毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、といっていられなくなった政治のこと あれこれです。
今日は、内田樹さん編『街場の平成論』の内、鷲田清一先生の『小さな肯定』の復習です。
鷲田先生を読むのは初めてです。さすが、哲学者!と感嘆しました。「言葉を持つこと」の意味、それはチカラであるとヒシヒシと迫ってきました。では・・・
★ 平成という時代は、
●“消費が生存の普通の形になることで共同体というものがス(漢字が出てきません)のようになってゆき”、さらに貧富の差が社会全体に広がった。
人びとの生活共同体に欠くことのできない《相互扶助》の仕組みが、今では、じかの「助け合い」ではなく、匿名のシステムによるサーヴィスを「買う」という構造に転換された(・・・されてしまった、と私達の世代は嘆く)
だから、助け合う共同体、という御輿の重さが実感できない(・・・できなくなってしまった)
●さらに、『市場を場とする経済のひとつの基準が社会を支配し、更には国境をも呑み込んで浸透しだすと、社会の内的なまとまり、例えば、組合、結社、大学など、国家と個人の中間にある勢力が崩れ(ー暴力国家の意思でもあるな)その構造が「脆く、不安定に」なり、個人も浮き草のように市場に弄ばれることになる』(E・F・シューマッハー)(・・・今ホントに目の前にしている)
●「なぜ、日本が近代化に生きのびられたか、日本では有名な人はたいしたことがない。無名の人が偉いのだ。目立たないところで、勤勉と工夫で日本をっ支えている無名の人が偉いのだ。この人たちが心理的に征服された時、太平洋戦争が始まった。
勤勉と工夫に生きる人は、矛盾の解決と大問題の処理が苦手なのだ。そもそも大問題が見えにくい。そして。勤勉と工夫で成功すればするほど、勤勉と工夫で解決できる問題は解消して,できない問題だけが残る。」(中井久夫氏)
●予想できなかったほどの貧富の格差による社会の分断により、
「それを言っちゃあおしまいだよ」といった身も蓋もない、節度や品位の欠落した、いわれなき誹謗中傷や、雑言、露骨な排除の歯止めがきかなくなってきた。私的欲望の無制限な膨張をかろうじて緊めてきた縄が一挙に解かれ、社会の底が抜け出した。
わざわざ説明などしなくても、社会の大半が一致できる意見、つまり「あたりまえ」が瓦解してしまった。(・・・公園の子供の声がうるさい、とか。この国の国会でもフツーの場景である)
「言論の宇宙」の前提となる意見の多様性は、そういう「あたりまえ」が法律にではなく慣習としてゆるく共有されているコミュニティなしには存続しえない。
●『運動としての国家がある種の均衡に達し、一定の静止状態に入ると、国家は「強大な機械」に変貌して(そうしようと何十年もかけて粛々と作り上げてきたわけだ)、人びとは、「恒久不変の装置として受け取るだけになる。このとき国家は反対に、「社会的自発性」を吸収もしくは抹消する装置として現象しだす。
こうして、「理由を説明して相手を説得することも。自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断固として強制しようとする人間のタイプ」がはびこるようになる。』(・・・そうか、今、この国ではその見本市状態だな)
●しかし、<大きな否定>は今の若い世代にはなじまないのか、「合わないな」「無理だな」と思えば、黙って消えるか見限って場所を変えてしまうだけだ。ここでも、<社会>の底が抜けだしたという思いが日々つのる・・・。
さらに、この<否定>の思考や感情を、貧困と格差の<否定>の現実が追い越していっている。
★ しかし、<大きな否定>ではなく、<小さな肯定>をもういちどゼロから積み上げてゆこうとの思いもまた生まれつつある。
これは、たしかに<大きな否定>、つまり世界のありよう総体に、理想や理念をを基に「アンチ」を唱えるのではなく、<小さな肯定>を一つずつ体感で,足下に確認してゆく、そのような態度であろう。
底の抜けた社会を自前で再建してゆくその一歩なのだと思う。集団が粘度を失い、まるで砂粒のように時代の構造変化に流されるばかりといった状況を、<大きな否定>ではなく<小さな肯定>を丹念に積み重ねながら押し返していこうという静かな意思をそこに感じる。そのなかで、信頼、助け合い,おつきあい、憐れみ、共感といった古い「特目」が。これまでと違う感覚で模索されていると思う。
問題解決のコンテクストをみずから紡ぎ、編んでゆくこと、これこそ民主的な社会における<政治的>な行動の、基本だったとあらためておもう。
「押し返し」の試みは、メディアと人びとの関わりを、素手で構築しようとする動きにも見られる。
★ 『経済の問題は数字の帳尻合わせで、数字で計れないひとの心の問題はどこかへ行ってしまいます。我々が考えなければいけないのは、「失われていないもの、残されているものの数をかぞえる」ことではないでしょうか。』(橋本治さん)
☆以上、復習でした。今日はここまでと致します。
来週は、“あくまで希望にフォーカス”している私が、
<小さな肯定>と、『残されているものの数をかぞえて』みます。