『「しうこばーばの自分史講座」は、地味』

469/10000 2020 08 18
毎週火曜日は、◆自分史をつくろう~今、未来に向かって
このブログのメイン・テーマです。

★「しうこばーばの自分史講座」は、地味です。

“これひとつであなたの人生が180度変わる!”こともありません。ひと目を惹き心躍る大きな表現もないし、目立つきれいでシャープ(そうな)広告も出しません。私の好みは地味100%ではないんですけど、基本、地味です。

★ 信州の山の中の一軒家で暮らした電気、ガス、水道なしの8年半は私の人生を決めた出来ごとのひとつです。息子二人のおしめを川で手洗いしながら聞いた清水平の地母神の声、それは、
 『生きることは、一瞬ごとに “うみ、はぐくみ、わかちあうこと” ですよ』
でした。
 こうして私の存在の三つのキー・ワードが決まりました。

うむ・はぐくむ・わかちあう

この、うみ、はぐくむ技法をお伝えして、あらたな技法を開発しあって、わかちあうこと、
これが私の講座の趣旨です。

★ きっと分かち合える、このえにもいわれぬじわじわとくる深い喜びを、と信じています。これが生きることの醍醐味だと。
  “一生に一度くらい好きなだけ買い物してみたい!”とは思ってますけど、基本は手元足元の小さな喜びにウエイトがあります。
 自らのうちにある泉から水を汲み出しましょう、汲み出さば汲み出すほど湧いてきます。涸れそうなときには待ちましょう。
 そうして自身の軸で考えてアクションする人が一人二人と増えていき、この列島に新しいさわやかな息吹が溢れる日をイメージしています。

今朝のつつましい収穫。何もないように見えても摘んでみれば一日分以上の不思議。

『「しうこばーばの自分史講座」で伝えてわかちあうこと』

462/10000 2010 08 11
毎週火曜日は、◆自分史をつくろう~今、未来に向かって
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いよいよ講座を始めるにあたって、事業計画書を作り始めました。
私の自分史講座では何を伝えて共有するのか?をあらためてメモ書きしてみます。

① 今  ・今日のスケジュール 優先順位 ノート
     ・段取りの仕方
     ・よい習慣をつける  その技法
     ・今日だけは
     ・今日のありがとうを記録、継続、蓄積

② 未来 ・イメージと計画、調整
    ・段取り
     ・子供たちに伝えたいこと

③ ポジティブになる技法
     ・赤ちゃんの一生懸命を取り戻すには
     ・『勇気の言葉集』を作る
     ・何がネガティブにさせていたのか?
     ・私の生きる意味は?

④ 過去 ・時系列で振り返る
     ・人生を決めた出来事、出会い
     ・ラッキーだったこと
      +辛かったこと、そこから学んだこと
     ・家族のこと
     ・学校のこと
     ・職場、仕事のこと

⑤ 自分史をつくる意味
     ・新しい自分と出会う 自分の強みを見つける
     ・記録すること、段取りすることで、
   これまでの少なくとも2倍は生きることができる
     ・自身の軸をつくり、幹を太くする
     ・若者の死因のトップが自殺のこの国で
     『希望』とともに生き抜いて希望が伝わる存在となって
      この国の元気に貢献する 身近なところで小さな微笑みひとつから

 今日は、ざっとこんなところです。揉んで付け加えて推敲してみます。頑張ります。
一方的に教え込むのではなくて、一緒に考えあい、新たなものが生まれる ワークショップ形式でやります。
来週は、そのために勉強することをリストアップします。

今朝のつつましい収穫です。ミニトマト、来年はやっぱり赤も一本買おうと思います。



『困ったときには』

455/10000 2020 08 04
毎週火曜日は、◆自分史をつくろう~今、未来に向かって~
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今日は、自分史の内、『』です。今困っているときにはどうしましょうか?

★ 『何事もない日のありがたさ』を感じることができるようになってきました。振れ幅の大きい出来事への適応能力の低下かもしれないしれないし、中庸の域に達しようとし始めているのか、不明です。
 でも毎日、なにかありますよね。メガネがない、出かける間際に鍵がない、から始まって、あれやこれやと。思いがけないことも向こうからやってきます。



★ 私が必ずキーッとなるのは、自身の真意が曲解された時、自身のテリトリーに侵入して来られた時、一方的に勝手に決めつけられて否定された時ですね。
 イチイチそれをあらわにしていたのでは身が持ちませんから、適宜対応を取捨選択します。

★ 昨日もちょっとムカつきましたね。まあ、動いているうちに紛れたのですけど、次なるシーンに備えて準備は整えておこうとワードに向かって書き始めました。
  風呂に入って熟睡したエネルギーの30%くらい使いました。他に最優先事項が山積してるのにいい迷惑です。 でもすぐ顔に出る単純なタイプなので備えあれば憂いはいささかでも減少してくれるかもしれません。

 書く、そうなんです、書くことが威力を発揮してくれるんです、こんなときには。
(あまりにつらくて耐えるのに精一杯のこともありますけれど。ひとそれぞれ言わずに、言えずに抱えているものがあるかもしれない、ここに思慮を致すことが尊厳を尊重することの大きな部分を占めるのではと思っています)

★ 何を書き出すか? 
  ・まず事実経過 ・こちらの気持ち   ・自分の希望
  ・相手への敬意を忘れない
   自分が間違っているかもしれない、このことを忘れない
    これは書くことによって冷静に湧いてきます。ひとりでカッカしているときにはほぼ
    ムリ。
  ・自分の対処法、改善点。このような場面を引き寄せないための心構え

(弁護士さん、ひたすら尊敬!です)



★ 書いているうちに心は落ち着きを取り戻します。
  次に似たシーンに出くわしたときには感情に翻弄されずに平静でいられる可能性が高くなります。
  今日はお相手さまへの手紙の形で書きました。でもこれを手渡す必要はありません。状況
  全体をみて必要なら小出しにしていけばいいのです。慌てないでね、しうこちゃん!



 こまった時、苦しいときには、紙に書くことで、
   ・冷静になる、全体を見渡す
   ・相手を思いやる、自身を振り返る
   ・次なるシーンの自分のアクションのシナリオを準備する。


  どうでしょう、やってみます?
  それに相談できる人がいたら相談するも〇、話を聞いてくれるだけでも〇なこともありま
すよね。

今日の自分史は、『今、困った時には紙に書き出してみよう!』でした。


 

『これからの世の中をを生き抜くために』

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きょうは、なぜ自分史をつくるのか?についてです。

★ 昨日は、血の気が引いてしまいました。
なんとこの国の超一流の国立大学で教授の集めた歴史資料書2万点をこの国でで引き受けるところがなく、韓国の大学がが引き取ったとの情報にTWITTERで出会ったのです。

その記事はこちらです。
https://twitter.com/shirai_satoshi/status/1287370339651997696

 過去の歴史から学ぶ、これは国を運営するときの基本中の基本です。こんな基本中の基本さえこの国ではすでに放棄されている事実に直面して受けた衝撃は相当なものでした。文化を放棄する、これくらい恐ろしいものはありません。まあ、ここ数年~ここ数か月の現政権の動きを見ていたらそれほど驚くことでもないのかもしれません。

★ 私たちはひとりひとり意識的にも無意識にでも過去の蓄積を踏まえてその場での判断をします。国となるとその規模は途轍もなく大きくなります。だからこそ過去の史料と資料はできる限りファイルして保存することは基本中の基本です。いつ役に立つかわからないものであっても、です。国の過去と現在を見据えて未来をつくろうとするとき、資料は必須です。いつ役に立つかわからないものであってもです。史料の存在がこの国に生きる人々のバックボーンのひとつになります。
  この国は、公文書の改竄、廃棄、隠蔽に加えて歴史資料まで不要とするようになったのです。太平洋戦争に負けた時には役所が公文書を焼く煙が国中あちこちで充満しました。

★ この国の政府のコロナ対策の支離滅裂に私たちは呆れつつ、コロナ感染に対して自衛しています。

『日本は簡単には 元気にならない』
自分史活用推進協議会さんのパンフレットにこの言葉を見たときはびっくりしました。自分一人の出来事と思いを綴ればそれでよい、のではないのだ。そしてそのあとに続きます。
『しかし私たちは信じている   自分史の力を』
『しかし近い将来「時代の先頭を走った開拓者」そう呼ばれる日を信じている』



★ 世のエライ人たちが信頼に値せず、空気中にもおぞましいものが溢れています。
  2015年夏までは、日本は戦争をしないのが空気のようにあたりまえと過ごして来ることができました。
しかしこれからは少なからぬ場面で、まっとうな人生を全うするためには、ある時はかわし、あるときはスルーし、ある時はたたかいつつ、わが身と家族と仲間をまもり、とばっちりを受けないように自衛して、さらにまもるだけでなく、積極的に望む未来をつくっていくことも要ります。


 ★ 私たち一人一人が心ある人たちと共に子供たちをまもり自分の人生をまっとうしようと心から願われるとき、
 紙とペン、又はパソコンに向かって自分自身と向き合い、言葉を紡いでいく作業が、ひとりひとりの人生の基礎の基礎の土台をつくることになり、石垣のひとつひとつの石となる、そんなシーンをイメージしています。

『継続して蓄積する』

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今日は、記録して蓄積することのメリットについてメモします。

★ この春から5年日誌をつけ始めました。F先生のブログで拝見して即マネしたわけです。
何冊目かの10年日記は10年目で 今年の分まだ残っているので両方とも書き込んでいます。10年日記の方は“とにかく埋めねば”でなぐり書きになることが多いです。

この5年日誌のほうは、
 ・中心は、私の ちいさなビジネスの進捗状況です。
 ・具体的な実践記録です
 ・スケジュール ノートの後ろにルーズ リーフをファイルしての手書き手作りです。
このルーズリーフは10年分買ってあります。
 ・勢い込んでつけているのも、“5年後が楽しみ”だからです。どれだけ成長しているだろうか!?

既成の手帳から、やっぱり自家製になってます。

★ 今朝SNSに、素晴らしい少年の動画が流れてきました。
この少年は、全員同じでなければならない学校生活になじめず、ひとり好奇心のおもむくままに取材して取材内容を写真入りで克明にノートに記録しています。ノートは、『ペンギン・ハイウエイ』のアオヤマくんと同じ 方眼ノートでした。17歳の今までの蓄積が何冊もきれいに棚に並んでいます。長い間続けるうちに著名人と出会ったり学芸員さんと友達になったりして世界が、現在進行形で広がっていっているのです。


★『何冊もきれいに棚に並んでいる』
このように継続の結果の蓄積が目に見えていると、うれしくなります。なんかどっしりとしてきます。気持ちにゆとりが生まれてハラが座ってきます。自信になります。
 かくいう私は、今私なりにそれを始めたばかりです。
 ・分身手帳 これは一冊です。いつも一緒です。
 ・ありがとう・ラッキー ダイアリー これはずっと10年は続けているかな。
 ・5年日誌   
 ・家計簿  この夏3年ぶりに復活
 ・『思考』の整理用ノート  問題にぶつかった時用
 ・段取り帳
などなど、それに・毎日のブログの記録もようやくファイルをつくりました。

1年分の整理が待っています。はじめから毎日ファイルすればよかったです。

★ 『自己達成こそは最高の勇気である』
 継続した結果の蓄積が目に見えていたら、目標のポスターと同じくらいの効果があるかもしれません。


 やっぱり一番のキモは、コツコツ淡々、コツコツ坦々の作業=努力だと思っています。地味ですね。(努力のノウハウはこのブログの大きなテーマの一つです)
 単純な繰り返しのうちに、あるときヒラメキがやってきたり、またあるときは新しいアイディアがその姿を見せてくれたりするとき、これだっ!と喜びが湧き上がってきます。(繰り返しについてもこれから何回も登場予定です)

実りはうれしい、どんなにわずかでも。唐辛子、1年分とれるかもしれません。

『幹をつくろう』


毎週火曜日は、◆自分史をつくろう、今、未来に向かって
このブログのメイン・テーマです。きょうは
『自分自身の幹をつくろう』について書きます。

★ わたしは大きな木が大好きです。これまでに見た一番大きな木は屋久島の屋久杉です。今住んでいる場所の近くの公園に大きなポプラの木があります。

 大きな木のそばにいくとほっとやすらぎます。まもってくれているのが伝わってきます。

★ “ 練習も準備もなしに突然舞台の上に放り出されて、なにがなんだかわけもわからず右往左往しているうちに一生が終わる ”
 

 20年前にこの言葉に出会ったとき、これって私のことじゃない!その通りだ、と身に沁みました。これではイヤだ!と感じて、自身の人生の幹つくりを始まりました。

 

★ 『しうこばーばの自分史講座』は
① 今  ② 未来 ③ 過去
と3部で構成されています。

ふだんの言葉で、ちょっとの手間で、
“ステキな自分”を発見して、毎日がクリア・アップされていきます。

 雨風雪にも大きな木は、太い幹でしっかりと立ち幹を揺らすことはありません。大災害のときはこの限りではありませんけれど。
 私達凡人は少しの風にも葉っぱはもちろん、幹まででぐらぐら揺れてしまいます。

 いつの間にか気づいたら、自身の幹が少しずつ太くしっかりとしてくる、そんな手作業を毎日少しの時間で続けてみませんか?

 コロナの様子を見ながら、開講準備中です。

セリ科の花は 全宇宙

『きょうだいで自分史する』

毎週火曜日は、◆自分史をつくろう、今未来に向かって
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★ 私は7人きょうだいです。昭和7年から昭和25年までいます。2番目の姉は亡くなって長兄とは疎遠になりました。
 一番上のねえちゃん(いちばん上の姉ははただ“ねえちゃん”と呼ばれています)と最近、前よりいっそう頻繁に手紙のやりとりをしています。このブログで毎週木曜日にこのところ生まれ故郷のことを書いていてそれを送るとすぐ返事が来るんです。いっしょにサクランボやら衣類やら切手やら、ねえちゃん、ありがとう!。さすが長女、いつまでも困った時のねえちゃん頼みでねえちゃんも困るときもあります。

さて、故郷のことを書いたので、先日二番めのゑい子姉ちゃんと弟の利明君にも送りました。ノートも一冊入れました。何か書いてくれるかもしれません。
そしたら、姉ちゃんが、賢ちゃん(二番目の兄、昭和9年)にも送ったら、と手紙に添えてきました。賢ちゃんにも聞きたいことがいくつかあります。・父との大工修行 ・出稼ぎ先 鬼怒川温泉の現場などです。

★  ねえちゃんからの今度の手紙で思い出したことが三つありました。
① 洪水は、“水上がり”と言っていたこと
② 対象12年の大洪水、ああ、大人たちが言ってた言ってた!
③ “ろうず”、これは路地の意味でしょうか?玄関(というほどのものでもありませけど)から家の中に土の通り道が裏迄通っていたのです。大石田弁と共にあの“ろうず”がさっと甦りました。
 私たちが生まれてもの心つく前もたびたび“水上がり”はあったとのことです。



★ 私達きょうだいも全員70過ぎ、賢ちゃんは85歳です。今のうちです。5人で書きあえば、その時の思い、知らないことがたくさん出てきそうです。
昭和20年代、出稼ぎ先からの葉書には家族間のおもいやりが書かれていました。兄二人にも面倒みてもらったものです。その後昭和35年に県庁所在地に引っ越して、我が家もそれなりに高度経済成長政策以降の時代の波をかぶることになります。
残った5人で書きあいながら、悪口言いあいながらでも、あれやこれや共有しあって笑いあえればと願われます。
 一人で書くときと違って、グッと幅と広がり、重なりが幾重にも交差してきます。

賢ちゃん、姉ちゃんのとこでも取れていることでしょう。北海道でももう3本は食べましたよ。

 

『明治の女性たち』

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今日は、島本久恵刀自の『明治の女性たち』について書きます。

★ 奥付けを見ると、初版は昭和41年、1966年、かれこれ55年ぶりに私はこの本を手にしています。

 島本久恵刀自は1893年のお生まれでこのご本のあとがきをお書きになったのが1966年、その時私と同じ73歳でいらしたことになります。較べるのも憚られることですけれど、私はこの先も刀自と呼ばれることはなさそうです。

 この本は、出会って以来いつも私の身体の中にありました。私の人生を決めた本の一つです。ずっと手元にほしいと願っていました。『しうこばーばの自分史講座』が私のメインの課題と決まってついに手に入ることになりました。息子からのプレゼントです。

 自分史講座のために、伝記・自叙伝など100冊読むと決めています。その筆頭に来るのがこの本です。

★ この本は、島本さんが、幕末から明治、大正、昭和にかけて活躍した女性にインタビューし、お話を伺ってお書きになりました。女性に選挙権のなかった時代に、凛として自身の生き方を貫いた素晴らしい女性たちです。
 登場する主な女性は、東京女子医科大学を創設した吉岡弥生、女優の東山千栄子、新宿中村屋を創業した相馬黒光、歌人の與謝野晶子、自由学園を創設した羽仁もと子、などなど錚々たる方々です。

★ 『明治』とはいかなる時代であったのか、そのもっとも素晴しい面を、苦闘に次ぐ苦闘を重ねて体現した女性たちです。「昭和のいまの物と人をもってはくらべもつかない若々しさ瑞々しさで、」です。令和のいまではいかがなものでしょうか?というだけ野暮でしょうか?

 島本さんの筆致は、毅然として、二番手の毀誉褒貶に揺るぐことなく、その人の真実に迫るべく、真実には骨太、仔細には配慮繊細です。その両性具有な書き方は私のお手本となりました。

「老いの身とはいえ吉田妙は、心憎いほど女のなよびを離れ切っていた。・・・対座のあいだ余事が一つもまじらないのは、年の高い人の威だけのものではないようであった。」

★ 「それでは、深い印象でいまも目にある、その忍耐が無量の重さで示されていた刀自のおもかげは、下の下にも語らぬものをおししずめていて定まったもので、・・・」(『森有禮夫人のこと』)

 このページを再び目にして胸がいっぱいになりました。以来私の生き方の通奏低音の一つとなったからです。他者と接する際にもです。

★ あとがきには、これから私が自分史講座で皆さんと接するときの姿勢のお手本が示されていました。

 「そう考えてくると、仕事を中にした場合の人と人の責任のおもさ、誠実を尽くしてようやくそこに探りあたる一点があり、もしお互いがちょっとでも気をはずして話のはこびを弾みにまかせたり、自分の好みにひきつけるとか書くのにらくな方向を取るとか、何にしても仕事の苦しさに負ける弱さがどちらかに出たなら、求める真実はその瞬間に失われてしう。・・・つらい仕事というほかない。」
 「ただ、私は人間が好きであった。人間のすることや考えることや、それが備えている欠陥や、あやまりや、またその一念の不可解や、愛情や、要するに人間のすべてが好きで、だから、つらくてもつらくても、好きなものから離れなかった、そういえるのではなかったかと思う。」

TAKE IT EASY,リラックスも大事、リラックスだけでなく一つのスジを通すのも大事です。

★ 55年ぶりに島本久恵著『明治の女性たち』を手にしてひとつ安心立命を得ているいる私です。


『ルーティン・ワーク表をつくってみよう』

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今日は、● 自分史の今・未来・過去のうち、です。
テーマは、一度『ルーティン・ワーク表をつくってみよう』です。

★ イチロー選手は、きっちり一日のサイクルを管理していました。一日のサイクルが明日につながっているから、と言っておられました。いつかテレビのドキュメントで見ました。

★ いかがでしょう、一度ルーティン・ワークを書き出してみませんか?

例 私の朝です。

① こんにゃく湿布ー起床4~6時ー布団を上げる。所要時間は12分
② 歯を磨いて白湯を飲む 6分
③ ストレッチ、ダンベル体操ー太極拳ーボイス・トレーニングー瞑想 60分
  又はスロー・ジョギング
④ ブログ当日分推敲 アップーワードに貼るー印刷・ファイル 30分
  ブログ明日の分下書き 60分
 ・③と④を交替してもよい
④ 8時 朝ごはん 21分

朝イチで一仕事おわしてしまおう、という魂胆です。
そして、8時半~11時前で最優先の仕事を片付ける (に向かって努力中です)

● 昼 
11時 昼ごはん・台所仕事 含洗濯ー昼寝
13時 日誌 スケジュール記入・確認 掃除 30分
13時30分~ パートタイムの仕事週五日(減らしてこの冬前に止めるように計画)

● 夜
パートから帰ったら 片付け・足湯・ボディのケア・本・就寝~9時半遅くても10時
パートない日は、読書

● 外出の前
・大きな外出は、前日準備 当日確認
・行き先と買い物のメモ

● 外出から帰ったら
・片付け 即ファイル
・買い物があったら 即記帳

まだこの通りできているわけではなく、からだのノリに左右されながら努力中です。
+アドリブでかえって集中できて能率があがることもありますしね。
随時調整を加えて柔軟にやっていきましょう。


★ 一度、ルーティン・ワーク表をつくってみませんか?

今の自分を確かめることになりますよ。
毎日の自分の軸があるとその分、スッキリします。
書いたとおりにすぐにはできなくても大丈夫、すこしづつ、すこしづつで。

子育て真っ最中は、とても自分どころではありませんよね、100%以上子ども子どもで自分ななんてどこへやら。そんなときには、“ま、いっか、今日は一日何事もなかったし” 


★ ルーティン・ワーク表は
自分の『分身手帳』に書き入れましょう。
与えられた時間を2倍に使える工夫をしてみましょう。





『山の畑 の続き』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて

今日は、・母の来し方を振り返る の内、先週の続きで、“山の畑のこと第二部”です。

というのも、山形の姉に先週の分を送ったらすぐ返事が来ました。そこには、私達、7人きょうだいの下の方では知らないことがたくさん綴られていました。

私は胸がいっぱいになりました。ひとりでぼそぼそ書くよりも複数になったらこんなにふくらんで豊かになるんだ!と大いに感動しました。

では、いちばん上ののり子姉筆の 山の畑のことです。

(うちでは一番上はただの姉ちゃん、二番目はてい子姉ちゃん、3番目はゑい子姉ちゃんと呼んでいた)

★ 山の畑行ってみたいですね。(今は)大石田ゴルフ場になり近くを高速道路が通っています。

・山の畑からアメリカ軍のジープが通るのがみえました。(当時神町に進駐軍が駐屯していた。最上川にピクニックに来る家族がいた)

・秋には大きく太く育った大根堀りで、そんな時は夕方おそく八時すぎ帰る。山の畑まで(一日に)二回も行った。両親と兄でした。私は三名の妹を見ていたのかしら。洗った大根をあんで十本づつ戸棚の上の太い黒い丸太ににいっぱいつるす。

・賢ちゃん(二番目の兄)が中学を卒業して(山形工業高校に合格したが進学できずに)父は出稼ぎにつれて行った。(四の五の言ってる場合ではなかったのだと思う。下に5人の弟妹がいるのだ。高度経済成長時代にあたった私はなんと能天気だったことか)

利明一才、母が畑へ行くので中学校に居る私のところに利明を置いて行くのでした。

・今宿の道を上り線路こえてずーと登り道より左へ入る。くじ引で一番奥が(当たって)荒木さんが開墾した。一反歩。太さ30cmも有った松の木を切り根をイロリで燃やす。

・カユイカユイ。父母兄が夏に毛虫,カイガラ虫にササレ キンカンをつける

・もちつき橋(最上川の支流の朧気川にかかっている橋)まで道が下りだった。(ああそうだった、もちつき橋の新町側の立ち上がりは、そういえば坂になっていた、と鮮やかによみがえる)母はリヤカーに乗せられた。止まらなくなってふり落ちた。(肩を骨折した)

・(それで母が国鉄とバスを乗り継いで谷地の骨接ぎに行く日には私達の面倒を見に)停車場(大石田駅の近く、ということで)のバアさん(おふじさん)が来てくれたのですね。母は私に知らせることせずに(のり子姉はすでに山形の理容店に住み込みで働いていた)心配かけずに強い母でした。

昭和20年代、1950年代の話です。

★ 更にもう一枚、当時は用を足すのに何里も“歩いて”いたエピソードの数々が便箋に書いてありました。これは来週のお楽しみ、ということで。

最上川と大橋です。我が家はこの手前にありました。今は堤防の真下になっています。