『“A Song for You”を日本語にしてみる』

694/10000 2021 03 31
毎週水曜日は、◆読む・書く・話す
コミュニケーション全般を含みます。

今日は、Leon Russellの “A Song for You”を日本語にしてみます。
というのも、この28日の『一曲持ち寄りの集い@発酵書房のんびり屋さん』に
私はこの曲を持参して、プレゼンのため会場で慌てて日本語にしたのでした。

この曲、カーペンターズを始め沢山のカバーがあり、
もうクラシック・スタンダードですよね。
こちら渋めのヴァージョンで。

では日本語にトライしてみましょう。

I’ve been so many places in my life and time.
I’ve sung a lot of songs I’ve made some bad rhyme
I’ve acted out my love in stages
With ten thousand people watching
But we’re alone now and I’m singing this song for you

俺はこれまで多くの場所で何回も何回も
たくさんの歌を歌ってきた 中には韻がイマイチなのもあったな
1万人もの観客を前に俺はステージで愛の歌を歌った
でも今はふたりきり、この歌はあなたのためにだけ歌うよ



I know your image of me is what I hope to be
I’ve treated you unkindly but darling can’t you see
There’s no one more important to me
Daring can’t you please see through me
Cause we’re alone now and I’m singing this song for you

わかってるよ、あなたは 俺がそうありたい俺を感じ取ってくれてるって
意地悪したこともあったね、でも大した意味はなかったんだ
わかってほしい
今俺たちはふたりきり、俺はこの歌をあなたのためにだけ歌うから

You taught me precious secrets of the truth withholding nothing
You came out in front and I was hiding
But now I’m so much better and if my words don’t come together
Listen to the melody cause my love is in there hiding

あなたは教えてくれた、真実の貴重な秘密をそのまま全部
あなたは俺の真正面に現れた、おれはわかっていなかった
でも今はずっといいよ、
もし俺の言葉がピンと来なかったら
メロディーを聴いてくれ、
そこに俺の思いが込められているからね

I love you in place where there’s no space or time
I love you for in my life you are a friend of mine
And when my life is over remember when we were together
We were alone and I was singing this song for you

俺たちの愛に、場所も時間も消えてしまう
一生愛し続けるよ あなたは俺の親友の一人でもあるんだ
俺がこの世を去ったとしても、忘れないで
俺たちが一緒だったとき俺たちはひとつで、
俺がこの歌をあなたのためにだけ歌ったことを





原詩の英語の太字は、よう言うてくれはるわ、とシビレるフレーズです。
Loveのすべてが込められていますね。
下手な日本語の太字は、日本語をうまく使えていない箇所です。
難しいですね。メロディにのせるまでの道は遠い。


Leonのファンになってかれこれ50年になります。
なんと信じられないことにここ帯広に来たんですよね!
もちろん駆け付けました。Leonのことはまた今度。


お口直しに、うますぎる Lalah Hathaway ヴァージョンをどうぞ。

…..


『実生活の不可量的部分が大切だ』

592/10000 2020 12 09
毎週水曜日は、◆読む・書く・話す
ずいぶん範囲が広いですね。コミュニケーション全般を含みます。

今日は先日取り上げたこの本の奥野先生による解説部分からのメモです。

 人類学の歴史と今直面している課題について語られています。むむ、と来た部分をメモします。

・調査者が外部から一方的に持ち込むのではなく、現地での体験から得られたテーマを探究する過程で自己変容するというマリノフスキのテーマに対応するのが、現地の人々の「血肉」部分をとらえることである。
・血肉とは、現地の生活の実態を体験してはじめて観察できる重要な現象であり、実生活の不可量的部分である。
 平日のありふれた出来事、身支度、料理や食事の作法、村の焚火の回りでの社交生活や会話の調子、人々のあいだの強い敵意や友情、共感や嫌悪、個人的な虚栄と野心とが個人の行動にに現われ、彼の周囲の人々にどのような気持ちの反応を与えるかという、微妙な、しかし、とりちがえのない現象-などのこまごましたことが、これに属する。
・1950~60年代のフランスにおけるヌーヴェルヴァーグの映画革新運動において映像人類学者ジャン・ルーシュは、実生活の不可量的部分が顕著に現れる、撮影者と非撮影者の「あいだ」に着目した。
・映像、マンガは、文字での表現の限界を超えてこの血肉=実生活の不可量的部分を伝えやすくできる。

これに触れて想起されたことをアトランダムにメモします。まとまりませんけど。
・ハリウッドのパターン化されたつくりものの中に出現したヌーヴェルヴァーグ映画はこういうことだったのか。
・ありのままに見えて接することが大切である。自分たちの「文明」の価値基準で杓子定規を当てはめて優劣をつけることはまずい。
・人間、創造物は、調査対象として生きて暮らしているのではない。
・近代文明は、人間の総合生命力にそぎ落としと抑圧を強制している。この中で生きている私達も、血肉の不可量的部分を抑制したり、踏みにじられたりしながら暮らしている。抑圧に従うことが文明と勘違いしている人も少なからずいる。ボルネオの森の民プナンの人々は、動物、植物、小屋とも魂を共にして、うまいこと、つまり、血肉がそがれないようにある程度システムもできていて、不安や心配がすごく少なさそうだ。
・今私達の暮らす社会は問題山積で、生きることの価値基準そのものがぐらぐらと壊されている。既存の今横行している価値基準と、付け焼刃なノウハウではすでに対応できなくなっている。新たな生きやすい世の中をつくって行こうとするとき、想定外の多様な世界に目と耳と心身を開いて柔軟に対応していきたいものである。

と頭を使って読みました。

赤いメギノキの実です。公園のクリスマス・ツリーのようです。

『え、ありがとうもごめんなさいもいらないって!?』

668/10000 2020 11 25
毎週日曜日は、◆読む・書く・話す
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 手に取る本、手に取る本、もう知らないことばっかりで、目がしょぼしょぼになる前に読めばよかったと思う一方で、時代が猛スピードで動いているので、今の新たな視点に目がぐいっと開かれることも少なからずあります。

 今日は昨日着いたこの本です。facebookの友達のFujikoさんのタイムラインで出会ってびびっと来て、読んだら友達の誕生日プレゼントになります。

 『“ありがとう” と“ごめんなさい” は重要なキーワードとして必要な場合はいつでもさっと出せるように構えて24時間暮らしている自分』に、この本を見て気づきました。かなりのストレスになっているのかもしれない。


 ボルネオの森の民、狩猟採取のプナンの民には、学校がない。森のなかが学校で、そこでは掛け算・割り算、外国語も役に立たない、必要がない。
 同じ魂を持つ存在として人と動物は連続し、動物たちは魂という人間的性質を失っていない、さらにモノも人間性を持っていたそうだ。

 プナンでは、気前よく振る舞うことが当然で、お金を貸しても返って来ない、何かをあげても「ありがとう」がない。貸したバイクはガソリンをすべて使い切り壊してもそのまま返す。「ごめんなさい」もない。反省もない。プナン語には「貸す」「借りる」という言葉もない。

 プナンでは、気前のよさが「よい心がけ」とされて何を貸すのもあたりまえである。では欲はないのかと言えば、子どもには諭して矯正している。リーダーは気前のよいことが第一条件である、しかし、本音の欲張りを建前の「よい心がけ」で打ち消している場面に出くわすこともある。
  むしろ分け与えるというより、捨てるに近い。プナン語には「捨てる」はあるが、「あげる」はない。捨てた食べかすは犬が漁り、人が食べた果実の種は排便されて植物が広がっていく。捨てることで人と自然に循環を生み出す暮らしである。

 以上は第2章までです。ここまででもなかなシンプルとだけは言えないところが面白いですね。仮にプナンの村で暮らして(何でも「捨てる」ので汚いそうです)いっとき開放感に気分ゆるゆるとなったとしても、慣れ親しんだストレスフルなこちらが恋しくなる、なんてことになるかもしれません。

 この後も、人類学の視点は勿論、心理学、仏教哲学、危機に直面しており今後如何とも不明な今の資本主義文明 “人新世”と重ねての思考と、マンガの紙面から深いものが迫ってきます。

 “人新世”は今後どうなるのか、どうするのか、を考えて作業をするとき、今必要とされているのは、カチカチの己の金と利権しか見えていない旧価値観で間に合わないのは明らかで、やわらかい頭脳、斬新な感覚、新しい科学と哲学です。この意味でこの本は、おおいに開放感を与えてくれます。次の思考のヒントときっかけが満載です。

 やっぱり読書会やりたいですね。自分だけでなく,あれこれ違った視点と感覚の刺激をうけて頭くらくらぐるぐるもいいものです。

赤いメギノキの実です。

『息子は小さいとき暗唱していた』

554/10000 2020 11 11
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今日は外山滋比古先生(1923ー2020)のご本、
『頭の良い子に育てる日本語の話し方 わが子に伝える「絶対語感」』(2003)
の第一章を読みましょう。

読む・書く・話す に加えて、『聴く』が大変大切であると知りました。

生まれたときから小さいうちに子どもが耳で聴いた言葉が頭の良し悪しを一生左右する
という極めて大切なお話です。




★ 外山先生の本から抜き書きします。

・日本語を、改めて「ことば」として意識しましょう。
・ことばだけは、生まれた瞬間から、習得を始めることができます。

・耳から言葉を覚えていく赤ん坊にとって、先生である母親の言葉はとても大切です。母乳が体の糧なら、「母乳語」はこころの糧です。
・普通より、すこし高い調子の声で、抑揚を大きくして、くりかえし、おだやかに、ほほえみを浮かべて話しましょう。
・こどもは、くりかえしくりかえし聴くことで、はじめのことばを習得します。十分に母乳後を与えられた子はものとことばの結びつきを自然な形で体得することになります。この過程に必要な期間はおよそ30ヵ月です。

・母乳語を与えられていたこどもは、やがて、抽象的なことばの使い方をする「離乳語」へ切り換わらなくてはなりません。抽象語とは、目に見えない、抽象的な〝ものごと〟をあらわすことばのことです。
・具体的なものと結びついた母乳語と、抽象的なものをあらわす離乳語、この二つの言語の併用で、人間は高度な文化をつくりあげてきました。

・人間は、価値のあるウソをつぎつぎとつくり出しながら、文化をきづいてきたのです。離乳語は、豊かなウソをつくり出しながら,想像力を広げ、頭のはたらきをよくする作用があるのです。母乳語と調和しながら離乳語が発達する時期は、三つ子の魂が、つくりあげられる時期に重なります。

・まず耳で聴くことが、聡明の第一歩となります。現実には存在することのないおとぎ話や昔話を、耳から聴いて育つことで、こどもは聡明になることができるのです。

・抽象的言語というものは、すべての勉強に関係します。三つ子の魂が作り上げられる時期に、二つの言語にしつけをすることは、あとあと知的能力を伸ばすのに、欠かすことができません。

・おとぎ話は、日本のものを、暗がりのなかで、添い寝をしながら、10回は繰り返して、三歳ぐらいから、二年の間に,十から、十二、三の話で充分です。
 「自分の経験の外にある」ものが、すんなり頭に入っているかどうかで、知的学習の成果に大きく差がでてくるのです。

・母乳語を三十ヵ月、離乳語を三十ヵ月。この時期をきちんとしつけることができれば、こどもの、はじめのことばのインプリンティングつまり反復習得は、まず、完了します。
 この時期は、文字以前のことばが自然に習得される時期で、耳の賢明さというものを育てるのに、決定的に大切な時期なのです。

・幼いころから、よいこと、望ましいこと、普通のことをくりかえし、くりかえししつけ、刷り込んでいくと、自然に習慣ができあがっていきます。そうした習慣のなかから、にじみ出るように生まれてくるのがこころです。こころがはじめにあるのではなく、習慣の結果、うまれるものなのです。
では、なにを習慣化すればよいのか。いうまでもなく、まず、ことばです。

・幼いときに一生にかかわる三つ子の魂が形成されるのと同じように、ことばにおいても、一生にかかわることばの魂が決定されてしまいます。ことばの魂とは、そのひとにとってのことばの基本、「絶対語感」ともいうべきものです。
いったんことばが習得されて、絶対語感ができますと、いままで聴いたことも教わったこともないことばでも、わかり、使えるようになって、さらに自分で新しい言語表現を生み出すことができるようになります。

・英語の早期教育より、きちんとした母国語をしっかりしつけ、絶対語感をつくりあげること。これが人間のこころの原点だということを、忘れてはならないでしょう。

★ 関連して思い出すことをメモします。

・二人の息子たちは9時には照明を落として本を読んでやるようにしていたな。
・福音館の絵本はできるだけ集めて一生懸命読んで聞かせた。
・そのころ何回も読んだり歌ったりした本は、汚れてぼろぼろでも捨てられずにとってある。
・ある日、小学校に上がる前の息子が便所でうんこをしながら、何回か聴いた絵本の文章を大きな声で暗唱と意識するでもなく暗唱していたことを鮮明に覚えている。やるではないか!爽快だった。
・子供たちは岩波、福音館よりも、講談社の絵本や『コロコロコミック』の方が好きなのであった。
・大学時代何を勉強したかというと、『ナルニア国物語』『メアリー・ポピンズ』『長い長いお医者さんの話』他ファンタジーを奨学金で買って読み耽った。

 なんとなくいいと思うことを子どものためにと、脈絡もなくバタバタと、それでも一生懸命でした。
 外山先生の「絶対語感」を知って子育てできる今のお母さん方はなんてラッキーなんだろうと胸に深く思われることです。

初冬に花の色、一度雪を被ったナデシコです。

『ついに速読の本をゲット』

526/10000 2020 10 14
毎週水曜日は、◆読む・書く・話す
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今日はゲットしました速読の本を見てみます。

 このように本がたまる一方です。頼んだ5冊が到着、それと一緒に友達が一袋送ってくれました。図書館からの3冊は貸出期限が迫っています。

今、この28日に始める『しうこばーばの自分史講座』に焦点をあてて、頭を柔軟にすべく本を集めています。

最初に読むべきは、斎藤孝先生の『速読塾』です。では開いてみましょう。

はい、読了しました。A4一枚めざしてまとめてみましょう。

★ 衝撃的に読書の前提が変わりました。

・読書とは、精読して感銘を受けて体系的な知識を得るためのものばかりでは殆どない。
→ こう堅苦しく思い込んでいたから読めないでいたのだ。
読書する時間はいくらでもある。テレビ見ながらでもできる。
→ そういえば尊敬するY先生に電話するといつもテレビの音がしていた。Y先生は在学時小樽商科大学の図書館の本を全巻読破なさった猛者だった。
読書は呼吸を整えてやる。集中力が格段に高まる

・読書の目標は、「要約できて、視点(コンセプト)を持って価値付与をした上で、自分のオリジナルのものとして提示して自分の意見が言えるようになること」である。
 速読と多読の読書技術は個人作業ではなく、ビジネス、研究、暮らしの場で、スピーディに生き生きとした斬新な価値(アイディア)を生み出すために、お互いに必要な技能である。
→ 何のための読書か、にページの殆どがさかれていて、その中にノウハウがちりばめられている

★ 速読のノウハウ

・締切、目の前の切迫感が速解力を鍛えてくれる。その前提に多読速読は必須
→ 自分史講座を開始すると締切を設定することは技術なのだ、と納得する。ストレスではなく歓迎してよいのだ
・目次、前書き、後書きで概略と要点とキーワードを掴んでから読む
・1ページ1ページ丹念に読まなくてよい
・左手でめくりながら自分の焦点にあって飛び込んでくる部分を拾い読みする
・引用箇所を三つ拾い、最重要をひとつ選ぶ。それに自分のコメントを加える
・A4一枚に要約して読書ノートをつくる
・10冊併読する
→ これでいいのだ!
・速音読は集中力と理解力を高める
・英語の速読学習法
→ これならTWITTERの世界中のニュースが読めるようになれそう。


★ コミュニケーションのための読書をしよう、情報処理のためではなく。
 ・知性とは、視点移動ができる「素直さ」である。
・そのためには、速読・多読は深い意味を持つ。多読する人の方が読まない人より、タフで柔軟な考え方ができて理解力がある
 
最後に、一番勇気づけられた今の私が求めていた箇所を引用します。


『物を知っているのと、仕事ができること、あるいは世の中の役に立ったり、他の人と深いコミュニケーションがとれるということは別です。そのためには視点移動力が必要です。
「視点移動」を意識しながら、「速読・多読」を続けていると、人との間で身軽に視点を移動させて、対話する関係が築けるようになります。
つまり、お互いに話してよかった、と思えるような関係がどんどん築いていけるので、ビジネスや勉強の場ではもちろん、友人関係や恋愛においても、
「あの人と話したい!」と思われ、成功を得やすくなります。』

速読・多読の意味がきれいに言葉になって示されており得心して勇気が出てきました。
ノウハウを少しづつ実践してみようと思います。
“ 時間が足りない、できるかな、きっとできる ”と自らを励ましていたところに、時間をつくるノウハウも示され、気が楽になりました。

 2007年に“今までの二倍は生きます”と決意して早13年、100まで生きられるとして3分の1が過ぎたことになります。2倍は生きるとはどういうことなのか、その時はわかっていませんでした。その意味とノウハウが一つまたひとつと示されつつあります。あとは努力の作業あるのみです。

うまくまとまっていませんけれど、これが今日の私の力です。

霜を前にがんばるヒャクニチソウです。来季はヒャクニチソウがもっと居心地がいいようにしてやりたいです。


   

『本からチカラをもらう』

519/10000 2020 10 07
毎週水曜日は、◆読む・書く・話す
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今日は愛する本の話です。

☆ すっかり図書館づいております。
『ご依頼の本が入りました』とご連絡を頂いて、何の本をお願いしたのか忘れています。
返済期限がきたら、パーッと全頁めくって返すことを覚えました。SNSを見ていると読みたい本が次から次へと出てきます。
 

スマホとパソコンに加齢、目がしょぼしょぼになる前にもっと読んでおけばよかった。

★ 私の机の後ろの本棚にないと不安な本が20冊ほど並んでいます。
かれこれ20年前、自己啓発系の本を読んで読んで読みまくりました。そのほとんどが時間と共に不用なものになってしまいました。いつの間にか、根が浅く感じるようになって離れてしまったのです。でも厳選の数冊お役立ちの本が残っています。マーカーと付箋で重たくなっています。私の人生を変えてくれた本です。


★ 最近、ようやく世の中の仕組みに捕えられていた自分に気づかされて、これで円が結ばれた気がしています。
 

白井聡さんの『武器としての資本論』
+斎藤幸平さんの『人新生の資本論』も注文しました。
知は力、です。

★ 開けばきっと励ましを得られる本にまもられています。今日も目当ての本を開くとすッと出てきました、今私が必要としていることばが。本は、Sarahの『シンプルな豊かさ』でその9月9日のページです。
  
  ・・・私達の夢を世の中に与えるのが近づくにつれ、それを生み出す苦闘は激しさをまします。

 まだ転換の最中で何も新しいことに挑戦していたわけでもないのに、マーカーにサインペンに☆(私のシンクロニシティの印です)が3つもついています。
 この1行だけで十分に安心して、次の作業に向かおうとしています。

ファンレターを出したらSarahからご返事を頂きました。2003年。額に入れて本棚に飾っています。
今朝の収穫です。今月の末には、小松菜、ルッコラの小さなコンテナを中に入れます。

『アートという植物』

491/10000 2020 09 08
毎週水曜日は、◆読む・書く・話す
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今日は、この本の最初の54ページまで、ORIENTATIONの部分をおさらいします。





札幌の『作文教室ゆう』様の藤本研一先生の読書会で取り上げた本です。早速図書館にお願いしました。すでに次の方が待っていますので遅れずに返します。

★ 美術を見るのは好きなのです。
でも、とりあえずまず目が行くのは額の下の解説でレッテルを得ようと試み、
見終わってもその表現は、“よかったわあ、すごかった、すばらしかった” 止まりで、言葉にならないフラストレーションをかかえて、来世の希望の職業の一つは、美術(と音楽)評論家と思わぬこともない・・・

 このもやもや感に衝撃の風がさあーっと吹いてきました。この風が大変にさわやかでしかもパワフルなのです。


 “13歳で知りたかった”
が私のキマリ文句で、13歳にはすぐに反応するのです。

★ 以下『』はこの本からの引用で,()はわたしのつぶやきです。

『私たちは「自分だけのものの見方・考え方」を喪失していることに気づいてすらいない』
(そう、13歳の時、私は自分が何を知りたいのか、その言葉を持っていなかった)

『「アーティストのように考える」とはどういうことなのでしょうか?
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
  ②「自分なりの答えを生み出し」
  (そうそう、私はこれがやりたかったのだ!)
  ③それによって「新たな問い」を生み出す
  (おお、ここまでいうか!せめて頭の柔軟性の維持につとめよう)

★ 『「アートという植物」は、タンポポのそれとも違う、不思議な形をしています。』
  (おおっ、my favoriteの “植物” できたぞ!)

空間的にも時間的にもこの植物の大部分を占めるのは、目に見える「表現の花」ではなく、地表に顔を出さない「探求の根」の部分です。
 アートにとって本質的なのは、作品が生み出されるまでの過程のほうなのです。』
(13歳からの60年、根の部分をやってきたんだな。なんかうれしくなってきたぞ。)

『「アートという植物」は、地上の流行・批評・環境変化などをまったく気に書けません。それとは無関係のところで「地下世界の冒険」に夢中になっています。』
(明日この世が崩壊しようともリンゴの木を植える、か)

『「真のアーティスト」はアートという植物にとって、花は単なる結果でしかないことを知っている』
(土、種、苗、由来、栽培法、発見、調べる、採取、植え替え、天気-気温・積雪・雨・風、世話、目肥やし足肥やし・・・確かにそうだ。でも世の中では「地下世界の冒険」を語ることはひいてしまう、聞いてくれないしクサい苦労話はしたくないし)

『レオナルド・ダ・ヴィンチがやっていたのは、まさに
「自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界をとらえ、自分なりの探求を続ける」というアート思考のプロセスそのものです。』
(そうなんだ・・・)

★ アート思考はすべての人に役立ち得る。-ビジネスだろうと学問だろうと人生だろうと、『自分のものの見方』を持てる人こそが、結果を出したり、幸せを手にしたりしているのではないでしょうか?

(わ、勇気づけられちゃうな!)

しかも、『アート思考を取り戻すのは決して難しいことではありません。
「新たなことを学ぶ」のではなく、「13歳」の分岐点に戻り、子どものころを思い出すだけだげでいいのです。
あらゆる些細なものごとを、新鮮な目で見つめ、「自分の興味・好奇心・疑問」に従ってためらいなく行動し、「自分なりの答え」を見つけ出そうとしていたはずです』
(外側の権威とその承認と評価を求めて右往左往するんでなくて、うん、うん、これだよな)

★ 『「VUCAワールド」な現代社会では、
(ん!? VUCAワールド? 変動Volatility不確実Uncirtainty複雑Complexity曖昧Anbiguity あらゆる変化の幅も早さも方向もバラバラで世界の見通しがきかなくなった、ってか。ふむふむ)
 世界が変化するたびに、その都度「新たな正解」を見つけていくのは。もはや不可能ですし、無意味でもある
のです。』
 (ううむ、もやもやするものがあるけれど、この視点はひとつのキモだな。私もノンセンス好きだしな)

 『「正解を見つける力」から「答えを作る力」へ』

『教科としての「美術」の本来の目的は、「自分なりの答え(=雲を“つくる”能力を育むことなのです」

『数学では動かぬ正解を見つけようとする。美術が扱うのは数学と違って「雲」で、雲はつねに形を変え、一定の場所に留まることもない。アーティストが探究の末に導き出す「自分なりの答え」もそれと同じ。』要約です。

(無常が常、インスタレーション、抽象作品、アール・ブリュット・・・あれこれ連想されるな。これって、発想の転換、だよな。びくびくしなくてもよい、っていうか)

『子どもにとっても大人にとっても、今まさに最優先で学ぶべき教科は、ほかでもなく「美術」である
と私は確信しています。』

(何がEXCELLENTか要再考だな。下手な政治活動ではなくて、さまざまなアート活動こそがこの世の全崩壊に拮抗しているのでは?と感じてもいるし)

この後、20世紀の作品をとりあげて、ワークショップ形式で進行します。
(わくわくするなあ)

my little gardenのゴーヤひとつとっても、その由緒には長いストーリーがある。

『声に出して読む』

470/10000 2020 08 19
毎週水曜日は、◆読む・書く・話す ずいぶん範囲が広いですね。
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今日は、声に出して読むと自信がつく実感についてです。

★ 子供の頃、お母さんに『朝読みはしたか?』と(大石田弁で)聞かれて今習っている教科書を開いたものです。(うちの息子たちには、やらねばときになりつつできなかった、気になることのひとつです)明治生まれの母はまだ江戸時代の寺小屋の読み書き算盤の教えの名残があったのですね、と今になって思います。

★ 今の私の朝読みは
  ・村井裕子先生のテキストを繰り返し読む
   日本語の豊かさ、奥深さを少しでも身につけようとしています。
  ・松永暢史先生の『超音読法』に沿って超音読の実習、
これは風呂場に向かってやります。一番体力をつかうトレーニングです。
気力が湧きます、頭もよくなるとのことで期待しています。
数日お留守になると、なまってきたな、と身体が反応します。今年の夏は半月もスルーにな
ってしまいました。




★ 自己啓発本には、“アファメーションは鏡の前で声に出して”とありました。でも声に出すまで何年もかかり鏡の前まではさらに時間を要しました。今では朝イチ鏡の前で自分におはようとウインクします、“きょうも人生の中で最高の一日!”。

★ 声に出して読むとやっぱり違います。自信が湧く、体力が落ちにくい、気力が出る、一朝一夕にはそううまくいきませんけど、それに呆けにくくなるそうです。きっと脳の生理学でも明らかになっているに違いありません。

★ 検索しますとトップに出てきました。
大ベスト・セラー『声に出して読みたい日本語』の斎藤孝先生です。
『本は声に出して読まないともったいない!「音読」のすごい効果 理解が深まり、しかも忘れない』
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66715

 ふむふむ、誰かと一緒に読む行動をとると、いっそう幅が広がり他の見方にも触れることができて豊かになる。
 やっぱりやろう、読書会! 友達と読書会やろうと話していて、別の友達からは読書会情報のコピーが来て、本好きの友達もいる。それにコロナのおかげでナマで人に会うことの良さが実感されて人恋しくもなっているし。読書会も声に出さなければできないし。


準備は万端、後はやるのみ。

『速読するには?』

毎週水曜日は、◆読む・書く・話す  随分範囲が広いですね。コミュニケーション全般を含みます。
今日のテーマは、速読です。

★ 二階の机の上に二冊。朝起きたら下に降りる前に数ページ読む。脳の目覚ましになる。
  手洗いの箱に一冊。集中して読める。
作業用のテーブルに一冊と二冊、作業の集中力が切れたときに1~2ページ読む。
  冷蔵庫の上に一冊、これは片付けるべし。
  聖域のテーブルには5,6冊積んである。
  併読中です。
  本当に知らないことばかりで、一冊を繰り返し読みたくなります。
  『しうこばーばの自分史講座』のための本も溜まっております。

★ 100歳まであと27年、
  読書力を開発しつつ
  一日一冊読むとして1×365×27=9855冊
  1週間に3冊読むとして3×52×27=4212冊


★ 坂口恭平さんは、これは!とカンじた本を手に取り、ぱらっと何気にめくると、おおっ!これだ、これ、という文章に出会うことになっているそうで始めから終わりまで逐一読んだりしない。
 まもなく80歳になる友達の一人は、まず 始めにとあとがきを読み、次に全頁をめくる。気になった所を読む。こちらも時間を気にしております。
 うちの息子たちの父ちゃんは新書なら小一時間で読了、わかった、と抑えた肝腎要を数行で言葉にして満足そうだった。

★ SNSに、速読法の宣伝がいくつか流れてくる。ノウハウにも関心はある。財布にゆとりをつくって受けてみようかなとも思う。
 同時に速読させるものは、どうしても知りたい、絶対に知る必要がある切実さだと思う。大学の卒業論文を書いたときには、多くはない冊数の本を読みこみ、人間関係、年代、思考、資料とどんな質問にも答えることができる気がしたものだ。追いつめられていたから。

★ 一冊の本をまるごと読んでまるごと理解することは不可能だし必要もない気がする。今の自分に必要なことを選び、今の自分が引き寄せる箇所に目を凝らし、さらに向こうから飛び込んでくる未知の数々に驚き、完全は期さない
 自分が何を面白いと感じるか、自分が何を切実に必要としているかに加えての、速読のノウハウではないかな、そんな気がしています。     
 

出会って15~20年以上になります。マーカーで重くなっています。必要があって本棚から取り出してきました。
こちらは図書館から。道立図書館から取り寄せて下さいました。99%未知です。
友達の庭の丹精のユリの花です。くすんだピンクが大好きです。

『ファイリングせねば』

毎週水曜日は、◆読む・書く・話す
ずいぶん範囲が広いですね。コミュニケーション全般を含みます。

今日はこれまた課題のファイリングについてです。

★ 生まれつき紙が好きなこの私、しかしながら、今は紙が見えない生活をしたいものだと切望しております。机の上もあっという間に紙だらけ、郵便物、ブログの印刷したの、ダイアリー、スケジュール・ノート、パソコン・メモ、本。後ろの棚にも整理を待っている紙、紙、紙。それに所属ミニ団体の資料の箱が積み重なっています。この5年の新聞他の未整理スクラップはすべて資源ごみへと決めました。

★ もはやできることが限られているので万般シンプルにスッキリとして暮らしたい。
必要なときにはサッと資料が出てくるようにせねば(あ、今はパソコンに入れるのか?)
頭の中も整理しておきたいわけです。法律事務所さんの資料は揃いのファイルでキチンと並んでいます、当たり前ですね。市役所に行ってもキレイにに整理してあります。

★ ようやくこのブログの曜日ごとのファイルを用意しました。しかしそのあとが一仕事です。約一年分の殆どを印刷して、バックアップのためワードに曜日ごとに貼る(なにか簡単にできる方法があるのかも?過去のものは諦めるか)。教えてもらっていたので初めからやっておけばよかった。

曜日のマジック書きがイマイチですけど



★ 万般ファイリング、お盆までにはメドつけましょう、と自分を励ましています。

★ もう一つ、本があります。ブログを書いていると出典を示したり、確認作業が必要なことがあります。ここに引っ越して以来段ボールに入ったままの本の出番です。こちらは秋分までには本棚に並べましょう。

★ 何もしていないように整えて,頭も軽く身も軽くです。そうなれば掃除もラクチンですよね。道は遠い。ミカン箱二つで引っ越していたこともあったのに。

今年沢山咲いてくれている仮称・エゾミヤマクガイソウ、満開です。