『祈りについて』

981/10000 2022 1月13日 木曜日
毎週木曜日は、◆子供らに寄せて
次の世代に伝えたいことをメモ書きしていきます。
あいまに私の来し方が入ります。


早くも正月過ぎ
各地のFACEBOOKの友達から、
どんど焼きの投稿が相次いでいます。
どんど焼き、山形の生まれ故郷では
オサイト(御斎火か?)と言いました。

今日は正月のうちに
祈りについてのメモ書きその①です。

生きることのなかみを表にしました。




荒木家は、1960年に
北村山郡大石田町から
県庁所在地の山形市に引っ越しました。
大石田では月歴で暮らしていたのです。
学校、役場は新暦でした。

母のメインの仕事は
八百万の神々を祭る
季節の食べ物と一体になった
民俗年中行事を執り行うことでした。

暮れからは
煤払い、
正月料理
餅つき
大きなお供え餅とのし餅

大晦日には
お神酒を上げてそばを食べます。

元旦
お神酒を上げて正月料理を頂きます。
初詣   (この時は新暦で、町内の神社を回ってお参りする
父について行って、途中で腹が減って我慢できず
ひとりで帰ってきて母に怒られたことがありました)

15日が小正月
もう一度餅をついて
お供え餅と
団子さし(繭玉飾り)の根もとに飾る餅と、
道具類、風呂場、流し、便所にお供えする
小鏡餅を作ります。
天井には二つの団子さし、
稲わらに餅を付けて(おそらく)粟の飾りも
下がります。

御斎火はいつだったか、正月と小正月の間だったのか?
金平神社の境内の下に木を積み
大きな火が燃え上がります。
旧いお札をはじめとして
テスト、習字を投げ入れて
成績の向上をお願いする子供もいます。
松、杉の生木が入れられると
針葉樹のなまの強い匂いが
鼻をつき、清め度がぐっとUPします。

年前には、和蠟燭の注文取りが
各家をまわってきます。
確か鶴岡の和蝋燭だったと思います。
その蝋燭が神社の燭台で燃えています。
子供たちが流れる蝋燭を見つめています。
明日の朝もらえるのです。
板スキー、かすき、スコップに塗るためです。

わが家は大工だったので
大工のお祭りの日もありました。
大工の神様、聖徳太子の掛図をかけて
餅をついてお供えしました。
食べる前には必ず
武田さんの家に
重箱に入れて持って行きました。
自分たちが食べるのはその後です。

母に年中行事の聞き書きをしたメモが
生活に追われているうちに紛失してしまいました。
大石田の役場に問い合わせねばと思いつつ
まだやっていません。

そう、その頃は
祈りと暮らしが一つだったのです。
少なくとも年中行事の日には。


ごしゃがれる=怒られるときには
『ばちが当たる!』
厳しく宣言され
本当にこわかった。

世の中の基底には
『畏れ多い』という生命カン
意識的無意識的に
共通の前提としてあったのです。


行事食は最初に最も仲のいい家に食べてもらい
頂き物は仏壇に供えてから、
自分たちが最初に食べることはありませんでした。


トキのめぐり、トコロ、土からの恵みとしての食べもの
それらをもたらしてくれたものすべてへの
感謝と畏れ、
このことが世の中の共通前提としてあったのです。

13歳までの、地域共同体としてあった
この祈りが私の原体験として動きません。


新暦で早くも正月過ぎの今日、
祈りについての一回目でした。
不一にて。

大雪60CM ,の朝です。