『語らぬものが語るもの』

1172/10000 7月3日(月)2023
毎週月曜日のテーマは、◆ばばぢからクラブです。
ばば、の「ば」は、場を作るの「ば」
生きる場をつくるチカラ、
若いころに戻りたいとは、全然思わない、
ばあちゃんであることが気に入っています。
年季、年の功ってなんだろう?
このことをつらつら考えていきましょう。

今日は私の❝ばばぢからクラブ❞の原点のひとつとして胸の中に動かずにあって、真っ先になどことさらに強調して表現することもない、一番先に思い出すことをお話しましょう。

それはこの本です。島本久恵さん(1893~1985)の『明治の女性たち』
出会ったのは20歳ころ、今の言葉でいうといたくビビッときて細胞レベルまで沁みました。
道は遠し、ではありますけれど。



複雑に錯綜する時代と状況の只中でまさに凛として生き抜いた女性たちの、島本久恵刀自の聞き書きです
そのただならぬ筆致と登場人物それぞれの凛とした生き方に憧れて50年以上、いまだに『オトナに脱皮して最期を迎えたい』など呑気極まることを思うばかりの自分です。

今、『蓮月尼考』を一読して生きる力を頂きました。
暮らしは質素、暮らしを成り立たせてくれている一つ一つへの敬意と扱う丁寧さ、目立たぬように人助け、そのためにも、作品を作り続ける、激動の江戸時代末期~明治初期の京都の暮らし、連月尼をめぐる人々の循環とそれぞれの機微、歌のやり取り。すべてが質実そのものです。(リテラシー不足で上手にまとめることができないのが悔しい)88歳までにはこのような生き方をしようと、わが身は反応します。

もうひとつだけメモしておきましょう。
初代文部大臣の『森有禮夫人のこと』から1か所だけ。常に私の胸の中にあった「語らぬもの」についてです。


『その忍耐が無量の重さで示されていた刀自のおもかげは、下の下にも語らぬものをおししずめて定まったもので、・・・たとえ聴き手にいまならそれだけの用意ができていて、刀自の方にも語りたい思いが胸元もとにいっぱいであったとしても、それを言葉にして出すことができたであろうか。やはり無言で、互いの感じ合いに終わるよりほかなかったのではないか、と思われる。』

今ならエンパシー、というところでしょうか?言葉にならないこと、言葉にして外に出してはならないものについては、またいつかお話しあいましょう。

『明治は遠くなりにけり』から100年、受けつぐことができなかったもの、失ってしまった良さは何なんだろうか?明治生まれの母は私たちによく顔をしかめていた。母には当たり前だったことが子供たちに通用しなかったのだ。

女性に選挙権もなかった時代に、自身を貫いて生き抜いた明治の女性たち、その生命力とパワーに圧倒されます。なんと薄くなったことかとため息が出ます。ざっとなぞるだけでなんともったいない薄いラフな生き方をしていることか、日常の機微をスルーしないことから生きなおしを、と願われることです。


⤵シナノキの花@帯広駅北側