『土曜の朝は、ホリデー気分』

🔶土曜の朝は、ホリデー気分

で、今日も気分で、今しがた、昨日の分のブログを書いて投稿したところです。

WordPress との格闘が続いております。

☆ “weekend sunshine ”では、最後に、Richard Thompson が何曲もかかりました。

今年70才、ロンドンでセレブレーション・コンサートがあったそうです。

生きているうちに、LIVE に行けますように(祈)

☆ 昨夜パートのたい焼きやから帰って来たら、文化ホールの駐車場が賑やかです。

でかくてゴツいツアー・トラックが三台。横浜と品川ナンバーです。(必ずナンバー見るんです)

ちょっと見えないですよね、

クレージー・ケン・バンドのコンサートだったんです。

道路に大型バスがやって来ました。

“団体で見に来ているんですか?”

運転手さん“スタッフですよ、もう一台来ます。50人くらいね、あれだけのもの、運ぶんだから”

そうなんだ!人手かかるんですねえ!

☆↑ 今日のおめざでした。麦茶を濃く出したのと、定番、村田ナホ先生直伝 バチバチ豆です。

バチバチ豆、ゴボウ、ニンジン、ニンニク、生姜は、フード・プロセッサーで。

味、生命力はどうでしょうね?

「ミンチにかけた味噌は旨くない」(清水平で日向のおばさん)

動力を使わないで栽培、調整した玄米、最高に美味しかったな

など 脳裡に去来しつつもラクしました。

☆ ↑ こちらはお昼です。玄米のバジルソースからめ、割り干し大根の煮付け、大根と紫蘇の実、ラッキョウです。

こんな風に慎ましく落ち着いて頂けば、体重が増えすぎることもないのですけど・・・ね。

やぶ田さんの大根を頂いたので、皮としっぽは、生姜といっしょにオリゴ糖につけました。

台所大事こそは、一番のリクリエイションなんです。

☆ インパチェンス、今年はどうかな?と見ていたら、大盛り上がりに勢いづいてます。

インパチェンスも秋の花なのですね。

My little garden  あと20日もすればすっかり冬仕舞いです。

ヘブンリーブルーは、今朝は60以上でした。来年は芯の止め方 ちゃんとしてみようと思っています。

『直面している課題の数々』

毎週金曜日のテーマは、🔷政治は身近・気軽に政治

苦手、と言っていられなくなった政治のことアレンジです。

今日は、『今 直面している課題の数々』の整理をしてみます。

★ 実は私、「市民の風とかち」というミニ政治団体の共同代表をしています。

↑ こちらが名刺です。新版準備中です。

キャッチ・コピーは、「ふつうの市民と立憲野党は心ひとつに」ぐらいがいいのでは?と私は思っています。

“ふつうの市民と立憲野党がひとつになって、まともな政治を取り戻そう!何よりも、戦争をさせない!ために”

この思いで、振り返れば無我夢中でまもなく二年になろうとしています。

日本史上初のアクションなのですから、

自分達で思っている以上に、実は頑張っているのかもしれません。

★ それでこの夏から、態勢を整える作業を始めておりまして、私が事務局長を仰せつかりました。

 トシを感じる回りきらない頭で、

それでも、マネジメント、となると自動的に心身動くものありで、

形を整えて、仕事をやりやすくしていこうとしているわけです。

その仕事を整理してみますね。

⚫は、担当私です。

① まずは、⚫趣旨、理念を再確認して

言葉にして共有する作業。

これは、新リーフレットをつくるプロセスで出来上がってくるでしょう。

② ⚫郵便振替口座の取得

申請はしたのですけど、

規約・会員リスト・活動記録を出して下さい、とのことで、

“会員リスト?何故!”とか要交渉。

この機会に記録の整理も。

③ ⚫コミュニケーション原則を明示する作業

立憲主義がどうのこうのと標榜しているにもかかわらず、

私達、話し合いの経験も、トレーニングの機会も殆どないんですよね。

そこを乗りこえようとするチャレンジです。

ここまでが基礎工事です。

次は、いよいよ具体的なアクション計画です。

④ イベントを張る

イベントをやると、大変なのですけど、大いにパワーアップするわけです。

ま、「市民の風とかち」の発表会 というところです。

・ 政治家とのタウン・ミーティング  交渉始めてます

・仮称・“しゃべり場”

地元人に講師をお願いして、少人数でも頻発。

⚫第一回は、

『T先生に聞く 軍備と武器のリアル』

・12月7日 佐々木寛先生(市民連合@新潟共同代表 政治学・平和学)講演会

(⚫講演会の前に佐々木先生に、ファシリテーション・ワークショップをやっていただきます。これは、入れ込んでやります!)

以上、完成して、イベントページとフライヤーができたら、

➄ ニュースレターを発行しまして、会員+αに送るか、手渡します。

→ ⚫会員を1人2人と増やしていきます。

ここまで年内に11月半ば迄にメドがつくでしょう。

⚫・スケジュール化 ⚫・マニュアル化←記録 各種リストの整備 ⚫・記録の整備

あともうひとつ、どうしてもやりたいことは、

⚫ “必携!マイリスト”を作って配って共通アイテムとすること。

これは、『私は何票持っているか可視化プロジェクト』です。

ふうう・・・

段取り九分、段取り組めば、大丈夫

チームメートを信頼しているから、大丈夫!

そうなんです、

皆の力が出やすくなるように『場を作る』となると

いそいそと、意思と無関係なところで自動的に動き出してしまうんです。

この本含めて、本をネタにしての読書会 は来年に。
生物的にイヤだに+知らないことが多すぎます。
紅葉が進んでいきます。





『父のこと』

毎週木曜日は、🔷子供らに寄せて

今日は、私達のお父さん、つまりおじいちゃんのことを話しておきます。

二人とも、じいちゃん、ばあちゃんのことは覚えていないよね。

信州の清水平からこっちに来るとき、一晩か二晩実家に寄った。

ぬいぐるみやいろいろとものをくれた。

ここに引っ越すとき、3.11の直後でパニック状態で、捨ててしまった。一つだけでも残しておけばよかった。捨て過ぎた。

その前兄者が小さい時に帰ったとき、喜んで風呂に入れてくれた。

・父は、今の村山市富並、当時は富並村の生まれで、阿曽家から母のところに婿入りしたのだ。

自転車で山方から大石田まで云ったとき、富並を通った。夢のように美しい村だった。

・父は、姉の夫に弟子入りして建築大工になった。

師匠のなくなるときは、何度も家と師匠の家を往復していた。

思い出すままに書き留めておきます。

・花が好きだった。芙蓉は、父が苗木を背負って来てそれで覚えた。

ダリアの球根を背負って帰って来たこともある。家の裏に大小何種類かのダリアが植えてあった。

とかちむら にて

・1960年に山形市に引っ越す迄は、家にはほとんどいなくて、上の兄二人と一緒にずっと出稼ぎに出ていた。

下の子どもたち4,5人を食べさせるためである。

・帰ってくる前は、大掃除である。

「ほれ、きれいにしないとごしゃがれっから(怒られるから)」と、母は子どもたちを急かした。

私は父は恐いものだと母に刷り込まれてしまった。損した。

・ 今、久しぶりに思い出したことがある。

小学校に入る前か、一年生のころ、お盆の時だったと思う。

出稼ぎから帰ってくる時のおみやげの、だったかな、漫画の本を父埜おねだりして膝枕で読んでもらっているうちに寝てしまった。数日後同じ漫画をまたおねだりしてまた父の膝枕で寝てしまった。

この膝枕の心地よさ、今も覚えている。心地よさの一生にわたる記憶です。とても大事にしている。

このブログのおかげで思い出しました。

あといくつか今日は書いておきます。

・父が帰ってくるとなると、ビー玉は目に触れないように隠すのだった。子どもが飲みこんだら大変なので、家においてはならないものだったのだ。

サル、という言葉も縁起が悪いので、父の前では禁句だった。

・上の姉は、父に怒られて雪の中にほおりだされていた。私は、そういえば怒られた覚えがない。

・フリーランスの大工だった父、一体どうやって仕事をゲットしていたのだろうか?

・ (世間、人間というものは)生き馬の目を抜く、といってたな。

・歴史的建造物の大石田小学校と、斎藤茂吉が大石田に疎開していたときに済んだ??庵には、棟梁のひとりとして記されている。

名前は、荒木新吾です。明治39年1月11日生まれ、92か、3で天国に返った。

・よく夫婦喧嘩をしていた。一度父は土間との間の障子を約4枚、踏んだり蹴ったりしてぶち壊した。

弟と二人、震えて見ていた。

隣の引田さんが、まあまあと仲裁に来てくれた、声を聞き付けて。そんな時代だった。

寝て起きると、父はかんなをかけて障子を治していた。かんなくずが回りに散らばっていた。

(我が家にはいつもかんなくずがあった)

父は建築大工の前に、建具も習ったのでお手のものだっのだ。

母は囲炉裏で、たしかさつまいもを煮ていて、食うか?と私にきいた。

私は、『子どもの前では、絶対に夫婦喧嘩をしない!』と固く心に決めた。

喧嘩の原因はすべてお前たちのことだ、と母が言ってたな。

・ でも、父は母に手をあげることはなく、出されたご飯に文句をつけることもなかった。

我が家では、女のくせに、という言葉を、私は聞いたことがない。

そろそろ今日は終わりです。

家にいてやりたい放題だったころは、

父を尊敬などできるものではなく、うざい、ださい、トンチンカン、偏屈、アホらしいと、一顧だにしなかったものだ。

ある時、美輪明宏さんともう一方(名前度忘れ)の番組を見ていたとき、ふっと、

今は亡き父と母が語らなかったこと、言葉にならなかったことがどれくらいあったのだろうか?

とこみあげて来るものがあった。

今では、ありがとうと、父直筆の荷札と封筒をお守りにと財布に入れている。

歌が好きで民謡コンテストに出たとき、三橋美智也が審査員だったと言っていた。

建前のとき飾る建前用の絵も描いたそうだ。大石田の家の壁にあったと思う。

大石田に行くことがあったら、町長の健一くんに、当時の建前の絵のこともきいてみよう。

お父さんとお母さん。利明くんが送ってくれました。

『山本太郎さんは、人と時間を大切にして集中している』

毎週水曜日は、🔷読む・書く・話す

今日は、9月27日に帯広に来た 山本太郎さんのパフォーマンスに学んだことをお話しますね。

You tube でいつも見ていても、ナマはやっぱり全然違います。

★ 今、この時に集中している。そらさない。

★ 謙虚と自信がひとつになっている。たじろぐことがない。

体幹、丹田鍛えてます。

★ ひとりひとりを大切にする

★ ツーショット写真の長蛇の列に、ミーハーな私も並びました。

その写真がこちら。

並んでいるとき、なかなか列が進みません。

それもそのはず、

まず握手、そして一言お話して、名刺を渡しているのです。

機械的にこなすだけ、ではまったくないのでした。

★ 翌日は、ポスター貼りでした。

れいわ新選組のポスターを、一軒一軒歩いて貼ってくれるところを探し当てるのです。

・ そのマニュアルとシステムが、完璧!なのです。

ただまわって時間が過ぎればいい、ってものではないのです。

この時間と労力と気働きを、少しも無駄にせず、

有効にすべく、

微に入り細にわたりシステムをつくってあるのです。

これにはほとほと感心しました。

信じられる、と思いました。

『ことの成否を決めるのは、微調整です』

と師に教わった言葉を思い出しながら歩きました。

・ 飛び込み営業って勇気要りますよね。

インストラクターの若い人がとても丁寧で、

「時間あるときに三軒とか、気張らないで」ぼちぼちやりましょう。

年内にも衆院選か、という情勢ですけど、

急がば回れ、ですよね。

・ 初めてお会いする方に、イエスかノーか答えを強制してしまうことになる言葉を、最初に出さないで、

と、ほんとに優しく導いてくれます。

★ ポスター貼りに太郎さんは参加しませんでした。でもトップの気配が漂っています。

会社、団体、グループは、まずトップ、っていいますものね。

★ すぐまわりにのまれておろおろしてしまい、

人にもつい斜めにかまえちゃったりするこの私、

こんなエネルギーのロス、やめることができそうな気がしました。

★ 今この時、目の前の人にこころから集中するナマの太郎さんに会えて、幸運でした。

それは、私ひとりではなかったのです。

プラカードの字は私が書きました。れいわだんだらは会場内で入れました。

『心のガーデニング』

毎週火曜日は、

🔷自分史をつくろうー今、未来に向かって

このブログの、メイン・テーマです。

今日は、“心のガーデニングをしませんか?”

というおさそいです。

★ 私が、“心のガーデニング”という言葉がひらめいたのは、

この本を読んでいたときです。

(直しかた、近々教えてもらいにいきます。ごめんなさい)

サラ・バン・ブラナックの『シンプルな豊かさ』

私のバイブルのひとつです。

ファンレターを出してご返事を頂きました。

花と庭の大好きなサラ、

『苗を植えたり、雑草を抜いたりしているときの無心な没頭、私が経験する神秘的な現在の瞬間は、たとえようもない満足感をもたらすのです。

私の精神は鎮められ、心は広がります。』

★ そうなんですよね。

土と植物、見ているだけで、さわっていると、心もからだもすーっと爽やかになっていきます。

手入れが一通り済んで、小さな庭を見渡すときは、なんともいえない心地よさに満たされます。

★ こちらは、私が本格的に『自分を変えよう!変えなくちゃ!』

と思うようになった最初のきっかけとなった

大切な一冊です。

(すみません)

ルイーズ・ヘイの『ライフ・ヒーリング』です。

1997.3.30とあります。手元に来てくれた日です。

“Shiuko A, あなたは素敵、大好きよ

今日もまた人生の中で最高の1日

あなたのこの上ない幸せのために

知る必要があれば示され

必要なものは手に入る

なにもかもうまくいってるわ”

どうでしょう、この言葉は?

ルイーズを自分の名前におきかえたんです。

うわ、恥ずかしい!わざとらしい!

が私の反応でした。

でも何かある!、と感じて毎日、ことあるごとに繰り返すようになりました。

私の、“心のガーデニング”の本格的な開始の出来事のひとつです。

今では、鏡の前でにっこり笑って、自分に声をかけてウインクすることもできるようになったんですよ。

『知る必要があれば示され』

これは、本当に実感の連続です。

『必要なものは手に入る』

これは、① 小さな恵みに一つ一つありがとうするようになりました。

② あと一歩二歩三歩。その一歩が、『しうこばーばの自分史講座』を始めることです。

My little garden 集合写真です。

★ 大分前から、整理収納のワークショップが盛んになっています。

心も片付けて整理整頓、

“心のガーデニング”はいかがでしょうか?

よくわからない、混乱しているところも大切にしましょう。

時のちからでかぐわしく発酵してくるのを待ちましょう。

ヘブンリーブルーの花の数を数えるのが、この季節の朝の喜びです。やっているのは水と光合成菌と発酵させた米糠水です。

『少しずつ少しずつ進んでいる』

毎週月曜日は、🔷小さいビジネスを始める

に当たってのあれこれです。

先週は、決めました、10月中には始めよう!と。

★ この一週間の進展と、今週の課題

⚫10月の22日(私には特別な日なのです)の近くに始めることにした

⚫なんとしても棚をゲットする。無料交換のサイトがあるとか。

⚫並行して別プロジェクト2つも10月21日迄にメドをつける

(押し寄せてきたときには心中パニックになった)

⚫スケジュール表、段取り表を組む

段取り組めば、こわくない!

ペンと紙さえあれば、大丈夫!

⚫ かず子さんにメールする。質問事項をメモする

⚫ 情報発信講座の藤本先生に現時点のレポートをする

⚫ 場所  とかちプラザと“まちなか”をあたる

★更なるラッキー情報が2つ。

☆ 東京の息子が、麹町中学の教育の本を送ってくれる、とのこと。ラッキー!ありがとう!

☆ すぐ近くに、コーヒーショップがオープンする、との友達情報あり。

数人のミーティング・ルームもあればいいな!

ちょっとステキで、歩いてすぐ(運転しなくなって10年)なら、ラッキー!

と想像をたくましくするのであります。

JUST DO IT !

明日から10月 実りの月
秋晴れが続きます。百日草の二番花が日差しを浴びて輝いています。

『アクティブ・サプリメントのチェック・ポイントは?』

毎週日曜日は、🔷素敵にエイジング

今日は先週に引き続き、補助食品シリーズその④

アクティブ・サプリメントを選ぶときのチェック・ポイントです。

サプリメントには、

60兆の細胞を補完するベース・サプリメントと

症状に対応するアクティブ・サプリメントがあります。

細胞をより完全に近づけることが、ベース=基礎であり土台になります。

土台を整えてこその、アクティブ・サプリメント、というわけです。

では、そのアクティブ・サプリメントのチェック・ポイントは、

1 健康に役立つと言われている植物は数え切れないほどあります。

選別基準が設けられていますか?

2 原料の植物の原産地を調査していますか?

原料の量と質の検査がなされていますか?

日本列島は、深山の笹でさえも大気汚染で枯れています。放射能汚染も見逃せません。

3 然るべき研究機関で、天然成分の構造を分析していますか?

それぞれの植物の

健康に役立つ有効成分を分離して

その独自の化学構造を調べていますか?

4 植物の成分は条件によって大きく変化します。有効成分、濃度は、栽培地、季節、採集法によって変わります。

可能な限りよい状態の成分を使用し

さらに、有効成分のみを濃縮して

新薬と同じようにデータを取ることができる製品となっていますか?

5 厳しい安全基準が設けられ、それがクリアされていますか?

すべての製品に対して、微生物テスト、毒素分析、重金属分析がなされていますか?

6 製品の、精密に調べられた研究データの蓄積がありますか?

実証主義が厳守されていますか?

これは、山本博士のオープン・セミナーで教えて頂きました。

補助食品、なんとなく摂っていませんか?はたまた義理で、とか。

補助食品にはシステムがあります。

合う、合わない でない、確かな製品が存在しています。

でも、その人が一番よいと思っている製品が、その人にとって一番善いのです。

押し付けられたら引いてしまいますよね。

信頼していないと吸収も不十分、効果もスムーズにでないことがあります。

★ 補助食品が必要、とピンと来たら、然るべきよい製品名と出会えますように。

フレッシュ、頂きます、ごちそうさま
三度のご飯は土で、補助食品は微量栄養価です。

『土曜の朝は、ホリデー気分』

🔶土曜の朝は、ホリデー気分

なのですけど、今、日曜日の朝です。

土曜日の気分で書きます。

“weekend sunshine ”を聞き流し、“世界の快適音楽セレクション”は9時半迄としまして、

今日は、れいわ新選組のポスター貼りなのでした。

快晴の秋晴れ、十勝晴れのもと、

チームを組んで、ゼンリンの地図をチェックしながら、てくてく歩いて一軒一軒まわりました。

すごく勉強になったのが、

・マニュアルのきめ細かいこと。神は細部に宿りたまふ。

・飛び込みコミュニケーション学習。答えを強制しない、ストレスを感じさせない穏やかな話し方。

本部からのインストラクター(というか)さん、20代(たぶん)です、人間できてる!

または、れいわさん、トレーニングとミーティング、しっかりやってますね!

・貼ってくれるところ、預かってくれるところが多くてビックリ! 

先入観できめてしまうのはエネルギーのムダと知る。

・時間あるとき三件とか気軽に。(すぐテンパるのやめようっと)

・選挙運動 1にポスター、2にポスター、3,4がなくて5が電話、だそうです。

なんと大通りに面した花屋さんが貼ってくれました。消費税あがったら事務、税金、めちゃくちゃ大変ですよね。

というわけで、今週の土曜の朝は、市内遠足でした。

集まった20何人かのうち、知ってる人は4,5人で

はじめてお会いする方が殆どだったのですが、キンチョウしないで歩けました。

帰ってお昼を食べて昼寝をしました。

ここ数日、めずらしく睡眠時間が4,5時間だったんです。

太郎さん帯広のポスティング中、玄関フードで大事にされていた、オリジナルレッドの初お目もじの花です。

『山本太郎さん北海道ツアー・ファイナル@帯広』

毎週金曜日は、🔷政治は身近・気軽に政治

今日は、

れいわ新選組代表山本太郎さんの北海道ツアー・ファイナル@帯広 

のレポートです。

★ いよいよ当日 27日。

・朝イチで残りのチラシ100枚近所にポスティング

・段取り表を作って

・もう一仕事、プラカードをつくりまして、

自転車は乗らずに引いて家をでました。

★ワクワク!!待っていたれいわトラックがやって来ました!

(私はツアー・トラック・マニアなのです)

★ こちらのサポート・リーダーのやぶ田さんが、3つの仕事にボランティア・メンバーをざっくり振り分けまして作業開始です。

仕事は・設営 通路誘導・ブース・・チラシ配りです。

ブースは若い人からベテラン迄揃って、いい雰囲気です。

私はチラシの折り込みのあと、ずっとチラシ配りをしました。

★前の晩、必ず来るボランティアの人数を数えてみたら、15人にはなったけれど、

男手が足りないかも、と心当たりに連絡しました。

 それが、ピンクのマジックでネームを書いた白いガムテープを付けたボランティアは30人以上はいたのではないでしょうか?

★ 一番の大きな印象、それは、“いつもの面々”でない人が殆ど に見えたことです。

思い感じていても、その表現のやり場がなかった人達ではないでしょうか。

★ そんな人々と、上下関係なく対等なネットワークでつながる「場」を

太郎さんとれいわ新選組は、現出させたのです。

★ 『ボヘミアン・ラプソディー』は帯広でも半年近いロングランとなりました。

その時思いました。

このエネルギーが政治の場面で発揮されたらどんなことになるだろうか?

パフォーマンス戦略にこれを取り込まないでおくものか、とばかりに

フレディの熱唱でガッツリ会場を席巻しておいて、太郎さんの登場となる。

ザッツ・エンターテイメント!

ネーミングにしてもそうです。

人口に膾炙させてくれてどうも、とちゃっかり、年号をこちらのものにしてしまっています。

★ れいわトラックのスタッフは殆どが20代の若者たちです。

★ 記者会見、会場から質問を受けて太郎さんが応えるというスタイルで、当事者意識は大いにアップしまず。

太郎さんと映像スタッフさんの息もぴったりに感動‼️

この資料をつくるのにどれだけの時間とエネルギーが使われているのだろうか?

いくらYou tube で見ていても、生はやっぱり全然違います。

★ 『どうやったらいいのだろうか?どう表現したらいいのだろうか?・・・わからない、できない!』

「市民連合」も「週刊金曜日」も難し過ぎる。

年金暮らしのシルバー・デモクラシーは呻くばかり、

→はい、山本太郎とれいわ新選組はこう表現します!

トンネルをくぐり抜けて、年寄りの視界が広がります。

ほんの一部ですけれど、今思い付くことを書き留めておきます。

ミーハーぶりを発揮して、長蛇の列に並んでツーショットも撮ってもらいました。

『木村翁助師のこと』

毎週木曜日は、🔷子どもらに寄せて

きょうは、私の人生を決めた出会い シリーズ②

木村翁助師のことを伝えておきます。

木村先生は、八光流鍼灸・指圧の神業達人だった。

八光流武術も免許皆伝、上位のクラスだったと思う。

木村先生との出会いで、私達は、

指圧、整体の何たるかを教えて頂いたのである。

先生の整体院(というか)は西荻窪の住宅地の質素な長屋にあった。

それはきれい好きで奥様がいつもちりひとつなく整えておられた。

「誰もが自分たちで治療と手当てが出来るように」と、

はじめはご自宅で私達に指圧を教えて下さった。

1975年のミルキーウエイ・キャラバンの前だった。

その頃私は疾風怒濤、我が身と心の調整どころではなく、なすすべ知らずであった。

そんなとき先生のもとに駆け込むと、全身指圧を施して下さり、我が身は麻酔状態となり、なんとか生き延びることができた。

無料でした。

先生は、17か18で特攻隊の生き残りとなった。

『その後の人生は余生です』と仰っておられ、

困っている人がいると夜中の2時3時でも治療にあたられた。

ミルキーウエイ・キャラバンの最後に、私は知床半島で墜落、今思うとムチウチ症になっていた。

キャラバンから中央線に戻ると、先生の指圧教室は、

同じ西荻窪のほびっと村のフリースクールに会場が移っていて、

「いいこだからいらっしゃい」と言われて、いやいやながら国立から週一通った。

鍼が入らないな、(それくらいこっていたのだ)と言いながら後頭部を治療して下さった。

またまた助けて頂いた。

この指圧教室では、集まった皆で、キクウ!! イタイ!と悲鳴をあげながら、お互いにモデルになって実習した。

スジのいい人は一回で覚えるのだった。

専門学校に入って資格を取り整体師になった同級生もいる。

私は覚えもそれほどでなく、なんか半分意識のないような感じだった。

それでも半分覚えた指圧を、清水平にいるとき、村のおじさんにやってあげて喜んでもらった。

ナナオがオランダに招かれて東欧する直前、脚に異様な腫れ物ができて痛みがひどかったときも駆け込んだ。

そのころは、長屋から洋館に住んでるおられた。

最後にお会いしたのは、上の息子の手を引いてご自宅に顔を出した時だった。

その後私は子育てと生活に追われ先生とはご無沙汰になってしまった。

風の噂に、癌に襲われお弟子さん以外に会われずに、奥様を亡くされておられた、亡くなったと聞いた。

死期を悟られ、お弟子さんにお持ちのすべてを仕込むべく、厳しくあたられたという。

お身をなげうって人を助けられたこと、そして何よりも、

指圧、整体のなんたるやを、私達は木村師の存在で知ったのだった。

これは一生持続する財産、効能なのである。

特攻隊の生き残りだった先生の、破滅型にしてサイケな面は省略します。

1975年は、太平洋戦争からわずか30年後、先生は40代だったことに驚く。1975ねんからまもなく45年になる。

ヤマアジサイの一種でしょうか?木村先生の遺影にお供えします。