『マジ、ヤバくね』

1231/10000 8月31日(木)2023
今日のテーマは、すごく気になることがあって◆新生日本死回生プロジェクトです。
アトランダムに思いつくままメモしておきます。

◆テレビで放送された橋本氏と東国原氏の対談内容がSNSで入って来た。唖然とする。
完璧な中国人差別で、タガが外れ底が抜けている、公衆の面前で言っていいこととそもそも言ってはいけないことがある。人倫に欠ける。おぞましさが過ぎる。
最近~今日も加速度的に 劣化した人間が恥ずかしげもなく跋扈して顔をさらしているのが
イヤでも目に入ってくる(ネガティブ情報には極力目を触れないようにしている)
こりゃ、マジ、ヤバくね、とおそ蒔きながら痛感している次第です。

この24日、日本政府と東京電力は福島原発の放射能汚染水を太平洋に排水し始めた。
福島、宮城の業業者をはじめとして国内の多くの声を無視して、話合おうとしないで。
南太平洋の人々、韓国でも、反対の声が上がり、中国は反対声明を発表、日本からの海産物の輸入を禁止、アメリカも日本からの農産物の輸入を減らすと発表した。困るのは、漁業生産者の方だけでない。補償金を出せばいい話でもない。生きがいと誇り、海の神様はどうなるんだという話だ。

何考えてるんだろ、何も考えていないか、この国の政権の座にある方々は。
外交力あるんだろうか?なさそ、世界情勢を見てるんだろうか、見てなさそ。
太平洋戦争前夜のようだ。最悪の状態を洞察してその後に備えてはじめている人もいる。この国はもう一度滅びないとダメだ、という男性評論家のいうことにオンナとして、何をいってるの、オンナは傷つけるため、殺されるために子供を産むんでないよ、と言いたいけれど、最近では最悪の状態を想定しなければ、と思われ始めている。なんとか阻止せねば、である。


◆うちの息子たちの父ちゃんは外国から帰ってくると
『日本は、環境問題の危機感が薄いねえ。死の舞踏という感じだ』とまじめな顔で言うのだった。今から30年ほど前のこと。
私の師匠は、一番危ないのは日本、と50年前から警告を発して、それを回避するための最深層の作業に身をささげられた。
総合栄養療法の隠れ権威であったドクターのことば、『高度経済成以来の50年(今は60年以上)でこの国が失ったものを取り戻すには1000年はかかるだろう』を忘れることはない。
その時、のほほんとしていた自分がどれだけピンと来たか、我が事として受け止めることができていたか、今となっては恥ずかしい。


◆私たち戦後民主主義年金世代はあと15~20年くらいのいのち、いま日本の平和運動を担っている人の大多数が私たちの世代だ。本音は、若い人たちの後ろからついていきたい、でもどこでも若い人が少ない。勇気を出して若い人たちにたずねてみよう。『いまのこの国の様子をどう感じているのか? 何ができるか? どうやるか? 意見、感じ方が違っているとき話し合うお気持ちがあるか?』などなど。



1965~75のベトナム反戦の時代、1968~69の大学闘争の時代、列島中デモで溢れていたのだ。この現代史でさえ私たちの次の世代にはほとんど伝わっていないらしい。昔はよかった、とか思わない、今の方が進んでいることが沢山ある。でもイヤなことはイヤ、ダメなものはダメと声をあげてデモをやる、ストを打つのは普通のことだったのだ。
かくいう私も、自分の思いと、時間と体力をどう調整したものかと思案している。今自分の仕事を立ち上げようとしていて、それにアタマと時間を要しているし、リーダーなんてガラじゃないしやる気もない、そんな年じゃない。
それぞれ忙しいところを、少しづつ時間と力を融通して、
選挙に行かない50%に届く表現を工夫して街宣、デモを定期的にやるとかできないかな?
先日も貴重なヤング、30代女性とそんな話をしていた。選挙だけではもはや間に合わない、でんと選挙はアクションの両輪だ。1960年国会を包囲したデモが岸内閣を退陣に追い込んだ。



◆この国が海を、老朽原発を再稼働して、海を、リニアと風力発電で山を破壊しつくし、財産をアメリカと多国籍企業に売り渡して、武器に大金を投入、増税に物価高、食料を汚染して、食料自給をさせず、子供たちを管理下に閉じ込め、子供の数を減らして、この国を滅亡させようとする勢力にこの国を売り渡そうとも、ほとんどの人はこの国で生きていく。
評論してる場合じゃないよ、未来を生きる子供たちが生きるか〇ぬかの問題だ。現実として、小中高校生の自〇者が再びその数を更新して、若者の死因のトップが自〇、これがこの国、これまたマジ国辱。この国は、ここを出発点とするほかない。ベトナムは、フランスにもアメリカにも勝っている。

私たちはこの国で生きていく。この列島で生きていく。子供たちも、私たちも、のびのびと穏やかな心で生きている、まっとうな誇りをこの国にもちたい、そんな生き方のために、何がたりなかったのか? 生きることを家だとすると、その基礎が打たれていなかったのではないか? 
その基礎を打つ作業を心ある人といっしょにしていこうと私はしている、話が具体的でなくてごめんなさい。明日からその基礎打ちの話をこのブログのメインテーマにしていきます。息子たちの世代、人生の折り返し地点にある女性に向けてお話していきます。心ある人と共に学びあいながら、新生日本の基礎の基礎のいしずえを担おうとしています。何も大げさなことじゃなくて、そのままの暮らしから始めましょう。


(今日はスーパー・ムーン、あいにくの雲空、それでもその雲が月明りに明るくなっているのではと何度も窓から空を見上げていました。地球に最接近した今日の午前中同時刻にはワンダフルなセッションをZOOMでさせて頂いてました。『その時私は76歳だった』でいずれ書きますね。お楽しみにお待ち願います。その前にやらなくちゃいけないことがあるもので。)




この列島ではほおっておけばどこにでも草が生える。見頃のエノコログサをシリーズで。