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毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、と言っていられなくなった政治のことあれこれです。
今日は昨日3.11の続きです。
私たちは今渦中にいて、まとまらない映像の中で、右往左往している気がする。
右往左往から一歩あるいは頭のてっぺんだけでもいい 抜け出して未来を見晴るかして
心静かに落ち着いて日々を送りたい、この願いについて今浮かんでくることをアト・ランダムに書いておきます。
3.11の影響は、ここ北海道十勝地方で暮らしている私にも、忍び寄っているどころではない。山形の甥が2年前突然頸動脈破裂で亡くなった。現場が宮城県にもあり救援支援活動もしていた。姉たちは放射能のことは知らない様子で私は黙って帰ってきた。実家が福島の浜通りにあり網元であった友達の実家は遠洋漁船団は解散、気仙沼の水産加工場も全滅した。震災直後から大量の救援物資と共に大型救援車で毎月救援に行っていた友達夫婦は体調不良だ。福島から移住してきた友達は夫婦で静かに暮らしている。移住してきた友達は他にもいる。コロナの前保養に来ていた子どもたちは年齢の割には小さい(胸がつぶれる)。フクシマはいつ収束するともしれない。被災した多くの人々への補償は微々たるものに過ぎない。以下略。
これが私たちの日常になっている。10年前は想像もしていなかった世界だ。ここ十勝では何事もないように毎日が過ぎていく。100年後、この時代はどんなふうに見えるのだろうか?仮に政府が公文書を廃棄してしまったとしても、めげることなく暮らしの再建に向かって生きた人々の記録は映像をはじめとして大量に保管されて残るに違いない、苦しみ行倒れた人々のことも。
福島原発のまわりは何とも殺風景だ。
『この国の資源は放っておけばどこにでも雑草が生えることである』とは藤井平司さん(野菜栽培家)の言葉だ。この恵まれた環境を無残にも破壊しつくしてしまっている。
3.11で瀬戸際を越えてしまっている、けれども私たちはめげ切ってはいない。めげきってはいられない。なかまが列島中にいてコツコツと作業を積み重ねてがんばっている。若い人たちはITを駆使して 斬新な方法でサッサとラクラクと(そう見える)プロジェクトを遂行していく。農を志してコミュニティができている人々もたくさんいる。政治活動の表現も対立と排除を避ける穏やかなものが出てきている。
戦後民主主義年金世代の私は大きなことはできないけれど、次の世代に『生きていることは、苦しいこともあるけれど、素晴らしい』と感じてほしいという願いはホントです。まわりの大きな出来事に翻弄されずに(なるべく、です)心静かに落ち着いて暮らせますようにと願って腹筋を養っております。まとまりませんけれど今日はこんなところです。
↓ 今日上がってきましたオードリー・タンさんからの素晴らしいメッセージです。できるような気がしてきます。短いです。どうぞ。













