『お詣り~早春の旅・山形篇③』

1372/10000  月暦2月28日 太陽暦4/6(土)

今度の山形行の一番の目的は、お墓参りです。
荒木家のお寺は、大石田の井出の普門寺です。
弘明君とゑい子姉ちゃんが丁寧にお墓を掃除してくれました。
お父さん、お母さん、ご先祖様に手を合わせてほっとしました。
てい子姉ちゃん、靖之君は、のり子姉さんのすぐ近くのお寺です。


お盆前に利明くんと二人でお墓掃除に来て
やぶ蚊の攻撃の中、掃除をしようとしない弟と
喧嘩しながらのお墓掃除、
木陰の中にあった墓場も今は木がすっかり切られて
天にさらされています。
下駄屋さんでポンポン下駄を買ってもらってのお墓参りは
年中行事の中でもクライマックスでした。
小学校一年生の時来ていたお墓参りの着物、
母の腰巻になって、その布はずっと大切に取ってあったのですが
いまどうなっているだろう?
暮れにゑい子姉ちゃんとお寺の仏壇の世話に来て
飾ってあった濃い赤紫の菊の花を捨てようとしたら
隣の引田さんのおばあさんが持ってきてくれたものとわかって
あわてて元に戻したこと、
ひとつひとつのシーンがなつかしくよみがえります。

時代は変わりこれまでのお寺制度がこれからどうなるか、
わかりません。
太平洋戦争で同時代の若者300万人が殺された時代を生きた
息子たちの父ちゃんの遺言は「葬式要らず,墓要らず」でした。
わが家には簡素な仏壇があり、トム松田の仏像がまもってくれています。

八幡様がお寺とこんなに近くだったとは、
月歴で町内の神社に初詣でする父についていって
どうにも腹が減って自分だけ家に帰ったら
なんと意気地がない、と母に怒られたものです。
境内の杉木立、杉の葉、北海道には杉の木がないので
なつかしい。風が吹いた翌日には炭俵をもって
向かいの最上川の岸に杉の葉集めにいきました。竈と囲炉裏の焚き付け用です。

こちらは、川端部落の金平さまです。
9月15日のお祭りをはじめとして、毎月のご詠歌と無尽の日、子供会
境内での、夏休みのラジオ体操、林間学校、縄跳び、ゴムはね、
春は雪解けを待っていっかんこ(石をつかって二つのチームに分かれてのゲーム)
から始まりました。
堤防工事のため移転しました。

神社が手入れされず人の気配も薄くさびれているのは何とも寂しいですね。
この列島中にはびころうとしている巨大風力発電、
リニアモーターカー工事、大都市の樹木の伐採~等々
根は同じだと思います。