『コブシが咲き年』

1381/10000  月暦3月13日 太陽暦4/21(日)

おはようございます。
しばらく前から何時に寝ても4時前後に目が覚めます。
そのかわり昼寝もちょこちょこです。

今年はコブシが咲き年、去年はしょぼしょぼでした。
コレクションしました。

⤵ @ 駅のバスターミナル、一足早く散り始めています。

⤵ @永祥寺様 大木です。

⤵ @河南公園

⤵近所の温泉への途中のお屋敷で借景させて頂きました。

⤵ 近所で借景させて頂きました。毎年楽しみにしています。今年はたわわ満々開々。

コブシといえば、思い出すのは、ウロカのコブシです。
いまれ育った大石田町、川端部落の南側の隣がウロカ(△の下に加、だったと思う)の広大なお屋敷で、高い板塀に囲まれていました。その塀の上から高いコブシの木が見えて、散った花びらをふくらませて遊びました。さだんきょ(すもも)の季節になると、塀越しに「さだんきょ、けでけらっしゃい!(下さい)」と大きな声を張り上げたものです。

山形の出羽丘陵、最高峰白鷹山付近いっぱいのコブシの花、
信州の清水平の前面の岩殿山丘陵(仮称)に行ってきたなかまが、全山のコブシに酔って帰って来たことがありました、遠目にもたくさんのコブシの白が見えていたようなおぼろげな記憶があります。

【女3人、新たなステージに向かう】

1380/10000  月暦3月12日 太陽暦4/20(土)

おとといの18日に、女3人、ようやく会うことが出来ました。この冬ずっと「会いたいね」と連絡しあっていたのです。リアルで会えるのはやっぱりいいですね。

午後パソコンの前でなんだかパワーダウンしていたら
アグネスから電話が!「来ない?今ミントカフェよ、和さん(わこさん)の展覧会場」
これ幸いと自転車で外へ。

「森の案内人」アグネス、今日はプロフィール写真の撮影日とてガッツリキメテます。
災害援助のプロとして故やんじーと一緒に3.11 のあとは毎月南三陸町まで、その後熊本へも駆けつけました。今は、森住まい、オンラインで「森の案内人」を仕事として、この冬マッサージ師の資格もとった(のかな)逞しい。

いつも着物姿、茶道のベテランの和さん。今日はめずらしく洋服姿で、アナザー・サイドのお仕事、絵画教室の大人の部が始まったのです。先週はお子たちの部で大賑わいでした。
「すごくなくていいのよ、」 ふだん流れてしまいがちな思い、心に湧いてくることが解放される場、なんですね。それがふだんの暮らしをそっと豊かにしてくれるんだろうな、展覧会をみんなでつくるのも盛り上がりますよね。

ミントカフェさんのココアは、濃くて今日もとっても美味しい。
アグネスにプロフィール写真撮影の情報他、自身を活かしてお客さまに貢献するビジネスのこれまで、今、これからの情報を交換して頷きあい励まし合いました。

ギャラリーに戻ると、店主さんが、ディスプレーの改善工事をやって下さっているところでした。演劇の舞台にかかわっておられるので見かねたのでしょうか。これで絵画教室のメンバーさんのきめ細かなドールハウスが場所を得て来場の方にぐっと楽しんでもらえるようになりました。

ふたりとは長い付き合いになります、それぞれ新しいステージに挑戦している女3人、和さんの展覧会が終わったらご苦労さん会をやりましょう、と別れました。一人暮らしの限界に素直になって人恋しくなっていたところに声をかけてもらって地元にも基地を得た感じ、相談しながらがんばろうと一安心な春です。
 それから、一年後の東京でのソメイヨシノの花見、着物姿でくりだすことになっている、に備えて和さんがサポートして下さることになりました。

『結城登美雄さんと新たに出会う』

1380/10000  月暦3月1Ⅰ日 太陽暦4/19(金)

 山形のタマキさんが、 結城登美雄さんの 最新の新聞記事を送ってくれました。拝読して結城さんと新たに出会う思いです。
 結城さんのことは下段の新聞記事とWikipediaの紹介をご覧下さいませ。
 先になりますけれど 結城さんとのことで思い出すことをメモしておきます。まさに蛇足ですけれど。
 結城さんは私の誇る友人の筆頭なのです。

 結城さんとは山形大学の同窓で結城さんは国文科、私は史学科でした。結城さんは働いてから大学に入ったので先輩で、文学がほんとに好きでした。深い話がまだできない若かった私でした。封鎖されていた大学が再開してもまだ蔵王の山小屋にいる私を心配して同級生数人で迎えに来てくれたことがああります。でも私は下山せずに冬を迎えるまでいました。

 卒業後 食養に出会い人生が一変して断食をする場所を探して、結城さんに頼み込んで左沢(大江町)のご自宅にお世話になりました。お家と田代部落の由来をこの記事で知ることができました。

 その後北海道に渡り、無農薬八百屋をしていた時、入荷した野菜の間に入っていた新聞紙に
執筆者、結城登美雄さんのお名前がありました。

生まれ故郷の大石田町の雛人形の記事でした。子どもの頃月歴の3月節句になると、子供たちが一団となって「おひなさま、みせでけらっしゃい(見せて下さい」とお屋敷を回って豪華な雛壇飾りを見せてもらいに回るのでした。各家ではお菓子を用意して子どもたちを待っていてくれたものです。今 山形県のあちこちで雛人形を文化財として保存して後世に伝える取り組みが行われていることを先日の山形行で知りました。

 その後農文協さんの『現代農業』誌でたびたび拝見、地元学+実践者の創始者のひとりとしてご活躍であることを遠目に見てたのもしく思っておりました。
 一年前、山形~宮城を訪問させて頂いた折、タマキさんが結城さんのご自宅に連れていってくれて「関根さん」、美枝子さんと共に50数年ぶりに再会することができました。
 お目のこともあり、何冊も頼まれている本もすべて断っていると、資料に囲まれた書斎で語ってくれました。しかし烈々たる思いはそのままででした。
 結城さんの志にいたく感銘共振してこれを受け継がねば、と地道に活動を続けようとしている後続のお若い方々とも会わせてもらいました。

 ほぼ同じ時代に生まれ育ったとは言え、結城さんと田代部落の歴史にはとてもかないません。山も畑もたんぼも人もはるかに野生と生命力旺盛、ご苦労は足元にも及ばず、私はまだまだ街場育ちで親兄弟地域共同体に守られて育っています。
 太平洋戦争体験者の先輩方に続いて、私達高度経済成長以前の世の中を知っている世代の私たちももまもなくあの世へ引っ越すことになります。 高度経済成長以前の世の中 のいいとこどりをして子供たちに伝えたいものだと企画をあたためています。
 結城さんには是非巻頭言をお願いしたいものです。
 叔父上様の田代部落のご本『おらだの村 田代』も読ませて頂ければと願われます。

 タマキさん、結城さんの記事の続きもよろしくお願いします。

以下、Wikipediaから貼ります。

結城 登美雄 (ゆうき とみお、1945年 – )は、地元学プロデューサー。東北地方の農村に深くかかわり、2011年の3・11東日本大震災後は、その復興に東奔西走した[1]宮城教育大学非常勤講師も務めた。2004年には芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)を受賞した。地元学プロデュ―サーという概念も次第に広く研究され、受け入れられ始めている[2]

概略

1945年、旧満洲国に生まれたが、戦後帰国し、母の実家が有る山形県大江町で育つ。ふるさとの田代集落は、標高450mの山あいに9軒の家があったが、昭和30年代、60人ほどあった人口が、30数年前(1970~80年代)村人は家を挙げて離村し、山を下りた。毎冬雪2m、少ない田と空しい林業、自給の作物とたばこなどの換金作物で生計を立てる、貧乏村というのだろうが、みんな一所懸命働いて、いつも笑顔があった[3][4]という。山形大学を卒業後、広告デザイン業界に入り、(有)タス・デザイン室取締役。民俗研究家となる。東北の農山漁村をフィールドワーク。住民を主体にした地元学を提唱した。宮城県旧宮崎町の「食の文化祭」、旧北上町での「宮城食育の里づくり」などに関わり、旧鳴子町「鳴子の米プロジェクト」にも深く関わった。[5]

地元学について、提唱者結城は、「地元学」とは、異なる人びとの、それぞれの思いや考えを持ち寄る場をつくることを第一のテーマとする、としている。理念の正当性を主張したり、押しつけるのではなく、たとえわずらわしくとも、ぐずぐずとさまざまな人びとと考え方につき合うことが大切だとする。暮らしの現場はすぐに変わることはなく、ぐずぐずと変わっていく、と表現する。地元学は理念や抽象ではなく、地元に寄り添う具体の学である、とする[6]

森千鶴子は、こう述べる。「地元学には、民俗研究家であり、地域プロデューサーである結城の「地域観」が中心にある。改めて、氏の半生をたどることにより、地元学成立の思想と背景をあきらかにする。山形県で過ごした幼少期の、挙家離村の体験が、「中央」と「地方」という地域観に対抗するまなざしにつながっていること、学生時代に、1960年代の農民大学運動を牽引した真壁仁との出会いがあり、「地域が住民の自治を本則とする生活と文化の空間であり、民衆自身が、歴史の書き手、語り手となる」という真壁の思想が、地元学の根底を流れていることが明らかとなった。」

『「清水平」での暮らしを書きとめる』

1379/10000  月暦3月10日 太陽暦4/18(木)


このたび原点回帰しまして、
私の原点、清水平での暮らしをあらためて書きとめることにしました。
30代の8年半、私達は清水平で電気ガス水道ナシで暮らし、二人の息子を育てました。
ここ、清水平の地母神から与えられたのは
『うむ・はぐくむ・わかちあう』この三つの言葉でした。
清水平を離れてからの道筋は、ここでこう感受されたたことを現実社会でどう応用して問題を解くか、となりました。
まだ、その途上で成果といえば、なんとか社会人としてまずまず健康にやってくれている二人の息子でしょうか。
現実社会での応用問題を解く、この課題は今第2ステージに入っており、このタイミングで記録しておくことで、応用に備えたいと思います。


清水平は、長野県の松本と長野の間に位置する、信濃川の支流、犀川沿いの生坂村の山襞の中にあります。
国道から約4キロ、県道から3キロくらいだったかな、生坂丘陵(仮称)から発する川が蛇行するその内側にある一軒家です。
東南面に山が迫り冬はあっという間に日差しがなくなる、そんな土地でした。
詳しくは後ほど書きますね。

今日 下の息子がデジタル保存してくれている写真のファイルを私のパソコンに移してくれました。そのさなかでLIVEしていたときよりも鮮やかに、瑞々しく懐かしく蘇ってくるものがありました。いずれ記事の中に写真も入れますね。

長野県の地図 - MapFan


何を書きましょうか。
・暮らしの様子
 火 灯り 水 畑 台所 風呂
・二人の息子の出産と育児
・息子たちの父ちゃんのこと
・共同体
 コミュニケーションとディスコミュニケーション
・親切な隣人 池田さん 日向のおばさん
・時代 1965~1975
 なぜ私たちは過疎地に入っていったのか
・原初の力について 
 NATIVE JAPONECIAN ネットワーク
・エピソードいくつか
・うむ・はぐくむ・わかちあう
 消費脳から生産脳へ
 今とこれからに向けて

こんなところでしょうか。トシを重ねたことによってサラリと語れるようになった
ことも含むことになりそうです。
Kindle出版の第一作として、テーマは清水平になりました。私の人生の原点です。
250枚として、一日5枚で50日、夏至の頃に完成を目指します。


11年後、88歳の私は、里山コミュニティの中にある「新清水平」の縁側で、子供たちと共に
日本古典文学の音読教室をやっています。ここでは焚火ができて、畑、田んぼ、山仕事があり
水は天水を取り井戸から汲む、それまで願わくは、なるべく穏やかにソフトランディングで時代が進みますように。この祈りを込めて、「原初の力」を思い出しつつ
新たな発見が言葉になるのを期待して書いてみます。


⤵ 1977年9月末 清水平の縁側で

『朝イチのお祈りを書き出してみました』

1378/10000  月暦3月9日 太陽暦4/17(水)

おはようございます。
今朝は、朝イチ、布団の中での
お祈りの言葉を書き出してみます。
自分はいったい何を言ってるんだろうか?
なお、私は言われなくても仏壇に手をあわせる子どもでした。
父と母の後ろ姿見てたんですね。



何時に寝ても4時前後に目が覚めます。
布団の中でまずお祈りを、 ごもごももぐもぐ
『・・・おおいなる、そして友だちの神さま
おかげさまで今朝も目が覚めました。
ありがとうございます。

満88歳の私は、自力2足歩行、脳力向上(ほんの少しづつ)
里山コミュニティの中にある
屋号「新清水平」の縁側で
子どもたちと日本古典文学の音読教室をやっています。
この10年で〇〇〇〇〇万円まわして頂きまして
ありがとうございました。
この国の子供たちが安心してスクスク大きくなる世の中になるように
縁の下の力持ちとして陰ながらその礎を担って参ります。
ばばぢからクラブネットワークで
情報交換・相乗効果をあげております。

それはさておき
今日の、最優先の仕事は、
クライアントさんに次回の課題のファイルを送ることです。
今日の、今の課題に一点集中して参ります。
+ 5月6月と〇万円(売上目標)回して頂けますように、
その分貢献できますように仕事をいたします。
神さまのあまねき恵みにお応えできますように。

家族みんな、師匠の方々、なかま、同志みんな
今日も無事で元気でありますように』

ざっとこんな感じかな。
書いてみると結構な量ですね。
下に降りて、簡素な仏壇にお茶をあげて
手を合わせます。
お父さん、お母さん、てい子姉ちゃん、
あんつあ(一番上の兄)、それに
息子たちの父ちゃんに、
我が人生の師から最後に頂いたお葉書を
読んで手を合わせます。
ほっとします。

子育てまっ最中はそれどころでなく
仏壇に向かって投げキッス、そんな暮らしでしたわ。
上から管理強制されて従う、のではなく
暮らしの中で身についたものがあり
それを落ち着いてできるようになったこと、
トシの恵みに感謝です。

⤵ 満開のスイセン@花見の名所 帯広川西5条のお屋敷前 丹精されております、スイセンもチューリップも。



『③情報を片付けてしまおう』

1377/10000  月暦3月8日 太陽暦4/16(火)

何か新しいことに挑戦しているのなら
これだけはやっておきましょう
基礎の基礎をお話しましょう。
エラそうなことは言えません。私にとっても課題です。
是非いっしょにやりましょう、もしまだでしたら。

今日は、その三つ目
情報を片付けてしまいましょう。

・読まないメールは解除
・読まないラインは解除 
・使わないスマホのアプリは削除  あたりから手をつけましょう
・もう要らないファイルは削除
・ファイルを並べ替えて整理整頓

・FACEBOOKの友達もざっとチェックしましょう。

次は本です。
(我が家の二階には13年見ていない本が山積み)
厳選しましょう、とはいうものの、ですよね。
迷い箱をセットして、2,3か月経って要らないものは
資源ごみか
VALUE BOOKSに売るか
見てもらってプレゼントしようとすると
仕事が増えて複雑になりますよ。
0円市を企画するのも◎ですが、
さっさと始末してしまうのも、この際◎
どうしても必要な本で場所を取る場合
ばらしてスキャン・サービスがあるんですってね。
整体治療師 の姪は六百冊そうしたとのこと。

次は、紙です。
①古いファイルは処分して
ファイルを新しく同じものにそろえましょう。
②資料を分類しましょう
 ・重要書類 
 ・仕事の重要書類
 ・仕事の書類
 ・仕事の資料
 ・趣味他関心事の資料
③いつか見るかもしれない資料は捨てましょう
 もう要らない資料、パンフ類も同じく。
④重要書類はファイルの色を変えて整理
⑤スマホでスクショして保存してしまう手もあるそうです。
(紙が大好きだったのですけど
もはや悩みの種、ここから手を付けます)
⇒ 必要な書類がサッと出せるシーンを夢見て
とにかくてをつけましょう、
手をつけたらこっちのもの
鼻唄まじりにノリノリモードに!



何か新しいことに挑戦しているのなら
これだけはやっておきましょう
基礎の基礎
①家の内外片付けて
②家計管理を会計ソフトで毎月予算決算
③情報の片付け
この三つだけはやっておきましょう。

毎日少しづつでも
集中してやるのでも
とにかく始めましょう、
新しい挑戦と同時並行で。
スッキリシンプルに
片づいたシーンを夢見て。

脳の迷いが激減した分、クリエイティブなヒラメキが
開いたスペースには運が舞い込むんですって!



⤵中央公園のいつもの場所
二本の木はカシワです。スロージョギングの途中で。

『②家計管理、できてますか?』

1376/10000  月暦3月7日 太陽暦4/15(月)

何か新しいことに挑戦しているのなら
これだけはやっておきましょう
基礎の基礎をお話しましょう。
エラそうなことは言えません。私にとっても課題です。
是非いっしょにやりましょう、もしまだでしたら。

今日はお金のこと、お話しましょう。
売上あげたい、あれもほしいこれもほしい
一年後は、3年後は、10年後は・・・
これを紙に書いて設定したら

その大きなことをしようとする前に、
やるベキことをやってしまいましょう。

① 会計ソフトを入れる
② 収入と支出の予算を策定する
③ 即日入力
④ 毎月決算
⑤ 家計も事業も規模がどんなに小さくても
  数字を見ながらやりましょう

⑥ 顔を洗う、ご飯を頂くと同じように
  毎日の習慣にしましょう
⑦ うまくいっている人、信頼できる師匠と
  相談しながらやりましょう。

個人ではどうにもならないこともあります。
政府の政策がおかしかったら声をあげることも必須です。
今や税率50%、江戸時代よりも高いと言われていますからね。

実は私も手書きで記帳迄はしていたのですが
集計がつい億劫でやりっぱなしだったので
会計ソフトを入れるところからです。

お金そのものを大切にしましょう。
一円も一万円も丁寧に扱いましょう。
通帳は一冊にまとめましょう。
ゆうちょのアプリも入れなくちゃ。
便利なITシステムも覚えて慣れようと
思えるようになったところです。

お金に自由になろうとするなら
天才でもない限り
② 収入と支出の予算を策定する
③ 即日入力
④ 毎月決算
⑤ 家計も事業も規模がどんなに小さくても
  数字を見ながらやりましょう

このこと、10歳で知りたかったです。
Yutubeの「両学長」のリベラルアーツ大学、お金の教室、
もうご存じかな、まだでしたらおすすめですよ。
「お金コンプレックス」ってなんの理由もないって
気づきましょうよ。

⤵ コブシが二分咲き、今年は咲き年のようです。@帯広駅前バスターミナル

『① 思い切り片付けてしまう』

1375/10000  月暦3月6日 太陽暦4/14(日)

『何か新しいことに挑戦しているのなら
これだけはやっておきましょう』
の基礎の基礎をお話しましょう。
エラそうなことは言えません。
私にとっても課題です。
いっしょにやりましょう。

その①は、片付けです。
家の内外、思い切り片付けてしまいましょう。


細かく段取りして
終わったらひとますごとに
マーカーでチェックを入れて
自己効力感をアップさせながら
自分をはげまして。

例えばわが家のオフィス兼居間でしたら
・物置その1 ・-仏壇 ・サンクチュアリ(本棚・棚・ソファ)
・物置その2 ・クローゼット ・冷蔵庫
・机の中 ・本棚 と細かく分けて
終わったら、✅を入れます、ヤッタゼ!

最も問題なのが、紙です!
資料、記録、課題ファイル、もう混乱の極み、
ここから手を付けるのがベストかな、と
迷える私、でもその時期はとうに過ぎてます、
JUST DO IT! やるしかない。

トシとともに細かい整理がデキなくなりつつありますから
今がチャンス! 二度と来ないかも、
片づけば引っ越し先も向こうからくる確率が上がりそう。
(引っ越し先それとなく探してます)

週の中に半日を片付けの日と決めて
夏至までには終わそう、と決めました。

スッキリ片付くと
自己効力感をゲットできて自信が漲って
◎仕事の能率があがる
◎事業がうまくいく
◎脳がクリエイティブになる
それに
◎運気が上がる と
いいことだらけ
(なんですって)

「なんかうまくいかないな」
それは、自陣にゴミとヨゴレがたまっていて
気が滞っているのかも。
今できてなくても大丈夫、
今これを読んでくださっている、
これも一つのアクションですよ、


部屋ごとに細かくわけて段取りして
一週間の中にスケジュールして
片づけ表をピンナップして
時には、ううう、これは大変だと頭グルグルになりながらも
おわったらチェックを入れて
少しづつクリーンアップしていくのを
目の当たりにしたら
どんな気持ちになるでしょう?
段取り表、作ってみましょう、
一番大変なところから
又は、小さなやりやすいとことから
とにかく手を付けてしまいましょうね、
お互いさま。
ついでに大掃除もやりたくなるかもしれません。





⤵ 木の芽が大きく広がる頃にはスッキリ片付いていますように(祈)



【フキノトウで冬の毒出し】

1374/10000  月暦3月5日 太陽暦4/13(土)

今日は、◆台所大事 
春の野草摘みが始まりました。もちろんフキノトウからです。

今年は、フキノトウ味噌沢山、さっさとつくれました。
極めて美味、ご飯の食べ過ぎに要注意です。
なるべく花を葉が包んでいるのを頂いてきます。
一度はてんぷらにしました。ごくわずか塩を振って、
カリっとしていてすぐ崩れる葉の触感に
春と一つになり笑みがこぼれます。

⤵ 摘み時は左側、花が見えると苦みが増すそうです。
摘んで家に帰る途中でほころぶのもいとをかし。
生えているところでまだ花が見えてないのを選び摘むのもまた。


上の右側、フキノトウに添えたのは、ノカンゾウです。出始めのこれが美味い!今年の初体験です。もちろん酢味噌和えに、これで朝目が覚めます。

フキノトウの次は、タンポポの葉です。苦みの出ないうちに、洗って+オリーヴ・オイル少々に塩と胡椒を粗びきで。スクランブル・エッグを乗せても◎。花径が伸びると苦みが増して食べにくくなります。

「身土不二」を教わって51年め、トキとトコロを共にする食の体感は、何物にもかえがたい喜びがあります。時空の中で息吹をいただく、これがいちばんの「栄養」ですね。こどもたちといっしょのそんな時空を持ちたいものです。
フキノトウもノカンゾウもタンポポも、道端でスロー・ジョギングの途中で摘めるのが帯広です。

顔を出したヨモギも伸びてきました。コンテナで大切にしているギョウジャニンニクも日を浴びて大きくなっていきます。
半年余りの夏季が始まります。冬を越した枯れ葉に季節が重なります。

『観光しました~早春の旅・山形篇④』

1373/10000  月暦3月1日 太陽暦4/7(日)

今日は観光レポートをいたします。
まずは、なんといっても食べ物です。
蕎麦、日本中でブームなのでしょうか?
⤵量も十分、てんぷらもおいしい、
全員、大満足でした。
 

大繁盛のだんごやさん。
創意工夫、アップデートしております、
(上は一本で十分かな)

山形といえば山寺、弘明君が有休をとってきめ細かく案内してくれました。

「立石寺(りっしゃくじ)は天台宗の高僧慈覚大師が860年に開山し、松尾芭蕉が詠んだ「せみの句」~「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」~でも知られる東北を代表する古刹で通称山寺(やまでら)と呼ばれています。

大仏殿のある奥の院まで1,015段ある石階段。「一段一段踏みしめていくごとに一つずつ煩悩が消え悪縁を払うことが出来る」と云われるその石階段を上りきった頂上で芭蕉が見た景色と同じ景観を楽しみませんか」(検索)

その景観は向かい側から望みました。階段は早春とトシのため割愛しました。
しかし、昔の人の体力、生命力はどうなっているのだ、と感嘆の他ないです。
どうやって建てたのでしょうか?

松尾芭蕉記念館では、雛人形と、紅花栽培から流通までの日本画が展示されておりました。
非常に素晴らしいものでした、しかし撮影禁止でした。
雛人形は江戸後期~明治の初めのもの、その衣装、そして表情の品の良さに
江戸250年の平和が偲ばれ、歴史心をそそられました。
生まれ故郷の大石田町の最上川とその歴史ももっと知りたいと故郷力が喚起されたことでした。

山寺からの帰りに東根の大ケヤキに寄ってくれました。
このように古い樹齢の木は初めてです。まさに百聞は一見に如かずです。

あいもかわらずきょうだい親族のみなさんのお世話になりっぱなしの
四女の私、77歳になってようやく気が引けてご恩返しせねば、この思いを胸に刻んで
帰途につきました。
のり子姉さん、卓さん、弘明君一家、ゑい子姉ちゃん一家、利明くん・由美子さん
お元気でいて下さいね。このたびもありがとうございました。