『のりこ姉ちゃんへ』

1084/10000 2月2日(木)2023

今日のカテゴリーは、◆手紙集で、一番上ののりこねえちゃんに宛てて書きます。
私たちは昭和7年から25年までの7人兄弟で、私は四女、一番上ののり子姉ちゃんは、『姉ちゃん』と、下の二人は『ていこねえちゃん』、『ゑい子ねえちゃん』と名前を付けて呼んでいました。私は3人の姉に面倒見てもらってとてもかわいがられて育ちました。いまだにその状態が続いていてちょっとコンプレックス、ていこねえちゃんはすでに世を去りました。
トシを取ると、善し悪し、価値評価といったものがたいていは消えて、ただいっしょにいたことが懐かしく思い出されるようになるものですね。

集合している人たちのイラスト(女性) | かわいいフリー素材集 いらすとや
まあ、いろいろあって当たり前、
生きてることに感謝して、と。


のり子姉さま
 
お誕生日おめでとうございます。お手紙せねばと思いつつ先に頂いてしまいました。 同じ2月生まれ、毎年覚えていて下さってありがとうございます。
お父さんは95歳だったんですね。ねえちゃんもあと10年は大丈夫ですよ。

九重流詩吟、45年のキャリアになるんですね!『 継続は力なり 』、ですものね。
おなかから声を出すのって全身に、特に心臓にいいっていいますよね。
足腰から弱るってほんとですね。テレビのラジオ体操とかどうでしょうか?
ひとりだとやる気が出ないかな、近くの歩いて行ける公民館でやっていませんか?

ゑい子さんとこ、利明くんとこもみな元気で何よりです。
お子たちは大きくなるの早いですね。こちらのみいちゃんも大学受験で勉強に精出しているようです。関東の大学志望なので二郎叔父さんと連絡を取っています。


前に送ってくれた川端部落の家の地図、とても貴重なもので大切にしています。
賢ちゃん、ゑい子さん、利明くんにコピーを送って、月一回大石田の思い出の手紙交換会しようかと思っています。連休までには第一信送ろうかな。
だいぶ前から思い出すのは大石田のことばかりです。


こちらは予報では、向こう一週間日中プラス、10度まで上がる日もあるそうです。
山形ではフキノトウ、もうすぐですね。大石田の春、思い出します。
ウロカの屋敷の立派な塀の日陰に雪を溶かして顔を出すフキノトウ、
中学校に通う朝、固雪に伸びる桑の木の陰、
雛祭り、雛壇、くじら餅、お供えのイワシ,寿司、
列をなして子供たちがメインストリートの家をまわるのでした。
❝お雛さん、みせでけらっしゃい❞ お菓子を貰って次の家へ~。




牛や馬で耕し冬は馬橇の暮らしから、パソコン、A Iの時代まで,私たちまあ、よくやってますよね。お母さんは言ってました。「太平洋戦争が終わるまではばあちゃんに教わった通りに毎年同じことをやっていればよかった」と。生まれ育った家を解体して県庁所在地に引っ越すときお母さんはどんな気持ちだったのでしょうね。解体する前と解体中、解体後の写真、昔の大橋の写真、父の若いときの写真、まだ残っていたら見てみたいですね。


実は3月に赤倉温泉まで行きます。
私のブログを見てくれていた友達が『本を出版しよう』と企画してくれてその打ち合わせの初顔合わせです。ブログ去年の5月まで3年間毎日書いていたのです。上手下手は抜きで。
生まれつき好きだった『書くこと』で一仕事しようかなと、今年の私の誕生日から毎日更新を再開しています。
新千歳-仙台往復です。帰りに山形によって会えるかも、スケジュールみてみますね。

今日はこの辺で。
元気でいて下さいね。        しう子より

生まれ故郷の川端の家地図。職業の多様性にご注目。