『祖母の知恵』

毎週日曜日は、◆ステキにエイジング
今日は、“おばあちゃんの知恵”です。

★ 私は、「いるだけで、希望と勇気が湧いてくるばあちゃん」になろうとしている。
それは、どういうことなんだろうか?
私は何を伝えようとしているのだろうか?

● 生き抜くこと、旱魃・冷害・飢饉・洪水・台風・地震・悪政・戦争、なにがあろうと。
● 衣食住育児の知恵 衣食住育児のほかにすることってたいしてない。
● 畏れ多い、ばちが当たる、という常識
● 心優しく、それと対で、拒否は毅然と。この国では毅然と、が難しかったらウマくやること
● 身をまもること。自然療法に加えて、敵から身をまもる術も必要 ヤバかったらサッサと逃げること
● 学び続けること 卓越したものに触れ続けること 相手をバカにしてはならない 柔軟でいること
● 二人の息子には、来し方、家族、祖先のこと
● 安心して信頼して生きていくこと、それと対で、生き馬の目を抜く(父が言っていた)事態に備えること
● 男と女の違いについて
● お金のこと
●・・・


★ 「いるだけで」というのは、脳も身体も衰えていくので、そこは存在でカバーしようという魂胆である。若い者には負けるからね。

★ 今朝のゲーリー・スナイダーの『野性の実践』P105~125「クラヴァンミュートと人間性」(少しづつ読んでいます。ゲーリーのように書けたら、と思わぬこともない)から抜き書きします。

・アラスカ先住民は、自分たちの価値基準を確立しようと頑張ってきて、その成果が民族精神復興になっている。↓ 「イヌピアク(族)の目標」を示すポスターです。



暖かさに満ちていて、実行可能なこれらの標語は、すべて「祖母の知恵」であり、それはまた人類にとって時代を超えた基本的価値でもある。

世界の民族には「祖母の知恵」がまだ残っている。そしてもう一方では、中央集権化とヒエラルキーをめざす「知恵」がある。いまの我々はこの狭間に立たされている。

祖父母、場所、グラマー(文法)、ペット、友人、恋人、子供、道具、覚えている詩や歌、これらすべてが「一緒に考える」ものであるという認識は、「進歩はとどまるところを知らない」という西洋の考え方にはない。あるのは一個の「自我」と「世界だけ」だ。

企業や資本、あるいは商人や中央集権化した宗教機構などの特別な利益は、村の価値基準とはまったく反対のものである。・・・プロテスタント主義から資本主義へ、そして世界征服、おそらくそこが西洋文化の行き着くところだ。

場所に根差すということは、自然界の神聖なプロセスに根差している。

図書館に保存されてきた西洋の賢者たちの知恵と同様に、村の長老たちの教えにも注意を向ける必要がある。哲学にはどちらも不可欠だ。 


   魚のシチューに十のご利益
   ソリ引く犬に力を貸す
   そのご利益は無限
   そして永遠の陽気さの完成

★ ばあちゃん子だった母は、「太平洋戦争敗戦まではばあちゃんに教えられたことを毎年同じように繰り返していればよかった」と言っていた。母のメインの仕事の一つが、季節の食べ物と一体になった民俗年中行事を執り行うことだった。
東京に出て食養という全く別の食文化と出会ったことで、私は荒木家の伝統を見直すことになった。

新たなる文明のきざしが、この列島でもあちこちで芽生えみんながんばっている。

★ しう子ばーばから伝えたいこと、たったひとつなら
『生き抜くこと、旱魃・冷害・飢饉・洪水・台風・地震・悪政・戦争、なにがあろうと。
ユーモアと笑い、心にゆとりを忘れずに』