『自分の人生の年表をつくろう』

1235/10000 9月4日(月)
しばらくの間人生の折り返し地点にいる女性に宛てて
手紙を書きます。思いつくまま肩の力を抜いて参ります。


≪今、人生の折り返し地点にいるあなたへ~その④≫

身体のことだけでなく、子育てはひと段落∼終了(いつまでも親は親ですけど)、夫は管理職で大変そう、自分はパート、いつまでできるだろうか?、両親の介護、いつから始まるだろうか?老後のお金、大丈夫だろうか?それにこの夏の暑さ、AI,人手不足、少子化、世の中これからどうなるんだろう?私の人生これからどうなるんだろう、どうしよう?とかふっと気になることはありませんか?このままでいいんだろうか?


そんなとき、自分の人生の年表を作ってみませんか?
エクセルででもいいし、100円ショップでマス目ノートを買って来てもいいし
私はもっぱらKOKUYOの、統計ノートと5ミリ方眼ノートを愛用しています。




自分の人生の年表には、二つあります。ひとつは、これまでの過去の年表です。
もう一つは未来を先取りした未来の年表です。


今日は、まず
◆過去の年表を作りましょう。

縦に年号を入れます。
横には、一番上に項目をつくります。
年齢、家族の年齢、家庭、職場、仕事、学び、健康、大きな出来事、
好きだったこと得意だったことなどなど
項目は自由に付け加えて下さいね。


ザっと入れてみましょう。完璧でなくてOK、思い出したときにメモしておいて付け加えましょう。付け加えるのが楽しみになりますよ。
おいおい、写真を入れたり、イラストを描きいれると盛り上がりますよね。
マス目入りの模造紙に大きく作るのもナイス! 小さなノートよりものびのびします、
自分の人生が大きく見えます。
自由自在に自分の人生を楽しんじゃいましょう。


過去の年表は3種類のうち、①と②は必ず作りましょう。

① 統計ノートかエクセルで作る
② 模造紙にのびのび展開する
(これも一度はおすすめです)
③ 『分身手帳』に重要なアウトラインを書いておく

   分身手帳は、携帯用の小さな手帳(測量手帳を使いましょう)に
   自分の人生をコンパクトにまとめたものです。後ほど再登場致します。


さあ、年表を書いてみるとどんな気持ちが湧いてきますか?
① 生きていたその時が、② 書くことでもう一度生きることになって 
③ 思いがけない気づき、新たなよみがえり、新しい意味の発見で
 いくらでも掘り起こせる
と書き出すことで、3倍は生きることになります。

急がないでOK,日々、時間を決めて、15分とか、少しづつ少しづつ  
自分自身とつきあってみませんか?
自分自身と付き合ったこと、ありますか?


ではまた明日。
明日は、自分の過去を振りかえって、自分にたずねる項目を整理します。





⤵ 夢の北広場のムクゲ・コレクションより

『更年期、次々と症状が、どうしよう?』

1234/10000 9月3日(日)2023
しばらくの間人生の折り返し地点にいる女性に宛てて
手紙を書きます。思いつくまま肩の力を抜いて参ります。

≪今、人生の折り返し地点にいるあなたへ~その③≫

いま、人生の折り返し地点にいる女性の方、お元気ですか?
更年期、といってもなんともなく元気でこれまでと変わらずに過ごす人もいるんですよね。人によってほんとに違いますよね。ホルモンバランスが崩れることによるあれやこれやの症状、つらいですよね。



25年前私は51歳、更年期のどん底にいました。何年くらい続いたでしょうか?5,6年はどん底にいた気がする。私の場合、身体の症状にはどうやって対応したかお話しましょう。

・軽い鬱   ビタミンB群を補充することでウソのように去っていきました。❝ 胡散臭い、自然の食べものだけで間に合うはず、死んでも摂るものか ❞、と固まって思い込んでいた補助食品、親友からの紹介でしぶしぶ摂ってみたら、摂り始めて1週間で治ってしまいました。すわ!とばかり、全然頭に入らなかった資料をむさぼり読んで、ビタミンB群の不足が鬱を引き起こすことを知りました。以来補助食品を摂り始めて、28年目になります。

・集中できなくなった  これは、ハーブのローズマリーに助けてもらいました。ただローズマリーと握手するだけです。以来、ローズマリーとはいつも一緒です。

・顔面総崩れ・大アトピー・日光湿疹   総合栄養方法のシステムに則った補助食品を組み合わせて摂り、真皮が崩壊してしまった顔には、当時発売されていたヒトの胎盤のエキス入りのスキンケア製品でみるみる回復、3週間でメドをつけることができました。
大アトピーは、肉魚卵油砂糖小麦大豆イースト、何を食べてもダメ、日光湿疹もひどく、洗濯物を取り込んだだけで髪の形に焼けるという状態、総合ビタミンミネラルをとることで解決しました。それと更年期が過ぎてホルモンバランスが安定したのでしょうね。


個人差がありますから、誰にでもというわけにはいかないかもしれません。当時ホルモンバランスをとるサプリメントも出始めたころでした。相性のいいお医者さんに相談してみましょう。私の経験をもっと知りたい方、facebook荒木しう子 のメッセンジャーまでメッセージ下さいな。
私にとって一番の気づきは『ストレス』でした。何さ、これくらい!と意気込んでいたのが殆どストレスになっていたんですね。以後少しづつ過剰なストレスを減らす、抱えないように心するようになったもののおいそれと思うようにはいかず今も、一生かな、その途中です。


・体重72キロ→52キロ  夜寝る前になると食べたくなる夜食症でしたね。それがいつのまにか52キロに。痩せよう、やせネバとか全然頭になかったのです。(身長は158㎝です)更年期も過ぎてからスロージョギングにハマって一週間に5回10キロ、いくらでも走ることができました。 過ぎたるは及ばざるがごとし、膝に負担が来てひざ内側がプッツン、~~~10年以上過ぎて3年ほど前膝に負担のかからない走り方を教えて頂いて、今は一日おき2.5~3キロが習慣になっています。今は55.5キロです。52キロまで戻したいな。


そうなんです。人生一直線には行かないんですよね。はたまた喉もと過ぎれば熱さを忘れてしまったりしますよね。一直線には行かない人生の機微、襞を身体で知ってひとつタフになれる、人生の折り返し地点と更年期はそんなチャンスになるんじゃないかな、そんな気がしてこの手紙を書いています。


身体のことだけでなく、子育てはひと段落∼終了(いつまでも親は親ですけど)、夫は管理職で大変そう、自分はパート、いつまでできるだろうか?、両親の介護、いつから始まるだろうか?老後のお金、大丈夫だろうか?それにこの夏の暑さ、世の中これからどうなるんだろう?
私の人生これからどうなるんだろう、どうしよう?とかふっと気になることはありませんか?

この続きはまた明日。




⤵ 久しぶりのさわやかな夏日、(九月ですけど)好天に恵まれて大変な人出、とかちマルシェでサックス演奏を楽しんできました。

『「勇気の言葉集」をつくりましょう』

1233/10000 9月2日(土)2023
しばらくの間人生の折り返し地点にいる女性に宛てて
手紙を書きます。思いつくまま肩の力を抜いて参ります。


≪今、人生の折り返し地点にいるあなたへ~その②≫

ごめんなさい、自分のことが先になって。
昨日は、『私の人生の折り返し地点はこうだった』でした。
そう、で、私の胸の内から
『こんな人生はイヤだ、何としても人生を変えよう』と湧き上がってきたのでした。

それで私は、どうしたのでしょうか?
まず、『本』でした。
契約した高額プログラムで人生を変えるきっかけを本格的につかませてもらいながら
毎週主にリサイクルの本屋さん、ほとんど全店を回り、一度に10冊以上抱えて店を出てくることもありました。❝ はい、私はここですよ、しう子さん、あなたを待っていましたよ ❞本が私を待っている、この経験を何度もしました。本はただの紙ではなくて、パワーでありエネルギーなのでした。
そのうちの一冊,シンクロニシティについての考察と実践の書、『パワー・オブ・フロー』とはまさにシンクロニシティで出会いました。いつもは行かないリサイクル本屋さんに何気に寄ったところ待っていてくれたのです。この本をきっかけに、何もかも私一人でがんばらねば、がそもそも不自然だったと人生の見え方が変わり始めました。

本の中からビビッと来たことを、ノートに書き写しました。同じ文章を何度も何度も筆写しました。今でも繰り返しています。カードも作りました。どこをめくってもシンクロニシティな
『勇気の言葉集』を何冊も作りました。初めのうちは乱雑でした、だんだんきれいなのもできるようになりました。
そうこうするうちに、12年前にここに引っ越しするときに大量に処分して手放せない本だけを手もとに残しました。二番煎じな自己啓発ものは殆ど町内会の資源ごみに出しました。

なぜ八百屋を潰してしまったのか?ビジネス書との出会いには数年を要しました。2006年9月22日、神田昌典さんの『非常識な成功法則』に出会って、ガーーーンとやられました。発想がまるで逆だったのです!

だんだんわかってきました。なぜドン底に落ちたのかが。慢性疲労、軽い鬱、集中できない、更年期のさなかに慢性赤字の小さな八百屋の倒産~それは、更年期という身体の変化もありましたけれど
① 自信がなかった  常に自分のできてないところにフォーカスして自分をを責めていました。それが誠実だと勘違いも甚だしかったのでした。
② 無知でした。経営、マーケティング、お金、スタッフとのコミュニケーション、すべてにわたって全然知らなかった。自分がよしとしていたものでは間に合わなかったのです。
お金からも引いていました。生育環境、触れることのできた世の中の情報に洗脳され何となく、一生お金には不自由していなければならない、と斜に思い込みそれしか知りませんでした。
③ ひとりで何もかも完璧にやらなければならないと思い込んでいた。これってそもそも不自然ですよね。相談する友達はいても具体的ななすすべがわからなかった。


だんだん、いつのまにか、変わっていきました。
❝ こんなに素晴らしい私がこんなみじめな人生で終わるなんてありえない、自分にふさわしい人生に変えよう!してもらうばかりで情けない、本領は「与える人」なんだからそこまで行くのが私のたどる道である❞と悟りはじめました。


すべてを失ったかのように見えるどん底、実はこれこそがチャンスになりうることがある。自分が持っていたそれまでの既成観念、思い込みでは一切が間に合わずすべてを入れ替えるほかはない。その入れ替えに私は長い年月を要しました。今もその途中です。
これからそのエッセンスをなるべくシンプルに言葉にして、
今、人生の折り返し地点にいる あなたに宛てて手紙を続けます。


手書きで書き写す、やったことありますか?
好きなノートを開いて、書きここちのいいペンを手に、一文字一文字書き写します。
ノートを選び、ペンを選んで、紙の手ざわり、ペンの書き心地、五感がフルに動き出します。心も脳も同じように回転しだします。うなづく自分の中から、ふっと思いがけない気づき、ヒラメキが向こうからやってくることがきっとありますよ。現場ではイチイチが未知であるにしえも 支えがあるとなしとでは違いますよね。

ではまた明日。


⤵ 好天に恵まれたとかちマルシェ、とかちプラザ南の噴水はこどもたちで大賑わい。

『いま 人生の折り返し地点にいるあなたへ』

1232/10000 9月1日(金)2023
今日は9月1日。きょうからしばらくの間
人生の折り返し地点にいる女性に宛てて
手紙を書きます。思いつくまま肩の力を抜いて参ります。


いろいろな紙に何かを書く人のイラスト(女性) | かわいい ...





≪ いま、人生の折り返し地点にいるあなたへ



◆はじめに  私のターニング・ポイント

自分のことが先でごめんなさい。いまから25年前私の50歳の様子をお話しましょう。



❝SHIUKO A,
あなたは素敵、大好きよ!
今日も人生の中で一番にステキな1日
あなたのこの上ない人生のために
知る必要のあれば示され
必要なものは手に入る、
何もかもうまく行ってるわ!❞
(L.H. 『ライフ・ヒーリング』


なかよしの友達から電話が、『ルイーズ・ヘイ、いいわよ!』
早速買って一読、その中でピンときた上の一文を鏡の前でアファーメーションし始めました。
恥ずかしいのなんの、まわりに誰もいないのに鏡を見ることもできず、すらすらと読み上げることもできませんでした。
(ルイーズ・ヘイさんは、自己啓発ものの作家として大きな位置を占めている人の一人です。自己啓発もの500冊は読みまくりました。今はべったりではなくなりましたがいいとこどりはしています)
あれから26年、何度も書き写し、鼻唄まじりでスラスラしょっちゅう唱えるようになったのはいつごろからでしょうか。この言葉通り『知る必要のあることは示され』続けてきており、『必要なものは手に入る』と信じることができるようになっています。
こんな人生はイヤだ、何としても人生を変えよう!
そう胸の中から湧き上がって来てから26年、この言葉はいつも一緒に私を支え続けてくれた勇気づけの言葉の一つです。


26年前、私はちょうど50歳、なんかいぶかしくハテナマークが頭を占めるようになっていました。
『私の人生、なんかおかしいんじゃない?こんなに一生懸命、365日、24時間(気分では)お客さまのために働いているのに、動けば動くほど赤字は増える一方、身体は疲れ新しいアイディアも浮かばない、なにをどうすればいいのだろう?わからない・・・』
そのしばらく前から、朝起きると鬱で起き上がれず集中できなくなった頭で何とか八百屋の準備を遅刻して整えて一軒二軒とお客さまを回るうちに元気が出てきてなんとかその日の引き売りをおわして疲労困憊寝る前にがっつり夜食体重は70キロ前後、お客様の前では笑って胸の中は混乱でいっぱいでした。

とうとう私は小さな八百屋を潰しました。
とてもいい八百屋だったんですよ。心ある生産者さんに恵まれお客様もいい方ばかり。うちのお客様のお子たちはみないいお顔をしていて、生産者とお客さまをむすぶ仕事はとてもやりがいがありました。しかし、経営にもマーケティングにもお金にもコミュニケーションにも無知で、しかも顔で笑って心の中では自信がなかったのです。



そんなさなか、私は藁をも掴む思いで高額800000円のパーソナル・エクセレンス・プログラム(PEP)なるものを契約しました。 『七つの習慣』のプログラムでした。その契約をした1998年11月30日は、私のターニング・ポイント・デーになりました。(SNS日進月歩の今ではこのような商売はありません)

なんと潰したあとも何年も悪あがきが続きました。今思うと信じられないような無知ぶりでした。一日も早く生産者の方々に不義理を返そうと、今から見ると焦っていました。神経が擦り切れた状態ではそもそも無理、心身の疲労回復が先であるべきでした。その悪あがきの様子はくどくなるので省略しますが、ひとつだけ、はじめは肘とかかかと裏にできていた湿疹がついに顔に、顔面がお岩さんのように脹れあがり総崩れとなりました。私はストレスの何たるやをまざまざと実感しました。そのころ、総合栄養療法の隠れ権威でいらした山本真吉博士のオープンセミナーに札幌まで毎月通っていましたので山本先生におたずねして、回復のシステムに必要な補助食品をカリフォルニアのバークレーのメイさんに泣きついて送ってもらって、一か月足らずでメドをつけることができました。日光湿疹もひどく3,4年マスクをしていた気がします。



混乱とターニング・ポイントが重なっていました。まさにそのとき,どん底にあった1998年、山本博士に出会い、『7つの習慣』に出会った不思議、強運、
『何として人生を変えよう』、次のステージ、変わる人生の指針に私は二つも恵まれたのです。❝ なんとしても人生を変えたいのね。はい、答えのきっかけを用意してありますよ、こちらですよ。❞ 言葉にするとこのはからいに恵まれたのでした。それはあくまできっかけだったのですけれど。
『7つの習慣』のプログラムをひもとき、テープと繰り返し聴いて砂地に水をしみこませようとしつつ 思いました、
どうしてだれもこれを今まで教えてくれなかったんだろう、
教えてもらっていたらこんなことにはならなかっただろうに。
いつか講座をやろう、こんなに高額でなくて、もっとシンプルな内容で。

私のようにドン底に落ちないでほしい
いま悩んで困っている人のお役に立ちたい ❞
自分のことのめどもついていないのにこんなことを思う先走りな私でした。


一回目は自分のことばかりでごめんなさい。


明日に続きます。


⤵ 朝の帯広川 西4条橋より












『マジ、ヤバくね』

1231/10000 8月31日(木)2023
今日のテーマは、すごく気になることがあって◆新生日本死回生プロジェクトです。
アトランダムに思いつくままメモしておきます。

◆テレビで放送された橋本氏と東国原氏の対談内容がSNSで入って来た。唖然とする。
完璧な中国人差別で、タガが外れ底が抜けている、公衆の面前で言っていいこととそもそも言ってはいけないことがある。人倫に欠ける。おぞましさが過ぎる。
最近~今日も加速度的に 劣化した人間が恥ずかしげもなく跋扈して顔をさらしているのが
イヤでも目に入ってくる(ネガティブ情報には極力目を触れないようにしている)
こりゃ、マジ、ヤバくね、とおそ蒔きながら痛感している次第です。

この24日、日本政府と東京電力は福島原発の放射能汚染水を太平洋に排水し始めた。
福島、宮城の業業者をはじめとして国内の多くの声を無視して、話合おうとしないで。
南太平洋の人々、韓国でも、反対の声が上がり、中国は反対声明を発表、日本からの海産物の輸入を禁止、アメリカも日本からの農産物の輸入を減らすと発表した。困るのは、漁業生産者の方だけでない。補償金を出せばいい話でもない。生きがいと誇り、海の神様はどうなるんだという話だ。

何考えてるんだろ、何も考えていないか、この国の政権の座にある方々は。
外交力あるんだろうか?なさそ、世界情勢を見てるんだろうか、見てなさそ。
太平洋戦争前夜のようだ。最悪の状態を洞察してその後に備えてはじめている人もいる。この国はもう一度滅びないとダメだ、という男性評論家のいうことにオンナとして、何をいってるの、オンナは傷つけるため、殺されるために子供を産むんでないよ、と言いたいけれど、最近では最悪の状態を想定しなければ、と思われ始めている。なんとか阻止せねば、である。


◆うちの息子たちの父ちゃんは外国から帰ってくると
『日本は、環境問題の危機感が薄いねえ。死の舞踏という感じだ』とまじめな顔で言うのだった。今から30年ほど前のこと。
私の師匠は、一番危ないのは日本、と50年前から警告を発して、それを回避するための最深層の作業に身をささげられた。
総合栄養療法の隠れ権威であったドクターのことば、『高度経済成以来の50年(今は60年以上)でこの国が失ったものを取り戻すには1000年はかかるだろう』を忘れることはない。
その時、のほほんとしていた自分がどれだけピンと来たか、我が事として受け止めることができていたか、今となっては恥ずかしい。


◆私たち戦後民主主義年金世代はあと15~20年くらいのいのち、いま日本の平和運動を担っている人の大多数が私たちの世代だ。本音は、若い人たちの後ろからついていきたい、でもどこでも若い人が少ない。勇気を出して若い人たちにたずねてみよう。『いまのこの国の様子をどう感じているのか? 何ができるか? どうやるか? 意見、感じ方が違っているとき話し合うお気持ちがあるか?』などなど。



1965~75のベトナム反戦の時代、1968~69の大学闘争の時代、列島中デモで溢れていたのだ。この現代史でさえ私たちの次の世代にはほとんど伝わっていないらしい。昔はよかった、とか思わない、今の方が進んでいることが沢山ある。でもイヤなことはイヤ、ダメなものはダメと声をあげてデモをやる、ストを打つのは普通のことだったのだ。
かくいう私も、自分の思いと、時間と体力をどう調整したものかと思案している。今自分の仕事を立ち上げようとしていて、それにアタマと時間を要しているし、リーダーなんてガラじゃないしやる気もない、そんな年じゃない。
それぞれ忙しいところを、少しづつ時間と力を融通して、
選挙に行かない50%に届く表現を工夫して街宣、デモを定期的にやるとかできないかな?
先日も貴重なヤング、30代女性とそんな話をしていた。選挙だけではもはや間に合わない、でんと選挙はアクションの両輪だ。1960年国会を包囲したデモが岸内閣を退陣に追い込んだ。



◆この国が海を、老朽原発を再稼働して、海を、リニアと風力発電で山を破壊しつくし、財産をアメリカと多国籍企業に売り渡して、武器に大金を投入、増税に物価高、食料を汚染して、食料自給をさせず、子供たちを管理下に閉じ込め、子供の数を減らして、この国を滅亡させようとする勢力にこの国を売り渡そうとも、ほとんどの人はこの国で生きていく。
評論してる場合じゃないよ、未来を生きる子供たちが生きるか〇ぬかの問題だ。現実として、小中高校生の自〇者が再びその数を更新して、若者の死因のトップが自〇、これがこの国、これまたマジ国辱。この国は、ここを出発点とするほかない。ベトナムは、フランスにもアメリカにも勝っている。

私たちはこの国で生きていく。この列島で生きていく。子供たちも、私たちも、のびのびと穏やかな心で生きている、まっとうな誇りをこの国にもちたい、そんな生き方のために、何がたりなかったのか? 生きることを家だとすると、その基礎が打たれていなかったのではないか? 
その基礎を打つ作業を心ある人といっしょにしていこうと私はしている、話が具体的でなくてごめんなさい。明日からその基礎打ちの話をこのブログのメインテーマにしていきます。息子たちの世代、人生の折り返し地点にある女性に向けてお話していきます。心ある人と共に学びあいながら、新生日本の基礎の基礎のいしずえを担おうとしています。何も大げさなことじゃなくて、そのままの暮らしから始めましょう。


(今日はスーパー・ムーン、あいにくの雲空、それでもその雲が月明りに明るくなっているのではと何度も窓から空を見上げていました。地球に最接近した今日の午前中同時刻にはワンダフルなセッションをZOOMでさせて頂いてました。『その時私は76歳だった』でいずれ書きますね。お楽しみにお待ち願います。その前にやらなくちゃいけないことがあるもので。)




この列島ではほおっておけばどこにでも草が生える。見頃のエノコログサをシリーズで。