『故郷の山々∼早春の旅・山形篇①』

1370/10000  月暦2月26日 太陽暦4/4(木)

中央線内側市ヶ谷駅から直通で横浜の二俣川へ
3番目の姉のゑい子姉ちゃんが迎えに出てくれていました。
前のマンションから大きなところに引っ越していて一階の部屋を取り囲んで
ガーデニングしていて夜目にも丹精の気配が伝わってきました。
12時過ぎ弟の利明くん夫婦が川崎から到着、
さあ行くぞ、と夜をかけて山形に向かいました。

まだ朝が早いので、のり子姉さんとこはまだ寝ていたので
利明くんが出羽丘陵までドライブに連れて行ってくれました。
朝日連峰と村山盆地の間にの丘陵で、最高峰白鷹山の登山口までいきました。
山形にいたころ、自転車で下まで来て白鷹山に登りました。全山コブシの花盛り
朝日連峰が目の前に迫り、眼下を最上川が流れ緑深々なんとも豊かな風景でした。


お墓詣りのため生まれ故郷の大石田にむかう途中
月山が現れ、突然鳥海山が現れると何とも言えないものがあるのでした。

⤵帰りの飛行機からの鳥海山です。
鳥海山には1回登りました。高山植物のお花畑が雪渓のかたわらに広がっていました。

⤵ 月山とその手前は葉山です。
月山には二回登った気がします。頂上から雲海の中に鳥海山が聳え立ち
夕日が沈み満天の星空でした。
季節になると父と兄たちが月山のふもとまで、月山タケノコや山ブドウを取りに行ったものです。タケノコは足が早いので母が夜なべ仕事で皮をむいて塩漬けにしていたのかな、
山ブドウも大きなポリペールに二つはありました。タケノコはやっぱり細ダケの月山タケノコ、山ブドウはあらゆる木の実も内でも特別だと感じます。
葉山では稜線で雷がとどろき、数年前の北アルプスでの大きな落雷事故の記憶がありほうほうのていで慌てて下山しました。
どの山もなかよしの友達と行ったのですが、未熟もいいとこわがまま一杯だった自分が思い出されて恥ずかしいというか、今更どうしようもないというか。

⤵ 上は朝日連峰、下は飯豊連峰です。
村山盆地の西に悠然と伸びています。
一人では行けないので仰ぐだけでした、今でも憧れの山です。

こちらは雁戸山、帰途山形駅から仰ぐことが出来ました。
蔵王山系の中にあった山小屋でひと秋過ごしたことがあって
秋田犬の○○(名前忘れました)と近くの山を庭のごとく歩き回ったものです。
今回は仰ぐことが出来なかったのですが、雁戸山から笹谷峠に伸びる稜線が実に美しく
笹谷峠までは最初に歩いていこうと決めて家から出て3時間でした。ズック靴に薄い白いソックス、豆だらけになって帰りつきました。
その後登山の本を買い、靴も靴下も気を付けるようになりました。20歳ころから左ひざが弱く途中で力が入らなくなっても山に行ってました。
故郷の山には格別の思いが年月とともに深まっているのでした。