『京大西部講堂のステージで歌ったことがある』

1150/10000 4/17分 5/15 記 2023

京大西部講堂、聞いたことありますか?
京都大学の構内にあるイベント用?の建物です。
かくいう私はなんとなく❝自由と混沌のシンボル❞の建物ぐらいの
ミーハーな知識しかなくて、今 Wikipediaで見てました、その記事にあるような
派手さも過激さも持ち合わせてはいないし、なのになんとなく
西部講堂のステージで歌ったことがあることをひそかに誇りに思っていた
大したことのない私の記憶をここにとどめておきます。


『前略 1976年京大西部講堂の11/20“聖風祭”スワノセ台風救済コンサート
私と宮崎の成田チェと和歌山の雅と三人で回りを巻き込んで行ったことです。
国分寺“ほら貝”で春早くしう子の歌を聞き呼ぼうと思いました。
とっておきの京都篇の詩を楽しみに待っていて下さい。』

三冊目の詩集を送ってくれたお礼のはがきに即来た
新潟の大工さん 斎藤伸一(呼び捨てお許しを。敬称もピンと来なくて)からの返信です。



1976年11月、フリーターの仕事を休んでぼろいケースに入ったギターを持って
京都に行った。(そのぼろいケースもギターも~至現在だ)
街中の木造町屋建築の二階に出演者、関係者の宿が確保されていた。
こんな大きなステージ、自分が出るものとして見たことない、無謀だった(汗)
どんなステージをしでかしたのか、覚えていない、飲んでたし。
バンドはタシとジュンとそれにモッキンもいっしょだったような気がする、
あとでジュンから❝スターだったよ❞と聞いた。(大汗)
う~ん、私はバンドの一員としてではなく単独だったような気がする
次はしうこ、とジュンが紹介してくれたような・・・
そもそも私は、バンドでセッションできる才能がない、楽器も才能ほぼゼロ、
でも歌うのは好きだった。まあ、混じりけナシの、そのときの心からの身体からの声は
出していたのかもしれない。
恥ずかしい、いやいや、なんも恥ずかしがることないって。
三上寛さんもいたような気がする。
伸(と呼ばせてください)の京都篇の詩でわかるかもしれない。


その年の夏、奄美大島の宇検村久志でポンたちがやっていた無我利道場
夏祭りがあって混沌のエネルギの一か月ほどをそこで過ごした。
とにかく蒸し暑くてハブの侵入防止のため戸を閉め切って寝るのだった。
そのときミオさんのお腹にいた蛯名宇摩ちゃんは津軽三味線と奄美島唄の演奏と指導で
多忙な日々を送っている。
次の年だったか、数年後か?無我利道場は右翼に襲撃され大きな被害を被った。



検索すると、スワノセが台風17号に襲われたのは9月12日、5人の犠牲者が出た。
1970年前後から『部族』の人たちがこの島に入植していたのだ。私は行ったことがない。
山形にいたとき『思想の科学』誌で穴井さんのスワノセ・レポートを読んで、この日本にこのような人々が棲息しているんだ、と知ったものの100%ピンとは来なかった。
そのあと清水平にらーださんがトビウオの干物とラッキョウを送って下さったことがある。まさに最高の息吹きとうまさを今も鮮やかに覚えている。

奄美からの帰りに屋久島に無銭で寄って尾之間から楠川に3泊4日で縦断した。
屋久島は私のNATUREのイメージを変えた。
❝屋久島は行かなくてはダメだよ!❞、ナナオの定番の文句の一つ、まさにその通りだった。
スワノセを襲った台風で根こそぎ倒れた屋久杉が何か所かで道をふさいており
(屋久杉は根が浅いと知った)道に迷いながら、鹿児島で買った地図を頼りに進んだ。
その前1975年のトモたちの一大イベント、MILKY WAY CARAVANのとき、
ポン、ナナオ、サンタナと一緒に、沖縄読谷村の金武湾の闘争小屋、奄美大島の石油基地反対闘争、屋久島の屋久杉を守る行動、を回らせてもらった。ただついて行っただけ、いかんせん
幼稚なガキの私でした。
なおポン、トシ、ボブ、エヘラ一行は、すでにその前の年に南西諸島をキャラバンしている。ポンの詳細なレポートがある。




あれからかれこれ50年、
思いがけなく新潟から伸が詩集を送ってくれた。
伸が清水平に来たことは覚えている、でも私の知らない、覚えていないことが多くて
未知の土地の記事のようだ。
思い出す時間、あじわう時間、記録して残す時間ができたんだね。FACEBOOKにも
なかまたちのアーカイブ保存の様子があれこれアップされてくる。



スッキリスマートとは縁遠かったあのころ
混沌、混乱,奈落の底に降り注ぐ歓喜と祝福の雨、
ようやく少しづつ書くことができるようになりっつある感じかな。
長い歴史の中でその意味はまだまだわからない、でもこれだけは言える、
私たちは、カッコよかったかどうかは別にして、
原初のエネルギーを同時代して共にした
と。
このことが変わらずに、生きてきたエネルギーの源泉の一つになっていると。
その経験の一つ、私は 聖地 京大西部講堂のステージで歌ったことがある、
キメルことはできなかったかもしれないけれど、
アマチュアの神髄をもしかして発揮できたのかも?
やっぱり、私は誇りに思っている。

小リンゴの花。去年は咲年だったようです。

『生きてるだけですごいんだ』 

1149/10000 4/27分 5月14日(日)記 2023

今日は昨日行って来ました講演会のレポートを致します。
その講演会はこちらです。

『ゆめパのじかん in とかち 輪~むでつくるみんなの居場所』
西野博之氏講演会
「居場所のちから~生きてるだけですごいんだ~」

◆会場はほぼ満員、生まれたばかりの赤ちゃんから米澤市長さん迄、社会の中堅どころの方々の熱気があふれていました。

西野さんのお話に先立ち、地元十勝で居場所づくりをなさっている方々=輪~むの皆様のご挨拶があり、こんなに多くの人がすでに活動してるんだ!とびっくりしました。30年前と比べたら進歩している、それは世の中が大変になっているから、これも事実ですね。



『日本の若者の死因のトップは自殺、小中高校生の自死者は2022年再び過去最高を更新
 自分を素晴らしいと思っている自尊感情を持つ子供は20%、
 こんな先進国はない、日本だけ』

 西野さんのお話には、はじめからビシバシ来ました。



① 学校に行けない、学校を中退した子供たちの居場所つくりにかかわりはじめたのは1986年、以来幾多のクレーム、困難を乗り越えて川崎市で公設民営の『フリースペースえん』を開設、行政と民間と共同でつくった『川崎市子ども夢パーク』の所長を2021年まで16年お勤めになりました。

② 子供たちの居場所では
居場所のない子供たちが安心してなにをやってもOK
評価されない 上からの押し付けがない そのままの自分でいい

③ 居場所を得て、自己効力感=私ってできるじゃない!をゲットするには
 ・焚火を囲む ・暮らしを取り戻す ご飯を一緒に作って一緒に食べることから

 ・消費脳から生産脳へ


④ 話し合いを重ねる
川崎市とのコラボに当たっては2年間で300回の 話し合いの場を持った

⑤ 地元のネットワークが大切
 プロとしてやってきたこと、得意なこと、できることを提供しあってやっている

⑥ ゆる親でいい
 明治維新以来の、戦争の兵隊を養成するための管理教育に合わせる必要はない
 限界が来ている

⑦ 民意が変わってきている
 自分たちの生きやすい社会をつくる実践が全国で広まっている
子ども食堂は全国に7000か所開設されている。



◆ 『日本の若者の死因のトップは自殺、小中高校生の自死者は2022年再び過去最高を更新
 自分を素晴らしいと思っている自尊感情を持つ子供は20%しかいない、
 
こんな先進国はない、日本だけ』
2年前このことを知りずきゅんと来て
生きるために生まれてきた育ち盛りのお子が自死とは
管内でも珍しいことではないという。
信じられない、信じたくない。

以来『子どもたちが安心してスクスク育つ世の中に変えるために
その基礎の基礎を担おう』
では私に何がができるだろうか?
と思案を続けてきました。
このリサーチのためにも参加したわけです。


西野さん
 ご飯をいっしょに作って一緒に食べることから
『 消費脳から生産脳へ 』


これはもうビシバシきまくりです!
30代、長野県の山の中の一軒家で電気ガス水道ナシの暮らしのなかで
ふたりの息子を育てた経験の中で
その土地、清水平の地母神に与えられたことばが
『うむ・はぐくむ・わかちあう』だったからです

もう一つは、13歳まで高度経済成長以前の世の中であったこと、
人口の約50%が農業だった時代を知っている世代として
その中から、いつの時代でも変わらぬものを
後世に伝えようとしているからです。

更に、『 自分は大切な存在だ』と身の内からふつふつと湧き上がってきたら
自分たちの望むそのものをつくるのと並行して
イヤなことはイヤだといい、ダメなことはダメだといえる自分と環境をも
つくっていこうと、子供たちに伝えたい。
子どもの権利を教えたい。されるがままになっていてはダメと伝えたい。
でないと、気づいたら根こそぎやられてた、徴兵令状が来た、なんてことになる可能性が
否定できなくなってるから、すごく心配です。

◆すでに30年以上実践され実績を積まれ
こうして身を挺してリアルでお話なさっておられるお姿に
会場の多くの人が勇気づけられたに違いありません。

国会の様子などウオッチしているとその常識の欠如と人倫の凋落に愕然とする、
でも諦めることができない。なぜなら
こうして、自分たちの望む未来を今作っている人々が列島中にいること、
少子高齢化社会とはいえ、家族、友達に次々に赤ちゃんが生まれているからです。
あくまで希望にフォーカスしています


では限られた残された時間で私にできることはなにか?
あれこれ浮かんでいるアイディアに、ハッキリとしたメリットを加えて
友人知人にたずねながらつくっていこうと気持ちを新たにしました。




⤵去年の葉ばかりで、まさか枯れてしまったのか?と近づいたら、ちゃんと新葉を出していました。ヤチダモの大木@大通公園

『昭和30年のくらしから』

1134/10000 4月12日(水)2023
今週から曜日ごとにテーマを決めました。大まかですので
変わることもあります。
今日の水曜日は◇台所大事を変更しまして
子どもらに寄せてその②
『昭和30年の暮らしから』の一回目をお送りします。



坂本龍一さんが仰っておられました。
『年を重ねると自分たちの後の世代、子供たちのことが気になってくる』と。
実は私もそうなんです。生物のオヤとしての本能でしょうね。
子どもたちが、激動の時代となることがほぼ確実なこれからの山と谷と砂漠を
逞しく乗り切っていくことができるように
伝えるべきものを伝えておこう、と
『子どもらに寄せて』のテーマを設けました。



太平洋戦争を生身で体験した先輩方に続いて
高度経済成長以前の世の中を知る私たちも
まもなくこの世を去ります。
『高度経済成長以来、この国が失ったものを取り戻すには
1000年はかかるだろう』

総合栄養療法の隠れ権威でいらした山本真吉博士のお言葉です。



3月に生まれ故郷の役場と図書館を訪れて
昭和30年前後の暮らしの資料を見せて頂きました。
新たにふつふつとよみがえるものがあり
懐かしい、この言葉では間に合わないものがこみあげてきました。

私の故郷は、山形県北村山郡大石田町川端、名うての防雪地です。
ここで生まれ13歳まで育ちました。


これは雪踏み(大石田弁で何と言っていたか思い出せません)米俵に藁でひもをつけたもの。米俵ではなくて雪踏み用に編んでもらったかもしれません。川端部落の阿部さんのじいちゃんに冬前に冬の藁靴を家族分注文するのでした。
朝、降った雪で入り口がふさがれているのは珍しくなくて、雪が降ったら雪踏みしてないと恥ずかしい(怠け者とみられる 近所の人の暮らしの気をそぐ)とお母さんは気にしていました。これ、受けついでいますね。ここ帯広でも雪が降ったら気になって朝イチで雪はね(北海道弁)します。大石田の雪と比べたり、気候変動で雪が重くなったと違和感を感じたりしながら。


こちらは真冬のメインストリート。馬車が材木などの荷物を運び、豆腐屋さんが箱そりに豆腐を積んでチャルメラを吹きながらまわってきました。馬車の馬が馬車を扱う人を蹴って怪我をさせた事故がありました。

二丁目とありますが、もしかしたら川端部落の入り口ではないでしょうか?
今行くとこんなに狭くて小さかったのかと驚きます。冬は道路が雪で家の一階の高さまで来てました。

雪とのたたかい、わが家は雪をのがれて冬も仕事のある県庁所在地に引っ越すことになったのでした。1960年昭和35年のことです。



県庁所在地に引っ越しての何とも言えない違和感、
10年ほどして私は『疎外』という言葉を知ります。

『高度経済成長以来、この国が失ったものを取り戻すには
1000年はかかるだろう』


高度経済成長期とは? 以下はWikipediaからです。

『 敗戦からの復興(1946~1956年)[編集]

第二次世界大戦において、イギリス・アメリカ・中国・オランダの連合国に敗北し、朝鮮半島台湾などの領地を喪失した上に、敗北と占領下による経済活動の荒廃や混乱を経た上でも、日本は敗北から急速に復興した。

1940年代後半に発生した食糧危機の影響により経済状況が一時悪化するが、1950年朝鮮戦争特需により、占領下を脱して1年半の1953年後半ごろには戦前の最高水準を上回った。1956年10月には戦後11年で経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言。』

この後高度経済成長黎明期に突入していきます。
わが家が県庁所在地に引っ越したのは1960年、
高度経済成長本格化の直前で、引っ越して間もなく
スーパーマーケットが出現します。


昔はよかったとか懐かしむだけでなく
そのよかったところを今に、何かアップデートしたカタチで
いかせないだろうか?

よくなかったところからは学んでやめるとして。
そんなことを思いながら
昭和25~35年のころの様子を
春夏秋冬、季節を追って思い出しながら書いていきます。
                         4/21記




『お父さんが戦争グッズを蒐集すると言ったら』

1133/10000 4月11日(火)2023
今週から曜日ごとにテーマを決めました。大まかですので
変わることもあります。
今日の火曜日は◆子どもらに寄せて
久しぶりに◆ひとり孫姫のみいちゃんへに戻ります。

ひとり孫姫のみいちゃんへその⑪

今日は、政治について話しましょう。

みいちゃんは、政治のこと、考えたことがありますか?
政治についてどんな情報を持っていますか?
中学、高校でどんなことを習ったのでしょうか?

みいちゃんがどんな情報を持っているのか
どんな風に考えているかわからないのですが、
今伝えておきたいことがあります。

私は生まれてから68年間
『日本が戦争をすることはない』
このことを空気のように当たり前と思って
生きてきました。
(正確には、戦争と全く無縁ではなかったのですけれど)

それが、2015年夏、平和安全法制、通称安保法制が
国会に上程されたときに、しまった!と臍を噛みました。
戦争ができる国にするために着々と手を打って来ていたことに
気づくことができず何のアクションもしてこなかったからです。
政治なんて・・と斜にかまえて長い間選挙にもいきませんでした。

安保法制が強行採決で成立したことになると、あっという間に
帯広の自衛隊第5旅団が南スーダンに派遣されることになり
(これは中止となりました。)
一度中止となった軍用飛行機オスプレーは昨年十勝にも
飛来して人家の上を低空飛行、飛行地域を全国に広げています。
日米合同訓練も規模を拡大しています。

今この国の政府は福祉予算を削って軍事費を激増させようとしています。
教育費も信じられない、50年前は、国立大学の授業料は一年で12000円、
奨学金に利子なんてつくわけがなかったのです。

自分には政治なんて関係ない、と20代後半からの20年くらいは、そう思っていました。
実は私は政治は苦手分野で理解にも時間がかかり、
他のやり方で世の中にかかわりたいが本音でもあります。

しかし、曲りなりにでもトップの位置にある人々はマス・メディアで見ることも多く
今多くの~殆どのマスメディアは権力のチェック機能を放棄していますから
知らないでいたら、その空気を吸って影響を受けることになります。
その影響を受けた人々の影響を別の形で私たちも受けることになります。
仮に戦争になったら、この国ではまず食糧危機に直面することは目に見えています。
今はジェンダー平等で女子のみいちゃんも、若い人が少ないのでしうこば~ばたちも
狩り出されることがないとは限りません。
経済政策も一般庶民のことは念頭にありません。

みいちゃんの家の中で
お父さんとおかあさんが、
これからは趣味の戦争グッズをそろえることにしたから
食費を減らす、みいちゃんは学校に行っちゃだめ、とか言い出したら
みいちゃんは、お父さんとお母さんに何と言いますか?

みいちゃんたちに戦争だけは体験させたくない、
もちろん私も戦争だけはイヤです。
他にもあらゆるシーンで課題山積、
40年前ならあり得ない非常識が大手を振って跋扈しています。
品格のなさ、常識の欠如、思いやりの欠落がまかり通っています。

この本、送ります。
この国の現代史(学校で習いましたか?)のキモ、
歴史はどのように捻じ曲げられるのか
私たちが見据えて学びとすべき歴史事実
この国のマスメディアの現況、
では私たちは何ができるのか、
声を荒げることなく,平静に語られています



問題山積、でもめげていない、あきらめることができない人々は少なくありません。
また、斬新なやり方を創造して新たな切り口で、社会を変えている人たちも
沢山います。
私も残された限りある時間を、子どもたちが安心してスクスク育つ世の中にしたい
その基礎の基礎を担おうとしています。

政治とは、私たち一般庶民が生きるか、それとも〇されるか、
その選択を一人一人がすること、その選択を表明することなのです。
みいちゃんは、生きるか、〇されるか、どちらを選びますか?

                             4/18 記       

『「性」について話しましょう』

1122/10000 3月31日(金)2023
◆シリーズ ひとり孫姫のみいちゃんへ その⑪
今日は大切なこと、『性』について話しておきましょう。

私たちには性についても教えてくれる人は誰もいませんでした。
26歳のときのある出会いが私の人生の指針となりました。
これからお話しすることは、その指針を私なりにアレンジしたものです。


① 自身を大切にして下さいね。
  身体はたましいのすみかですから。

② 『性』には二つあります。
  生命力を高めるものと、生命力を損なうものとです。
  生殖のための性行為は、実は生命力を損ないます。しかし
  子孫をつなぐ本能の強さと目くるめく快楽が判断を圧倒します。
  肌の合わない相手との場合はなおのことです。
  生命力を浪費しないように心しましょう。

  穏やかにやすらぐ性、それは性器を必要としません。
  そっと抱き合う、髪の毛に触れる、手をつなぐ、ただいるだけ・・・
  こちらを、生命力を高めるマイナス・エントロピーの性といいます。

  このマイナス・エントロピーの性がもっと知られたらいいのにと
  私は心から願っています。
  知的生産、ふだんの暮らしに穏やかな秩序をもたらしてくれるからです。

③ いずれにせよ、当人同士肌が合うか、合わないかです。
  肌の合う者同士がいっしょになったら、世の中は優しく穏やかで
  戦争もなくなるかもしれません。

④ しかしながら今の世の中、マイナス・エントロピーの性どころの話ではありません。
  身は守らねばなりません。女と二人になったらヤルモノとしか思えないクソ男は
  少なくありません。
  ✖ 夜の一人歩き ✖ 男と二人きりになること 知っている人でも要注意です
  ✖ 肌の露出し過ぎの装いは、劣情を誘うことを知っておきましょう、自ら餌になっては
   ダメ、そもそも品がない。
  護身術はマスターしておきましょう。

⑤ 人を見るときは、ご飯の食べ方です。歴史と人格がそのままあらわれます。
  ご飯、ドリンクの頂き方、YouTubeで実習しておきましょう。
  お店でスタッフさんに上から目線で接する人もセクシーとは言いません。
  セクシーであるとは、・インテリジェンスがある、美的センスがある、・優しい、
  ・ダメなことはダメと言える、行動力がある・謙虚であるなどなど、
  いわゆるルックスとは無関係な場合も少なくありません。

今日はここまで。続きはまたいずれ。

  みいちゃんの前には,洋々とした大海が広がっています。
  そこを渡っていくとき、一筋縄では行かず、混乱、悲嘆、怒り、落胆などなど
  あじわう羽目になっても、みいちゃんをまもっている私たちがいること忘れないで下
  さいね。

  ⤵ 満開、そろそろ散り始めのウメの花です。@山形 3/24

満開、そろそろ散り始めのウメの花‘山形 3/24

『2年分の生活費を貯める、今すぐ始めよう』

1121/10000 3月30 日 ( 木) 2023
今日は、◆シリーズ・ひとり孫姫のみいちゃんへ に戻ります。


ひとり孫姫のみいちゃんへ その⑩
4月から横浜で大学生ですね。
まず、健康、それと勉強、誰よりも55年前の自分に言い聞かせたいです。

今日はお金のことを話しましょう。
これも65年前のしうこばーばに言い聞かせたいことです。
65年前には誰も教えてくれませんでした。

財布からお金を取り出す人のイラスト(女性) | かわいいフリー ...

① 『私は一生お金に不自由しない』と決めます
  そう決まると必要な情報が向こうから入ってきます

② 2年分の生活費を貯める今すぐ始めましょう
  ・いくら必要でしょうか?
  ・いつまでに、と計画します+随時調整します
  ・家計簿をつけます。毎月決算します
   将来決算書が必要な時すぐに出せる準備になります
  ・貯金分を経費として最初に取ります
   今は帯広からの仕送りが生活費ですね、1000円からでもOK,
   今すぐ始めましょう
   何かあったとき、このお金がみいちゃんを守ってくれます。

③ 今は銀行に貯金しても利息は殆どつきませんから
  ・投資をする
   これは一番近いところに尋ねることができる人がいますね。

  ・自分で事業を立ち上げる
   インターネットの進化で機会は無限にある時代
   商業科ですからきっと実習があるでしょう
   基本は、地道に。
   『お客様のどんな困ったこと、悩みを解決してあげることができるか』
   『お客様が手にできるどんなメリットを提供できるか』
   主語はお客様、でもみいちゃんとお客様は対等ですよ。

④ 節約が原則です
   ペットボトル VS 1リットルのマイボトル持参
   必要経費と原価を計算して選択はみいちゃん
   電気、ガス(ないかな?)水道も節約

   みみっちく見えないように、悠々と。
   好きで好きでたまらないことのために回すこともできます。

⑤ 寄付をする。仕送りの中からなら月500円でもOK.
  困っている人、お金を必要としている人、企画にお金を回します。

  みいちゃんはとても恵まれています。荒木家に出現したまぶしいお姫さまのようです。
  自信がある=謙虚である(=『知っていることよりも、知らないことの方が圧倒的に
  多い』このことを知っていること)、ここは押さえておきます。


  十分な収入があるようになったら、その10%を寄付とものの本に書いてあります。
  金は天下のまわりもの、回し役も兼任することで人格がつくられていきます。
  寄付先は見極めて。

⑥ クレジット・カードの使い方はお父さんとお母さんに教わっていることでしょう。
  ・リボルビング払いはしない
  ・手持ちの現金以内で使うこと 来月の仕送りで、は厳禁です。

⑦ お金の話はしていい人と✖な人がいます。
  小さな金額でも貸し借りはしないコト。
  お金は計画的に管理します、さりげなく。

⑧ みいちゃんが今使えるお金はどこから来たのか?
  そのためにお父さんとお母さんがどう生きてきたのか、
  お話を聞きましょう。洞察しましょう。
  お父さんは、みいちゃんの年のころにはすでに3回、死地をくぐり終えていました。

⑨ お金そのものを大切に丁寧に扱います。
  一円硬貨も大切にします。

⑩ お金よりも大切なもの、それは
  時間です。

  寸陰を惜しんで下さい、これもさりげなく。

⑪ 一年に一回とか、パーっと使うことがあってもいいかもしれません。

⑫ 『ありがとう』しましょう、イチイチね。近い家族には言いにくかったら
   ❝ありがとう記録❞をつけておいて、お誕生日などに封筒に入れて差し上げるのは
   どうでしょう?
   ありがとう、おかげさまで、もったいない、ばちが当たる、お天道様が見ている、
   この生命カンがみいちゃんの身の内からよみがえってきますように。

   この列島に棲む人々によみがえりますように。

以上、しうこば~ばが13歳の自分に言い聞かせたかったことです。
みいちゃんは今が一番勢いのある時(たぶん)、なにかひとつでもピンとくることがあったらありがたいです。
自信をもって経験知を増やしていきましょう。いつも見まもっていますよ。


みいちゃんは小さいときからきれいなものが好きでした。
ツバキの花は山形で。帯広にはないものに目を見張っているころかな?
  

『子どもらに寄せて』

1119/10000  3月28日(火) 2023
◆シリーズ 3/14~24山形・宮城報告その⑬
本シリーズも今日で最終回
今回の旅をすっかりお膳立てしてくれたタマキさんへの手紙で
ひとまず終了と致します。

タマキさんへ その②

あらたな刺激の機会をありがとうございました。
フレッシュ深堀りの旅でした。
ところ変われば気候も風景も人も気配もみな変わりますね、あたりまえか。
この2年は半径500メートル、その前10年は半径1000メートルで、駅の近くで暮らしていたのですから気分はお上りさんしておりましたわ。

月山、葉山の雄姿、鳥海山はてっぺんだけ、朝日連峰も仙台に向かうバスの中からその輝きを垣間見ることができました。月山は2回、葉山、鳥海山は1回登っています。朝日,飯豊は一人ではムリなので仰ぎみるにとどまりました。そしてなによりも母なる最上川でした。

最上川の大橋を渡って秘境次年子まで一走りで。
すごくうまいお蕎麦屋さんの
シンプルな前菜、こちらもうまい。

時々持ち場を離れるのは、いいもんですね、欠かせないな、次はちょっと旅慣れた感じで、と
植物型家付き猫は遠くにまなざしを向けるのでした。この春は今の古い借家から移動しそうな気配もしていて、2年前から引っ越し準備のため鉢上げしている植物を軒先に並べています。本州にベースがあるのも悪くないですね。

おかげさまで、リフレッシュ+ひとつ深堀り、
自分のやりたいことを確かめて強化され、
冬からサジェッションされていたプロジェクトにお力添えも
タマキさんはじめお会いした方々からそれぞれ頂くことができました。

子どもたち孫たち、後世に私たちから伝えるべきものとは何か?
子どもたちが前を向いてよそおい軽く歩いて行けるように。

冨澤部落の馬頭観音様に奉納?された巨大草鞋?
(ぼけました、ごめんなさい)



中世に戻る気配濃厚な今と近未来、
乗り切って縦横無尽に逞しくやっていく人々
暴力的な力にやられてしまう人々
暴力的な力をなんとも感じずなすがままにされてしまう人々
その間を行ったり来たりする人々
ひとりの人間の中に同居してもいます。


願わくは、どうかソフトランディンングで
子どもたちも、この世時間の短い私たちも、坦々とやっていけますように。
そんな大げさな老婆心を必要としていない穏やかなチカラに出会わせてもらいながら
この列島に棲む私たちのまっとうな誇りってなんだろうと
つらつら思われることでした。




預かっている課題は冊子の制作、
夏至までに第一稿を上げる、とスケジューリングしてみました。
仮題は『子どもらに寄せて』
その① 『ひとり孫姫のたみちゃんへ』
その② 『昭和30年の暮らしから』
どんな時代でも変わらないものはあるはず、
高度経済成長以前の世の中を多少なりとも知っている私たちから後世に参考になればと。
連絡し合いましょう。ご多忙のところおそれいります。

早春の宮城、山形、ツバキ、ウメ、モモ、レンギョウ、サンシュユの花々
あれから半月以上、すでに山も畑も春の緑におおわれていることでしょう。
タマキさんファミリーとなかまたちが平安のうちにありますように。
        またお会いできる日まで    しう子より   4/7



年季入ってます。お多福さん@銀山温泉

『私たちが伝えるべきこと 結城登美雄さんへの手紙』

1108/10000 3月17日(金)2023
◆シリーズ 3/14~24 山形・宮城行報告その②
今日は、結城登美雄さんへの手紙 です。
結城さんは、地元学の創始者のひとりでその第一人者であり、東北を中心に全国の農漁村を回り地元の受け継がれてきた生業の文化を今とこれからに生かすいくつものプロジェクトを成功させ、結城さんと私たちが次の世代に伝えるべきものを伝え続けています。結城さんと私は山形大学の同期で、心から誇りに思っています。結城さんは満州生まれ、私より二つほど先輩になります。


結城登美雄様 美枝子様

お時間作って下さり本当にありがとうございました。
お会いできて本当によかったです。私たちが次の世代につたえるべきものがある、
このことをじっくりとごっつく示して頂きました。

私たちがこのあとに伝えるべきこととは何でしょう。
お話を伺いご本を拝読して私なりに今言葉になることは、

一つに、消費脳から生産脳へと舵を切り直すこと
二つに、『じかに身をもっての感受性』のよみがえり
三つめは、一言でいうと『畏れ多い』、この生命カンを取り戻すこと
それぞれ、手もと足もとから
     どこにいても今すぐできることがある
     ハタと自身で気づくこと
このことを、私なりの表現でできることはないかと、呻いております。
自分たちの後続の子どもたち、孫たち、その後の世代が大丈夫であるようにと気になるようになったのは、一つ年齢のこともあるでしょう。トシをとると脳内ホルモンがそのように変化するとか。もう一つはこのままでは『国も破れて山河もなし』の近未来がみえる現況への危機感です。

結城さんの足で歩かれた自分ごととしての聞き取りの数には圧倒されます。結城さんの前では何をいっても口幅ったい、この事実は否めません。それを承知で私の自分史を振り返りますと、いくつか結城さんと共通のものがあると感じます。

・豪雪地大石田のメインストリートに初めてブルトーザーが入って来たときの違和感と屈辱感
 とは何だったのか?
・『ざいごくさい』=在郷くさい は劣っていることでコンプレックスを持つのが当然と思っていました。
・山の畑。大石田の今宿のはずれの山の中に戦時中の開墾?畑がありました。大八車に肥桶,かます、鍬を積んでお母さんが近所のおばさんと一緒に通って、イモ、豆、サツマイモ、ゴマなど作っていました。昼休みには握り飯にお菜、水は傍らの林の中に掘った泉から汲んできました。家の前の南側にお天道様の光をあびているゴマの木にうようよと巨大なゴマ虫が蠢いていました。
・『イナムシカンカラカン』、夏に農家の子供たちが柳?の枝を持ってメイン・ストリートを練り歩き、❝今年はイネに悪い虫がつかないように❞と唱え歌いながら豊年満作を祈り願う、それが「農薬」でした。
・ 最上川の水上がりで毎年一番最初に床上浸水するのが我が家。堤防工事のため立ち退いて県庁所在地に引っ越したのが1960年、高度経済成長真っ盛りとなったころでした。
 一学年100人2クラスから、400人8クラスの学校へ。その生きることの影の薄さに呼吸困難に、後で『疎外』という言葉を知ることになります。女子は、自分のことを、オレからワタシに変える練習をしていました。山形市で人並みにスーパーマーケット経済に巻き込まれた10年を過ごし、お母さんのつくるお菜は全部茶色だ、ざいごクサいと文句をたれていました。

・ 優秀な先輩が『期待される人間像』の読み合わせをやってくれましたが感度がイマイチ鈍い私でした 。ベトナム反戦と大学闘争の時代、山大のキャンパスに連日繰り広げられるジグザグデモを、学生会館の前から見下ろしながら、これはいったい何なんだ?と考え続てきました。(遅まきながら、そのジグソー・パズルのピースがピタッとはまったのは2015年秋、臍を嚙みました。)
 これはいったいなんなんだ?封鎖がとかれた大学に戻らず蔵王山系の山小屋に居続けていると、結城さんたちが心配して迎えに来てくれました。(ありがとうございました)まあ、あのころは、暗中模索と言ってもサマにならず親の心配はいかばかりかなど今ごろ言っても始まりません。普通の就職をする気がなくなって、なんとか卒業にこぎつけてワンシーズン天童の果樹農家に出面に行って
・1971年11月末リュックひとつで東京に出て、『食養』に出会って、食は生きることの基本と目覚めて人生が一変したのが1972年、以来自然食玄米食自然療法50年。もともと大石田では、お母さんがゲンノショウコ、ドクダミ、オトギリソウに梅肉エキス、富山の薬でなおしてくれて、医者にいったことなくそれが当たり前の時代でした。
・断食にはまっていた時、結城さんにたのんで左沢の田代?のご実家にお世話になりました。
・1974年、数百人のなかまとともにまるごとひとつのいのちで生きる生き方を求めて沖縄の読谷村から北海道の知床半島まで主にヒッチハイクで列島を縦断、
(昔語りをしてもしょうがないですね、しかも過酷な自然の中で生きるために必死の人々とは已む無い必死さのレベルがそもそも違います)

・30代信州の山の中の一軒家で電気ガス水道ナシの8年半の暮らしの中で二人の息子を育てました。
すでに過疎となった入山部落の入り口の蛇行する入山川の内側に立つ百姓さんの元屋敷でした。すでに村人が入山を下りてから10年当時残っていたのは2軒、そのうちの一軒池田さんは文字通りの百姓で、木曽の山仕事仕込みの大きな手鋸で直径3尺の木を見事に水平に切って見せてくれました。池田さんともう一軒日向のおばさんにはほんとうによくしてもらいました。GIVE&GIVE、文字通りおかげさまでそこで暮らすことができました。。
ままごとでしたけれど、稗、黍、高黍、粟、小豆、大豆、えごま、となんでも作り、覚束ない手つきで、池田さんたちに教えてもらい、農文協刊のバイブル片手に、麹、味噌、醤油、どぶろくとなんでもつくりました。
生坂村の何かの記念に全戸配布された村の航空写真、山襞に埋もれて生きていた人々、今の言葉ではエコロジカルではあろう、しかし、『生きることで精いっぱいだった』『お前たちは本当の貧乏を知らない』と土地の人にいわれました。
そこ清水平の地母神に与えられたのは、三つの言葉、『うむ・はぐくむ・わかちあう』でした。

今回の山形行では、押切さんにお願いして大石田の役場に寄ってもらい、図書館のスタッフさんが用意して下さった昭和30年代の資料を10冊ほどめくることができました。
『写真で見る大石田町史』には生まれ故郷の川端の冬、最上川の洪水の写真もあり、ヤッターと快哉、更に鉄道開通以前の大石田の街並みの一軒一軒の調査の冊子には驚きました。きっともう一度訪れることになると思います。

何も知らず生意気盛りだったころには歯牙にもかけなかったことがあれこれと気になりだし、自分が出現した時空の歴史はどうなっていたのかと姉、弟と一緒に荒木家のファミリー・ヒストリー秘話で一晩盛り上がりました。


文字通りの百姓だった池田の爺さん、明治39年生まれの父(建築大工)、明治43年生まれの母(お嬢様育ちの婿取り)の世代と比べたらなんと生命力のダウンした私、国も敗れて山河もなしの危機にさらされて衰退にひた走るかに見えるこの列島で、それでも何かを子供たち、孫たち、その次の未来の世代に伝えたい、子供たちを信じて。経験も浅く非力な自分に何かできることはあるだろうか?いまその言葉をさがしています。

『この国がこの50年に失ったものを取り戻すには千年かかるだろう』10年前尊敬する先生がオープン・セミナーでふともらした一言です。太平洋戦争を身をもって知る世代に続いて、私たち高度経済成長以前の世の中を知る世代があの世に引っ越します。いつの時代にも変わらないものはあるはず、これをアップデートしたカタチで今様によみがえらせる試みをせめて見守ることのできるおばばでいられたらと願っています。

今度の東北行きでは、何人もの『大丈夫な』頼もしい人々、いくつものシーンに出会わせてもらいました。それは、never give upな人々というよりも、雑草のごとく❝自然発生❞してくるいのちの息吹とも見えます。『この列島の資源は放っておいたらどこにでも雑草が生えること』(藤井平司さん)なのですから。
中でも結城さんにリアルで会えたことはこの先のシニア人生のごっつい骨となってくれるとビビッときています。
どうか御身御大切に(お互いさま)、再会にかさねて感謝します。

関根さん、女同士で盛り上がる機会がありますように、再会のときを胸に、トシなりにですけど がんばりますね。



⤵ 結城登美雄さんの著書のひとつです。統計、数字もバッチリ。(押切さん蔵書)
私には生まれ故郷山形の大石田の 記憶と当時の人々の生命力がよみがえります。


『大学合格おめでとう~ひとり孫姫のみいちゃんへ』

1101/10000 3月10日(金)2023

おかげさまで ひとり孫姫のみいちゃんがその自信の通り志望大学に合格しました。
今日が合格発表日、ハツばあちゃんから電話があって、二人ともいざ発表日となると不安と心配で黒雲が立ち込めおろおろ、結果がわかって大喜びの一安心です。

みいちゃん、志望大学合格おめでとう!
よかった、よかった、頑張りましたね。

シリーズ ひとり孫姫のみいちゃんへ その⑨


2 健康と学びをセットで のうち
今日は 学びのことです。

これは、もし私が今大学に入ったらという話です。5年かかって卒業した後
子育てがひと段落したころから後悔の念に唇を噛んできました。もっと勉強しておくべきであった、素養と語学の欠如をこれから埋めようとしているしうこば~ばからです。
心に響くことがひとつでもあったら幸いですよ。



とにもかくにもまず勉強に精を出します
① 大学の勉強
  ・取捨選択 優先順位を決めます 内容、教授の実力,関心
  テスト、レポートの〆切に合わせて、二日前遅くも前日までにはおわします。

  〆切効果を活用して、時間を使います。時間に使われないで。

  ・取れる資格は取ります。機会を逃さない。但し世の中に出て役に立つかは
   みいちゃん次第となるでしょう。

② 一番大切な課目は
  ★この国の歴史、地理、文化です
   ・歴史は明治維新~太平洋戦争~現在まで
    学校で習った歴史ではないのがあれこれ出ていますからそっちの方にも
    アンテナを立てます。
   ・文化 
    美術館にはたくさん行きましょう。横浜には市立美術館もあります。
    そのときピンと来なくても構わない、触れておくことが大切です
    文学、思想は最も大事、古典から現代文学迄主なものを通読しましょう

   ・この国の今の課題とは何か?
    みいちゃん自身の問いとアイディアをメモします
   ・この国のまっとうな誇りとは何か?
    このことが最も混乱を極めている状態です。
    一緒に考えましょう。
   ・日本について、英語で話せるようにしておきます
    みいちゃんのお爺ちゃんは、40過ぎてから英語をマスター、日常会話には興味がない    
    人でした。

  ★世界の歴史、文化、地理についても学びましょう
    ・ニュースは、Al Jazeera, BBC, CNNなども必須
     取捨選択の目を養います  鵜呑みは禁物、情報操作が普通です
    ・日本語をしっかり学ぶ 思い、アイディア、意見を言語化する訓練
     外国語は、英語の他に最低一つは~二つ

  ★大学の科目では間に合わなかったら
    独自にカリキュラムを組みます


  ★ 教養、人格、学術、柔軟性~が圧倒的な師に出会えますように
   学内でも、学外でも
   ともに学び合い、問を言葉にしてその解決策を探ろうとする友達に出会えますように。
   集合知、相乗効果がうまれ、卒業後も交流、助け合える友達に出会えますように。


私たちのころは、学習法、時間管理のやり方、計画の立て方など、そういったものがなく(私の知る限り)時間にはおわれるものだという先入観に支配されて ただ闇雲にがむしゃらにやるだけでした。今やそのノウハウ本も本屋さんの一角を専有しています。

① 課題をすべてリスト・アップ⇒最優先をピックアップ 25 → 10 → 3つにしぼる
  スケジュール表に落とし込む
  →〆切 自分と約束する→決められた、自分が決めた時間でおわす 完璧を期さない、
  完璧を期すには時間とエネルギーの配分をスケジューリング
  →一時に一事 一点集中 JUST DO IT
  →〆切の最低一日前におわす

② スケジュール表をつくる 
   ギシギシつめこまない  できることを前提にして
   TAKE IT EASYで
  自己達成ダイアリーをつける
  

③ 計画通りにできなくて当たりまえ。調整して改善の繰り返しです。

④ もっとも肝要なことは 『われら何をか知る』
  知っていることよりも知らないことの方が圧倒的に多い
  知っていることと、それを自分ができることは別物

  肝に銘じておきましょう。。

勉強のイラスト「テスト勉強・女の子」 | かわいいフリー素材集 ...

問いを自分たちで見つけてそれを言葉にして
答えのない課題に答えをつくり出していく時代に乗り出す準備期間を
有効に使って下さいな。ひそかに祈って応援していますよ。

若い人は、自分のカンをたよりにぐいぐいやっていくものです。
なにかひっかかることがひとつでもあったら幸いですよ。

みいちゃん、志望大学合格 おめでとう。
高校の先生、塾の先生にありがとうございます
おとうさん、おかあさん、ハツばあちゃんにありがとう
面と向かって言えなかったら、カードに書いておきましょう。

入学祝いの本、何冊かリストアップしていますよ。

初フキノトウです 去年と同じご近所で借景

『放射能から身をまもる』

1096/10000 3月5日(日) 2023

 2011年3月11日から満12年、爆発してメルトスルーした福島原発はまだまだ終息のメドがついていません。北海道十勝地方から神奈川に出るひとり孫姫に宛てて放射能から身を守るすべを伝えます。きょうは◆ひとり孫姫のみいちゃんへ~その⑨です。

 福島原発の大爆発、放射能の怖さ、みいちゃんは聞いていますか?もしまだだったら
放射能 害⇒検索してみてくださいね。
 帯広は福島からかなり遠いのですが、それでも油断はできません。神奈川は近くなりますから天気予報で風向きをチェックしましょう。

 放射能の害に人間はなすすべがない、と一般的に、脱原発の人でも、といわれています。でも私は、そうではない、なすすべはあるとカンじて、その情報を集めてきました。

① 重曹
 インターネットで初めて見たのがアメリカの軍で重曹を入れた風呂に入ると放射能除去効果があったという記事でした。重曹水につけると野菜の有害化学農薬と放射能の除去のできるそうです。重曹とクエン酸水を毎日飲んでいます、これも悪くなさそう。重曹はお菓子作りのも掃除にも重宝します。常備しておきましょう。


② 光合成菌
 初めて教えてもらったのは地元の無農薬栽培の農家さんからでした。以来私の小さな菜園は堆肥も使わず耕すことも以前の半分くらいになって畑がすごく楽になりました。
 光合成菌は放射能が大好きで地球が放射能でいっぱいだった時パクパク食べてくれて多様な生物、ヒトも住めるようになったのだそうです。
 イラク戦争で劣化ウラン弾を浴びた被災者に摂ってもらって効果を上げたデータもあります。友達が農文協から出ている光合成菌の本をプレゼントしてくれました。そのことも載っています。
 しうこば~ばはその友達から教えてもらって今は、自分でつくっています。米のとぎ汁にヨモギの先端の葉を入れて夏に日向に出しておくだけです。身近にどこにでもあるもので放射能除去ができるなんてよくないですか?ホームセンターでも売っています。

③ ポリグル
 これはどんな水をも飲める水にする浄水材です。ポリグルで検索してみてね。販売されてます。大都会では、災害時、避難用に常備しておくのも◎ですよ。
 この会社の社長さんの講演を聞いたことがあります。東京工業大学で検査してもらったところ一つの放射能を除いて除去されたそうです。社長さん早速福島に持っていったら断られたとのこと、安すぎるからダメだったそうです。

④ 味噌
 有名な話。長崎に原爆が落とされたとき、当時の長崎浦上第一病院で秋月振一郎医師は『玄米と味噌と塩を使って「塩辛い玄米のおにぎり」と「塩辛いカボチャの味噌汁」を作り、同病院の職員・患者たちに毎日、毎食与えたところ、原爆による症状(白血病貧血ほか)が出なかった上、何十年もほとんどの人が原爆症を発症しなかった』(Wikipedia)
 但し味噌は生命力のある味噌のほうがいいことは言うまでもありません。
 農薬を使わず育てた豆で、顔の見える人がつくったものが一番ですね。ハツばあちゃんが奥田農場からもらってくる味噌を送ってもらいましょう。みいちゃん、味噌汁大好きだもんね。
今年の春は私も30年ぶりに味噌をつくろうと今から楽しみにしています。

⓹ 超高速で時間の密度を上げることで半減期を早めて放射能を無毒化する。この装置はまだ開発されていません。

 一般常識からみたら、ウソでしょうとそっぽむかれることがほんとだったりします。既存の一般常識では地球のこの現況を乗り越えることは不可能です。これからぶっ飛んだ発明、技術があれこれ開発されるでしょう。玉石混交、利権保持者からの妨害も予想されます。見る目を養っておきましょう。

 食べ物はいのちの基本です。まごわやさしいの日本の伝統食を中心に、お膳を整えてよく噛んでいただき、ごちそうさまま。腸は第一の脳、日々自律神経をととのえておきましょう。
 みいちゃん、放射能から身をまもること忘れないでね。

⤵ 冬を越したメークインから芽が出てきたので、
マヨネーズを作って芋サラダ。味しくて食べすぎ、案の定。