歳まで高度経済成長以前の世の中で育ちました。
30代電気ガス水道ナシの暮らしの中で、
そこ清水平の地母神に与えられた3つの言葉が
『うむ・はぐくむ・わかちあう』でした。
今風にいうと、消費脳から生産脳へ
転換するきっかけに恵まれたのです。


あの夏の、焚火、水、川
わいわいみんなでつくったおひるごはん
うまかったな。
よみがえる遺伝子
からだが喜ぶ経験
生き抜くチカラがついてくる


夏休みの一日~4日間
剣山のふもと、清水町旭山で待ってます。



今日は、Maccoちゃんと五十鈴さんの
インフォメーション係を勝手でました。

⤵ 左 オオバコ、右 ゲンオショーコ、土用前から薬草摘みが始まりました

『❝おかげさまで❞が地球を蘇らせる』

1173/10000 7月4日(火)2023年
毎週火曜日は、◆子どもらに寄せて
このトシになると、後世に伝えるべきものを伝えたい
この思いが胸から湧き上がってきます。生物のオヤとしての本能でしょうね。


今日は、『❝ おかげさま ❞が地球を救う』
このことについて、岩崎駿介さんとやりとりがありました。そのやり取りをシェアしますね。

岩崎さんは、茨城県石岡市在住、ご自分で設計図を引かれて 自然環境を生かした立派な木の家をご自分の手で建てて、地球環境の持続について思考を続けていらっしゃいます。NGO日本国際ボランティア・センターの元代表でいらっしゃいます。

きっかけは
岩崎さんの6月18日のご投稿中に出会ったこの一文です。
『ドイツ生まれの曹洞宗・安泰寺の住職「ネルケ無方」さんは、実に興味ある発言をしており、皆さまにもお勧めしたい。その一例を揚げると、「ありがとう」「すみません」「もったいない」「お互いさま」「お蔭さま」、そして「いただきます」「ごちそうさま」という言葉を何気なく毎日使っているこの文化的文脈こそ、地球環境回復に必要であるという。
このこと、まさにピッタリ、私の胸に湧いてきていることと全く同じでした。

岩崎さんは、ヨーロッパのキリスト教一神教と日本の八百万の神々を比較しつつ思考を重ねていらっしゃいます。

◆岩崎さんon FACEBOOK 6月30日
日本における「八百万の神」」の信仰についての理解を深めたいと思い投稿しているのだが、僕のFB友人:荒木 しう子さんは、山形県内陸部に生まれ育ったが、コメントをいただき、次のような八百万の神は、日本の何処にでもいたという事実を知らせてくれた。

「小正月には、小さな鏡餅をもらってランドセルと机にお供えして、父と兄たちの大工道具箱にはもちろん、風呂にも、井戸にも、便所にも。八百万の神を祀ることが母のメインの仕事でした。この60年間に失われたもの、『畏れ多い』、この生命カンを後世に伝えたいです。ありがとう、おかげさま、ばちが当たる、いただきます、ごちそうさま、お天道さんが見ているなど・・・いいとこ取りして蘇らせて伝えたいものです」というコメントをいただきました。 つまり、最近まで「八百万の神」の思想は、生きていたのです。そして、この思想をどうやって復活させることができるか・・・僕には、これしか地球を蘇えさせる方法は他にないと思う。今日は、とてもいい勉強になりました。ありがとう。


岩崎さんはご丁寧にこの投稿のことを私のメッセンジャーに伝えて下さいました。
以下メッセンジャーでの何回かのやり取りの記録です。メッセンジャーに埋蔵しておくのはもったいないのでシェア致します。

私:え!びっくりです。おそれいります。『これしか地球を蘇らせる方法は他にない』強く共感します。『高度経済成長以来の50年(今は60年)に失ったものを取り戻すには1000年かかるだろう』私の尊敬する総合栄養療法のドクターの言葉です。何とかして蘇らせたいですね。ありがとうございます。
 私の生まれは山形県、ほぼ全県最上川の流域です。私は中流『五月雨をあつめて早し最上川』の大石田町です。毎年のように洪水で、築堤工事のため立ち退き県庁所在地にひっこしました。1960年までまずまず高度経済視聴以前の世の中でした。

岩崎さん:最上川のほとり、さぞきれいなところと想像します。
大石田町の総人口は、1980年から2015年までの間、1万人から7千300人で推移してきました。 総人口のピークは、全国は2005年、山形県は1990年に対して、1980年がピークとなってお り、国や山形県全体よりも25~35年程度早く、人口減少が始まっています。

私:おお、さすがでございます。 3月に久しぶりに故郷をたずねまして役場を訪れて昭和30年前後の資料を図書館で見せてもらいました。町村合併前の資料は殆どないとのことでした。それでも最上川の船着き場だったころの街並みを一軒一軒調査した冊子には感動しました。 他にも他町の寂れた温泉街、中国人が殆どの銀山温泉など連れて行ってもらい、地方でがんばっている頼もしい人々の息吹に触れてきました。分岐点を過ぎているかもしれない、でも諦めることができない。温故知新、あらたな文明が培われていきますようにと願わずにはいられません。 それを実践なさっておられる岩崎様に敬意を表しつつ。     

岩崎さん:同感です、僕は蘇ると思う、温故知新、あらたな文明が培われていきますようにと願わずにはいられません

私:頼もしい! あくまで希望にフォーカス!です。 何せこの列島は放っておけばどこにでも草が生えるのですから。お子たちも次々と生まれて来ますし

岩崎さん:確かに「何せこの列島は放っておけばどこにでも草が生える」という生命力は。地球上インドネシアと日本だけとも言える、とてもめずらしいと思います。
モンスーン気候によります

私:はい、藤井平司さんに教わりました。恵まれ過ぎてこんなことになってしまったのでしょうか? インドネシアもそうなんですね。150年前、やって来た欧米人に、夢のように美しい と讃えられたんですものね。

岩崎さん:こは東海道の一角、明治11年に日本を旅した英国人イザベラ・バードは、自然を大切にして一糸乱れぬ「風景」を作り上げた日本人を絶賛していますが、なぜかその「美しい風景」は失われました。

私:なんと懐かしい。昭和20年代、大八車の時代でした、これに近かったです。


私の信仰の原点、八百万の神々、❝ おかげさまで❞を子供たちに伝えたい。
私がこの世にある間にやりたいことの核です。
クサくない、管理しようとしない伝え方はないものでしょうか?
衣食住子育てと祭りを共にすることからでしょうか?

スモークトリー@夢の北広場 スロー・ジョギングの途中で。








『子どもたちに伝えるべきことのキモは?』

1162 / 10000 6月6日(火)2023
毎週火曜日は、◆子どもらに寄せて
久しぶりにこのテーマに戻ります。


私たちが次の世代に残しておきたいもの、
伝えるべきことは何だろうか?
つらつらと思案が続いています。
Tプロデューサーのもと、
このテーマで冊子を作る企画が始まっています。
3月の山形、宮城に行きも
『 前の世代から受け継ぎたいもの
次の世代に伝えたいこと
今私たちが共有したいこと』が
一本の柱となって、私たちの旅を支えていました。
このブログのカテゴリー、◆子どもらに寄せて を
印刷して読み直して編集しなおさねばなりません。


子どもたちに伝えることのキモは何か?
今日のところをメモしておきます。
(前にも書いたかもしれません。
何回も繰り返して腑に落としこんでいきます)

 消費脳から生産脳へと転換すること

目の前に並ぶものからどれを選ぶか、ではなくて
自分の手と足とアタマでうみだすことのおもしろさに気づくこと

アタマだけでなくて、からだの感覚をよみがえらせること
生き死にの感覚をよみがえらせる

高度経済成長以前の世の中からいいとこ取りをする

これまでの既成の限界をつきやぶること


おそれ多い、この生命カンをよみがえらせること

知っていることよりも知らないことの方がずっと多い、
このことを知ること
私たちをあらしめて生かしてくれているものに感謝して大切にすること


 この時代に生きあわせことととどうつきあうか?を考えること

❝それまでに地球があればね❞
うちの息子たちのずいぶん前の、20年以上前だったと思います、
反応です。
大勢のままに流されて終わるか、
もがいて終わるか
よりよい生き方を追求し続けるか


私たちの願いをこめていっしょに考えたいです。
それも普通の言葉で
クサくなく
衣食住子育てから始めたい。
焚火囲んでご飯をいっしょにつくって
そんなところから始める
(わいわい大人数のご飯を作るのが大好きでした)



原案を冊子にして、なかまたちと、子供たちと
わいわい作りあっていくシーンをイメージしています。
いっしょにまとめてみませんか?
『子どもたちに伝えたいこと』を。



中央公園 シロツメクサです。

『京大西部講堂のステージで歌ったことがある』

1150/10000 4/17分 5/15 記 2023

京大西部講堂、聞いたことありますか?
京都大学の構内にあるイベント用?の建物です。
かくいう私はなんとなく❝自由と混沌のシンボル❞の建物ぐらいの
ミーハーな知識しかなくて、今 Wikipediaで見てました、その記事にあるような
派手さも過激さも持ち合わせてはいないし、なのになんとなく
西部講堂のステージで歌ったことがあることをひそかに誇りに思っていた
大したことのない私の記憶をここにとどめておきます。


『前略 1976年京大西部講堂の11/20“聖風祭”スワノセ台風救済コンサート
私と宮崎の成田チェと和歌山の雅と三人で回りを巻き込んで行ったことです。
国分寺“ほら貝”で春早くしう子の歌を聞き呼ぼうと思いました。
とっておきの京都篇の詩を楽しみに待っていて下さい。』

三冊目の詩集を送ってくれたお礼のはがきに即来た
新潟の大工さん 斎藤伸一(呼び捨てお許しを。敬称もピンと来なくて)からの返信です。



1976年11月、フリーターの仕事を休んでぼろいケースに入ったギターを持って
京都に行った。(そのぼろいケースもギターも~至現在だ)
街中の木造町屋建築の二階に出演者、関係者の宿が確保されていた。
こんな大きなステージ、自分が出るものとして見たことない、無謀だった(汗)
どんなステージをしでかしたのか、覚えていない、飲んでたし。
バンドはタシとジュンとそれにモッキンもいっしょだったような気がする、
あとでジュンから❝スターだったよ❞と聞いた。(大汗)
う~ん、私はバンドの一員としてではなく単独だったような気がする
次はしうこ、とジュンが紹介してくれたような・・・
そもそも私は、バンドでセッションできる才能がない、楽器も才能ほぼゼロ、
でも歌うのは好きだった。まあ、混じりけナシの、そのときの心からの身体からの声は
出していたのかもしれない。
恥ずかしい、いやいや、なんも恥ずかしがることないって。
三上寛さんもいたような気がする。
伸(と呼ばせてください)の京都篇の詩でわかるかもしれない。


その年の夏、奄美大島の宇検村久志でポンたちがやっていた無我利道場
夏祭りがあって混沌のエネルギの一か月ほどをそこで過ごした。
とにかく蒸し暑くてハブの侵入防止のため戸を閉め切って寝るのだった。
そのときミオさんのお腹にいた蛯名宇摩ちゃんは津軽三味線と奄美島唄の演奏と指導で
多忙な日々を送っている。
次の年だったか、数年後か?無我利道場は右翼に襲撃され大きな被害を被った。



検索すると、スワノセが台風17号に襲われたのは9月12日、5人の犠牲者が出た。
1970年前後から『部族』の人たちがこの島に入植していたのだ。私は行ったことがない。
山形にいたとき『思想の科学』誌で穴井さんのスワノセ・レポートを読んで、この日本にこのような人々が棲息しているんだ、と知ったものの100%ピンとは来なかった。
そのあと清水平にらーださんがトビウオの干物とラッキョウを送って下さったことがある。まさに最高の息吹きとうまさを今も鮮やかに覚えている。

奄美からの帰りに屋久島に無銭で寄って尾之間から楠川に3泊4日で縦断した。
屋久島は私のNATUREのイメージを変えた。
❝屋久島は行かなくてはダメだよ!❞、ナナオの定番の文句の一つ、まさにその通りだった。
スワノセを襲った台風で根こそぎ倒れた屋久杉が何か所かで道をふさいており
(屋久杉は根が浅いと知った)道に迷いながら、鹿児島で買った地図を頼りに進んだ。
その前1975年のトモたちの一大イベント、MILKY WAY CARAVANのとき、
ポン、ナナオ、サンタナと一緒に、沖縄読谷村の金武湾の闘争小屋、奄美大島の石油基地反対闘争、屋久島の屋久杉を守る行動、を回らせてもらった。ただついて行っただけ、いかんせん
幼稚なガキの私でした。
なおポン、トシ、ボブ、エヘラ一行は、すでにその前の年に南西諸島をキャラバンしている。ポンの詳細なレポートがある。




あれからかれこれ50年、
思いがけなく新潟から伸が詩集を送ってくれた。
伸が清水平に来たことは覚えている、でも私の知らない、覚えていないことが多くて
未知の土地の記事のようだ。
思い出す時間、あじわう時間、記録して残す時間ができたんだね。FACEBOOKにも
なかまたちのアーカイブ保存の様子があれこれアップされてくる。



スッキリスマートとは縁遠かったあのころ
混沌、混乱,奈落の底に降り注ぐ歓喜と祝福の雨、
ようやく少しづつ書くことができるようになりっつある感じかな。
長い歴史の中でその意味はまだまだわからない、でもこれだけは言える、
私たちは、カッコよかったかどうかは別にして、
原初のエネルギーを同時代して共にした
と。
このことが変わらずに、生きてきたエネルギーの源泉の一つになっていると。
その経験の一つ、私は 聖地 京大西部講堂のステージで歌ったことがある、
キメルことはできなかったかもしれないけれど、
アマチュアの神髄をもしかして発揮できたのかも?
やっぱり、私は誇りに思っている。

小リンゴの花。去年は咲年だったようです。

『生きてるだけですごいんだ』 

1149/10000 4/27分 5月14日(日)記 2023

今日は昨日行って来ました講演会のレポートを致します。
その講演会はこちらです。

『ゆめパのじかん in とかち 輪~むでつくるみんなの居場所』
西野博之氏講演会
「居場所のちから~生きてるだけですごいんだ~」

◆会場はほぼ満員、生まれたばかりの赤ちゃんから米澤市長さん迄、社会の中堅どころの方々の熱気があふれていました。

西野さんのお話に先立ち、地元十勝で居場所づくりをなさっている方々=輪~むの皆様のご挨拶があり、こんなに多くの人がすでに活動してるんだ!とびっくりしました。30年前と比べたら進歩している、それは世の中が大変になっているから、これも事実ですね。



『日本の若者の死因のトップは自殺、小中高校生の自死者は2022年再び過去最高を更新
 自分を素晴らしいと思っている自尊感情を持つ子供は20%、
 こんな先進国はない、日本だけ』

 西野さんのお話には、はじめからビシバシ来ました。



① 学校に行けない、学校を中退した子供たちの居場所つくりにかかわりはじめたのは1986年、以来幾多のクレーム、困難を乗り越えて川崎市で公設民営の『フリースペースえん』を開設、行政と民間と共同でつくった『川崎市子ども夢パーク』の所長を2021年まで16年お勤めになりました。

② 子供たちの居場所では
居場所のない子供たちが安心してなにをやってもOK
評価されない 上からの押し付けがない そのままの自分でいい

③ 居場所を得て、自己効力感=私ってできるじゃない!をゲットするには
 ・焚火を囲む ・暮らしを取り戻す ご飯を一緒に作って一緒に食べることから

 ・消費脳から生産脳へ


④ 話し合いを重ねる
川崎市とのコラボに当たっては2年間で300回の 話し合いの場を持った

⑤ 地元のネットワークが大切
 プロとしてやってきたこと、得意なこと、できることを提供しあってやっている

⑥ ゆる親でいい
 明治維新以来の、戦争の兵隊を養成するための管理教育に合わせる必要はない
 限界が来ている

⑦ 民意が変わってきている
 自分たちの生きやすい社会をつくる実践が全国で広まっている
子ども食堂は全国に7000か所開設されている。



◆ 『日本の若者の死因のトップは自殺、小中高校生の自死者は2022年再び過去最高を更新
 自分を素晴らしいと思っている自尊感情を持つ子供は20%しかいない、
 
こんな先進国はない、日本だけ』
2年前このことを知りずきゅんと来て
生きるために生まれてきた育ち盛りのお子が自死とは
管内でも珍しいことではないという。
信じられない、信じたくない。

以来『子どもたちが安心してスクスク育つ世の中に変えるために
その基礎の基礎を担おう』
では私に何がができるだろうか?
と思案を続けてきました。
このリサーチのためにも参加したわけです。


西野さん
 ご飯をいっしょに作って一緒に食べることから
『 消費脳から生産脳へ 』


これはもうビシバシきまくりです!
30代、長野県の山の中の一軒家で電気ガス水道ナシの暮らしのなかで
ふたりの息子を育てた経験の中で
その土地、清水平の地母神に与えられたことばが
『うむ・はぐくむ・わかちあう』だったからです

もう一つは、13歳まで高度経済成長以前の世の中であったこと、
人口の約50%が農業だった時代を知っている世代として
その中から、いつの時代でも変わらぬものを
後世に伝えようとしているからです。

更に、『 自分は大切な存在だ』と身の内からふつふつと湧き上がってきたら
自分たちの望むそのものをつくるのと並行して
イヤなことはイヤだといい、ダメなことはダメだといえる自分と環境をも
つくっていこうと、子供たちに伝えたい。
子どもの権利を教えたい。されるがままになっていてはダメと伝えたい。
でないと、気づいたら根こそぎやられてた、徴兵令状が来た、なんてことになる可能性が
否定できなくなってるから、すごく心配です。

◆すでに30年以上実践され実績を積まれ
こうして身を挺してリアルでお話なさっておられるお姿に
会場の多くの人が勇気づけられたに違いありません。

国会の様子などウオッチしているとその常識の欠如と人倫の凋落に愕然とする、
でも諦めることができない。なぜなら
こうして、自分たちの望む未来を今作っている人々が列島中にいること、
少子高齢化社会とはいえ、家族、友達に次々に赤ちゃんが生まれているからです。
あくまで希望にフォーカスしています


では限られた残された時間で私にできることはなにか?
あれこれ浮かんでいるアイディアに、ハッキリとしたメリットを加えて
友人知人にたずねながらつくっていこうと気持ちを新たにしました。




⤵去年の葉ばかりで、まさか枯れてしまったのか?と近づいたら、ちゃんと新葉を出していました。ヤチダモの大木@大通公園

『昭和30年のくらしから』

1134/10000 4月12日(水)2023
今週から曜日ごとにテーマを決めました。大まかですので
変わることもあります。
今日の水曜日は◇台所大事を変更しまして
子どもらに寄せてその②
『昭和30年の暮らしから』の一回目をお送りします。



坂本龍一さんが仰っておられました。
『年を重ねると自分たちの後の世代、子供たちのことが気になってくる』と。
実は私もそうなんです。生物のオヤとしての本能でしょうね。
子どもたちが、激動の時代となることがほぼ確実なこれからの山と谷と砂漠を
逞しく乗り切っていくことができるように
伝えるべきものを伝えておこう、と
『子どもらに寄せて』のテーマを設けました。



太平洋戦争を生身で体験した先輩方に続いて
高度経済成長以前の世の中を知る私たちも
まもなくこの世を去ります。
『高度経済成長以来、この国が失ったものを取り戻すには
1000年はかかるだろう』

総合栄養療法の隠れ権威でいらした山本真吉博士のお言葉です。



3月に生まれ故郷の役場と図書館を訪れて
昭和30年前後の暮らしの資料を見せて頂きました。
新たにふつふつとよみがえるものがあり
懐かしい、この言葉では間に合わないものがこみあげてきました。

私の故郷は、山形県北村山郡大石田町川端、名うての防雪地です。
ここで生まれ13歳まで育ちました。


これは雪踏み(大石田弁で何と言っていたか思い出せません)米俵に藁でひもをつけたもの。米俵ではなくて雪踏み用に編んでもらったかもしれません。川端部落の阿部さんのじいちゃんに冬前に冬の藁靴を家族分注文するのでした。
朝、降った雪で入り口がふさがれているのは珍しくなくて、雪が降ったら雪踏みしてないと恥ずかしい(怠け者とみられる 近所の人の暮らしの気をそぐ)とお母さんは気にしていました。これ、受けついでいますね。ここ帯広でも雪が降ったら気になって朝イチで雪はね(北海道弁)します。大石田の雪と比べたり、気候変動で雪が重くなったと違和感を感じたりしながら。


こちらは真冬のメインストリート。馬車が材木などの荷物を運び、豆腐屋さんが箱そりに豆腐を積んでチャルメラを吹きながらまわってきました。馬車の馬が馬車を扱う人を蹴って怪我をさせた事故がありました。

二丁目とありますが、もしかしたら川端部落の入り口ではないでしょうか?
今行くとこんなに狭くて小さかったのかと驚きます。冬は道路が雪で家の一階の高さまで来てました。

雪とのたたかい、わが家は雪をのがれて冬も仕事のある県庁所在地に引っ越すことになったのでした。1960年昭和35年のことです。



県庁所在地に引っ越しての何とも言えない違和感、
10年ほどして私は『疎外』という言葉を知ります。

『高度経済成長以来、この国が失ったものを取り戻すには
1000年はかかるだろう』


高度経済成長期とは? 以下はWikipediaからです。

『 敗戦からの復興(1946~1956年)[編集]

第二次世界大戦において、イギリス・アメリカ・中国・オランダの連合国に敗北し、朝鮮半島台湾などの領地を喪失した上に、敗北と占領下による経済活動の荒廃や混乱を経た上でも、日本は敗北から急速に復興した。

1940年代後半に発生した食糧危機の影響により経済状況が一時悪化するが、1950年朝鮮戦争特需により、占領下を脱して1年半の1953年後半ごろには戦前の最高水準を上回った。1956年10月には戦後11年で経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言。』

この後高度経済成長黎明期に突入していきます。
わが家が県庁所在地に引っ越したのは1960年、
高度経済成長本格化の直前で、引っ越して間もなく
スーパーマーケットが出現します。


昔はよかったとか懐かしむだけでなく
そのよかったところを今に、何かアップデートしたカタチで
いかせないだろうか?

よくなかったところからは学んでやめるとして。
そんなことを思いながら
昭和25~35年のころの様子を
春夏秋冬、季節を追って思い出しながら書いていきます。
                         4/21記




『お父さんが戦争グッズを蒐集すると言ったら』

1133/10000 4月11日(火)2023
今週から曜日ごとにテーマを決めました。大まかですので
変わることもあります。
今日の火曜日は◆子どもらに寄せて
久しぶりに◆ひとり孫姫のみいちゃんへに戻ります。

ひとり孫姫のみいちゃんへその⑪

今日は、政治について話しましょう。

みいちゃんは、政治のこと、考えたことがありますか?
政治についてどんな情報を持っていますか?
中学、高校でどんなことを習ったのでしょうか?

みいちゃんがどんな情報を持っているのか
どんな風に考えているかわからないのですが、
今伝えておきたいことがあります。

私は生まれてから68年間
『日本が戦争をすることはない』
このことを空気のように当たり前と思って
生きてきました。
(正確には、戦争と全く無縁ではなかったのですけれど)

それが、2015年夏、平和安全法制、通称安保法制が
国会に上程されたときに、しまった!と臍を噛みました。
戦争ができる国にするために着々と手を打って来ていたことに
気づくことができず何のアクションもしてこなかったからです。
政治なんて・・と斜にかまえて長い間選挙にもいきませんでした。

安保法制が強行採決で成立したことになると、あっという間に
帯広の自衛隊第5旅団が南スーダンに派遣されることになり
(これは中止となりました。)
一度中止となった軍用飛行機オスプレーは昨年十勝にも
飛来して人家の上を低空飛行、飛行地域を全国に広げています。
日米合同訓練も規模を拡大しています。

今この国の政府は福祉予算を削って軍事費を激増させようとしています。
教育費も信じられない、50年前は、国立大学の授業料は一年で12000円、
奨学金に利子なんてつくわけがなかったのです。

自分には政治なんて関係ない、と20代後半からの20年くらいは、そう思っていました。
実は私は政治は苦手分野で理解にも時間がかかり、
他のやり方で世の中にかかわりたいが本音でもあります。

しかし、曲りなりにでもトップの位置にある人々はマス・メディアで見ることも多く
今多くの~殆どのマスメディアは権力のチェック機能を放棄していますから
知らないでいたら、その空気を吸って影響を受けることになります。
その影響を受けた人々の影響を別の形で私たちも受けることになります。
仮に戦争になったら、この国ではまず食糧危機に直面することは目に見えています。
今はジェンダー平等で女子のみいちゃんも、若い人が少ないのでしうこば~ばたちも
狩り出されることがないとは限りません。
経済政策も一般庶民のことは念頭にありません。

みいちゃんの家の中で
お父さんとおかあさんが、
これからは趣味の戦争グッズをそろえることにしたから
食費を減らす、みいちゃんは学校に行っちゃだめ、とか言い出したら
みいちゃんは、お父さんとお母さんに何と言いますか?

みいちゃんたちに戦争だけは体験させたくない、
もちろん私も戦争だけはイヤです。
他にもあらゆるシーンで課題山積、
40年前ならあり得ない非常識が大手を振って跋扈しています。
品格のなさ、常識の欠如、思いやりの欠落がまかり通っています。

この本、送ります。
この国の現代史(学校で習いましたか?)のキモ、
歴史はどのように捻じ曲げられるのか
私たちが見据えて学びとすべき歴史事実
この国のマスメディアの現況、
では私たちは何ができるのか、
声を荒げることなく,平静に語られています



問題山積、でもめげていない、あきらめることができない人々は少なくありません。
また、斬新なやり方を創造して新たな切り口で、社会を変えている人たちも
沢山います。
私も残された限りある時間を、子どもたちが安心してスクスク育つ世の中にしたい
その基礎の基礎を担おうとしています。

政治とは、私たち一般庶民が生きるか、それとも〇されるか、
その選択を一人一人がすること、その選択を表明することなのです。
みいちゃんは、生きるか、〇されるか、どちらを選びますか?

                             4/18 記