『意外、客商売の才能が!』

1356/10000  月暦1月18日 太陽暦2/27(火) 2024年


人には意外な才能があることがある、
今、心構えから学びなおして『客商売』に乗り出す私、
実は「え、わたしって、客商売が好きだったんだ!」と
自分の意外な才能に感心したことがあるんです。

それは、パートで、ファミリー飲食・居酒屋につとめたときのこと
はじめは、ビクビクおそるおそる、それがいつのまにやら
お客さまが見えるとうれしくなっちゃって元気百倍、
お客様に応じたセリフもポンポン飛び出す、
お客さまにも好評で喜んで頂きました。
ファミリー居酒屋での接客は楽しかったな。

40年ほど前、りえこさんとふたりで無農薬の八百屋を始めたときも
ふたりとも恥ずかしくて恥ずかしくて
ふたりでお互いに、お先にどうぞ、とやってました。
それときがたつにつれて
お客さまとお会いできるのがうれしくて楽しくて
おもしろくなっていったのです。
うちのお客さまのお子たちのお顔は
生命力が充実しているのもほんとにうれしくありがたかった。
お客様のニーズを満たして喜んで頂ける、
こんなに生き生きとすることはない、

これは、身体の反応でした。

やおやはるにれやのトマトちゃんby宇井茂子さん(宇井農場)


今一点集中で、77年の人生を総ざらえしています。
お客さまのお悩みを解決するのにおやくにたつには
どうやったらいいだろうか?この中身を
3月9日18:00~19:00 ZOOM講座で公開します。
詳細は近日中にここにのせますね。
『人生の折り返し点、更年期をチャンスに!』
このテーマでお話します。

そうそう、
人にはおもいがけない才能が潜んでいる
自分はこうだから、と決めつけていると
損することがある
かも、
このことをお伝えしたかったのです。




『玄米は、スピリチュアル』

1347/10000  月暦1月9日 太陽暦2/18(日)2024年

今朝は、玄米が上手に炊けました。
玄米がうまく炊けた日は、ラッキーデー。

昨日、Youtubeの『預言天狗天狗みはる』 さんのお話のテーマは
玄米は、スピリチュアルな食べもの』でした。
みはるさんのお話を伺ってよみがえりました、
そう、玄米食養食との出会いは今でいう❝スピリチュアル❞なものだったことを。
この出会いで、文字通り劇的に人生が一変しました。
そういえば、マクロビオティックの創始者、
桜沢如一さんの『宇宙の秩序』なる本も熟読したものです。

『食べ物を変えても、噛めるかどうかにかかっているんだよ』
佐々井譲さんに教えて頂いて,
お椀に七分目、一口親指の第一関節分を200回噛むトレーニングもしました。
噛んでいると、瞑想状態になって透明な静かな広い無限の空間と
ひとつになって えにも言われぬ境地につつまれました。
ひとりで噛んでいても、皆とつながっているのだ、Oneness,この感覚が
向こうからやってきます、頭で考えて、ではなくて。噛むと、
脳内化学物質、幸せやる気ホルモンのオキシトシンが出るんですって、タダで!
体重も減りました、減り過ぎました。若くて一途でしたね。
身土不二、一物全体、有害化学物質をなるべく身体に入れない、
これはすぐに身につきました。
実家ではわがまま娘でキレていたのが、キレようにもキレルことができなくなりました。
一言でいうと、まともな生命カンがよみがえってきたのですね。

以来51年目、この間無病息災だったわけでもなく、
肥満、ぎっくり腰、湿疹、顔面総崩れ、日光湿疹、軽い鬱、骨折、疲労困憊・・・と谷あり、谷ありでした、でも、身体と心の芯に居座ったものがありました。
『大丈夫、乗り越えることはできる』、言葉にはならなかったけれど、これですね。気力というのかな、自分の意思とは別のところ
その最中にはそれどころではありませんけれど、
食養の基本知識と、新しい出会いでおかげさまでなんとかここまで来ました。
後に 山本真吉博士の総合栄養療法講座で教えて頂きました。
『病気が✖で健康が〇ということはない。生命現象としてはひとつのものである』と。

自然療法も51年目、まるきり健康で来たわけではないけれど、身体にも心にも蓄積されたものがあって、これがひとつの軸となってくれています。

白いパン、食品添加物、化学農薬、放射能、遺伝子操作作物、溢れる加工食品~加えてコロナワクチンまで席巻しています。
今すぐ全部は無理としても、身体と心に負担をかけず、宇宙の秩序に則った食べものがよみがえってそれが普通になってほしい。安寧な世の中、穏やかで活気ある社会の基礎を作り直す必要が緊急にあります。

私のスピリチュアルは、生まれ育った環境、八百万の神々を祀っていた暮らしの中で、
2番目は、次世代にイノチをつなぐことのできる玄米を噛むことで育まれたのでした。



⤵朝起きて台所に入るとひじきが炊いてありました。
玄米は、土鍋で炊いています。熱湯につけて一晩以上おきます。
だんだん焦がさなくなりつつあり。

『私、変わりました』

1342/10000  月暦1月4日 太陽暦2/13(火)2024年

今日のテーマは、◆その時私は75歳だった, 
2年たって77歳、この2年間に恵まれた幸運をメモしておきましょう。
◆その時私は77歳だった

この2年間に蓄積されたものは、
私が意識出来ていることよりも大きいのではないかと思います。
いずれKindle出版で
『SNSができないシニアのための起業心得帖』を出そうと心しています。
 詳細はそのときに。ではアトランダムに。


① サポートして下さる方々に出会わせて頂いた。
  ひとりではゼッタイにムリ。夢のように親切な方々がいて下さる。
  その人たちに喜んでもらいたい。
  「もっと頑張ろう」から 「きっと出来る」に変わってきた。
  自分も親切にできるようになろう。信頼していこう。
  

② パート主婦モードから、独立自営講師業モードに転換できた。
  パートと自営ではモードが違う。そのことに気づかされ
  パニックに陥りチェンジするのに2年かかった、ふううう、
  やりすごすだけでタイヘン、よくがんばりました。
  この経験は、これから自分の講座でクライアントさんをサポートするときに
  役に立つと期待している。



③ SNS,覚えて慣れようとしている
  出来ない、億劫、覚えられない~~~困った、手をこまねいた。
  それが、 どんな簡単なことでも何回聴いてもOK なシニア向けの教室に出会い
  楽しくなってきた。
  一挙にデキル人と同じレベルに達しなければと焦らないコト。
なんだかできることが増えてきたな、こんなペースでやろう。
  肩の力が抜けて、できそうな気がしてきた。
  自分が主催してZOOM講座の開催、Canva、ChatGTP, エクセル、ファイルの整理も
  始めた。スピードは出ませんけど楽しくなってきました。


④  一番大きな「気づかされ」は
  ビジネスとは、お客様のお悩みを解決すること。
  お客様のニーズに応えることであって、
  自分がやりたいことを売ろうとすることではない。

  このことでした。
  ガキからオトナへ、ひとりよがりはダメ
  自分とお客さんと、それを一段高いところから見える視点も必要である。


⑤ 完璧を期していたらいつまでもできない。10点、20点レベルでも
  とにかく外に出して恥をかきながら忌憚ないフィードバックをもらって
  改善を重ねて、作っていく。一生仮説検証。気楽に行こう。



⑥ ラクして収益化はできない。毎日地道にコツコツ継続が基本
  変わったことをやる必要はない、当たり前のことを徹底してやること
 と腑に落ちてほっとした。これ私の得意とするところだし。


⑦ 身体が妙に健康になった。
  一日~一週間の時間割をセットしてルーティンワーク化に取り組んで
  さらにスッキリしてきた。家の中も春分までには片づくだろう。

⑧ 自信が身についた 。
 「このままではイヤだ、なんとしても人生を変えよう!」として25年
  なんか変わってきた。恵みです。

そんなこんなで、只今一点集中中!
2月24日(土)満月・一粒万倍日 18:30~19:30
ZOOM講座やります!
『はじめてのココロのガーデニング
 ~このままではイヤ、でも何をどうしたいいかわからない
 ⇒ 大丈夫、なにがあっても私がどうにかする
   たのもしい自分があらわれる~』

 まもなくZOOMアドレスご案内しますね。
 
 



⤵ ひじきれんこんができました。鶏肉入り
最近一汁一菜に近づいてきました。

『陽だまりの縁側のおばあちゃん』

1340/10000  月暦1月2日 太陽暦2/11(日)2024年


今日は、◆ほがらかばばぢからクラブで
❝こんなばあちゃんになりたい❞、この話をしましょう。

FACEBOOKの友達、札幌のさいとうますみんさん
タイムラインにステキなご案内が!
全肯定®︎認定プロカウンセラー他いくつもの資格をお持ちの
ますみんさんの小人数でのお話会です。

♦オンラインお話会 月明りの縁側
 月明りの縁側(夜)・2月15日(木) 20時〜(残2名)
 陽だまりの縁側(昼)・3月1日(金) 13時〜 (定員3名)

・申し込みフォームhttps://ws.formzu.net/fgen/S101012069/

ぱっと目に入って来た『縁側』
縁側、内ならず外ならず、内でもあり外でもある
バキッとカギをかけて他人を警戒して排除する今風の家屋とは
発想、生き方そのものが違います。

ますみんさんのおばあさま、とても素敵な方だったんですって。
ますみんさんより。

『 私は縁側育ちではないのですが、
子供の頃ベランダのソファで
祖母が怒らず否定せずアドバイスもせずに
「うんうん」と聴いてくれたことで、
とても救われて安心したのです。
その小学校も3年しか行ってない祖母が、
聴いてくれた「傾聴」が
私の目指すところなのです。
お医者さんでもなく、大学の教授でもなく、
祖母の傾聴があったから生きてこれたなと思うのです。
そんな陽だまりのベランダのソファが、私の想いです
❣️ 陽だまりの縁側でぽたぽた焼きのおばあちゃんみたいに、
何でも話を聴けて、応援できるそんなふうになりたいです。』

⤵ わが家の聖域 真冬の日差し。
木はガジュマルの木、100円ショップの苗から育ちました。


以下蛇足です。
『新清水平の縁側で子どもたちと日本の古典文学の朗読をしている』
これが私の88~100歳のイメージです。そのころには私は
『いるだけで』何もしなくても、ほっとする、
たまには、短い一言を投げかけて、
その言葉に希望と勇気が湧いてくる
そんなばあちゃんになっています。
現役世代をささえ、お子たちを、ひそかにまもって天寿をまっとうします。
ばあちゃんでいることに満足しています。
⤵ こちらは、清水平の縁側です。1977年秋。
88歳までに新清水平に帰ったシーンを胸に抱いて毎日目に入れている
というわけです。



『誕生日につらつら確かめる』

1337/10000  月歴12月29日 太陽暦2/8(木)2024年

きのうで新年の21日行が終わりました。まずまず74点くらいでした。
次の日の今日は私の誕生日です。
といっても華々しい気持ちも行事も別になくてふだん通り、これは子供の頃がそうだったからでしょうね。
お母さんが七輪か大豆を炒って神棚と仏壇にお供えして、
囲炉裏が堀こたつになっていて、一升枡からきょうだい、姉、私、弟で、豆をポリポリいただいてマメでいられるようにと、健康を祈るのでした。
子供の頃のことはよく覚えていますね。
トシをとると当時の、こたつの布団の肌ざわり、やぐらこたつの下の炭、木の一升枡、きょうだいたちの姿、豆を炒り台所とこたつを行き来して子供たちに声をかける母の姿の、仔細と全体の、なんと言うか、空気感というか、まざまざと、というよりも、新たな深まりとともに思い出されることです。



100歳迄元気でいられるとして、あと24年、今計算したら
365✖24年+6(閏年の)-(31 + 7)=8728、
残りは今日を入れて8728日、あっという間です。

100歳の私は、新清水平の縁側で、子供たちと日本の古典文学の音読教室をしている、とイメージしています。何が何でもやる、この意気込みもあることはあるのですが、ま、できたらね、途中であの世に還るかもなあと、心のうちに「余裕」と諦念も欠かせない、これがトシを重ねることなのでしょうね。


この24年でやりたいことを数えると
★ なかまと共に棲む村の中に「新清水平」を建てること
  縁側、土間、室、食糧備蓄庫、大きな台所、井戸、学び舎
★ 子どもたちに、日本の古典文学を通じて、このクニに生きる
  まっとうな誇りをもてるようになってもらうこと
★ この列島がほがらかで活気あふれて安寧なクニに回生できるように
  縁の下のチカラ持ちとしてそのいしずえをになうこと
★ そのために同志とネットワークして資金を準備すること
       心身がすこやかであること。
その第一ステップとして、『ココロのガーデニングエキスパート』として
『人生の基礎打ち講座』の準備に一点集中しています。
❝ 何があっても大丈夫、私がなんとかする ❞,こう、前を向く人をサポートする
仕事です。
しうこばーばといるとほっとする、勇気と希望が湧いてくる、そんな存在になろうと
ひそかにこころしています。

ムーミンの登場人物、辛口のリトル三―に言われそう、
『 あなたの夢を、そんなこと無理だっていう人いるでしょ。こう言い返してやりなさい。
あなたには無理ね、でもわたしはできるの、あなたとわたしはちがうから、って。
でも言ったからには夢をかなえなきゃいけないことも覚えておきなさいよ。でかい口たたくんだから』

最近、またまた、先日も書いたように、24年✖2倍、今までの2倍生きようと願っています。
新しい気分で、ようやく出発点に辿り着いた感じです。今までと同じように、❝失敗❞を繰り返しながら、迷いながら、新しい未知の人と出会いながら、コツコツ坦々、地味に作業を重ねていきます。気分は、13,14歳2年分を2024年で、がんばって、自分!休みもたっぷりね。

今日は満77歳の誕生日、この日の思いを書き留めて自身への励ましとしました。

帯広駅の中から南側を臨む 十勝晴れです


『2024年8月末❝いのちの祭り❞再デビュー決定!』

1333/10000  月歴12月25日 太陽暦2/4(日)立春  2024年


今日は、立春
立春にピッタリのテーマです。

あるのかな?と気にしていた
『いのちの祭り2024』がすでに開催決定の報が入って来た。
8月29日~9月1日 会場は長野県大町市のスキー場のキャンプ場。
行くと決めた。
1988~2000~2012~2024~次の2036には
開催されたとしても自身どうなっているかわからない
私は今年が最後の可能性を否定できない。
前の三回はそれどころじゃなかったから。

❝いのちの祭り❞は、なにかというと
なんといえばいいのだろう、
この列島の原住民のギャザリング
歌あり、踊りあり、祈りあり、ワークショップあり
安心安全うまい屋台あり、こどもたちがのびのび遊んでいる・・
今では全国各地で開かれるようになって
ずいぶんと経つ。

① 1986年4月チェルノブイリ原発の爆発
~1988反原発の声がこの国を席巻、

そのさなかに開催
NO NUKES ONE LOVE が合言葉。


2012年は、3.11の直後だった。


④ 今年2024年は
震度7能登半島地震から始まった三が日、
世界中での抗議行動も眼中になく
止めないガザへのジェノサイド攻撃
ロシア・ウクライナ戦争
恥も外聞もないゾンビが跋扈する東南アジアのとある国
そんな中で、開催が決まったという。


8月、いのちの祭りに行くために頑張ろう!
2024年は成果の上がる年、成果を出して
余裕をもって準備段階から行きたい。
なつかしい顔、初めての顔が一堂に会するのだ。会いたい。



はじめてその流れの祭りに行ったのは
1972年か73年、奥多摩の秋川でのギャザリングだった。
それから1974の入笠山の祭り
1975年のミルキーウエイ・キャラバン
~~1984年の❝オール・スピーシーズ・デー❞‘松本
私にとって40年ぶりの祭り再デビューだ。
デビュー、といってもただ行って いるだけだけれど。

で、ひらめいたのが
かねて頭の中にあった企画をそれまでに実現させよう!
手拭い 『うむ・はぐくむ・わかちあう』のロゴを
     印刷か白抜きで
Tシャツ NATIVE JAPONECIAN 
     地生え海生え心映え
   をプリントしたもの
     もちろんオーガニック・コットンで

よし、気分ゆっくりでいけるように、
2、3、4、5、6、7月がんばろう!

キャンプの準備、交通費、それに手拭いとTシャツの企画
準備始めよう。

さあ、これで
❝ココロのガーデニングエキスパート❞として
『人生の基礎打ち講座』の開催、がんばれるぞ。

この8月、2024いのちの祭り@大町・長野 で会いましょう!

『今日は節分』

1332/10000  月歴12月24日 太陽暦2/3(土)2024年

◆ 今日は節分、千葉産殻付き南京豆を仏壇にお供えして
夕方豆まきです。
うちは、❝ 鬼も内、福も内 ❞です。
子どもの頃は。お母さんが
大豆の木に煮干しをはさみ、
それを家の入口の上に挿して
七輪か囲炉裏で炒った大豆をまきました。
翌朝炬燵に足を突っ込んで寝ていた布団から出て
炒り豆をひろって食べるのが楽しみでした。

こうして思いだしながら書いていると
当時の感覚が、当時よりもいっそう、
なんともいえない感じで
よみがえってきます。
豆をまく手拭をかぶったお母さんの姿が見えます、
お母さん五十前か。
暮らしの中で、時のめぐり、季節のめぐり、地のめぐり
畑と暮らしのめぐり、その中で
誰に言われたのでもない、
母はばあちゃんに教えられた通りのことをやっていたのですが、
「自然発生」したのだろうか。
昨今全盛の美味なスイーツよりも、とはいいませんけれど
豆のうまみと甘味、子供たちに伝わるだろか、と
気になるところです。



◆ 今日は土曜日、気分はホリデー、なのですが
この24日の、初めて自分で主催する
❝ココロのガーデニングエキスパート❞としての
『人生の基礎打ち講座』
の準備で頭がいっぱいです。
沢山初めてのことばかり、覚えて慣れなくては。

◆ ホリデーらしい記事をいくつか。

★年始以来、歯間ブラシにハマっています。
帰省した息子の置き土産、やめられません。
歯医者にも行かねば。

暮らしの自動化、かなり順調です。ラクですよ。

★アニメ『進撃の巨人』13話で止まっています。
これはすごい、寸暇をさいて最後100話まで見ます。

★昨日、ヘアカットしてきました。
美容師さん、とても親切、
大きな鏡に映った自分の姿に、
これはアカン、今年は人生が変わる年なのに。
みぐるみ変えよう!と決意しました。

★芋、ニンジン、長芋、玉ねぎ、長ネギ
塩、味醂、料理酒、醤油、食糧在庫豊富で気分豊か。
親族のおかげです。

ではそろそろ本業の仕事に戻ります。
染め直した髪も乾きました。
外は十勝晴れ、明るい光いっぱいに広がっています。



⤵ 南京豆、ちょっと減ってしまいました。
月歴の年賀状は、ロックハウス・ディラン@芦別より

『季節を感じる時間がほしい』

1312/10000 1月14日(日)2024年


享子ちゃん

『普通に季節を感じられる様になりたいです』よね。
去年一年、超絶のがんばり、でしたものね。
去年だけでなくてずっと、ね。

ベランダの野菜は元気ですか?
コンテナ・ガーデニングで私も
ガーデニング、覚えました。
栽培している野菜といっしょに
季節を感じますよね。
野菜に季節を教えてもらうことも多々あります。
いとしい、うれしい、生きる喜び。

正月、このトシになる前から
思い出すのは、生まれ育った
山形の田舎の暮らしばかりです。
高度経済成長前で
季節と、旬の食べものとひとつになった
年中行事を執り行うのが
母のメインの仕事でした。
こういった年中行事って
核家族、独居ではなかなかサマになりません。
部落、コミュニティがないとむづかしい。
子どもたちに年中行事を体験させてやりたいと思いつつ
商店街の七夕、盆踊りに連れていったくらい、
今は、家族そろっての年越しがせいぜいのところです。
母に聞き書きしておいた生家の年中行事のメモも
度重なる引っこしで行方不明に。
大型店のキャンペーンにあわせての年中行事もな、と
餅のビニール袋を開けながら寂しくよぎるわけです。



壱岐ではお母様、どんな暮らしだったのかしら?
農文協さんから出ている日本の食生活全集』に
きっと壱岐ページもあるんじゃないかな。
直接聞き語りしてもらう方が早いですね。

わが家は1960年に県庁所在地に引っ越しました。
父と母、わけても母はどんな気持ちだったのだろうかと
遅まきながらその心中を思いやっています。
親孝行したいときには、です。


ゆっくりじっくり季節をあじわう暮らし
年中行事も、私たちで新たにつくって
そんなコミュニティ、コモンズつくりましょう。
自然な感じでできるように
ストレスフリーなコミュニケーションを
鍛えておこうとしています。
長期計画ですよ。


立春までまだ二十日、
お風邪召しませぬよう。
東京は沈丁花が咲き出していますか?
能登のなかまたちは皆タフで元気で、
お風呂もらいに行ったり
屋根を直したり、
避難してくる人を受け入れたりしています。

今日の夕空です。
奥の日高山脈が雪の防波堤になってくれて
冬は東京と同じで十勝晴れの日が殆どです。



『2024年 元旦』

1299/10000 1月1日(月) 2024年

2024年、新しい年のご挨拶を申し上げます。
こちら北海道は十勝地方帯広は、
大晦日の10センチくらいの新雪のあと
再び十勝晴れの青空が広がり、
夕空には日高山脈がクッキリとその全景を
投影していました。


夕方から恒例、上の息子の家で
私たち一家の新年会
でした。。
その最中にテレビに入ってきた、
能登で地震震度7(最大深度)
帰ってTWITTERで情報を追うと
被害はテレビで見たのよりはるかにひどい、
輪島市では街の中心部で火災が発生、
燃え広がっておりこのままでは鎮火が絶望的、
七尾から年越しに大阪に行っていた
レイちゃん一家は無事に帰れただろうか?
それで新年のあいさつは
控えめに地味なものになりました。


お昼前後には、繰り越しの1階の大掃除を
なんとか見かけだけでもおわすことができました。
この3年~この家に越してからの13年分の奮闘と混乱を手に、
大量の紙は体裁だけそろえて、
揃えきれないものは段ボールに入れて
春分の日までに思い切り片付けることににました。
そこに東京から下の息子が帰ってきて
上の息子の家に向かいました。


まずまず片付けることができて自分なりにスッキリしたところに
震度7の大地震、(能登にはなかよしの友達が何人もいます)
生きるってこういうことなのだ、
『いい気になったり、舞い上がったりしないことだよ』
と天に言われた気がしました。
障がいを抱えている人たちが
社会復帰する足掛かりのホームを経営している嫁さんによれば、
「30年後この国の人口の半分は高齢者と障がい者になる」
との予測があるのとのこと。

健康で文化的な暮らしが難しくなる状況は
目を覆わんばかりです。
このままでは、子供たちに申しわけない、
なんとかしなくちゃ、この気持ちが動きません。
こんなふうに感じて行動を重ね実績を重ねている方が
少なからずいることを知ったこの2年でした。

『子供たちが安心してスクスク育ち、
私たちシニアが凛としてほがらかに
天寿をまっとうする』
そんな世の中のいしずえを担って縁の下のチカラ持ちになろう、
どんな時代になっても
勇気と希望を胸に生き抜くチカラをつけよう、

そのためのワークショップ形式の講座を
準備してきました。
おかげさまでエネルギーが満ちてきておりまして
心機一転、1月中には発表致します。

そんなこんなやや目まぐるしく
いくつかのシーンをこなすことができた
新年の元旦でした。


能登の被災地の方が暖かく夜を過ごされていますように。
輪島市の火事が鎮火しますように。
祈りつつ、心機一転 新年元旦の報告でした。

よい年にいたしましょうね。

大晦日の新雪晴れて、十勝晴れの朝でした。

『ゴーヤの種がとれました』 

1268/10000  10月7日(土)分 2023  10/18記
今日は、◆台所大事で、ゴーヤの種が取れたことを報告します。


今年もゴーヤの種が、自家採取できました。

種まきが一か月遅れ、自家採取なので出るかな?
炎暑の中グイグイ弦を延ばして、期待の実は、三つでした。
貴重なひとつめは、定番、卵で味噌味になりました。

最初についた実はしばらくおいて、皮が黄色くなりかけたので
思い切って収穫、皮はスムージーになりました。



種子はどうかな?
亀の甲のよう に種皮が固く茶色になっていて
無事種が取れました。
(引っ越しを念頭において2年、どこで蒔くことになるかな?)
真っ赤な種のまわり、なんというのでしょうか?、
甘くありませんでした。


子どもの頃、わが家では種のカタログを定期購読しており
(豊かではなかったのに花のカタログが、無料だったとしても、
なんかじんとする。私の生き方の一つの芯として刻み込まれていたようだと
今ふっとひらめいた。)
たぶん種をそこに注文したと思われる ゴーヤが家の前の花壇スペースに
実をつけてぶらぶら下がって、皮が橙色になってはじけて、中から
真っ赤なものにくるまれたものがバラバラと見えて、それを口に入れると
甘くておやつになり、種が姿を現す。
その種が沢山、戸棚の中に乱雑にしまわれていた。
覚えているのは一シーズンだけだから毎年作っていたのではなかった。
作るだけでちゃぶたいに上がることはなかった。
ゴーヤ、ニガウリなど名前も知らず、ゴーヤと遊んでいた。
いまのようにブームでもなくつるも私の背丈よりも低かった。
そのころの子供はいのちのおもむくまま、食べられそうなものは
すぐ口に放り込んだ、主な毒は家族と友達から教え込まれていた。

そんなこんなつつましいゴーヤの収穫から
そこはかとなく思い出すことがたくさんあって
思い出されることを味わおうとする自分がいます。



⤵フーセンカズラにギンヨウカエデ 慰みっていうのでしょうか?