『②家計管理、できてますか?』

1376/10000  月暦3月7日 太陽暦4/15(月)

何か新しいことに挑戦しているのなら
これだけはやっておきましょう
基礎の基礎をお話しましょう。
エラそうなことは言えません。私にとっても課題です。
是非いっしょにやりましょう、もしまだでしたら。

今日はお金のこと、お話しましょう。
売上あげたい、あれもほしいこれもほしい
一年後は、3年後は、10年後は・・・
これを紙に書いて設定したら

その大きなことをしようとする前に、
やるベキことをやってしまいましょう。

① 会計ソフトを入れる
② 収入と支出の予算を策定する
③ 即日入力
④ 毎月決算
⑤ 家計も事業も規模がどんなに小さくても
  数字を見ながらやりましょう

⑥ 顔を洗う、ご飯を頂くと同じように
  毎日の習慣にしましょう
⑦ うまくいっている人、信頼できる師匠と
  相談しながらやりましょう。

個人ではどうにもならないこともあります。
政府の政策がおかしかったら声をあげることも必須です。
今や税率50%、江戸時代よりも高いと言われていますからね。

実は私も手書きで記帳迄はしていたのですが
集計がつい億劫でやりっぱなしだったので
会計ソフトを入れるところからです。

お金そのものを大切にしましょう。
一円も一万円も丁寧に扱いましょう。
通帳は一冊にまとめましょう。
ゆうちょのアプリも入れなくちゃ。
便利なITシステムも覚えて慣れようと
思えるようになったところです。

お金に自由になろうとするなら
天才でもない限り
② 収入と支出の予算を策定する
③ 即日入力
④ 毎月決算
⑤ 家計も事業も規模がどんなに小さくても
  数字を見ながらやりましょう

このこと、10歳で知りたかったです。
Yutubeの「両学長」のリベラルアーツ大学、お金の教室、
もうご存じかな、まだでしたらおすすめですよ。
「お金コンプレックス」ってなんの理由もないって
気づきましょうよ。

⤵ コブシが二分咲き、今年は咲き年のようです。@帯広駅前バスターミナル

『① 思い切り片付けてしまう』

1375/10000  月暦3月6日 太陽暦4/14(日)

『何か新しいことに挑戦しているのなら
これだけはやっておきましょう』
の基礎の基礎をお話しましょう。
エラそうなことは言えません。
私にとっても課題です。
いっしょにやりましょう。

その①は、片付けです。
家の内外、思い切り片付けてしまいましょう。


細かく段取りして
終わったらひとますごとに
マーカーでチェックを入れて
自己効力感をアップさせながら
自分をはげまして。

例えばわが家のオフィス兼居間でしたら
・物置その1 ・-仏壇 ・サンクチュアリ(本棚・棚・ソファ)
・物置その2 ・クローゼット ・冷蔵庫
・机の中 ・本棚 と細かく分けて
終わったら、✅を入れます、ヤッタゼ!

最も問題なのが、紙です!
資料、記録、課題ファイル、もう混乱の極み、
ここから手を付けるのがベストかな、と
迷える私、でもその時期はとうに過ぎてます、
JUST DO IT! やるしかない。

トシとともに細かい整理がデキなくなりつつありますから
今がチャンス! 二度と来ないかも、
片づけば引っ越し先も向こうからくる確率が上がりそう。
(引っ越し先それとなく探してます)

週の中に半日を片付けの日と決めて
夏至までには終わそう、と決めました。

スッキリ片付くと
自己効力感をゲットできて自信が漲って
◎仕事の能率があがる
◎事業がうまくいく
◎脳がクリエイティブになる
それに
◎運気が上がる と
いいことだらけ
(なんですって)

「なんかうまくいかないな」
それは、自陣にゴミとヨゴレがたまっていて
気が滞っているのかも。
今できてなくても大丈夫、
今これを読んでくださっている、
これも一つのアクションですよ、


部屋ごとに細かくわけて段取りして
一週間の中にスケジュールして
片づけ表をピンナップして
時には、ううう、これは大変だと頭グルグルになりながらも
おわったらチェックを入れて
少しづつクリーンアップしていくのを
目の当たりにしたら
どんな気持ちになるでしょう?
段取り表、作ってみましょう、
一番大変なところから
又は、小さなやりやすいとことから
とにかく手を付けてしまいましょうね、
お互いさま。
ついでに大掃除もやりたくなるかもしれません。





⤵ 木の芽が大きく広がる頃にはスッキリ片付いていますように(祈)



【フキノトウで冬の毒出し】

1374/10000  月暦3月5日 太陽暦4/13(土)

今日は、◆台所大事 
春の野草摘みが始まりました。もちろんフキノトウからです。

今年は、フキノトウ味噌沢山、さっさとつくれました。
極めて美味、ご飯の食べ過ぎに要注意です。
なるべく花を葉が包んでいるのを頂いてきます。
一度はてんぷらにしました。ごくわずか塩を振って、
カリっとしていてすぐ崩れる葉の触感に
春と一つになり笑みがこぼれます。

⤵ 摘み時は左側、花が見えると苦みが増すそうです。
摘んで家に帰る途中でほころぶのもいとをかし。
生えているところでまだ花が見えてないのを選び摘むのもまた。


上の右側、フキノトウに添えたのは、ノカンゾウです。出始めのこれが美味い!今年の初体験です。もちろん酢味噌和えに、これで朝目が覚めます。

フキノトウの次は、タンポポの葉です。苦みの出ないうちに、洗って+オリーヴ・オイル少々に塩と胡椒を粗びきで。スクランブル・エッグを乗せても◎。花径が伸びると苦みが増して食べにくくなります。

「身土不二」を教わって51年め、トキとトコロを共にする食の体感は、何物にもかえがたい喜びがあります。時空の中で息吹をいただく、これがいちばんの「栄養」ですね。こどもたちといっしょのそんな時空を持ちたいものです。
フキノトウもノカンゾウもタンポポも、道端でスロー・ジョギングの途中で摘めるのが帯広です。

顔を出したヨモギも伸びてきました。コンテナで大切にしているギョウジャニンニクも日を浴びて大きくなっていきます。
半年余りの夏季が始まります。冬を越した枯れ葉に季節が重なります。

『観光しました~早春の旅・山形篇④』

1373/10000  月暦3月1日 太陽暦4/7(日)

今日は観光レポートをいたします。
まずは、なんといっても食べ物です。
蕎麦、日本中でブームなのでしょうか?
⤵量も十分、てんぷらもおいしい、
全員、大満足でした。
 

大繁盛のだんごやさん。
創意工夫、アップデートしております、
(上は一本で十分かな)

山形といえば山寺、弘明君が有休をとってきめ細かく案内してくれました。

「立石寺(りっしゃくじ)は天台宗の高僧慈覚大師が860年に開山し、松尾芭蕉が詠んだ「せみの句」~「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」~でも知られる東北を代表する古刹で通称山寺(やまでら)と呼ばれています。

大仏殿のある奥の院まで1,015段ある石階段。「一段一段踏みしめていくごとに一つずつ煩悩が消え悪縁を払うことが出来る」と云われるその石階段を上りきった頂上で芭蕉が見た景色と同じ景観を楽しみませんか」(検索)

その景観は向かい側から望みました。階段は早春とトシのため割愛しました。
しかし、昔の人の体力、生命力はどうなっているのだ、と感嘆の他ないです。
どうやって建てたのでしょうか?

松尾芭蕉記念館では、雛人形と、紅花栽培から流通までの日本画が展示されておりました。
非常に素晴らしいものでした、しかし撮影禁止でした。
雛人形は江戸後期~明治の初めのもの、その衣装、そして表情の品の良さに
江戸250年の平和が偲ばれ、歴史心をそそられました。
生まれ故郷の大石田町の最上川とその歴史ももっと知りたいと故郷力が喚起されたことでした。

山寺からの帰りに東根の大ケヤキに寄ってくれました。
このように古い樹齢の木は初めてです。まさに百聞は一見に如かずです。

あいもかわらずきょうだい親族のみなさんのお世話になりっぱなしの
四女の私、77歳になってようやく気が引けてご恩返しせねば、この思いを胸に刻んで
帰途につきました。
のり子姉さん、卓さん、弘明君一家、ゑい子姉ちゃん一家、利明くん・由美子さん
お元気でいて下さいね。このたびもありがとうございました。

『お詣り~早春の旅・山形篇③』

1372/10000  月暦2月28日 太陽暦4/6(土)

今度の山形行の一番の目的は、お墓参りです。
荒木家のお寺は、大石田の井出の普門寺です。
弘明君とゑい子姉ちゃんが丁寧にお墓を掃除してくれました。
お父さん、お母さん、ご先祖様に手を合わせてほっとしました。
てい子姉ちゃん、靖之君は、のり子姉さんのすぐ近くのお寺です。


お盆前に利明くんと二人でお墓掃除に来て
やぶ蚊の攻撃の中、掃除をしようとしない弟と
喧嘩しながらのお墓掃除、
木陰の中にあった墓場も今は木がすっかり切られて
天にさらされています。
下駄屋さんでポンポン下駄を買ってもらってのお墓参りは
年中行事の中でもクライマックスでした。
小学校一年生の時来ていたお墓参りの着物、
母の腰巻になって、その布はずっと大切に取ってあったのですが
いまどうなっているだろう?
暮れにゑい子姉ちゃんとお寺の仏壇の世話に来て
飾ってあった濃い赤紫の菊の花を捨てようとしたら
隣の引田さんのおばあさんが持ってきてくれたものとわかって
あわてて元に戻したこと、
ひとつひとつのシーンがなつかしくよみがえります。

時代は変わりこれまでのお寺制度がこれからどうなるか、
わかりません。
太平洋戦争で同時代の若者300万人が殺された時代を生きた
息子たちの父ちゃんの遺言は「葬式要らず,墓要らず」でした。
わが家には簡素な仏壇があり、トム松田の仏像がまもってくれています。

八幡様がお寺とこんなに近くだったとは、
月歴で町内の神社に初詣でする父についていって
どうにも腹が減って自分だけ家に帰ったら
なんと意気地がない、と母に怒られたものです。
境内の杉木立、杉の葉、北海道には杉の木がないので
なつかしい。風が吹いた翌日には炭俵をもって
向かいの最上川の岸に杉の葉集めにいきました。竈と囲炉裏の焚き付け用です。

こちらは、川端部落の金平さまです。
9月15日のお祭りをはじめとして、毎月のご詠歌と無尽の日、子供会
境内での、夏休みのラジオ体操、林間学校、縄跳び、ゴムはね、
春は雪解けを待っていっかんこ(石をつかって二つのチームに分かれてのゲーム)
から始まりました。
堤防工事のため移転しました。

神社が手入れされず人の気配も薄くさびれているのは何とも寂しいですね。
この列島中にはびころうとしている巨大風力発電、
リニアモーターカー工事、大都市の樹木の伐採~等々
根は同じだと思います。

『最上川∼早春の旅・山形篇②』

1371/10000  月暦2月27日 太陽暦4/5(金)

山形県はほぼ全県最上川の流域になります。
生まれ故郷の大石田町は内陸部、最上川の中流域、
鉄道が開通するまでは酒田からの船着き場でした。
メインストリートには商家、お屋敷が並び関西からの文化を
吸収していた名残をとどめていました。
生まれ育った川端部落は水運の神さま、金平神社を中心に四季がめぐっていました。


弘明君の運転で一族7人、二台で大石田に向かいます。
生家は堤防の真下になっています。
弘明君が岸辺迄車をおろしてくれました。
64年ぶりに最上川の水に手を入れて
亡くなった靖之君のためにネコヤナギの枝を折りました。

南に甑岳、朧気川が合流します。
朧気川には、夏になるとお父さんたちが土嚢を積んでプールをつくってくれました。蛇が遊びに来ることがありました。水着を着てタオルをもって河岸の野原をプールに向かう子供たちが見えるようです。ふだん行かない朧気川の向こう岸は草深い未知の土地でした。
夏、川遊びで腰を屈めて石の上を流れる水に手をいれてじっと眺めているとその流れに目が回って川に流されてしまい、ごく浅瀬でしたけれど、ゑい子ねえちゃんが助けてくれたことがあります。
夏休みの前には学校の先生が最上川に竿をさして水深を調べてブイを張って安全区域を限定してくれました。 私達が山形市に引っ越して間もなく学校にプールが出来て川では泳がなくなったようです。

向こう岸は、横山です。
ヨコヤマヨンゴレケツ(横山汚れケツ)・・・川を挟んで怒鳴りあって喧嘩をしていました。
山は大高根山、木立にかくれて葉山です。

大橋です。私たちの原風景です。
小学4年生の頃何メートルあるか授業で測りました。148mだったと思います。
先ごろの洪水で水位が橋を超えたので、近々近くの下流に立て変えられるので大橋はなくなる、と弘明君。あら~と私達から思わず嘆息がもれます。
生々流転、この大橋もなんだなあ。

『故郷の山々∼早春の旅・山形篇①』

1370/10000  月暦2月26日 太陽暦4/4(木)

中央線内側市ヶ谷駅から直通で横浜の二俣川へ
3番目の姉のゑい子姉ちゃんが迎えに出てくれていました。
前のマンションから大きなところに引っ越していて一階の部屋を取り囲んで
ガーデニングしていて夜目にも丹精の気配が伝わってきました。
12時過ぎ弟の利明くん夫婦が川崎から到着、
さあ行くぞ、と夜をかけて山形に向かいました。

まだ朝が早いので、のり子姉さんとこはまだ寝ていたので
利明くんが出羽丘陵までドライブに連れて行ってくれました。
朝日連峰と村山盆地の間にの丘陵で、最高峰白鷹山の登山口までいきました。
山形にいたころ、自転車で下まで来て白鷹山に登りました。全山コブシの花盛り
朝日連峰が目の前に迫り、眼下を最上川が流れ緑深々なんとも豊かな風景でした。


お墓詣りのため生まれ故郷の大石田にむかう途中
月山が現れ、突然鳥海山が現れると何とも言えないものがあるのでした。

⤵帰りの飛行機からの鳥海山です。
鳥海山には1回登りました。高山植物のお花畑が雪渓のかたわらに広がっていました。

⤵ 月山とその手前は葉山です。
月山には二回登った気がします。頂上から雲海の中に鳥海山が聳え立ち
夕日が沈み満天の星空でした。
季節になると父と兄たちが月山のふもとまで、月山タケノコや山ブドウを取りに行ったものです。タケノコは足が早いので母が夜なべ仕事で皮をむいて塩漬けにしていたのかな、
山ブドウも大きなポリペールに二つはありました。タケノコはやっぱり細ダケの月山タケノコ、山ブドウはあらゆる木の実も内でも特別だと感じます。
葉山では稜線で雷がとどろき、数年前の北アルプスでの大きな落雷事故の記憶がありほうほうのていで慌てて下山しました。
どの山もなかよしの友達と行ったのですが、未熟もいいとこわがまま一杯だった自分が思い出されて恥ずかしいというか、今更どうしようもないというか。

⤵ 上は朝日連峰、下は飯豊連峰です。
村山盆地の西に悠然と伸びています。
一人では行けないので仰ぐだけでした、今でも憧れの山です。

こちらは雁戸山、帰途山形駅から仰ぐことが出来ました。
蔵王山系の中にあった山小屋でひと秋過ごしたことがあって
秋田犬の○○(名前忘れました)と近くの山を庭のごとく歩き回ったものです。
今回は仰ぐことが出来なかったのですが、雁戸山から笹谷峠に伸びる稜線が実に美しく
笹谷峠までは最初に歩いていこうと決めて家から出て3時間でした。ズック靴に薄い白いソックス、豆だらけになって帰りつきました。
その後登山の本を買い、靴も靴下も気を付けるようになりました。20歳ころから左ひざが弱く途中で力が入らなくなっても山に行ってました。
故郷の山には格別の思いが年月とともに深まっているのでした。

『春の旅の報告 東京篇②』

1369/10000  月暦2月25日 太陽暦4/3(水)

今日は、昨日の続きで、3月23日の午後、市ヶ谷での花見のレポートを簡単に致します。
そうなんです、江戸でソメイヨシノの花見だったのです。
日本最大の先生業のための起業塾、志師塾のネットワークの
KENZOさんの交流会のなかま10人が集まり
濃い花見となりました。
寒い日で冬支度のメンバーも、サクラは一輪二輪、しかし
熱い志を胸に現場で実践を蓄積してきた大先輩方に交じって
私は精一杯そのエネルギーの吸収につとめました。

コースは、靖国神社→伝統和菓子やさん→桜の名所 千鳥ヶ淵→会食会場、
そぞろ歩きながら、聞こえてくる会話は、どのようにビジネスを進めているか。
どのようにビジネスを進めるべきかの話ばかり、流石です。
🌸幹事役はベテラン・キャリア・コンサルタントさん 気配りの達人
🌸小学校の先生を教頭、校長で終えられたあと教育委員会で相談の任務に就いていた方
子どもたちが元気にに育つために先生方を元気にと,先生方のための講座準備中です。
🌸IT+SNS情報発信会社勤務から、
ファイナンシャル・プランナーとして起業独立準備中の女性
🌸キャリア30年不動産相続の専門家の女性
花見だんごをリサーチしてくれて花が咲きはじめないと売り出さないそうな。
🌸高度外国人労働者の方と行政、企業とのマッチング、
 外国人労働者とその子供たちの日本語教育のお仕事をなさっている女性
🌸社会保険労務士他多数の資格を持ち日本を地方から元気にと飛び回っている女性は 
出張先の熊本から直行 あふれる活力。
🌸74歳で起業、SNSにも挑戦、自身のビジネスの軸をひとつに絞ろうと呻いている女性(私です)
女性が先になってしまいました。男性陣は、
🌸元和食の板前さん、今企業のコミュニケーション・トレーニング、起業サポートの仕事
🌸元ロックバンドのボーカリスト、30か国をツアー、今企業動画制作、起業サポート
🌸元大手広告会社の前線で約30年、独立してマーケティング・コンサルタントさん、
言葉の端々にはっとするスルドイセンスが走る(私、お世話になってます)
🌸幹事さんも男性です お世話になります。

錚々たるメンバーでしょう?ユニークな人ばかりでしょう?
パワーとエネルギー、それに実績も相当なものです。
時代は変わっています。変わりつつあります。
この国は大丈夫だ、そんな気がしてきます。

来年は、お着物姿で繰り出そう、ということになりまして
なんと元小学校の校長先生は着付免許をお持ちで着付けして下さるとのこと。
この一年でがんばって実績を積み上げネバと心に誓って、
ばばひとりでは心配だと駅まで送ってもらって、
コインロッカーを忘れて地下鉄の駅からJRの駅に戻って
市ヶ谷から直通で横浜の二俣川に向かいました。
夜をかけて弟の車で山形に向かいます。お墓詣りです。



⤵寒空のもとほころびはじめていました。

『春の旅の報告 東京篇①』

1368/10000  月暦2月24日 太陽暦4/2(火)

先日の春の旅の報告を致します。

一年ぶりの遠出です。
今回の目的は、人に会うこと、それに
私の仕事にエネルギーをもらうこと、です。

帯広駅→帯広空港→羽田→国立→国分寺富士本へ
古いなかまのミロさんがバス停まで迎えに出てくれました。
ホッと一息。
ミロさんのお連れ合いのサタンのお仏壇に手を合わせて
ほっとしました。
こうして私たちはトシを取っていく。

なかまの消息やら近況やら、それに体調やら。
トシを重ねれば出てくるテーマもそれなりに変わります。

夕方、FACEBOOKの友達のエミさん
お孫さんのお世話でお忙しい中
はるばる新百合丘から足を運んでくれて、

ミロさん「それならうちに来て一緒にご飯食べようよ」

都心部での憲法をまもる政治活動の話を伺いました。
戦後民主主義世代にはできない行動表現がある、
それは秩序だったものではなさそうだけれど
混沌のエネルギーはありそう。
今回は国会前他の行動の現場には行けません。
前回は国会前の行動に参加、
その時親切に案内して下さったOLDsの高橋様も亡くなられました。

明けて朝七時の約束が、道に迷って30分遅れ
フジコさんと国立駅前のコメダ珈琲店で大盛り上がり。
フジコさんは,「A&ANS」なる、
一歩も二歩も一般常識の外に踏み込んだ
ユニークで深い、ワクワクする文化活動を、
若い研究者、研究を現場で活かしている人々と積み重ねてきて
今、これを「事業化」することに取り組んでいるのです。
ここで、話題は共通となり、
事業計画書やら、コンセプトやらで大盛り上がり、
フジコさんは今、日本の中世の研究をなさっている方の発表の企画準備中で、
これまた興味津々、
がんばろうね、と別れました。

ミロさんちに歩いて帰る道に迷って何とか辿り着き
荷物を片付けてリュックをしょって市ヶ谷に向かいました。
道に迷う私を心配してミロさんがバス停まで送ってくれました




⤵ ミツマタとGLで出ました。国立駅からミロさんちへの
通り道で。富士本には1年近く住んでいたのですが まわりの散策は
次の機会に。

『自分で生き抜くチカラとは』

1367/10000  月暦2月23日 太陽暦4/1(月)

今日は太陽暦の4月1日、新しい年度が始まります。
毎日更新のこのブログが10日以上抜けてしまって
今日は初年度初め、それに恩師のお誕生日なので
ブログ復活しなくちゃとWordPressに向かっています。


年度初めにあたって思うこと、それは
今一番必要とされるものは
「自分の力で生き抜くチカラ」に違いない、
このことです。

明治43年生まれの私の母は言っていました。
「太平洋戦争が終わるまでは、
ばあちゃんに教わった通りに
毎年同じことをやっていればよかった」と。
母はばあちゃん子だったのです。
母のメインの仕事は
旬の食べものをお供えしての八百万の神さまを
祀ることでした。
7人の子供を育てながら
野菜、ごま、豆、芋をつくり、味噌を仕込み、
漬物をつけて、野菜を干しました。

いまはどうでしょう?
子どもが少なくて私達シニアが多い人口構造
加工食品全盛、食糧自給率の低下、
化学農薬、食品添加物、放射能汚染。遺伝子操作作物
賃金は上がらず物価と税金は爆上げ
原子力発電は再稼働、太陽光発電、巨大風力発電
リニアモーターカーと
自然破壊はとどまることを知らず
バチが当たると
60年前なら考えられなかったことが専横跋扈、
更にAIの活躍で仕事がAIに奪われる事態が眼前に・・・

一方では、ITの発達によって
可能性、チャンスがこれまでにないくらいある時代
地方から文化と産業をつくる人々がいたるところにいて
ここ十勝でも、地産地消のレストランに不自由しない、
穏やかな日々を願って、
からだとこころの解放と整える技法も花盛り
お金の問題の解決のノウハウ、小さなビジネスも多種多様、
この国の歴史をあらたに見直されつつある・・・


何もかもが未知の時代、
覆いかぶさるあふれるネガティブ情報をかいくぐって
問いも、答えも自分たちで作っていかなくてはならない。

その一方で、
どんな時代になっても変わらないものがあると感じる。
それを具体的に目に見えるカタチで
子どもたちに伝えたい。
衣食住、子育て、畑、田んぼ、山仕事、焚火・・・
一言でいうと
「消費脳から生産脳へ」


そして、このことと一緒にいちばんこれだなって感じていることは
意味なんかなくてもいい、
いまここにこうしているだけでいい、
この軽やかさ、しなやかさ、

小さな子供たちのように。


でもやっぱり今この時代には
「自分で生き抜くチカラ」が必要です。
何があっても大丈夫、私がどうにかすると
全身で言えて行動できる力が。
それも孤軍奮闘ではムリ、
なかまなしにはできません。

どんな時代になっても
希望・勇気・知恵をわかちあって
一歩前に歩めるチカラをともにしましょう。
『不安、無力感をチカラに変える専門家』として
行動していくことを
今日4月1日に志宣言します。



⤵ 見事なフクジュソウ@山形の姉の菜園。3番目の姉と弟が株分けして川崎と横浜に
もらっていきました。荒木一家は花好きです。