『ようこそ、新年!「新生日本・起死回生プロジェクト」』

605/10000 2021 01 01
毎週金曜日は。◆望む未来を、今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、と言っていられなくなった政治のことあれこれです。

 新年おめでとうございます。
 今年もよろしくお願い申します。
 私は去年の今頃とと比べたらだいぶ元気を取り戻しております。体力とトシと相談しながらできることをやっていこうと思っています。非力微力承知の上で、です。
 今年は衆院選勝利政権奪取をはじめとして,何とかして押し返していきましょう。
 搾り取られている税金が、税金をを出している私たち、民の暮らしといのちのために使われる、まともな政治を取り戻していきましょう。私たちは、蹂躙の対象としていきているのではありません。私たちは、なるべく穏やかに生きるために生きているのです。

 新年を迎えて、『新生日本・起死回生プロジェクト』を再掲します。去年コロナのおかげでペースダウンできて思案し続けたことに少し加筆しています。

        =新生日本・起死回生プロジェクト=

① 思い切り最悪の状態を想定してみよう、
  今いやだなと感じていることをリスト・アップしよう
  それと対で
私たちの望む今と未来を描いてみよう

② 私たちはどのように生きていたいか?
      なぜ生きているのか?
  他者とは何だろうか?
  社会とは何だろうか?

③ この国の歴史を知ろう。今に生かせることはないだろうか?
太平洋戦争敗戦後~ 明治維新~ 検地刀狩り、鎖国~ 
  中世 ~ 古代~ 縄文VS弥生~

④ 日本国憲法、立憲民主主義、国民主権・基本的人権・平和主義
、について知ろう
  その限界、この国独自のやり方についても考えてみよう

⑤ この国に生きる私たちの誇りとは何だろうか?
  国を愛するとはどういうことだろうか?

  自分・コミュニティ・地域・行政単位~国から考えてみよう


⑥ 私たちは今のままでいいのだろうか?
  私たちの望む今と未来の実現のために
  私たちは、何をどうしたらいいのだろうか?

  先達に敬意を払おう
  今、足りないものは、課題は何だろうか?
  アクションにはどんな方法があるのだろうか?
  忙しい暮らしの中で暮らしの一部として行動するにはどうしたらいいのだろうか?
  

⑦ 自分自身の言葉を持とう+話し合おう
  +ファシリテイションしよう+エンパシーを鍛えよう

  違う考え方、感じ方を尊重しよう

⑧ プラットフォームをつくろう
   定期開催する 記録する アクションする 蓄積する 

 ★よかったら、これをたたき台にして、おひとりおひとり、それぞれのグループ、コミュニティ、団体でどんどん自由に加筆調整して下さいませ。

 ★十勝管内の方、お声がけくださいな。原則一回だけ出向きます。おひとりからでOKです。おひとり800円+お気持ち(イベントに備えてプールします)交通費ご負担お願い申します。

 新しい年、2021年がよい年になりますように!心から祈っております。
      

 

元日の料理が揃いました。赤かぶと蓮根を忘れました

『活動家Sさんの投稿にコメントする』

598/10000 2020 12 25
毎週金曜日は、◆政治は身近・気軽に政治
苦手、と言っていられなくなった政治のことあれこれです。

金曜分を日曜日に書いています。
今日は、FACEBOOKのタイムラインに流れてきたSさんの投稿にコメントを入れました。

◆ Sさん(男性 約40歳)の投稿
『泥のように沈殿した疲れで思うように動けない自分にくそイライラする。
活動や人民新聞か倒れてるかの生活これから休んで変えねばならない。
写真?料理?雑談?意見?みんなよく書く余裕あるな。
もう壊れた生活と心身はうんざりだ。
俺は声を上げない日本人や忖度社会の人身御供か?
個人のしわあせにとつて何もいいことがないのはそろそろ限界だろう。』

◆ 私からのSさんへのコメント
『 私は2015年夏~秋は毎日、そのあと週一、二年ほど二人であとはほぼ一人でスタンディングしてました。園さんと違ってもう70過ぎて週5日パートしながらでした。→疲労蓄積で今年の2月から街宣は休んでいます。
加えてコロナのおかげで身体を休めて考える時間ができました。
全国一斉3000万非暴力デモやりたい気持ちはやまやまです。
なぜこの国ではそれが起きないのか、何が足りないのか、どうすればいいのか、思案が続いています。
Sさん、ご自身をも大切に、時には愚痴り、休みましょう。義務感、使命感を肩から下して、わーっとおいしいもの食べて好きなことしましょう。運動のほかに好きなことありますか?40歳過ぎると、ミトコンドリアのエネルギー生成力がドーンとダウンしますから『自愛』を始めても恥じることはありませんよ。
 相手のペースに巻き込まれて同じ土俵に足を踏み入れてしまうことを常に警戒しています。  明日図書館に返す本の中の一冊、鶴見俊輔さんの『言い残しておくこと』、かみしめながら読みました。鶴見さんの基本スタンスが“I AM WRONG”であったと知り、ひとつ解放感を得ています。
 たっぷり休んでよいお年を!
                この国の起死回生をあきらめることができない一人です。

モミの木とカシワの木です。

『今どう対応するか』

591/10000 2020 12 18
毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、と言っていられなくなった政治のことあれこれです。

 今日は、この政治状況にどう対応するか?がテーマです。
 といっても何をやっているわけでもなく、毎日SNSでニュースをリサーチ、自分のグループで拡散しているくらいです。今年の二月から疲労蓄積のため週一30分の一人街宣を中止しています。その直後にコロナと来て、大幅にペースダウン、おかげで考える時間が出来ました。この間に考えた『新生日本起死回生プロジェクト』を簡潔にまとめて年内に印刷する予定です。

 “全然私達民の方を見ていないんでないの?税金搾り取られているのに
 文化の凋落、人倫の退廃とどまるところを知らず
 子どもたちが心配、このままではいけない”

 本音は、コロナものかは列島一斉3000万非暴力デモをやりたいところです。50年前なら日本列島デモの渦である、テキもさるもの、それを上回る場をつくるにはどうしたらいいのだろうか?

 ① 正面切って反対行動をする  デモ 街宣 
 ② SNSアクション TWITTERデモ 拡散 内閣府他にメッセージ
③ 衣食住育児に気を配り暮らしを丁寧にいとなむことで自分の意志を示す
④ 一回り大きな視点と創造性を発揮して臨む未来を今つくることが出来ている人々がいる
⑤ 社会運動  福祉 労働問題他
⑥ 既存の政治表現にみずからの場を見出さない、でもこれではダメだと思っている人々

⑦ 今の政権を支持する人々
 ⑧ 無関心無投票層

 この国の立憲民主主義はこれからだ。その種を蒔き根っこから一歩一歩作り直していく地道な作業が必要だと思う。最低100年後3世代後を見据えてわいわいこつこつやって次世代につなげていく、いざとなったら先手を打てる、そんな場が全国津々浦々にできないものだろうか?『新生日本・起死回生プロジェクト』で声掛けしようと思っている。なかまたちと相談しながらやってみよう。(これ以上課題は増やせない、トシヨリの冷や水に要注意)


 

自信、やる気、やさしさ、沁みるなあ。

の”

『政治活動にマーケティングを導入する』

584/10000 2020 12 11
毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、と言っていられなくなった政治のことあれこれです。(金曜日の分を日曜日に書いています)

 今日は、『政治活動にマーケティングを導入したら面白いしそれは必要だ』、このことを考えてみます。

 生きることってビジネスだ、そう悟ったのは、一度自営業をやったときのことである。あまりに無知が過ぎてで炎上したのも無理はない。
 自分たちがこれだ!と自分の信念をかけているものを儲けが出るくらい人に伝えること=マーケティングで月末と年末を心ゆっくり余裕でやり過ごすことが出来て、買ってくれる人々の幸福に貢献できている、これがビジネスでの勝利である。
 
政治活動をビジネスとするなら、必要なことは何だろう。

1 列島の隅々までネットワークを張り巡らして金のルートをガッツリ握って離すまじとあの手この手清濁濁濁併せ呑み執念丸出しでやってきた方々はまことに逞しくなかなか負けることがない。
 この執念と勝ちぐせを、私達いわゆるリベラル派は、まずパクるべきである。
 
 戦争をさせない、搾り取られている税金の配分を私物化させずに公平に分配する、教育と文化を守り育てる、子育てが何の心配もなくゆっくりできる、個人の尊厳を踏みにじることを許さない、などなどがリベラル派の願いであり主張である。私達は生きるために生きている。魂を含めて殺されるために生きているのではない。

2 次は情報戦略が大切だ。コマーシャルである。これについては何回か書いている。
一目でわかる、共感を呼ぶ、希望が持てる、投票に行きたくなる、選択と回答を強制しない、そんな表現をできる人にやってほしい。
 表現の次は伝達手段だ。文科省の管理教育とマスメディアの退廃の情況の中でそれを凌ぐには、結局どぶ板のようだ。大阪の“都構想”住民投票ではそれが功を発揮した。

3 ビジネスでもいいし、いのちを守りはぐくむ子育てといっしょでもある。なにせ大量の作業が必要だから。ポスター貼り、ポスティング、メール、葉書、手紙、訪問、請願、議会傍聴、議員ロビーイング、パブコメ、内閣府への意見etc.
この大量の作業を暮らしの一部としてなるべくストレスなしに、まつりごととしてわいわいできるようになるには、なぜ、何のためにを共有した人数とチームワークが必要である。

4 諦めないこと、諦めないことに加えてやり方を必要に応じてどんどん変えて行く柔軟さも欠かせない。

 でかく見える瘡蓋に覆われて勝ちぐせをつけるのも容易ではない。でも愚直にやっていくほかない。まったく揺るがない諦めることがそもそもできない人々が列島中で頑張り続けている。鮮やかに論理を展開して正面から論陣を張る優れた人々もいてくれる。そして目の前に子どもたちがいる。

 政治活動をひとつのビジネスととらえてマーケティングを導入したら、これまでの限界を超えた有効なアクションができるに違いない。思いと願いをどうやって具体的に現実にしていったらよいか、コロナのおかげで時間が出来て春以来思案が続く。体力と時間ががもちょっとあったらな。

いつもの場所、今朝です。



  
 

『心ゆくまで話を聞きあいたいねえ』

577/10000 2020 12 04
毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、といっていられなくなった政治のことあれこれです。

金曜日の分を日曜日に書いています。
今日の午後、ばあちゃん3人でよもやま話をしました。65歳 71歳 73歳の3人です。
そのうち政治のことをピックアップしますね。

“顔を合わせて話したかったよね”
“うんうん”、から始まって・・・

「酷いよね、今の内閣総理大臣、前よりもっと凄いよね。
私達は危機感募らせているけど、
10代、20代、30代、40代の若い人たちって、どう思いどう感じているんだろうか?、
いまのままでいいと思ってるのかしら?それが知りたいわ。お話を聞きたいな。」
「そうね、平成生まれの人が30歳超えているわけでしょう。私達戦後民主主義世代と全く違ってるみたいだし。」
「50年前なら、日本中がデモで溢れかえっているよね。
若い人たちの声がほんとに少ないもんね。マイノリティだけどもちろんいるんだけど」
「若い人が出て来てくれるとジジババ俄然元気、だもんね」
「戦後民主主義年金世代中心にねばり強く全然あきらめないで行動を続けている人が全国にいるしね」

「公教育の現場では〇×式の管理が強くなって、現代史、憲法も教わってないらしいよ。
平成の30年でまったく変えてしまったみたい。その上、マス・メディアも批判をキッチリしないし、テレビなんて殆どだめだしね。」
情報の伝え方、きっとあると思うの。
民度が高くないのはホントだと思うけれど、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう、
公教育、マスメディアを超える、表現とその伝え方があると思う。
論理はさておき、肌身に直接入ってくる表現も必要よね。
一目でわかって、共感が湧いて、希望が持てる、そんな表現ね。
生活が楽でないのは、税金の使われ方=政治がこんな風に勝手なことやってるからなんだ、ともう一つ、イヤなことはイヤと言っていいんだ、って伝えたい。」
「うん、無関心無投票層の100%でなくていいんだって、その15%に伝われば押し返すことができるらしいよ」
「そうね、戦後民主主義年金世代の表現と違ったやり方、表現が待たれてもいるよね。」

「安心してなんでも話せる集まりがいいよね、何を話しても傷つけられない。
誰だって間違うし。」
「その限られた時間を有効に使うやり方があるのよね。お若い方々はきちんと仕切ってうまいわよ。ファシリテーションもやってるし」
「そうだよね、〇×を摺り合わせてもっといい新しいものを生み出すことが必要なんだものね」

「このままじゃ死んでも死にきれない」(これは戦後民主主義世代の、いわゆるリベラル派の共通認識だよね)「うん、殺しに来てるもんね。」


「年内は無理としても年明けにはひとつ場がつくれないかな」
「トシヨリだけ集まってもダメよね、若い人たちと一緒でなくちゃ」
「そうそう」

 コロナのおかげで骨休めできたのはメリットでした。政治はご飯といっしょ、そんな感じでお子たちといっしょに一度集まってみたいですね。いかがでしょう?

緑はノラニンジンです。

『なぜ女は元気なのか?』

670/10000 2020 11 27
毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、と言っていられなくなった政治のことあれこれです。

今日も元気ながんばる女性たちに登場してもらいましょう。

★ 佐賀県鳥栖市の市会議員、牧瀬昭子さんからビキビキ元気な『月刊☆あっこ』がやってきました。あっこさんはたこやきやのおかみさんです。

たぶん30代、思う存分動けますよね、たのみますよ!

登場する方々の息づかいが紙面から伝わってきます。

ごみ処理場問題、鳥栖市でも十勝と同じようなことがあるんですね。朱色のブレザーがバッチリきまって、いのちを守るんだという姿勢全開です。
映画会の案内も。見たくなりますよね。

あれこれ思案はするものの足元の地元の行政のこととなると殆ど無知なこの私、ひたすら尊敬!です。帯広で支持している市会議員さんは女性で最近相談にのってもらったりお尋ねしたりしてお世話になっております。

★ 続きまして、こちらは沖縄列島宮古市の元市会議員の石嶺香織さんです。ウソを書かれて名誉棄損で産経新聞を訴えました。その記者会見にサポーターとして参加のお二人は、望月衣塑子東京新聞記者とジャーナリストの伊藤詩織さんです。もううるっときてしまいます。詳しくは香織さんのご投稿をどうぞ。写真も載っています。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1472300509640731&id=100005823876281
香織さんを支援する会もできました。応援しています。

★ 『日本は今後更に悪化するだろう』というのは男性に多いですよね。確かにそれはあるし、現実を直視するところから始まるのではある、しかしなあ、それだけでいいわけないのにそれだけではあんまりだ、と反射的に反応してしまう。
 なぜなら、目の前にこれからの子どもたちと若い人たちが生きているからです。
 男が持っているのは半島で、女は身体の重心の近くにいのちを産み出すまるい島を持っている、赤ちゃんを抱っこしたら何が何でも絶対に生かそうと身の内から湧いてくるものがある。簡単にはあきらめない。

★  かれこれ30年前、泊原子力発電所が稼働し始めるというので全道で反対行動が盛り上がったとき、私達は子どもたちを引き連れて毎週、泊、札幌迄駆けつけました。あと30若かったらななどぼやきつつ体力と時間と相談しながら今私にできることはなんだろう、ともどかしくも思案を続けています。

こちらは昨日の青空、空と雲が回っていました。

『鶴見俊輔さんの “I am wrong” について考える』

663/10000 2020 11 20
毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、と言っていられなくなった政治のことあれこれです。

今日は先週に引き続き、鶴見俊輔さんのこの言葉について考えます。

私にとって大事なのは、you are wrongの宗派に対して同調しないことがひとつですね。それに対して私の立場は、基本的に、I am wrongなんです。

★ 現政権のありさまは刻々と凄まじさを増す一方で、こんな空気の中で子どもたち孫たちが生きていかねばならないとしたら、と爺婆どもの嘆きと危機感はは半端なものではありません。この状況の中でつらつら考えてばかりいるのも如何なものかと思いつつも、NO!と声を実際に上げる人々がこの期に及んでもなおマイノリティなのはどういうことなのか?と頭がひとりでに動きます。

 確かに私も心身を休めつつ (おかげさまでだいぶ回復、つぎは時間の捻出が必要) 次の手をひねり出そうと呻いてもいます。現政権の意識的無意識的な情報戦略、追随するマスメディアの退廃、公教育の破壊ががっつり功を奏してもいるでしょう。しかし、大阪では“都構想案”が住民投票で否決されました。現地には行かなかった、でもSNSからでも、どぶ板の必死な熱気は十分に伝わってきました。やればできるんだ!大阪の人々は、維新が悪いと天に向かって吠えるだけでなく地を這っての口コミ大作戦、背水の陣だったのです。

★ さて『私の立場は、基本的に、I am wrong』とはいったいどういうことなのか?私なりに考えてみました。

・相手のせいにしない
 こちらの力が相手よりも不足しているから負けると認識している
 相手を凌ぐチカラをつけるにはどうすればいいか、を考える
 相手の土俵に立つのではない方法で。
・自分は間違っているかもしれない、知っていることよりも知らないことの方が圧倒的に多いと知っている。だから相手を劣っていると馬鹿にしない、言葉使いに相手の尊厳を尊重する
 当然、排斥しない、分断しようとしない
 常に未知を知って学ぼうという姿勢
・だからこれまでの常識を超えた発想、アイディア、融通性、感受性、センスを生み出す必要がある
・相手が死を迫ってくるときには、当然拒否を示す。尊厳、魂の死を含む。

★ NO!と声を上げる人々が、3.11以降でさえも~この期に及んで、なぜマイノリティなのか?
この国ではまだそのための場がつくられていないことがひとつの要因だと思います。
私達は殆ど、ざっと思いつくだけでも、以下のようなことを知り考え考えあう機会を持つことがなかったのです。

・私達はなぜ生きるのか
・私とは何か 他者とはなにか
・社会、世の中とは何か

・政治とはなにか 権力とは何か
・人権、個人の尊厳の尊重とはなにか 
・マスメディア、SNSの情報選択をどのようにするか

・この国の歴史を知る
 外国に対してやった悪いこと 外国の貢献したこと
 国家権力と一般庶民との関係の歴史
・私達の誇りとは何か、国として、地域として、個人として対外的に誇ることが出来ることとは何か。必要ならばそれをどうつくるか

★ 自然療法では、病気にならないように身体をつくり、つまり健康のための場をつくっておいて、病気になったら対症療法、手当をします。
 今この国は満身創痍、桶のタガが飛び散った状態です。対症療法を急ぐとともに、
哲学・倫理・社会・政治・歴史・コミュニケーションを、10歳の子どもが一回きいてびびっとわかる表現で話し合える学びあえるそんな機会をつくっていきましょう。
 そんなのんきなことをやっている場合でない、と慌てないで腹を据えていきましょう、と自分にに言い聞かせています。
 そのとき、鶴見さんの “I am wrong” は、ひとつのキーポイントになるに違いない、と思っています。
世界で最も穏やかにくらしているというデンマークの人々が共有している言葉を来週再掲しますね。

東の友達のとこでもらってきたオトギリソウです。何回も枯らしてしまったので大切に鉢に植えました。来年の芽がスタンバイしています。

『私達の課題ー鶴見俊輔さん「言い残しておくこと」から』

556 /10000 2020 11 13
毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、といっていられなくなった政治のことあれこれです。

 今日は、鶴見俊輔さんのご本『言い残しておくこと』(2009)からの抜き書きメモです。鶴見さんは私達が今直面している課題をつとに洞察なさっておられます。では、

① 私にとって大事なのは、you are wrongの宗派に対して同調しないことがひとつですね。それに対して私の立場は、基本的に、I am wrongなんです。

② 明治元年から明治38年(1905年)までは相当の自制心が、新政府の功労者たちに働いていた。ところが日露戦争に勝ったとたんにそのたがが外れ・・・指導者側も国民も抑止力を失った。そのときから昭和の種が蒔かれたんですね。・・・それからの長い衰退は、これからも続く。その中で、自分個人はどうして生きられるのかという問題がずっとあるんです。(2004)

 (明治維新以後から今に至るまで)つくる力とつくられた力、つくる人とつくられた人とはちがう。

④ そもそもベ平連というのは、まちがい主義なんです。まちがいからエネルギーを得てどんどん進めていく、まちがえることによって、その都度先へ進む、・・・こういう運動の形というのは、日本では明治以降の百数十年間おこらなかった。それまで日本にあった反権力の運動というのは、ほとんどが・・・あくまでも自分たちが正しいと思っているから、まちがいがエネルギーになるということがない。

⑤ 私にとっても、あの状態の中で、(太平洋戦争が始まって日本に返され徴兵されて)なぜ国家権力を巻き返すような運動を組織することができなかったのかということは、いまでも基本的な問題なのです。
(1960年の)安保の強行採決に抗議するという行為は、戦争中の反戦運動が国家権力に対してトータルに対決したのとくらべれば、やはりもっと部分的な問題になってきていると思うのです。(1967年)

⑥ ベトナム戦争にいやけがさしてアメリカ軍をすてた脱走兵をかくまうという一見ラジカルな行動にしても、・・・その9割までは脱走兵援助で知られるべ平連などと無関係な日本の人々によってなされているのだ。(1968年)

 無党派の集結という似たような仕方で参加している人にたちによって、(これまでの行動の遺産を)範疇的に積み上げてゆくことがどの程度可能かという問題についていえば、私には人間にはそういうことはむずかしい、というので絶望している面があるのです。
積み上げようと努力してゆけば、それが積み上げられなくとも、ある程度の痕跡は残るであろうというふうな、いわば度合いの思想というところにいつも落ちつくんですよ。(1967年)

⑧ あの長い戦争の中で、70代、80代の老人の何人かは、戦時10代の私をとらえていた恐怖感にとらえられてはいなかった。それぞれ、日本の国の形のさだまらぬうちに生を受け、この国をつくりかえるために生涯努力した。

⑨ 歴史のなかに自分のやったことがきちんと入っている知識人が何人かいる、そういうふうには歴史を見ないのが天下の大勢ですよ。

⑩ 「抵抗運動、つまりゲリラは、同じ手を二度つかえない」(武谷三男さん)繰り返すことはできない。まったく新しい手を考えなきゃいけない。同じ手をやることはできないんですね。どんなに小さい運動であっても、そのなかに工夫があって、まったく新しい手がそのなかにあるんじゃないと続けられない。どうも、日本の戦後60数年の権力反対運動は、それとは違っていますね。(2007年)


★ 2015年夏安保法制以来追われつつ私なりに頑張ってきて、年齢もあり息切れがして週一のほぼ一人スタンディングも2月から休んで、コロナのおかげもあってあれこれ思案が続いています。
 鶴見さんの言葉には、新しい知識に目が開かれつつ、おおいに共振が湧きます。日本では、権力反対運動は、これまでの行動に敬意を表した上で、まったく新しい表現が待たれていて、まだ始ったばかりで、これからだというのが私の思いです。
 2015年以降、これまでになかった創造的なアクションに注目しています。面白くて笑えてこれぞ庶民の底力と手を打つ表現も次々と出現していて、真摯にコツコツ地味に継続している同志も全国にいます。数はたしかにマイノリティではあるけれども、まだまだめげるには早過ぎます。
 時間、体力、脳力に加えてIT力とセンスにも限界があるので言うだけの人になるのを警戒しながら、戦争だけはイヤ!個人の尊厳の蹂躙もイヤ!国家権力に税金を無駄遣いされるのはイヤ、文化が低劣に堕するのはイヤという思いだけは一人前で、あくまで希望にフォーカスしようとしています。

冬を一緒に過ごすセロリとパセリです。もう家の中に入りました。

『清末愛砂先生のアフガニスタン・レポート』

549/10000 2020 11 06
毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、といっていられなくなった政治のことあれこれです。

今日は、この4日の清末愛砂先生のお話のㇾポートです。

 清末愛砂先生は、ご専門が家族法、憲法学、アフガニスタンのジェンダーに基づく暴力、シンガポール家族法、DV法制他で、室蘭工業大学大学院准教授でいらっしゃいます。
 主催は清末先生のご本『ペンとミシンとヴァイオリン』出版記念実行委員会さんです。大きな集まりは2月以来とのことです。



 清末先生の真っ直ぐな姿勢には背筋が伸びる思いでした。
 清末先生の夢は『過酷な状況にありながらも、諦めずに字や音楽や絵を学び続けてきたアフガニスタンの子どもたちとともにヴァイオリンを弾いたり、スケッチをしたりして楽しむこと、それはすべての人々があらゆる暴力や貧困から解放され、心から安心できる生活の実現なしにはできない。いつの日かアフガニスタンで美味しい料理を囲みながら女性の人権の確立を目指して闘ってきたメンバーと一緒に平和で民主的なアフガン社会の〈継続〉をしゃべり疲れるまで語ることです。』

 アフガニスタンは非常に過酷な状況に置かれ続けて来ている
1979~1989ソビエト連邦による軍事侵攻 ~激しい内戦~1996ターリバーン政権の樹立~2001~アメリカ、イギリス他による軍事侵攻~旱魃~内乱~現在に至っている。
 現在は、治安の悪さもかつてないほど悪化、政府軍、ターリバーン、中東からのIS三つ巴の内乱状態で爆弾テロが頻発している。
 このため世界最大規模の難民がパキスタン他になだれ込み、2015年以降帰還を求められるようになっても、荒廃して治安も悪い故郷では暮らせずヨーロッパなどに避難する人々が後をたたない。

その上、女性には過酷なジェンダー差別による暴力がある。家から外に出るのも自由ではない。DV、性暴力、名誉殺人(婚姻拒否、強姦を含む婚前・婚外交渉、「誤った」男性との結婚・駆け落ちなど自由恋愛をした女性、さらには、これを手伝った女性らを「家族名誉を汚す」ものと見なし、親族がその名誉を守るために私刑として殺害する風習のことである。射殺、刺殺、石打ち、焼殺、窒息が多いーwikipediaより)、バアド(不利益をこうむったとされる家族に娘を差し出す慣習)などなど。

このような超厳しい状況の中で、アフガン人の自由と人権のために闘ってきた人々がいる。清末先生は、RAWA(アフガニスタン女性革命協会 1977設立アフガニスタン初のフェミニスト団体)と出会い、ヘワド高校(RAWAがパキスタンのイスラマバードで民主的な教育方針に基づいて運営してきた小学~高校までの学校。2016年閉校)を訪れ、共同代表に就任なさいました。

 『ペンとミシンとヴァイオリン』のペンは、教育のことです。
↓ ヘワド高校で学ぶ子どもたちです。写真は、清末先生。写真展より。以下同じです・



ヴァイオリンは、芸術のことです。ヘワド高校でヴァイオリンを学びプロになったお子もいます。

ミシンは、手に職、経済的自立のことです。女性は家から外出するだけでもたいへんなのです。清末先生の親しかった女性は爆弾テロに巻き込まれ亡くなりました。

ヘワド高校を設立した女性です。暗殺されました。

 9.11以降、米英他軍のアフガニスタン軍事攻撃の正当化のために、アフガン女性の解放を持ち出してきた論理に、清末先生は、これまでの人生で最も強い峻烈な悔しさと憤りを覚えます。“虐げられ沈黙を強いられいるアフガン女性のイメージを一方的に打ち出して救世主としてふるまい爆弾攻撃をしても、女性は殺されても解放されない!”

 『求められているのは、
≪ともに闘う勇気≫そのもの
 哀れみの涙なんかじゃない』

 遠いアフガニスタンの人々にせめて思いを寄せつつ、この国の現在の政治状況の中で、私達はアクションを忘れてはならないと心に期しました。

 詳しくは清末先生のご本をどうぞ。

『「べ平連=ベトナムに平和を!市民連合」のメモ』

542/10000 2020 10 30
毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、と言っていられなくなった政治のことあれこれです。
今日は、「べ平連」についての私のメモ書きです。

★ 1970 年前後の10年はベトナム戦争反対運動と大学闘争の時代である。闘争は一部の高校でも行われた。
 私は活動家ではなかったけれど、『いったいこれは何なのか?』構内で連日繰り広げられるジグザグ・デモを見ながらこの疑問が胸の中に生まれ、その答えがが知りたくて今日まで来た。この時期に私がもっとも影響を受けたのは、べ平連、『ベトナムに平和を!市民連合』である。


東京都練馬区の「大泉市民の集い」写真記録製作委員会編『市民がベトナム戦争と闘った』より。以下の写真も同じです。

★ 固定した組織をつくらない、上位下達がない、個人の発想と感じ方と意見を尊重し合う、などなど、すぐにピンときたのだ。私の知っているこれまでの政治運動と全く違っていて、融通無碍のイメージをキャッチした。
 全国にべ平連系のネットワークができて、私の通っていた大学でも一年上の人が中心になってグループができて、全共闘系の学生たちと一緒に毎週のようにデモをした。共産党系の学生が一緒だったかはわからない。私は後ろの方にくっついて行った。戦争だけは嫌だったから。日本中で抗議行動が毎週連日繰り広げられた。
 

東京都練馬区「大泉市民の集い」の定例デモ

★ その自由な空気をダイレクトに感じ取り、これはなにかあると、サルトルとボーボワールを迎えての反戦集会や、全国連絡会のために上京した。小田実さんは実に気取らない人だった。
 今 鶴見俊輔さんの『言い残しておくこと』を読んでいる。鶴見さんの本には、べ平連が形となる経過が詳しく語られている。核となり活動の中心となった人々の活力、事務能力、インテリジェンス、感覚にあらためて深い感動が湧きあがる。
 高畠通敏さん30代、小田実さん、鶴見さん40代、鶴見良行さん、吉川勇一事務局長、50代、吉岡忍さん20歳そこそこ、みなさんこんなに若かったのだ。



  

佐世保に入港した空母エンタープライズのまわりを船でまわって、空母イントレピッド号から脱走した4人の反戦水兵の主張を伝える小田実さん、その後ろに吉川事務局長。

★ 『べ平連は組織ではなくて運動体。組織の維持が自己目的になってはいけない。
べ平連は入るのも自由、出るのも自由だが、なかよしクラブではない。(参加者一人ひとりが政治的有効性を求めて集まってきている。)だから運動の目的を達したら、ただちに解散する。そこでの人間関係は一期一会。いったん終わったら、その後は同窓会もないし戦友会もない。』(山口文憲さん 折込)

私がすぐ思い出せるのは、べ平連といえば、“いいだしっぺがやる”。口だけはダメ、人のせいにしない。

以下はこの本で初めて知った。
『そもそもベ平連というのは、ファリブリズム、まちがい主義なんです。・・・まちがいからエネルギーを得てどんどん進めていく。まちがえることによって、その都度先へ進む
・・・こういう運動の形というのは、日本では明治以降の百数十年間怒らなかった。
・・・思想の力というのは、・・・これはまちがっていたと思って、膝をつく。そこから始まるんだ。まちがいの前で素直に膝をつく。それが自分の中の生命となって、エネルギーになる。』

 この言葉も “13歳で知っていたら”、と思う。最近ではわずかながらの政治活動の中でも体験があり深く頷いている。リベラルどうしの完璧主義、SNSに溢れるちょっとでも違うとキーキーカリカリ相手の全人格を否定して有無を言わせない物言いは,とてもつらい。
 この他にも、日本の平和と人権運動についての深い洞察がいくつもあり、本は読むものと得した気分である。鶴見さんは小学生のころにはすでに1日4冊は読んでいたという、やっぱりな。

★ 山形を後にして東京に出たとき、最初に行ったのがべ平連の事務所だったらその後の私の行路はどうなっていただろうか?
 最後にべ平連の集会に行ったのは、1972年1月千駄ヶ谷の体育館で行われた、ジェーン・フォンダとドナルド・サザランド(当時FTAという反戦コメディ一座をつくって基地を訪問してまわっていた)を迎えての平和集会である。
1975年4月、べトナム戦争の終戦、ベトナムの勝利とアメリカの敗戦を私達は沖縄の那覇港で迎えることになる。

朝霞駅前で岩国の反戦米兵支援のデモの出発を待つ人々。この明るい笑顔。小さいお子にじ~んと来る。1970年。