『最上川∼早春の旅・山形篇②』

1371/10000  月暦2月27日 太陽暦4/5(金)

山形県はほぼ全県最上川の流域になります。
生まれ故郷の大石田町は内陸部、最上川の中流域、
鉄道が開通するまでは酒田からの船着き場でした。
メインストリートには商家、お屋敷が並び関西からの文化を
吸収していた名残をとどめていました。
生まれ育った川端部落は水運の神さま、金平神社を中心に四季がめぐっていました。


弘明君の運転で一族7人、二台で大石田に向かいます。
生家は堤防の真下になっています。
弘明君が岸辺迄車をおろしてくれました。
64年ぶりに最上川の水に手を入れて
亡くなった靖之君のためにネコヤナギの枝を折りました。

南に甑岳、朧気川が合流します。
朧気川には、夏になるとお父さんたちが土嚢を積んでプールをつくってくれました。蛇が遊びに来ることがありました。水着を着てタオルをもって河岸の野原をプールに向かう子供たちが見えるようです。ふだん行かない朧気川の向こう岸は草深い未知の土地でした。
夏、川遊びで腰を屈めて石の上を流れる水に手をいれてじっと眺めているとその流れに目が回って川に流されてしまい、ごく浅瀬でしたけれど、ゑい子ねえちゃんが助けてくれたことがあります。
夏休みの前には学校の先生が最上川に竿をさして水深を調べてブイを張って安全区域を限定してくれました。 私達が山形市に引っ越して間もなく学校にプールが出来て川では泳がなくなったようです。

向こう岸は、横山です。
ヨコヤマヨンゴレケツ(横山汚れケツ)・・・川を挟んで怒鳴りあって喧嘩をしていました。
山は大高根山、木立にかくれて葉山です。

大橋です。私たちの原風景です。
小学4年生の頃何メートルあるか授業で測りました。148mだったと思います。
先ごろの洪水で水位が橋を超えたので、近々近くの下流に立て変えられるので大橋はなくなる、と弘明君。あら~と私達から思わず嘆息がもれます。
生々流転、この大橋もなんだなあ。