『地べたに座る』

1243/10000  9月12日(火)
今日は毎週火曜日のテーマ
子どもらに寄せて に戻ります。
このトシになると、息子たち、孫たち、その後の世代のことが
気になってきます。生物のオヤとしての本能でしょうね。
伝えておくべきと思われることを思いつくままメモしていきます。

この夏、コロナ❝明け❞ということになって、メイン・ストリートでの平原祭りに出かけたら
大勢の善男善女(にみえてくる)で大賑わい、
ちょうど全道各地からの太鼓グループさんが集結して大盛り上がりでした。
舗道の最前列の善男善女さんたちは家族連れで、舗道に座り込んで腰を据えて
見物しているシーンが、なにかいい感じでなつかしいものがほわっと湧き上がってきました。
今日はスペシャルな祭りの日、家族そろって(コロナのこともあって私たちシニアが少ない気はしましたけれど)メイン・ストリートへ。一番前の人は、舗道の縁石に腰かけて演技を待っ ています。


もう一つ、日曜日の潮田先生の『認知症予防講座』で、あ、これだ!と感じたのは、
先生が、座布団・和式トイレ・畳に布団 を推奨されたときです。
確かに立ったり座ったりするだけで、足腰の運動になり筋肉がつきますよね。
今ではすっかり、クッション・洋式トイレ・ベッドですよね。
洋式トイレが出てきたときには、これでできるのか?とビックリ仰天!したものです。
しばらく前から、シンプルなベッドがほしいなと思っていたけれど、このままの方が
確かに運動になるか、と考え直し中です。

運動になって筋肉が衰えにくい、このことのほかにも
『地べたに、または畳あるいははカーペットに座ること』の意味はあるんじゃないかしら。

私たちが子供ころは、ままごとなど外で遊ぶときには、軒下からかねて準備してある薄べりの
家で使わなくなったものを手にして、地べたに広げて座り込んで遊んだものです。椅子といえば学校の教室の木の椅子くらいでした。茶舞台でご飯を食べて、座り机で宿題をして、冬はこたつに潜り込んでいました。懐かしい。

丹田、重心が地球の中心に近くなって、その分ハラが座って心が落ち着きカンが働くのではなかろうか?慣れてしまって椅子の方がラクになっていて、地べたに座る機会が殆どなくなっているなあ、とふうーっと思われたことでした。左ひざが弱くなって座れなくなったことがさびしい。

地べたに座る、の他にも、正座、下駄、体幹、と行住坐臥
子どもたちに躾けておきべきことがあったと思うわけです。

『 地べたに座る、座布団に座る、正座、下駄』と
『 椅子に座る、靴を履く』 の体感の違い、ちょっと比べてみませんか?


⤵ 矮性ヒャクニチソウ、苗屋さん、プロの手の丹精です。