『ひさおが来る』

652/10000 2021 02 18
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は、②で今北海道に来ているひさおのことを書いておきます。

 ひさおが北海道に来て今帯広にいる。まもなく会える。35年ぶりになる。長い間、オーストラリアのタスマニアをベースにしていたのが、日本に帰ってきてコロナで帰れなくなって福井の実家に長逗留することになったのだ。

 ひさおは、私たちが北海道に来る前、清水平に突然やってきた。一雨あった後でいつものように小さな土砂崩れが起きて、それを踏み越えて作務衣姿でやってきた。シドニーの、当時ロバート・ハリスさんがやっていた店で、ゲーリー・スナイダーとナナオが詩の朗読会をやったとき、ナナオに会って、日本に行ったらということでやってきたのだ。

 ひさおは眠くなるとすぐ寝るひとでなんかいつもリラックスしていて一緒にいて楽な人だった。私たちが北海道に来るときは、ひさおの緑色のワゴン車に荷物を詰め込んで、松田トムと私と息子ふたりでの半月ツアーだった。私は産後の疲れがまだ後を引いていてテンパっていた、それを除けば夢のような道行だった。旅費もひさおが出してくれた。

 今思い出した。山形の実家に寄ったとき、寝たきりの母が杖をついて馬鹿娘を迎えに起き出してきた。歩くとすぐ転んで骨折するので杖は隠してあるのに。お母さん、このシーン、一生忘れません。

 そう、ひさおと会うのはそれ以来なのだ。
 今日は実は23日、19日の日曜日に滞在先の仲間の車でひさおがやってきた。ふたりの友達と一緒に。古い仲間たちの消息やらどうってことない話をした。ずっと近所にいた雰囲気だ。集まった4人それぞれ病気したり故障を抱えたりで動きもゆっくりだ。私も正座ができなくなって10年以上になる。帰ってからもなんか遠いところに行ってしまった感じがしない。

 私たちはファミリーなのだ。何年合わなくてもすぐに話が通じる。
 鶴見俊輔さんのこの言葉がさすがにうまいこと言って下さっている。確かに私たちは一種の難民とも言えるかもしれない。今の支配構造が成立以前の、2000年前の気風がよみがえっているのかと感じることがある。NATIVE JAPONECIAN BIG FAMILYである。


鶴見俊輔bot@shunsuke_bot
· 2021  TWITTERより
難民の行進の中で、不釣合の力をもつ数人が助けあう時、そこに家族の原型が表れる。文明が崩壊に向かう時、血縁による家族、私有財産の共有による家族は吹き飛んでしまって、それよりもっと根本のつながりが表れる。「人間と家族」

自然なグリーン、ひさおの妹さんの手織りです。