『新生日本に向かって・起死回生プロジェクト その⑥』

 毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
 苦手、といっていられなくなった政治のことあれこれです。

 今日は、先週からの続き⑤で、4月から5月にかけてざっとまとめてみ

『新生日本に向けて、今この国の主権者たる私達は、何をどうすれば
いいのだろうか?』
その項目を追ってメモ書きを続けます。

① 最悪の状態を想定してみよう + 私達の望む未来を描こう
② 私達はどのように生きていたいか? なぜ生きているのだろうか?
③ この国の歴史を知って取り戻そう
④ 立憲民主主義、国民主権・基本的人権・平和主義、日本国憲法に
  ついて知ろう
⑤ 私達の望む未来を実現させるためには、何をどうしたらいいのだろうか?

今日は
⑥ 自分自身の言葉を持とう についてです。

 ★ 欧米のスターのインタビューの受け応え、カッコイイですよね。スターだけではありません。街角でインタビューされた人でもちゃんと自分の言葉で応答します。
 この『カッコイイ』の中身はどんなことでしょうか?
 自分が自分として生きていて自分自身の言葉で話していることがが身体から感じられます。
ひとりひとりがオリジナルとして生きています。

 1965~1975,ベトナム戦争反対行動の時代に、べ平連、『ベトナムに平和を!市民連合』では、ベトナム戦争から脱走した米兵をかくまって海外に逃がす活動を敢行しました。ちゃらんぽらんに見えるアンちゃんでも、『私はなぜ脱走したのか』を、アメリカ独立宣言を踏まえてキチッと書くことに小田実さんたちは驚いたそうです。

 5年前、安保法制反対行動を牽引する役割を担ったSEALDsのメンバーたちのスピーチは、斬新で私達を行動に奮起させました。その身体から発する危機感に私達も身体で反応しました。この列島各地で定期的にアクションを継続している人々がいます。


★ 自分自身の言葉で語るために必要なことは何でしょうか?
 ・確かな知識
 ・アタマ、口先だけでなく身体で感じている
 ・YESかNOかを言える わからないことはわからないと言える
 ・思いを共にしたいという願い 伝えずにいられない
 

★ 上手、下手抜きにアピールしてみませんか、と振られたら大抵尻込みしますよね。私達、“私はこうです。”と話すことに慣れていないしそのような場面もそうそうないですし。
 はじめはビビるし拙くて当たり前ですよね。

  “TED”を見るとプロのスピーチの上手さに感動します。実は私、スピーカー・ウオッチャーなんです。話し方教室に2年参加しました。ボイス・トレーニングもほぼ毎日しています。とはいうものの、とっさの本番となるとあわてんぼの本性丸出しで20点くらいです。出番が決まっているときは『準備』が肝腎だ、と終わってから後悔反省しきりという段階です。あら余談になってしまってごめんなさい。

★ 基本的人権=人は生まれながらにして命を尊重されて生きる権利をもっている。自分自身の言葉を持つようにこころがけていきましょう!

今日は(金曜日分を日曜日に書いております)ようやく苗を定植、鉢替えできて満足です。






 

『それでも季節は進んで行くー土曜の朝はホリデー気分』

毎週土曜の朝は、NHK FM で“weekend sunshine ”に続いて“世界の快適音楽セレクション”をかけてまったりすることにしています。

今朝は四時半ころ起きて木曜日分のブログを投稿してお弁当も作ってしまいました。

昨夜は、FACEBOOKのコメント欄2つで盛り上がりつい11時半迄起きていたので、ラジオは半分寝ながらでそれでも安心していました。

↑ こちらは今食べたお昼ご飯です。芽の出たじゃがいもを焼いたのをスープに入れて青みはレタスです。やっぱりスープでお腹も気持ちも落ち着きます。だしのミネラルの旨味の作用なんですって。

毎朝ミニ・ガーデンから収穫します。

小松菜にルッコラのグリーン・スムージーがこの季節の定番です。熱湯をくぐらせて冷ましてがーっとやります。

貴重品のキュウリです。去年から接ぎ木にしたら楽チンです。

こちらはズキニ、あっという間に花が2つ、今年は実が元気でいるようにトマトトーンなるものを散布して見ます。もう子供産むこともないしと心は少し揺れます。

ヨモギの先端にもあるのよ、と友達に教わってやってみた光合成菌の培養、うまくいって水、天水を使いました、が赤くなって来ました。私はヨモギLOVEなのです。

気になって何回か見に行ってる近所のハナミズキ、やっぱり薄紅色がかすかで今年は殆ど白いです。美しい。

ついでにさくらんぼをちょっとご馳走になって帰って来ます。無人屋敷なのです。

最後にmy little garden から何度も登場してもらっているビオラです。ますます花数が増えてます。目肥やし足肥やしカメラ目線に息がつまっているかもしれません。

手前は一重のバラです。

『洪水』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて
今日は、生まれ故郷の洪水のことを書いておきます。

 生まれ育った家の向かいには家がなく最上川の岸の林だった。大石田町川端、その名の通りである。この林に生えていた木々については来週に書きましょう。思い出す暇がなかったのだろうか、歳と共に思い出すのは、13歳、1960年に県庁所在地に引っ越す前のことばかりだ。

毎年洪水になったのは小学校4年くらいからだったろうか?戦争前にも洪水はあったらしい。我が家は真っ先に床上浸水するのだった。大雨になり水が上がってきそうになると、裏の鍛冶やさんに電話を借りて、父と兄ふたりの山形市の出稼ぎ先、南部建設に電話する。汽車で一時間半、父たちが帰ってくる。台所の大きな戸棚二つを一階の天井にロープで吊る。一階の床板をバールで全部剥がす。家が川に持って行かれないようにである。

 井戸が濁る前にまず水を汲む。二階の大きな木桶に水を汲みあげる。父の大工の師匠の妻=父の姉が大量の握り飯を握っている。さっと親戚が駆けつけてくるのだ。男手も来てくれていたと思う。夜中寝ずに水の上がり具合を見ながら、『前の洪水のときは階段の何段目を残すところまで来た、あの時ほどではない』『引いてきたぞ』とか語り合っていたから。全員二階に避難しているのだ。私が覚えている最高水位は階段の2段か3段を残すところまで来たときだ。最上川の中流域でゆっくりと上がってくるのだった。家の中まで来ない水はたびたび出てのんきに道路にあふれてきた水をこいで遊んだ。

 最上川がその流域を押し広げて濁流が勢いつけて流れていく。テレビもなくラジオも聞いていただろうか、行政からの避難指示はあったのだろうか、経験と知恵で静かに川に対処していた。事故といえば見回りの消防団のひとがうちの裏の肥溜めにはまったことがあるくらいなものである。私の覚えている限りではです。

 引きつつある川の水に弟は庇から小便をした。そういえばトイレ、どうしていたのだろうか?覚えていない。いかだをつくって流している人もいた。食べ物は握り飯で、『日にちが立つと腐るので今度は〇〇にした方がいいね』と親戚の手伝いにきてくれたおばさん方が話していた。6年の時には隣のまこと君が『(水が出て)海浜学校にもっていくものが用意できなくなる』とべそをかいていた。今なら『まこと君大丈夫だよ』と寄り添うだろう、しらっと傍観してないで。

水が引くと役場からDDTが支給され水につかった部分に散布するので家じゅう真っ白になる。乾くまでその年の天気にもよるけれど一か月くらいかかったような気がする。床板をはりなおしてもとの暮らしに戻る。

 全然怖いと感じることもなくどちらかというとわくわくしていた。それは家族、親戚、町の人々にしっかりとまもられていたからだと今は思える。わくわく、は人間の知恵と手を超えるもののワンダーになにか甦るものを身の内に感じるからだ。3年ほど前の十勝川の大水の時は、自転車で十勝大橋ー帯広川、札内川、との合流点(点ではなくなっていた)ー札内大橋迄まわった。

 やがて堤防工事にともない荒木家は先祖伝来の地を立ち退き県庁所在地に引っ越した。


ログアウト

投稿の編集

下書き保存プレビュー(新しいタブで開く)公開するタイトルを追加

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて
今日は、生まれ故郷の洪水のことを書いておきます。

 生まれ育った家の向かいには家がなく最上川の岸の林だった。大石田町川端、その名の通りである。この林に生えていた木々については来週に書きましょう。思い出す暇がなかったのだろうか、歳と共に思い出すのは、13歳、1960年に県庁所在地に引っ越す前のことばかりだ。

毎年洪水になったのは小学校4年くらいからだったろうか?戦争前にも洪水はあったらしい。我が家は真っ先に床上浸水するのだった。大雨になり水が上がってきそうになると、裏の鍛冶やさんに電話を借りて、父と兄ふたりの山形市の出稼ぎ先、南部建設に電話する。汽車で一時間半、父たちが帰ってくる。台所の大きな戸棚二つを一階の天井にロープで吊る。一階の床板をバールで全部剥がす。家が川に持って行かれないようにである。

 井戸が濁る前にまず水を汲む。二階の大きな木桶に水を汲みあげる。父の大工の師匠の妻=父の姉が大量の握り飯を握っている。さっと親戚が駆けつけてくるのだ。男手も来てくれていたと思う。夜中寝ずに水の上がり具合を見ながら、『前の洪水のときは階段の何段目を残すところまで来た、あの時ほどではない』『引いてきたぞ』とか語り合っていたから。全員二階に避難しているのだ。私が覚えている最高水位は階段の2段か3段を残すところまで来たときだ。最上川の中流域でゆっくりと上がってくるのだった。家の中まで来ない水はたびたび出てのんきに道路にあふれてきた水をこいで遊んだ。

 最上川がその流域を押し広げて濁流が勢いつけて流れていく。テレビもなくラジオも聞いていただろうか、行政からの避難指示はあったのだろうか、経験と知恵で静かに川に対処していた。事故といえば見回りの消防団のひとがうちの裏の肥溜めにはまったことがあるくらいなものである。私の覚えている限りではです。

 引きつつある川の水に弟は庇から小便をした。そういえばトイレ、どうしていたのだろうか?覚えていない。いかだをつくって流している人もいた。食べ物は握り飯で、『日にちが立つと腐るので今度は〇〇にした方がいいね』と親戚の手伝いにきてくれたおばさん方が話していた。6年の時には隣のまこと君が『(水が出て)海浜学校にもっていくものが用意できなくなる』とべそをかいていた。今なら『まこと君大丈夫だよ』と寄り添うだろう、しらっと傍観してないで。

水が引くと役場からDDTが支給され水につかった部分に散布するので家じゅう真っ白になる。乾くまでその年の天気にもよるけれど一か月くらいかかったような気がする。床板をはりなおしてもとの暮らしに戻る。

 全然怖いと感じることもなくどちらかというとわくわくしていた。それは家族、親戚、町の人々にしっかりとまもられていたからだと今は思える。わくわく、は人間の知恵と手を超えるもののワンダーになにか甦るものを身の内に感じるからだ。3年ほど前の十勝川の大水の時は、自転車で十勝大橋ー帯広川、札内川、との合流点(点ではなくなっていた)ー札内大橋迄まわった。

 やがて堤防工事にともない荒木家は先祖伝来の地を立ち退き県庁所在地に引っ越した。


外観
画像画像ファイルをアップロードするか、メディアライブラリから選択、または URL を追加してください。アップロードメディアライブラリ

ログアウト

投稿の編集



 たび重なる毎年の洪水に高度経済成長政策が加わり、我が家は立ち退き山形市に引っ越した。

『日本語に不自由している』

毎週水曜日は、◆読む・書く・話す
随分範囲が広いですね。コミュニケーション全般を含みます。

きょうは、『作文を学ばねば』がテーマです。

★ 毎日更新のブログを書き始めてすぐ気づいたのが、「自分は日本語に不自由している」ということでした。
・言い回し、事実関係、経過報告、といちいち躓きます。
・ 感情は、感じてもいないことを辻褄合わせ、その場の取り繕いでかっこつけようとしたりしていい加減になってはバレバレです。
・『』、「」、“” の使い方の違いがよくわかりません。・・・etc.

★ その一方で、え、私、こんな言葉知っていたの!と普段使わない日本語がすらすらと出てきたりします。そんなときは快感です。潜在意識に蓄積されているんですね。
『 読まなければ書けない』とさとり、スマホ、パソコンでのSNSの時間がかなり短くなっています。初めて知る日本語、素晴らしい言いまわしにはマークをつけます。本を読む時間をつくろうとしています。


★ 日本語のテキスト、今の私の場合、作文の技術の本が数冊並ぶようになりました。いちいちフレッシュで感心することしきりです。↓ こちらは息子が送ってくれた一冊です。


“気分は外国語”です。

★ めざすところは、
・読みやすい  ・あまりに個人的な表現をしない  ・ユーモアは私の生きる理由ではあるけれどもも崩しすぎない 。手練れの『虚構新聞』愛読しております。お手本のひとつです ・押し付けがましくない。読んで下さる方の身になる。クサくない。  ・坦々としている  ・伝わり共有できる部分がある  お役に立てるなどなどです。

今日のブログのこの文も突っ込みどころ満載な気がしつつ投稿致します。

技法の本と共に名著を読まねばと心しております。

『明治の女性たち』

毎週火曜日は、◆自分史をつくろう、今、未来に向かって
このブログのメイン・テーマです。

今日は、島本久恵刀自の『明治の女性たち』について書きます。

★ 奥付けを見ると、初版は昭和41年、1966年、かれこれ55年ぶりに私はこの本を手にしています。

 島本久恵刀自は1893年のお生まれでこのご本のあとがきをお書きになったのが1966年、その時私と同じ73歳でいらしたことになります。較べるのも憚られることですけれど、私はこの先も刀自と呼ばれることはなさそうです。

 この本は、出会って以来いつも私の身体の中にありました。私の人生を決めた本の一つです。ずっと手元にほしいと願っていました。『しうこばーばの自分史講座』が私のメインの課題と決まってついに手に入ることになりました。息子からのプレゼントです。

 自分史講座のために、伝記・自叙伝など100冊読むと決めています。その筆頭に来るのがこの本です。

★ この本は、島本さんが、幕末から明治、大正、昭和にかけて活躍した女性にインタビューし、お話を伺ってお書きになりました。女性に選挙権のなかった時代に、凛として自身の生き方を貫いた素晴らしい女性たちです。
 登場する主な女性は、東京女子医科大学を創設した吉岡弥生、女優の東山千栄子、新宿中村屋を創業した相馬黒光、歌人の與謝野晶子、自由学園を創設した羽仁もと子、などなど錚々たる方々です。

★ 『明治』とはいかなる時代であったのか、そのもっとも素晴しい面を、苦闘に次ぐ苦闘を重ねて体現した女性たちです。「昭和のいまの物と人をもってはくらべもつかない若々しさ瑞々しさで、」です。令和のいまではいかがなものでしょうか?というだけ野暮でしょうか?

 島本さんの筆致は、毅然として、二番手の毀誉褒貶に揺るぐことなく、その人の真実に迫るべく、真実には骨太、仔細には配慮繊細です。その両性具有な書き方は私のお手本となりました。

「老いの身とはいえ吉田妙は、心憎いほど女のなよびを離れ切っていた。・・・対座のあいだ余事が一つもまじらないのは、年の高い人の威だけのものではないようであった。」

★ 「それでは、深い印象でいまも目にある、その忍耐が無量の重さで示されていた刀自のおもかげは、下の下にも語らぬものをおししずめていて定まったもので、・・・」(『森有禮夫人のこと』)

 このページを再び目にして胸がいっぱいになりました。以来私の生き方の通奏低音の一つとなったからです。他者と接する際にもです。

★ あとがきには、これから私が自分史講座で皆さんと接するときの姿勢のお手本が示されていました。

 「そう考えてくると、仕事を中にした場合の人と人の責任のおもさ、誠実を尽くしてようやくそこに探りあたる一点があり、もしお互いがちょっとでも気をはずして話のはこびを弾みにまかせたり、自分の好みにひきつけるとか書くのにらくな方向を取るとか、何にしても仕事の苦しさに負ける弱さがどちらかに出たなら、求める真実はその瞬間に失われてしう。・・・つらい仕事というほかない。」
 「ただ、私は人間が好きであった。人間のすることや考えることや、それが備えている欠陥や、あやまりや、またその一念の不可解や、愛情や、要するに人間のすべてが好きで、だから、つらくてもつらくても、好きなものから離れなかった、そういえるのではなかったかと思う。」

TAKE IT EASY,リラックスも大事、リラックスだけでなく一つのスジを通すのも大事です。

★ 55年ぶりに島本久恵著『明治の女性たち』を手にしてひとつ安心立命を得ているいる私です。


『時間をつくる』

毎週月曜日は、◆小さなビジネスを始める にあたってのあれこれです。
ただ今、時間をつくろうと奮闘中!です。

★ 『この世で最も貴重な資源、それは時間である』P.F.ドラッカー。確かに。

最優先、『しうこばーばの自分史講座』を始める準備の時間をつくるべく、
・ルーティン・ワーク表をつくり
・一日3分ロスすれば、10年で20日分のロス と書いて机に貼って
・冬前11月30日に、パートを止めるか、一週間で1~2日にする、という目標を繰り返し唱えて、ポスターを冷蔵庫に貼らネバ。

それで、パートの方、今、週5日約6時間、これを一日減らして週4日にしてまる1日つくるかと思案中なり。要るものは要るし、体力温存も必要、たい焼きやの客商売は楽しいけど、トシもあるし、何よりもこのままでは時間不足・・・

★ それでも私はやる気になってます。この冬にはなんか疲れて前進が難しかったこととくらべれば◎です。何とかする+なんとかなる、という気が湧いてきてます。

気を付けるべきは、ひとりだけで突っ張らないことですよ。(とじぶんに言い聞かせる)

★ 応援してくれているあの人、この人+出会っあの人、この人
そして出会いを待っている未知の人々を胸に、作業の時間をつくるべし。

課題=この一週間の前進報告=
・朝5時前後起床 ほぼ定着 
・ブログ、ただ今一日遅れ
・即日記帳、快感 3年半ぶりか
ビジネスは、お金とスケジュールの管理
・本注文 息子に頼む
   島本久恵『明治の女性たち』 この本については明日のブログで書きます。
   本多勝一『日本語の作文技法』
    こちらは、札幌『作文教室ゆう』さんの藤本研一先生NにFACEBOOKのタイムラ
    インで教えて頂きました。

=今週の課題=
持越し多し
・『しうこばーばの自分史講座』課題・工程表完成 90分 ~5日
・ブログ前日下書き 30 分 当日朝6時UP30分 ~1日
 朝5時半~ブログ・タイム  ~1日
・クラウド・ファンディングについて知る 120分 ~5日
 企画草稿、ブログの後30分 毎日最低三日

他に
・MyLittle Gardenのケア 120分 ~1日
・所属団体の25日の会議報告 90分 ~1日
      資料整理着手 ~5日
・図書館の本、読んで返す 90分 ~1日
・パートから帰ったらさっさと10時前には寝る

ヨシ、書いているとできた気がしてきたぞ、ファイティン!


 

『祖母の知恵』

毎週日曜日は、◆ステキにエイジング
今日は、“おばあちゃんの知恵”です。

★ 私は、「いるだけで、希望と勇気が湧いてくるばあちゃん」になろうとしている。
それは、どういうことなんだろうか?
私は何を伝えようとしているのだろうか?

● 生き抜くこと、旱魃・冷害・飢饉・洪水・台風・地震・悪政・戦争、なにがあろうと。
● 衣食住育児の知恵 衣食住育児のほかにすることってたいしてない。
● 畏れ多い、ばちが当たる、という常識
● 心優しく、それと対で、拒否は毅然と。この国では毅然と、が難しかったらウマくやること
● 身をまもること。自然療法に加えて、敵から身をまもる術も必要 ヤバかったらサッサと逃げること
● 学び続けること 卓越したものに触れ続けること 相手をバカにしてはならない 柔軟でいること
● 二人の息子には、来し方、家族、祖先のこと
● 安心して信頼して生きていくこと、それと対で、生き馬の目を抜く(父が言っていた)事態に備えること
● 男と女の違いについて
● お金のこと
●・・・


★ 「いるだけで」というのは、脳も身体も衰えていくので、そこは存在でカバーしようという魂胆である。若い者には負けるからね。

★ 今朝のゲーリー・スナイダーの『野性の実践』P105~125「クラヴァンミュートと人間性」(少しづつ読んでいます。ゲーリーのように書けたら、と思わぬこともない)から抜き書きします。

・アラスカ先住民は、自分たちの価値基準を確立しようと頑張ってきて、その成果が民族精神復興になっている。↓ 「イヌピアク(族)の目標」を示すポスターです。



暖かさに満ちていて、実行可能なこれらの標語は、すべて「祖母の知恵」であり、それはまた人類にとって時代を超えた基本的価値でもある。

世界の民族には「祖母の知恵」がまだ残っている。そしてもう一方では、中央集権化とヒエラルキーをめざす「知恵」がある。いまの我々はこの狭間に立たされている。

祖父母、場所、グラマー(文法)、ペット、友人、恋人、子供、道具、覚えている詩や歌、これらすべてが「一緒に考える」ものであるという認識は、「進歩はとどまるところを知らない」という西洋の考え方にはない。あるのは一個の「自我」と「世界だけ」だ。

企業や資本、あるいは商人や中央集権化した宗教機構などの特別な利益は、村の価値基準とはまったく反対のものである。・・・プロテスタント主義から資本主義へ、そして世界征服、おそらくそこが西洋文化の行き着くところだ。

場所に根差すということは、自然界の神聖なプロセスに根差している。

図書館に保存されてきた西洋の賢者たちの知恵と同様に、村の長老たちの教えにも注意を向ける必要がある。哲学にはどちらも不可欠だ。 


   魚のシチューに十のご利益
   ソリ引く犬に力を貸す
   そのご利益は無限
   そして永遠の陽気さの完成

★ ばあちゃん子だった母は、「太平洋戦争敗戦まではばあちゃんに教えられたことを毎年同じように繰り返していればよかった」と言っていた。母のメインの仕事の一つが、季節の食べ物と一体になった民俗年中行事を執り行うことだった。
東京に出て食養という全く別の食文化と出会ったことで、私は荒木家の伝統を見直すことになった。

新たなる文明のきざしが、この列島でもあちこちで芽生えみんながんばっている。

★ しう子ばーばから伝えたいこと、たったひとつなら
『生き抜くこと、旱魃・冷害・飢饉・洪水・台風・地震・悪政・戦争、なにがあろうと。
ユーモアと笑い、心にゆとりを忘れずに』


『新生日本に向かって・起死回生プロジェクト その⑤』

毎週金曜日 は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、といっていられなくなった 政治のことあれこれです。

今日は、先週からの続き⑤で、4月から5月にかけてざっとまとめてみ

『新生日本に向けて、今この国の主権者たる私達は、何をどうすれば
いいのだろうか?』
その項目を追ってメモ書きを続けます。

① 最悪の状態を想定してみよう + 私達の望む未来を描こう
② 私達はどのように生きていたいか? なぜ生きているのだろうか?
③ この国の歴史を知って取り戻そう
④ 立憲民主主義、国民主権・基本的人権・平和主義、日本国憲法に
  ついて知ろう

今日は、いよいよ本題です。
⑤ 私達の望む未来を実現させるためには、何をどうしたらいいのだ
  ろうか?

思いつくまま、アトランダムにメモしていきます。

 本気になる 覚悟する 勝つことを前提にアクションする
  ここはお相手様の執念と行動力をおおいにパクリましょう。はじ
  めから負けていないだろうか?
赤ちゃんをだっこしたら『何が何でも絶対に生かす!』としか感
じませんよね。

 私達の尊厳と誇りを表現する。ナメンなよ。
  私達の尊厳とは何だろうか?
  私達がクニを愛するとはどういうことだろうか?
この国のどこが誇りだろうか?

● 総合設計図と工程表をつくり、随時調整する
ここもお相手様に学ぶところ大ですね。なにせ何十年もかけて粛々
  と成果と実績を重ねてきているのですから。
コロナ対策にしてもどうでしょう?確かに政府の対応は、ハチャメ
 チャで文句と批判のしどころ満載です。ひるがえってそういう政府し
 か持てなかった主権者って!?と刃をこちらに一度向けてみる必要は
 ないだろうか?

● 先手を打てる態勢
をつくる
相手の出方に合わせて後手にまわってあたふたと追いかけるのでは
  なく、こちらの王道をかねてより着々と準備しておく。

● “民衆内閣”を組閣する。メンバーはまず見目良く、人格、品格がお
のずから現れるから、各分野の専門家、国民の暮らしが第一、諸外
国とディベート、ネゴシエイションができる、ヴィジョンを明示し
て具体策を示す。現政権のトンデモ政策には即批判と必要なら対案
を出す。責任を持つ。


● 選挙とデモを二つの柱にする
  ・ 勝てる選挙戦略を立てる
これまでの戦略で十分か?何が足りなかったか?新しいアイデ
ィア はないか?

  ・2015年夏から、倦まず弛まず休むことなく定期街宣を継続して
   いる 同志が全国にいます。デモにも新たな表現が出てきました。
雑草のごとくです。
今ならプラカード一人一枚では足りません。
→ 全国一斉1000万(最低)デモめざして月一~週一定期デモ

● お隣の韓国と台湾の民主化運動に学ぶ必要有り。過酷な状況で勝
  ち取ってきました。

● 政府と行政、ここがヘンだよ、イヤです、とイチイチ文句と批判
  を届ける
メール・電話・FAXする。
  効果ありますからね。← 検察庁法改正TWITTERデモ・種子法改
 正一旦取り下げ・家畜放牧禁止を削除etc.

● 不断の努力が暮らしの一部になる

● ファシリテーションを身につける
話し合いができるようになる
  ・意見、感じ方、アイディアが違うとき人格攻撃と分断工作をし
ない訓練。そんなことやってる場合でない。その場面に出くわ
しても慌て ない、弱気にならない、めげない(なるべく)
・お互いの違いを認め合い、一致点を探してさらによいものをつ
くろうとする姿勢
  ・励ましあいねぎらいあい盛り上げあう。

● 情報戦略
  ・マスメディアがほとんど政府広報となり、文部省教育が憲法か
   らずれる現状の中で なにができるか?相手のせいにしないで。
・“待っている”人々に届く表現を工夫する
   楽しい、面白そう・まず共感を呼ぶ・なんとなく部分的に知っ
ていたことがハッキリする・希望が湧く・私もやってみたくな
   る・今度の選挙には行こうと思える
・この国の歴史、特に明治維新以来の・日米地位協定って?
・国民主権とは?基本的人権・平和主義とは?・権力の行動パタ
ーンとは?・ひとめでわかる〇〇問題etc. 
これらのテーマが見開き2ページでひと目でわかる雑誌がコン
   ビニに 並んでいたら!
  ・SNSを駆使する
・結局リアルどぶ板。街宣、スタンディング、各戸チラシ配り  
アクション表現を緻密に
  ・忘れてはならないのが、ユーモアとゆとり
これこそはうちらの底力。

と、今日はこんなところです。
実は冬から、週一30分の殆ど一人のスタンディングを諸般の事情で休
んでいます。いうだけになりそうで気が引けるのですけれど、これか
らの場面で話あうとき最低抑えておきたいことを準備しておこうと思
います。

では、来週は、⑥ 自分自身の言葉を持とう です。

『土曜の朝はホリデー気分ー6月27日』

毎週土曜の朝は、NHK FM で“weekend sunshine ”に続いて“世界の快適音楽セレクション”を聞きながら、まったりすることにしています、が今週もあれこれ片付けやらブログ書いたりしてました。

ひとつは、聞き逃しでパソコンで聞くことができるようになったので、ま、いっかというわけです。

☆ 今週のトップ・ニュースは、ハナミズキです。今年は薄紅色がほのかです。気になって見に行っています。

今週です。
こちらは先週。下の日陰は今も白くヤマボウシのようです。

低温と日照不足のためでしょうか?

☆ 昨日友達が玄米5KG×2を届けてくれました。備蓄できると安心、豊かな気分です。

手前は、スパゲッティは、バリラ、5キロ袋、まだまだあります。江戸でテレワーク中の息子からです。

☆ 塩漬けラッキョウ、なかなか日にあてることができず、酢浸けはお日さま待ちです。

☆ 今週は豪華二本立て、“レ・ミゼラブル”と、『君の名は。』見て来ました。

頭が固まってしまわぬように、映画はてっとり早くてよいですね。

それぞれ胸に来ました。

☆ 今朝の収穫です。これだけでもうれしい! 一本のキュウリにご注目、美味なのです。

☆ こちらは舗道のウメバチソウの白です。黄色もきれいです。

今週の最後は、たびたび登場のビオラです。軒下からほりあげたちいさな一株、花数も増えています。やって来たものはどれも大事です。

オマケはメギノキの新芽です。これも軒下からです。鉢と同じ高さになるのを待っています。

『田沢道は一里』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて
今日は、私の来し方を振り返るシリーズで、先週に引き続き、ちょうど10歳年上で83歳の
姉の手紙をワープロで打ちます。

=のり子姉の思い出 ③=
のり子姉が山形に理容師の奉公に行く前ですから、昭和20年代中ごろまでのエピソードです。

☆ 町役場よりの回覧板で、『あっかあ と呼んだ おかあさん と言いなさい』
(母を、あっかあと呼ばずに、「お母さん」と呼ぶように、と役場からのおふれが来た+私は山形市に引っ越して中学3年か、高校進学対策もあったのだろうか、自分を,おれ と呼ぶのを止めて わたし と呼ぶ練習を級友とやった。おおいにてれながら)だったらおっかあだったのかね、お父さん

☆ ごしゃかれた(おこられた)ことはあまりなくて

☆ (今年の)5月に金山(町)までドライブ。錦鯉がおよいでいる小川を見に。見えなかった。どの川かわからぬ。(父は金山町の岸一族の仕事をしに行ったことがあると聞いている+金山は私は行ったことがなくて一度行ってみたい。岸家の林業の町とのこと)

☆ おばなざわ13号を通った時に岩袋(いわのふくろ)とおり思い出す。ここまで父は仕事に歩いて来てた。その帰り俄雨になりびしょぬれ 家に着くと、子供達が居るのに誰もカラカサ持って出迎え様ともしないと、母をしかる時もあった。持って行く傘が無いのかも。
(毎年からかさやさんが注文取りに来て、母は子供たちのカラカサをつくってくれた。きれいな花模様とか手書きで描いてあり油紙と竹製。閉じると、それぞれゑい子、しう子と名前が筆書きで書いてあった。そういえば男物の利明くんのは覚えがない。変わり目だったのだろうか?)

☆ 富並の実家(ここから父は婿に来た)や来迎寺のおばさん(父の妹、蕎麦打ちの名人)宅へ行って米をを背負い雪道を二里8㎞も歩いてがんばってくれた。元気な体 ありがとう。(確かに父は丈夫だったと思う)

☆ てい子妹つれてお祭りに行ったよ。私が赤飯がきらいで窓からおばさんがへやにこないうちにすてようかとなやむ子供 てい子と二人(今は大好きです)
(母の名代で、私も、父の大工の弟子の健三郎さんの今宿のお祭りに行ったことがある。立派なお膳にお祭りのご馳走が並び借りてきた猫のように頂いていると、突然おなかがいっぱいになった。小学校低学年、2年か3年だったろうか?)

☆ 雨が降り田沢まで行ってー一里、のちにバスが通る、もどった時も有りました。
(田沢道は一里。直線道路。遠い遠いと母たちが言っていた。一度自転車で行ったことがあるような気がする、山形に引っ越してからだろうか?
田沢道で忘れられないことがある。冬、田沢に行った父が夜になって寝る時間になっても帰って来ない。酒を飲み途中で雪の中で寝てしまっているのではないかと、確か母とてい子姉で、ていこ姉とゑい子姉だったろうか?、提灯を下げて田沢道まで父を迎えにいったことがある。私と弟はその夜の決着は知らずに寝てしまった。あの時父は無事だったのだ、と今でもふと胸を、あとになって撫で下ろすことがある)

☆ ワープロに打ちながら、原風景が、全くと言っていいくらいに変わってしまっていることが迫ってくる。当時は皆歩いていたのだ。父は、鳥海山まで歩いて行って登ったと言っていた。農業人口が50%を超えていて、殆どの人が身体で生きていた。
大石田は職人の町だった。今職業訓練所があって、還暦の同級会の時、大工さんが何人もいて「大石田の大工は腕がいいんだ」と誇りを持っていた。父は、大石田の姉の夫に弟子に入って大工になっのた。

化学農薬以前の世界である。明治生まれの父たちの世代と比べたら生命力はいかがなものかと思案する。父は父なりに90まえまで曲がった腰で自転車に乗っていた。頑張らなくちゃな、と思う。