『わが家のファミリー・ヒストリー秘話』

1117/10000  3月26日(日) 2023
◆シリーズ 3/14~24山形・宮城報告その⑪
今日は、我が荒木一家のファミリー・ヒストリーをお話ししましょう。
23日に赤倉温泉から山形市に移動して,一番上ののり子姉さん宅で
なんと思いがけず川崎市で仕事中のの弟夫婦も合流、夜遅くまで大盛り上がりとなりました。

のり子姉さん 利明くんへ


この度はお会いできてすごくうれしかったです。
気になっていたことがわかってほっとしました。
お互い思い出すのは大石田のことばかり、明らかになる秘話の数々
深堀りファミリー・ヒストリーの一夜でした。
トシはとるもの、それぞれの思いがけない一面に深く感動もしました。



写真は『写真で見る大石田の歩み』より。大石田の図書館で見せてもらいました。
役場の向かって右隣です。

昭和30年前半の水上がりの時大人たちが階段の水の上がり具合をみながら比べていた
大正2年の洪水。大正12年と記憶していました、2年だったのか。



気になっていたこと


①賢ちゃん(二番目の兄)が受かったのに高校に進学できず弟妹を育てるために働かなければならなかったことをどう思っていたか、利明くん、きいてくれていたのですね。
賢ちゃんは、別に気にしていないと言ったとのこと、じ~んときます。
賢ちゃんの作文で、同級生は学校にいくが自分は脚絆を巻き働いている、とあったし。特に私はきょうだいのなかでひとりだけ、高校、大学と行かせてもらい、卒業後はフリーター暮らしだった、このことコンプレックスだったしで。利明くんが聞いてくれていただけで少しホッとしています。

②利明くんが生まれてすぐ丹毒に罹って生きるか死ぬかのとき、出稼ぎ先、鬼怒川温泉?でおとうさんとあんつあ(兄さん)と賢ちゃんで相談して、この年(お母さん40過ぎ)で生まれた男の子だし、金はなんぼかかってもいい(あんつあからのはがき)とペニシリンをゲットするお金を工面することに決めたこと。当時の手紙を利明くん、全部見てるんですね、よかった。そのペニシリンは産婆をしていた南通りのおばさん通しで特別に入手できたこと。
藁布団の上で真っ赤になった利明くん、看病にせわしいお母さん、おばさんの気配を覚えています。昭和25年。

川端の冬、道路に二階まで積もったものですね。

③ 私は利明くんを歯牙にもかけずいなくなってくれればいいとまで言ったとか。全く覚えていない、ごめんなさい。人格を陶冶しましてここまで来させて頂いております。
他にもひどいことしたことあったな、ま、しょうがない、今となっては。

④ 認知症の年よりとのコミュニケーションのしかた、佐々木のお爺さんを最後まで看取った利明くんのお話にはすっかり感動、ただ押しが強いだけではなかったんだと心から感心しました。勉強になりました。のり子姉ちゃんと弘明くんは今当事者なので話せただけでもだいぶ気が楽になったんじゃないかな。まずまずお元気なので大丈夫!と思いました。漫画の認知症の本を送ります。



⓹ 今宿に、私もお祭りのときお母さんの代理で呼よばれ(招待)に行ったことがあります。お祭りのお膳を前に借りてきた猫のごとくこちこちになってひとこともしゃべることができませんでした。先々代のじいさんがそこから養子に来た船乗りだったんですね。

メインストリート、本町の冬。こうでしたね。

⑥ 親しかった家々の消息 どれもこれもなんてドラマチック!
 ・南通りの早坂家はなくなってしまった。ばあちゃんがなにかあると手伝いに来てくれた。お母さんが山の畑に行く途中大八車から落ちて肩の骨を折ったときも。南通りのばあちゃんは荒木家の長女だったのだ。餅つきの返しで失敗して小指がなかった。餅つきは命がけの神事だったのだ。(だから私はお子たちの餅つきとかピンとこない)
 ・川端で一番親しかった武田家の人々・酒田、五十川の人々・・・
 ・姉ちゃんの奉公・勤務先だった理容店の人々・・・話は尽きないのでした。



のり子姉ちゃん、利明くん
ちょっとエクササイズして痩せませんか?
YouTube見てやりやすいの一つでも。大村崑さんの本を送りますね。
のり子姉さん、おうちの中の荷物片づけの手伝いに行けるようにがんばります。
みんな元気でいて下さいね。また会いましょう。
お互いなんでも笑って笑って話せる年になりましたね。

   いつまでたっても四女、かわいがられて育ったしう子より



昭和32年の水上がり、川端。これはうちかな? 違いますね。







『生まれ故郷の昭和30年前後は』

1116/10000  3月25日(土) 2023
◆シリーズ 3/14~24山形・宮城報告その⑩
生まれ故郷の、山形県北村山郡大石田町の役場と図書館をたずねて
昭和30年ごろの資料を見せて頂きました。


大石田町役場産業振興課様
大石田町図書館様



先日は突然お邪魔致しまして失礼致しました。
沢山の資料をご用意下さり本当ににありがとうございました。

川端で毎年の洪水で最初に床上浸水する家が我が家で、堤防が築かれることになり
昭和35年に立ち退き山形市に引っ越しました。私は昭和22年生まれで
庄司喜與太元町長と同級になります。この年になりますと思い出すのは、生まれ故郷の大石田のことばかりです。
おかげさまで、このあと山形市の姉宅にてきょうだい3人でもっぱら大石田時代の話で夜遅くまで大盛り上がりでした。



『写真で見る大石田のあゆみ』(昭和61年刊)には垂涎の写真が何枚もあり目を見張りました。
・2階に避難して水の上がり具合を見ながら大人たちが、比べていた大正2年の水上がり
・2階まで積もった川端の冬
・メインストリート本町の冬 などなど
・藁靴での雪踏み

『水船 昭和30年代のふるさと 次年子の暮らし』
このたび初めて 次年子 まで連れて行ってもらい、うまい蕎麦を頂いてきました。 次年子 といえば秘境でとても遠いところでしたので自動車でこんなに簡単に来ていいのかと感じたりしました。

『みちのく西川子供歳時記』
楽しいイラスト本。大石田ではありませんが、遊びはほぼ共通していて懐かしく思い出しました。

町内神社の由来と祭りの様子』平成6年刊
老人クラブの方々の貴重なお仕事。川端の金毘羅神社のページを何回も繰り返し読み、祭りがさかんだった子供のころを思い出しておりました。

中でもこの冊子には驚きました。
『最上川水運の大石田河岸の集落と職人』平成7年刊 by高橋恒夫氏
一軒一軒精密な図で表示されておりました。じっくりと拝見したいものです。


実は、私は今、
高度経済成長以前の世の中を知るものとして、子供たち、孫たちに何か伝えるべきものがあるのではないかと、自分史を振りかえりつつ冊子を作ろうとしております。
貴重な資料を数々見せて頂きまして、忘れていたものがふつふつとよみがえってきて、当時の息遣いがよみがえってきたことでした。
再びおたずねすることがあろうかと思います。
その節にはまた何卒よろしくお願い申し上げます。
この度は本当にありがとうございました。

故郷大石田の実りある発展をお祈り申しつつ失礼いたします。

こちらは姉(昭和12年生)の手書きの川端の家地図でございます。




『膝は伸ばさなくていいんですって』

1115/10000  3月24日(金) 2023
◆シリーズ 3/14~24山形・宮城報告その⑨
今日は、マリちゃんに女同士の手紙です
マリちゃんは、この間滞在させてもらった温泉宿太陽山荘のママさんです。

マリちゃんへ

ほんとうにありがとうございました。
こんなにリラックスしまくったのは、生まれて初めて!でした。
ぼおっとして九日間がいつの間にか過ぎてしまいました。

大好きな煮物中心の、誰かと一緒に頂くご飯!
もう、すごい贅沢、一人暮らしになって15年かな、
その前から息子と一緒にご飯を食べることもなくなっていたし、
気のおけない友達とうまいご飯をいっしょに頂く、
人生最高の贅沢です、マジ。



山荘でめずらしかったこと
① 家庭的なこまごまとした会話
② 女の子同士のこまごまとした会話
こういうミーティング、おしゃべりしたことないなあ・・
うちは息子二人で、父ちゃんは、ま、家にいないのが普通だったし、
ものめずらしくてしげしげとその場にいさせていただきました。

満開! ゴールデン・クロッカス


それはさておき、老化とのおつきあい、お互いさま。
手持ちの、膝、老眼、ダイエット情報を交換しましょう。

① 膝は伸ばさなくていいんですって!
駅まで歩いたら膝を痛めてしまったとのこと、
私も特に左ひざがダメで常にサポーターしてます。正座ができなくなってからかれこれ15年、
膝は最大の関心事です。

帰ってすぐYouTubeに入って来たのが,甲野善紀師の動画でした。
元気の学校 甲野善紀⇒検索 お願いします、よろしかったらどうぞ。
で、早速実習してみました。
ラクちん!です。

本通り挟んで向かいのスーパーに買い物に行くときとか、困っていたのがウソみたい。
膝を延ばして体幹を意識してよい姿勢で・・・⇒ 疲れる、肩が張る、胸部圧迫感、
それが全部すーっと消えました。
家の中でも膝を緩めた歩き、動作だとなんかおっとりしてきてせかせかしなくなります。
腕も振らないんですって。


② 老眼
 齊藤瞳さん 老眼・視力回復・飛蚊症 のための手のひらセラピー ⇒検索
こちらは去年の暮れに流れてきた動画で簡単だったのですぐはじめて3か月、お、これはよさそうだったのですけれど、パソコンに長く向かっているとやはり疲れる、遠くを見ることが少ないなあ。
youtubeにはほかにもいろいろあって相性のいいのを続けるといいかも、です。



③ ダイエット
  47キロ~72キロを行ったり来たり 、ダイエットのキャリア(っていうのか?)55年、
今56キロで、ベストだった52キロまでは戻そうとしている私の
『ごちそうさまダイアリーfor DIET』、kindleにはもう上げていて(パートナーがやってくれた)発売できるようにちょっとスピード・アップしますね。連休前目標で。


コツは三つ
① 暮らしにリズムを
   一つだけ決めましょう 9時には寝る(大谷選手)とか
② 定期的にエクササイズを

   一日10分でOK 今の自分になじむものから
③ 摂取カロリーを把握
   まごわやさしい和食中心でカロリーブック片手に
+あと二つは
④ 記録する
⓹ なぜダイエットしたいのでしょう?
  自分にもホスピタリティ


よい習慣をつけるには、この項目もありますよ・

販売準備がんばります。
今日は予告編でした。
ひとりでパソコンに向かっていると固まって詰んでしまいがち、
リアルのあの人にためなら、頭が動き出します。


最上町では、ウメと桃の花が満開。あるいは散り始めている頃でしょうか?
春はうれしい、爛漫の春の日々、
ご家族の皆さま、お友達皆々 平安とともにありますように。   4/5 記

マリちゃん、もう一度お誕生日おめでとうございました

『畑、聞き書き、おすすめしちゃうな』

1114/10000  3月23日(木) 2023
◆シリーズ 3/14~24山形・宮城報告その⑧
今日は、タマキさんの秘書役の芽生さんに宛てて手紙を書きます。

めいさん
お世話になりました。ありがとうございました。
九五郎味噌、山形の姉と帯広の息子とで分けました。
味噌も、生命力のあるものは、やっぱり違うんですよね。
今回の旅は、おかげさまでいくつもの生命力の現場にあわせてもらい
希望を目の当たりにすることができました。
とても印象に残っているのは、その穏やかさで
それはこの国のひとつの希望の種ではないかと思われました。
この穏やかさが侵食されないように生命力をアップしていきたいですね。
すでにできることが限られているシニアと違って
めいさんはこれから何でもできますね。

佐藤家の畑のお手伝い、いいですねえ!
土に触れると触れないとでは全然違いますよね。私も街中で日当たりイマイチの小さな
ガーデンを自然体でずっとやっています。今は、肥料はコメのとぎ汁と台所の洗い水、それに光合成菌、これも自分で培養しています。果菜には米ぬか少々、といったところです。無肥料栽培、仲間内ではけっこうポピュラーになっています。ビッグ・ファミリー・ファームさんも確かそうだと思います。まあ、できるところからめいさんのペースでどうぞ。
 この国の食料・食糧問題は深刻ですから、栽培技術を身に着けて食糧ルートを確保しておくことは危機管理の第一歩ですよね。

農家の女の子のイラスト(将来の夢) | かわいいフリー素材集 ...
畑は、うれしい、たのしい




親孝行したいときには親はなし、を地で行くこの私、親の葬式にも行くことできませんでした。還暦過ぎたころふっと胸から湧き上がってきたんです、
『お父さんとお母さん、胸の内に、外に出せなかったもの、言葉にならなかったものをどれだけ抱えていたんだろうか?』と。今なら親の話を聞くことができるでしょう、ワカカッタときにはとてもとても。

芽生さん
もしご両親、ご親族の方からお話を聞くなら
(ここは、自分史探検サポーターの荒木しう子の登場です)
① 雑談のなかでちらと何気に尋ねるとかして、
  聞いたことを翌日までに書きとめる  上手下手は気にしない
② ちょっとたまったら印刷してみてもらう、さりげなく
③ 聞きたいことをメモしておいて、ここぞというときにQする準備をしておく
④ たまったらファイルに綴じてプレゼントする
⓹ 年表と系図を作ってあげる

そうなると、聞かれる方は
① 生きてきたその当時
② 聞かれて話す
③ 聞かれる準備を心の中でする
④ 話したことが文字になって可視化される
⓹ もっと思い出すことがある
⑥ 新たに意味を発見する、
  新たな意味が向こうからやってくる
などなど、何倍も生きることになります。
聞かれることで、生きてきた自分に自信と誇りが持てるようにもなるでしょう。

お年寄りの手を取る女性のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや


どうかしら、めいさん、
ブログでこれからのあれやこれやの記録をUPしていきませんか?

以上、わたしからのありがとうと、提案でした。
老婆心を発揮してしゃべり過ぎたかも。
もしピンとくるもの、参考になること、やってみようかなと
思うものがひつでもあったらうれしいです、
いっしょにやりましょう。

さあ、季節がスピードアップして進んでいきます、
めいさんにとって 充実+まったりのシーズンになりますように、


あ、もうひとつ、
佐藤家の年中行事をたずねて、できたら一緒にできるところはやらせてもらって
そのノートを作りませんか?
実は私、45年前に母から聞き書きしたのですが、度重なる引っ越しで紛失してしまいました。
農文協刊の『山形の食事』、それと冨田さんの和暦の冊子も参考になりますよ。
結城登美雄さん ご飯は①普段のご飯 ②祭りのご飯 ③祭祀のご飯 と三種に分かれる。
(ちょっと記憶があやふやです。『いのちをつなぐ宮城の食と農』で確かめてね。)
それぞれの献立もおもしろい。私は今一人暮らしなのでつくづく実感されるのは、この三種のご飯はいずれも家族~コミュニティあってこそのもので、ひとりではやっても心もとない、サマにならない、このことです。
久之助お爺さん、節子お婆さんのいらっしゃる佐藤家は宝庫ですよ。



⤵ 早春の摘み草  フキノトウ、タンポポ、ナズナ、冬の毒を出してくれます 4/4

『キラキラ輝く素敵なおばあさま』

1113/10000  3月22日(水) 2023
◆シリーズ 3/14~24山形・宮城報告その⑦
素敵なおばあさま、佐藤節子さまとお会いできました。

 佐藤節子さまは、昨日の九代目 久五郎味噌の佐藤家のおばあさまです。
最初におたずねした時、お庭にお出になって、お嫁さんの真由美お母さんが、
「ハウスの中の菜の花を持っていってね、すぐ花が咲いてとうがたってしまうから」
と明るい笑顔でおっしゃった傍らで,「(そういうちょっとした変化が)楽しいの」
と添えられました。
 そのお姿に、キラキラ・マーク(漫画に出てくるあれです)が寄り添って早春の光の中にキラキラ、節子おばあさまもキラキラ、
 喜ばしいその一言に、なんて素敵な方なんだろう!と
❝ほがらかばばぢからクラブ❞立ち上げ準備中の私のアンテナがビビっと反応したのです。
草笛光子さん、大村崑さんはじめ、素敵なシニアの方々をスクラップして、あやかろうとしてもおりますので、リアルでお話を伺えるこのチャンス逃すまじ、と押切さんと芽生さんにお願いして会わせて頂きました。

 節子さまは、最上町の語り部としてお子たちに昔の話を語っていらっしゃいます。
(おおっ、これも私のプロジェクトの一つだ、学ばせて頂こう)
 語り部の衣装をわざわざお召しになって待っていてくださいました。

 一時間半近くお話を伺いましたが、不慣れなあがり症のインタビュアーが一番びっくりしたことは、このことです。

「一番楽しかったことはどんなことが思い出されますか?」
「顔もよく見たことのない人と結婚することになって佐藤家に嫁入りして、
辛いことはなかったです、お姑さんが親切に教えてくれてなんでも楽しかった。」

 え、こんな話聞いたことがあっただろうか!?信州でお世話になったおばさん方も、私の身の回りでもよるとさわると姑の悪口、嫁の悪口。はたまたあの人ステキなのよ、というと、でもね実は✖✖✖なのよと返ってきてきてがっかりすることが多いのに。

写真を開く
お好きなことは? 本です とのお答えでした。


こちらはお姑さんのお写真、お人形作りがお得意だったそうです。
皆さまの和やかな笑顔に、❝最上町っていいところなんだなあ❞と感じてしまいますね。
写真は農文協さんです。佐藤家のアルバムを見せて下さいました。

お嫁に来た真由美お母さんと早春、雪の下から掘っているのはたしかアサツキだったと思います。一世代前の方々の生命力、違いますね。

こちらは、久五郎味噌の豆より中のミチヨさん、久之助さん、節子さん。シニアの面目躍如なシーン、目にはちょっと負担かな。
久之助さんは町会議員として活躍、町の田んぼの基盤整備をリードなさったとのことです。

 このように穏やかな家族が実在するんだ、
❝子どもたちが安心してスクスクのびのび育つ世の中になるように、
凛として優しい明るい和と輪が広がっていくことは可能なんだ❞ 
そんな希望が胸の中にほわっと広がりました。

  佐藤節子さま、お目にかかれてほんとうによかったです。
 ありがとうございました。
 いつまでもお元気で、またお目にかかれる日を楽しみにしております。

(お写真は掲載の許可を頂いております)

『山形県最上町の久五郎味噌さん見学』

1112/10000  3月21日(火)春分の日 2023
◆シリーズ 3/14~24 山形・宮城行報告その⑥
今日は九代目久五郎味噌さんのワクワクレポートです。



自分の話を先にしちゃいますと、私、味噌つくりが大好きで得意なのです、でも
もう30年以上ご無沙汰、この春は顔の見えるよい豆とよい玄米があるのでつくろうと心しています。玄米は5分搗きくらいに摺って阿部麹店にお願いしようと算段中。信州では麹も自分で立てました、こたつとペットボトルで。台所の大仕事、大好きなのです。暮らしの場を作りますからね、その日暮らしでスーパーに頼らずにすみます。

というわけで、芽生さんにお願いして一度見させて頂いた久五郎味噌さんを再訪しました。久五郎味噌さんのおかあさんの真由美さんは芽生さんのおばさんになります。

まず、大仕事にワクワク、それも規模は農家の台所の延長、超大型化はされていません。手と気柄が必要とされ、生きて伝わるサイズに留まっています。

⤵ 豆を炊く竈です。大釜、いいですねえ。窯のサイズでうまさが違ってきます。

麹は、大型の麹発酵機で、楽になりました、とのこと。温度管理がたいへんですものね。
発酵機は、北海道でよく見る大型の冷凍庫を一回り大きくしたサイズでした。

こちらが寝かせる味噌蔵です。ワクワク!
大樽が20樽はあったと思います。何斗樽か聞きそびれてしまいました。
もう使わないから、と譲り受けた樽も多いそうです。今では樽をつくるところもないし、と真由美さん。私が子供のころは部落に『たがや』さんがいて注文を受けて樽をつくっていました。

農家の佐藤さんの庭先の味噌蔵で作られた味噌、お裾分けの延長といった感じです。しかも
豆は在来種、今では佐藤さんとこしか作っていない、麹のコメも佐藤さんとこのです。
いかにもうまそうでしょ? 味噌つくりの事業化、ブランディングは押切さんがプロデュース、気の置けない感じがそのままでさすが!ですわ。
ヨシ、帰ったら帯広で久しぶりに味噌炊きするぞ!

『私たちはよみがえることができる』

1111/10000  3月20日(月) 2023
◆シリーズ 3/14~2 山形・宮城報告その
今日は、宮城県石巻市の牡鹿半島の南側の付け根の蛤浜の
『浜の暮らしのはまぐり堂』さんに宛てて手紙を書きます。

蛤浜は世帯数が九つのの小さな漁村でした。東日本大震災と大津波で3世帯人口7人に激減、4人にひとりが60代以上、
蛤浜出身の亀山貴一さんは、愛する蛤浜の暮らしを時代の要請を見据えつつ後世に伝えようと、水産高校教師を辞めて復興と事業に取り組みます。

亀山貴一様
  理子様 
菅原尚子様


先日は、押切さんについて行って寄らせて頂きまして ありがとうございました。
ちいさなめんこい蛤浜、ここで代々 海、山、土とともに暮らしを続けてきた人々、そして
3.11、その後の復興のシーンを想像しようと試みました。
ご本拝読いたしましてふうーっと大きく息をしました。
① 復興への思いと決断
② 事業計画と調整の過程 現場での奮闘と微調整
③ VIVIDなネットワーク  思い 技術 資金
私たちの20代.30代と全然違う、比べても詮無いことですけれど、
感嘆の連続です。
ご苦労さまでございます。

きちんと事業計画を立てて思いを可視化
貴一さんのご本より
貴一さんのご本です。頂きました。

階段を登って高台へ、
『浜の暮らしのはまぐり堂』さんの第一印象は、あまりにも素晴らしく
私は魅了されて息を飲みました。
あこがれの縁側、障子、そしてその透明感!
蛤浜代々の歴史と、3.11の後の12年の結晶をまのあたりにした感じがしました。
材を担いで坂を上った人々の生命力、
再生に力を注いだ思いと技術、マネジメント、
ほの暗さ、趣向を凝らした飾り物、心の余裕などなど 偲ぼうと試みました。


尚子様
石巻発 プリコロール・プロジェクトのこと、押切さんに聞きました。
一歩も二歩も先を行く企画で、手先そう起用でもない私は追いついていません。
お手作りの技術をお持ちの尚子さんは、きっとあれこれアイディアが湧いていらっしゃることでしょう。❝主婦の手づくり❞から一つランクアップしたグッズと 住まいを共にできたらと想像するとワクワクしますよね。


理子様
お名刺にびっくり!『ネイティブ・ジャパニーズ探求家』!おお、来ましたねっ。
実は私はネイティブ・ヤポネシアンNative Japonesianと勝手に呼んでいます。北海道から沖縄までの列島に棲む、地生え、海生え、心映えの人々のことです。
私たちのまっとうな誇りってなんだろうか?とつらつら思われています。
今回結城登美雄さんに50年ぶりに会えてこのあたりにごっついチカラを貰うことができました。結城さんの『何としても伝えたいものがある』、はまぐり堂さんの蛤浜LOVEと相通じていますよね。

ついでに、ヤポネシア・ヒットソング『ヤポネシア・フリーウエイ』なる内田ボブの歌もあるんですよ。(すでにご存じでしたらごめんなさい。ご興味ありましたら検索お願いします。リンクが貼れません・汗)



3.11から満12年、被災の様子はテレビでしか知らず、復興の現場も知らないで一足飛びに初めての被災地、幸運にもはまぐり堂さんを訪ねることができました。
伝統的な暮らしを受け継ぎつつ、地殻変動、気候変動、社会変動とつきあいながら微調整を重ねて答えをどのように創っていくのか、そのプロセスの躍動に目を見張り、
『私たちはよみがえることができる』、このことを目の当たりにすることができました。

残された時間を(ばばとしてまだビギナーですけど)、子供たち孫たち、後世に伝えるべきことを伝えることを一つの柱にして過ごそうと意気込むものの、 作業のスピードはトシなりで、アップデートする力もお若い方々にはとてもかないません。私なりにすること、できることをしぼろうとしております。そんなわけで皆様の編集会議にも耳をそばだてておりました。
もし北海道十勝地方にいらっしゃることがありましたら、新得の協働学舎さんほかご紹介いたします。


ネイティブ・ヤポネシアン・ネットワークの息吹きが
この列島をきっとよみがえらせることができる、この思いを強くしました。

石巻~蛤浜の日々、おだやかでありますように。
                   感謝を込めて


⤵蛤浜全景 前出 貴一さんのご本より

『持続可能な地域・地球のための活動見学』

1110/10000  3月19日(日) 2023
◆シリーズ 3/14~2 山形・宮城報告その
今日は、宮城県石巻市の一般社団法人『サステナブルデザイン工房』さんの見学の報告です。
『サステナブルデザイン工房』さんは、なにをやっているところかというと
スーパーやドラッグストアの棚にずらりと並んでいる洗剤詰め替えパックの回収・リサイクル事業を通じて持続可能な地球のための活動を地域密着でやっているのです。半日ほど便乗しまして見学させてもらいました。レポート致します。


① 超地道

回収してきたパックを一枚一枚チェックして底に残った洗剤をバケツにあけて、パックを重ねてビニールの大袋に詰めます。香害、化学物質過敏症に苦しむ友達を脳裏に浮かべながら私もちょっとだけ手伝いました。私は50年以上合成洗剤とは無縁ですが、反対して自分の領域に入れないだけでことは済むのか、と目を開かされた次第です。
ビニール袋を段ボールに入れてメーカーに送ります。そこで変幻自在なブロックに変えていましたが、今は別の形を考えているとのことでした。

② ネットワーク、回収、仕組みはガッチリ
集積場所が石巻市内に数十か所あり、そこを定期的に回って回収します。子どもたちのためのスペース、自宅をお茶会などのコミュニティ・スペースになさっているお宅、ラジオ放送を聞いて❝私たちもいっしょにやります❞と連絡してきて下さったファミリーマートさん~とまわりました。リアルな回収には心の交流がうまれるものなんだな、と実感しました。
⤵ ファミリーマートさんの片隅に、ではなくて、入ってすぐレジの手前に置かれた回収ボックスは段ボール製の完全手作りです。堂々たる回収ボックス、善意にすがって肩身を狭くしていません。

③ ダイナミックにコラボ
・洗剤メーカーの最大手とコラボ。企業としてSDGsの次の戦略企画+活動資金面でも。
・公教育の教室に出向いて、地球環境の現況についての出前授業、わたしたちが暮らしの中でできることのワークショップも。現場の現役教師の方が相談に見えておられました。
・大きな事務所には宿泊もできます。一晩お世話になりました。

ボランティア活動と言えば
清く正しく線は細く賛同者は少なく資金は善意が頼りギリギリ低空飛行なものしか知らなかった私にはなかなかダイナミックな活動内容です。



『ご飯粒と紙が落ちているのはめぐさい=みっともない』このことばが私のエコロジーの原点です。当時は、川岸にある川端部落のゴミ捨て場のゴミは、雨が降って上がった最上川の水が、水に流してくれておしまい、でした。プラはなくセロファン紙が少々,干しシイタケの袋とか。
放射能と同じようにプラスチックも、海に流し込めば一挙に生態系に無毒化される技術が開発されないだろうかなど夢想されつつ、地道な手と足と頭を使い心の通うアクション(私好み)が支えているものが底の底にあるんだよなと、得心するのでした。



⤵石巻市 あいのやさん。とってもオリジナルなポップもかなり新鮮

『新しいチカラが湧いてくる』

1109/10000  3月18日(水) 2023
◆シリーズ 3/14~24山形・宮城報告その③
今日は、ユキちゃんへの手紙です。
ユキちゃんは福井県生まれ。カナダ体験25年、現在家族とともにノバスコシャのカントリー・サイド在住。畑を作り 麹を立てて味噌つくりのワークショップをやる一方で、もう一つの本業『決断コーチ』として世界各地のクライアントさんとセッションを重ねています。私もその一人で去年の1月からお世話になっています。ユキちゃんのFACEBOOKはこちらです。どうぞ! ⇒ https://www.facebook.com/yuki.inoue.202
ブログはこちらです。どうぞ!⇒ http://inoue20.com/

= ユキちゃんへの手紙 =

 ご無沙汰。あっという間に半月。
 3年ぶりに持ち場を離れて、おかげさまで
『よく頑張ったな、この2年』そう思えました。
 頭コチコチ 胸はドキドキ、約束したことができない、先延ばしが続く日が過ぎていく・・・このパニック・ゾーンから抜けることができそうです。蓮の花は泥水の中に咲くとか。乾いてコチコチだった泥に水が入ってきた感じです。
 さすがに旅疲れで3日、4日と過ぎた後、おかげさまで新しいチカラが湧いてくるのを感じています。旅の疲れ取りと冬の毒出しだけでなくこの二年ため込んでいた垢出しもできたような気がします。

 靄が晴れてきて見えてきたことは、ことさらあたらしいものはなく
目の前の作業リストは、出かける前と殆ど変わりませんが、クッキリとしてきました。

⓪ 宮城・山形報告をブログで =当日投稿に追いつく  ~4/7(金)午前中
  ブログは私にとって 朝起きたら顔を洗うようなものです。
  このあとに続く作業のウオーミング・アップにもなるし。
 
最優先は、こちらです。熟成期間すでに半年以上。
① 『ごちそうさまダイアリーfor DIET』(仮題)販売開始 ~ 4/21~27午後⇒午前中
   ・FACEBOOK LIVEのスクリプト
   ・テキスト作成
   ・ステップメール100本作成
ここまでをまず片付ける。

旅先でクライアントさんと出会えて、
何がダイエットをさせなくしているのかもリサーチする機会がありました。
他の人のためならがんばれる、これ、真理な気がする。

② 冊子執筆 『子供らに寄せて』        ~6/21 
  1 子供たちに伝えたいこと
  2 高度経済成長前の世の中から

③ ほがらかばばぢからクラブお茶会       5月半ば~
  テーマ 『私だけの一冊のノートをつくろう』 
       項目ごとのテキスト作成
       自分史講座の初級テキストもこちらで  
      名刺 カード チラシ DM 制作

④ 事業計画書を書く 出直し、です。
 

パソコンのマニュアルを読む女性のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや
パワーポイントに挑戦中

この一年以上いつも頭から動かなかった私のテーマが
今回の東北行きを通じてよりはっきりとしてきました。

・肩書
(まだ仮称)
    ほがらかばばぢからクラブ主宰
    ほがらかシニアプロデューサー 自分史探検サポーター
キャッチコピー(まだまだ要推敲)
    いてくれるだけでほっとするシニアになれたら!
    上手下手抜きで、パソコンできなくても大丈夫、
    自分が主人公の『私だけの一冊のノート』をつくりましょう。
    ❝宝物は自分の中にあったのね❞ ごきげんで天寿をまっとうしましょう
    
・自己紹介  
いるだけでほっとするばあちゃんじいちゃん、私たちシニアが
ささえます現役世代まもりますお子たちを!
あたたかなあかりをひとつふたつとふやして穏やかでお子たちが安心してスクスク育つ世の中のいしづえを手で積んで参ります。

13歳まで高度経済成長政策以前の世の中で育ち
20代で『食養』に出会い人生が一変、自然療法を体得、沖縄から北海道までをヒッチハイクで縦断
30代は信州の山の中の一軒家で電気ガス水道ナシの暮らしを8年半、二人の息子を育てる、北海道に移住。無農薬の素晴らしい八百屋をひっぱるが経営に無知で潰す。
50代更年期、慢性疲労に慢性赤字の八百屋をかかえてどん底に。
何としても人生を変えようと研鑽を積む。
60代講座開講準備、話し方教室、作文教室、コミュニケーションの講座に参加
74歳で講座開始、一年目は57回開催。
私たちシニアが、なるべく元気で現役世代をささえお子たちをまもる存在として
こどもたちが安心してスクスク育つ世の中のいしづえとして天寿をまっとうすることの実現に情熱を燃やしております。


今日はこんなところかな、
❝ほがらかシニアクラブ❞の趣旨、では具体的になにをやるのか?
どんな目に見えるメリットがあるのか、

シンプルにことばにしてみますね。

ユキちゃんと出会って、まもなく1年半、
うちの息子たちの父ちゃんと誕生日が同じで、なんと娘さんのお名前も
私の孫姫と同じでした。
振り返れば、呻いて固まっていたのは私で
数々のミラクルが向こうから、ハ~イ、こんにちは!とやってきてくれてました。
ま、人生油断は禁物、これからです。
私の座右銘『うむ・はぐくむ・わかちあう』を胸に、
ときどきは消費に埋没しながら、
コツコツ坦々でやっていけますように。作業を進めて
毎週木曜日朝には❝やったぜ!報告❞ができますように。


オキナグサ、山形の姉の菜園にて