『焚火ができるところ』

1105/10000 3月15日(水)2023

今日はこれから山形出張です。出かける前の準備は順調にすすみました。
掃除、洗濯もスイスイと、JRの電車と新千歳空港で頂く弁当もできました。
乗り物の中では、文庫本を用意しましたが、あれこれメモ書きもせねば。
あと30分で家を出ます。昨日局留めの手続きもしてきました。

この春は、なんだか引っ越しの予感がふわっと強まっています。
2年前から引っ越そうと駅の近くの公営住宅を探しています、
でも、もしかしたらどこか別のところになるかも、そんな予感もチラとしないこともない・・・

そんな時、素晴らしい出会いがありました。
届いたばかりの『名前のない新聞』の細かい字を追っているとなんと!
やっぱりあるんだ、望めば叶う!

島田啓介さん、 今のように流行になる前からマインドフルネスの講座や
ワークショップを重ねて来られたマインドフルネスの源流のおひとりです。すぐFACEBOOKで友達申請しました。

島田さん『15年ほど前に今住んでいる家に引っ越してくるときに、自然の中で焚火をできるところ、そして畑もできるところ、周りに全く家がないところに住もう・・・ただし二人だけでこもるんじゃなくて、そこにいろんな人が来てワークショップをやりたいから、交通の便がいいところ・・・そんなにうまい話はない・・・。けれどもそれがあったんです!それは物凄いイメージトレーニングをしたんです。ないという頭で探すと実際ないので、だからもうあるってことにして、人がすぐ来れるし、しかも完璧に自分たちが望む環境で、妥協しないと。』

(この続き、新清水平のことを、向こうに着いてから書きます、
とは言ったものの、旅慣れないおばば、書くことができずに帯広に帰ってきました。
今日は27日、いつもの場所で書いてます。)

私の未来地図帳のゴール=出発点は、
❝ しうこば~ばと縁側で❞
『コミュニティの一角、新清水平の縁側で、お子たちと日本古典文学と思想の音読教室をやっているしうこば~ば』なのです。
新清水平というネーミングは、私の原点のひとつ、信州の山の中の一軒家から来ています。
⤵ 1977年秋、@信州清水平 上の息子が生まれる数日前です。

写真の説明はありません。


新清水平は、縁側、土間、路地   内ならず外ならず 人が自然に出入りする
                 路地は山形弁では『ろうず』、家の中の土の通路です。
      室、北海道なら雪室、 食糧と食料の備蓄 漬物、味噌、醤油桶 
                 その日暮らしにならない
      井戸、または沢の水、自家発電、
      大きな台所、     漬物、干し野菜、山菜・野菜をさばく 味噌つくり
      お茶のみ処、学び舎

もちろん私一人ではできません、何らかの形で実現するように私のFACEBOOKのカヴァーにして日々イメージトレーニングしているというわけです。

ところが、今回の東北行きで、あったのです!
山が迫る小さな内海に棲息する小さな部落の階段を登ると
なんと!縁側、障子、光がクリアに透明、
柱、欄間、ほの暗い畳の部屋・・・
浜の暮らしのはまぐり堂さん、宮城県石巻市牡鹿半島の付け根に
海と山と人の生業がひとつになった空間が、あったのです。

一目見ただけで、わっと夢中になりました。
それはそれはすがすがしい空間です。
はまぐり堂さんがどうやってできたのか、などなど
この続きは、この度の東北行きの報告で致します。

焚火のできる、縁側と土間のあるところ、
自然と人のなりわいがひとつになった時空、をイメージしながら
フキノトウの出具合を街中で探索しています。