『土曜の朝は、ホリデー気分』

毎週土曜の朝は、NHK FMで“weekend sunshine ”と“世界の快適音楽セレクション”を聞きながらまったり過ごすことにしています。先週に続いて今週もゴンチチさんは、北海道特番のためお休みです。

☆ 春分とともにグッと春のスピードが上がります。

今年の早春のトップ・ニュースは依然として、我が家初のクンシランの蕾です。茎が伸長しています。

蕾のついた鉢を優先して、鉢の位置を変えました。

☆ かわいいウグイス菜を上げてきた小松菜です。

初々しいです。

☆ 氷を割ろうとつるはしを出してきました。まだ氷に刃が立たず、受け口が乾いて弛んでいたので、風呂場で水に浸けております。

☆ ある日の弁当です。夕ごはんです。おかげさまで4kgくらい減って10年前に戻りつつあります。

☆ 昨夜は、明日はホリデー気分で、1時迄読んでました。

ダントツ大好きな隆慶一郎さん。

このような方だったそうです。

逆ですね、正月に息子になおし方教わったのですけど・・・

「・・・寡言であった。にもかかわらず、彼の少ない言葉は、饒舌家より多量なものを伝えた。自慢をしない、ひけらかすことがない、悪口を言わない、愚痴をこぼさない知ったかぶりをしない、教えない、そういう人だから、当然、口かずは少なくなる。にもかかわらず、多くを交換し合う符号ができれば、こんな楽しいものはない。」(古山高麗雄さん)

☆ 頂きものの長芋、最後の一本を箱のおがくずから出して、髭根をガスの炎で焼きました。

子供のころは、竈、山形弁で「くど」で、山形市に移ってからは風呂の焚き口で焼きました。山で掘ってきた自然薯でしたね。

とろろを食べる日が、年に2~3回あって、母がすり鉢でだし汁でゆるめていました。もう一度食べたいものの一つです。

☆ こちらはアロエ千代田之錦。ゆっくりと上がって来るので2~3か月眺めることができます。

『孫姫への高校合格お祝い準備中』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて

今日は、孫姫の高校合格お祝いのレポートです。

14歳、といえばもう一人前、しうこばーばは、合格を見越してお祝いを準備しておりました。

☆ まずは、ノートです。

kokuyoの方眼ノートB5版と、統計ノートにペンはSigunoのキャップ付き。いずれもババ愛用のアイテムです。

テーマ、最重要点、大事な点、捕捉点、湧いてきたアイディア、メモと

このノートなら、はじめから授業内容を、整理しながら記録できます。頭が整理しやすいノートです。

企画、計画を立てて、調整を加えるのもやりやすい。

会計、家計簿なら、統計ノートで。(今ならソフトがあるか)

各種リストのメモにも。

☆ こちらは、『子供らに寄せて』の孫版用のノートです。

ちょうどいいのが100円ショップにありました。

しうこばーばから孫姫に伝えたいことを、入学までに、さっとまとめようというわけです。

そう、ババが、60年かかったことを、今14歳の姫に伝えておこうとしています。人生の始まりに抑えておいたら、少しは役に立つこともあろうかと。

 ☆ 使ってくれるか、見てくれるか、それはわかりません。いつか はたち、30、40、50過ぎたとき、めくってくくれることがあったらありがたいと、ここは謙虚なババです。

 あと何か本を、とリサーチ中です。

(ノート、ペン、本と、生まれつき好きなものってかわらないもんだ)

☆ 孫ってあっという間に大きくなるものですね。

家に預けられて,『おかあさん、おとうさん迎えにきてくれるかな』と心配そうに外をみていた・・・

園芸店を見に行ったら、実のついたいちごの苗をじっと見て、『がまんだよね』と我慢してしていた小さな姫・・・

 激動の時代が始まっている。この国は当分の間ぐらぐらしているだろう。なにがあろうとも逞しく生きのびていくのですよ。ばばはいつも姫の味方です。

本は、一冊はこれにしようかな・・

『ネガティブ情報の発信者にならないコト』

毎週水曜日は、◆読む・書く・話す

ずいぶん範囲が広いですね。

今日は、ネガティブ情報の発信者にならないコト、とまずは自分を戒めます。

★ しまった、と臍を噛む。仲良しと思って気がゆるんだ、あーあ、やっぱりやめておけばよかった。ま、ちょっとスッキリしないこともなかったけれど、やっぱりやめておけばよかった。

二度としないぞ、人の悪口は言わないぞ!

と、2,3日前、再決心しました。

★ もうひとつ、人のうわさ話も禁物ですよ。

 人さまのテリトリーに許可なく土足で入り込んではいけません。

 話すことは他にもあるでしょ?

★ ●人の悪口をいわない●人のうわさ話をしない

この二つをためしにやってみると、

人生にオリと埃が溜まらなくなります。

ハツラツとしてきます。

喜ばしい気持ちが湧き上がってきます。

ラクになります。楽しくなります。

★ ネガティブなことは言わない、このことは、藤本先生の作文講座で、グルメ・レポートのときに習いました。

テレビのグルメ・レポーターって、ワルイことは一切言わないんですって。(地元のFMのグルメ・レポーターさんもディレクターさんにそう指導を受けているそうです。)

そのとき、

ついつい無意識に、まずネガティブついでにいいことも、

みたいな自分のパターンに気づいたのです。

なんてわざわざややこしいことにエネルギーを使ってたんだろう、と実感しまして、以来、ほぼプッツリ止めました。

そう、意地悪しなくなったわけです。

★ 人によっては、テレビやメディアの悪いニュースには目を耳をふさぎ

ネガティブ情報から身を護っているそうです。

それくらいネガティブ情報って、ナイスなパワーを侵食するんですよね。

 見て見ぬふり、スルーすることも生きるコツのひとつ。

 脳天気でOK!

★ これは原則。まわりには色々様々ヴァリエーションとグラデーションがあります。それでも、ここを抑えておくと、

人生得した気分になりますよ。やってみます?

『残されているものの数をかぞえる』

毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治

苦手、と言っていられなくなった政治のこと あれこれです。

今日は、内田樹さん編『街場の平成論』の中の、

鷲田清一先生の『小さな肯定』の復習です。

★ 鷲田先生は始めて拝読しました。さすが!哲学者、と感嘆しております。

 私たちがその空気の中で生きてきた「戦後民主主義」が通用しなくなった(と知った)平成という時代の空気の様相、なぜそうなったのかを、目の前に示して下さっております。

・ショウヒ

『書いてあったことに励まされる』

毎週火曜日は、◆自分史をつくろう、今、未来にむかって

このブログのメイン・テーマです。

この冬、FACEBOOKの友達の柳沢史樹さんを通じて「自分史活用推進協議会」様に出会って以来、何を読んでも、自分史してるなあと、すっかり自分史づいています。

出会う前は、『今』と『未来』を中心に考えていて、過去については流し気味だったのです。

★ このブログで、毎週木曜日には、◆子供らに寄せて で

① 私の来し方 ② 子どもたちに伝えたいこと のメモ書きをしてきました。まもなく50回、それだけでも、心にほっとするものが広がっています。

子育て中はいつもイライラガミガミ、なにもしてやれなかったなと、なんとなく申し訳なさが先立つこともなきにしもあらず、だったのが、

まあ、まずまずがんばってきたではないか、と自分をほめて上げてもいいのではないか、なんていう気がしてきます。

『書く』ことによって、です。

★ 2,3日前に、個人通信『新清水平便り』が出てきました。日付は、2011,7,14~20、ここに引っ越して4ヶ月目、3.11の直後です。

心機一転してやっていこうとしています。

まあ、なんとういういしい!こんなことを思い書いていたのだ!と、当時の自分がいとおしくなります。

「原発メルト・スルー、しかし、子供達孫たちがいる」

「どんな状況にいても生きていかなければならないという健康的な力をつちかっていくためにはやはり『言葉の力』が最も大切」(和合亮一氏)

「落ち着いて、まずは自身の生存基盤の確立・・・小さい一歩小さい一歩をコツコツ踏みしめていく」

「本領を発揮できる本業に精出さむ、体力と気力と脳力と工夫と創造のエネルギーを本業に。なによりも時間を。」

「みなで小さな力合わせてやってゆかなくちゃな、行きやすいヤポネシア、新たなるよみがえりのチャンス、きっかけにしていかなくちゃな」

「双方向の信頼と尊敬のコミュニティを一歩一歩着実に広げて+広がってゆく」

言ってることが今と変わりませんね。

これも昨日書いたばかり

たまたま、でしょうか、10年目のシンクロニシティでしょうか、当時の息吹きが当時以上に鮮やかによみがえり、自分に励まされ勇気をもらうことになりました。

『しうこばーばの自分史講座』では、双方向で、フレッシュに自身と新しくであえる時空を分かちあいましょう!

この『清水平便り』から10年目、この春には(あら、もう春ですね)一歩踏み出せそうです。

自身が書いていた小さなお便りに励まされながら。

2011年夏

↑2020早春

『ブログ1周年記念日迄に』

毎週月曜日は、◆小さなビジネスを始める にあたってのあれこれです。

私の小さなビジネスは、『しうこばーばの自分史講座』です。

★ この一週間の“一歩前”へ報告

☆ おかげさまで去年の疲れが取れてきました。頭がまわるようになってきました。

☆ 絶賛ダイエット中。一ヶ月で3kgは減りました。52Kgが目標です。(身長は158cm)

☆ Wordpressの初心者向けのサイトに出会い、まずはメールで教えてもらうことにしました。この方の文章がとてもステキです。

☆ 決めました! このブログの一周年記念日迄に

① 読書会を、実質始める

② 『しうこばーばの自分史講座』を「初級」から始める

・ 齋藤孝先生の『自分史の書き方』一読、元気出ました。

この一年は、助走期間でした。

★ 5月8日 一周年記念日迄の課題リスト をもう一度

① ブログ

 ・間違いを直す ・カテゴリーに分ける ・印刷してファイル ・推敲

 ・メールマガジンを始める ・TWITTERでニュー・アカウントをつくって発信(つくったアカウントが凍結されてしまったので)

 ・曜日毎のテーマを見直す

 ・これが一番気になっていること

  個人的な内容、ではなく、“あなたと共有したい”内容に変える

② 内容

  ・講座の内容を、紙にパワーポイント式に、まとめる

  ・本を読み、心と思いと、事柄の襞にふれて、語彙と言葉を増やす→一生の課題

③ 情報発信とビジネス構築について、A先生に相談する

④ 「自分史活用推進協議会」様の、講座に参加する。

⑤ ③と④の費用の援助をお願いする。

事業計画書を書く。なぜこれがやりたいのかを言葉にする。このブログで下書きをしてきました。

⑥ 時間をつくる

夜は10時には就寝、朝5~6時起床、7時には始業~11時までにメインの課題をおわしてしまう、ペースをつくる。

ひとりの時間を大切に確保する

⑦ LIVEで人と接する。今のパートが客商売なのもラッキー。

今度の冬前にはパートをやめるか、時短する。そのための目標収入は、月8万(at least)

よしっ、行きましょう!

『体幹を鍛える』

毎週日曜日は、◆ステキにエイジング

今日は、体幹のトレーニングについてです。

☆春が近づいてきました。重い長靴をサッサと捨てて、軽い靴にかえて、颯爽と背筋を伸ばして歩くと、冬のことなどすっかり忘れそうです。

冬の間は、とにかく転ばないように、アイスバーンにひっかからないように気を張っていて、転ばないで家に帰れたらオンの字ですからね。年とったらなんでもないところで転びそうになるし、転んで骨折したらさあ大変!です。

そうそう、それで背筋が伸びて、体幹を意識して歩けるように季節がチェンジ中です。 

☆これを描いてからもう40年くらいになります。


・体の中心は、みぞおち丹田

みぞおちは柔軟に、丹田は気の中心、頭のてっぺんは天心というツボ。

それを通して、一直線に軸が通っている。上は天体の、下は地球の中心に伸びてつながっている。

☆「体幹トレーニング」を初めて知ったのがこの本です。日付を見るともう10年になりますね。

☆そんなこんなで、「体幹」を意識するようになって、行住坐臥、なるべくですけど、気をつけています。

☆私の体幹エクササイズの一部です。

・鈴木正成先生のダンベル体操、より。

これは、丹田・みぞおち・体幹を意識してやるのに、絶好のエクササイズですよ。ダイエット中の方には胃も小さくなりますよ。

・スクワット、西式のカエル体操も、◎です。

☆体幹がキマッてくると、

①姿勢がよくなる

②思考がスムーズになる

③心身爽快になる   

これらのことが感じられると、続けようという気が自然に湧いてきます。

☆歩くときの足の置き方は、親指と人差し指の間ー湧泉ーかかとの真ん中 となります。土踏まずで歩く、と膝に負担がかからないんですって。

転びそうになったら、丹田にぐっと気を入れて何回か、難を逃れることができました。

以上今日は、「体幹を意識して鍛錬してます」というお話でした。

🔶土曜の朝は、ホリデー気分

毎週土曜の朝は、NHK FM で“weekend sunshine ”に続いて“世界の快適音楽セレクション”を聞きながらまったりすることにしています。今日は北海道特番のためゴンチチさんはお休みでした。

ピーターさんは全体に渋めで、何の特集でもなくリクエストだけというのも私は好きです。

先日亡くなったピアニストの、マッコイ・タイナーが数曲、デレク・トラックスも一緒にやってたんですね。もっとちゃんと耳傾ければよかった。

☆ 冬の終わりに着てます。

息子が暮れに持って来てくれました。母「えー、なに、その赤~、

・・・ん?」

「えー、パタゴニア!! それならいる、いる!」

というわけで只今愛用中。

☆ デパ地下で、マグロの血あいをゲット、サッと茹でて、何回か水を取りかえて臭みを抜き、生姜たっぷりの甘辛煮に。

山椒の代役は、ルッコラです。

☆ 今日のクンシランです。愛でまくり中。

蕾が少しずつ大きくなっています。

☆ 小松菜にも蕾が。

春先のうぐいす菜が懐かしい。

☆ ↓これはヨモギです。風呂用です。大きくなったのを枝ごと干します。おととしのがまだあります。春になったら新芽をこの春はどこかに摘みに行かねば。すぐ近くの“ヨモギ畑”が無くなったので。

あら、手前はルッコラです。種がまだ取れそうです。

☆懸案の棚をセットしました。ここに紙を分類、ファイルして入れると大仕事が一つ片付きます。

☆ ますます元気な、葉っぱがスペード型のワイヤープランツ、10年目になります。

『残されているものの数をかぞえる』

毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治

苦手、といっていられなくなった政治のこと あれこれです。

今日は、内田樹さん編『街場の平成論』の内、鷲田清一先生の『小さな肯定』の復習です。

鷲田先生を読むのは初めてです。さすが、哲学者!と感嘆しました。「言葉を持つこと」の意味、それはチカラであるとヒシヒシと迫ってきました。では・・・

★ 平成という時代は、

●“消費が生存の普通の形になることで共同体というものがス(漢字が出てきません)のようになってゆき”、さらに貧富の差が社会全体に広がった。

人びとの生活共同体に欠くことのできない《相互扶助》の仕組みが、今では、じかの「助け合い」ではなく、匿名のシステムによるサーヴィスを「買う」という構造に転換された(・・・されてしまった、と私達の世代は嘆く)

だから、助け合う共同体、という御輿の重さが実感できない(・・・できなくなってしまった) 

●さらに、『市場を場とする経済のひとつの基準が社会を支配し、更には国境をも呑み込んで浸透しだすと、社会の内的なまとまり、例えば、組合、結社、大学など、国家と個人の中間にある勢力が崩れ(ー暴力国家の意思でもあるな)その構造が「脆く、不安定に」なり、個人も浮き草のように市場に弄ばれることになる』(E・F・シューマッハー)(・・・今ホントに目の前にしている)

●「なぜ、日本が近代化に生きのびられたか、日本では有名な人はたいしたことがない。無名の人が偉いのだ。目立たないところで、勤勉と工夫で日本をっ支えている無名の人が偉いのだ。この人たちが心理的に征服された時、太平洋戦争が始まった。

勤勉と工夫に生きる人は、矛盾の解決と大問題の処理が苦手なのだ。そもそも大問題が見えにくい。そして。勤勉と工夫で成功すればするほど、勤勉と工夫で解決できる問題は解消して,できない問題だけが残る。」(中井久夫氏)

●予想できなかったほどの貧富の格差による社会の分断により、

「それを言っちゃあおしまいだよ」といった身も蓋もない、節度や品位の欠落した、いわれなき誹謗中傷や、雑言、露骨な排除の歯止めがきかなくなってきた。私的欲望の無制限な膨張をかろうじて緊めてきた縄が一挙に解かれ、社会の底が抜け出した

わざわざ説明などしなくても、社会の大半が一致できる意見、つまり「あたりまえ」が瓦解してしまった。(・・・公園の子供の声がうるさい、とか。この国の国会でもフツーの場景である)

「言論の宇宙」の前提となる意見の多様性は、そういう「あたりまえ」が法律にではなく慣習としてゆるく共有されているコミュニティなしには存続しえない。

●『運動としての国家がある種の均衡に達し、一定の静止状態に入ると、国家は「強大な機械」に変貌して(そうしようと何十年もかけて粛々と作り上げてきたわけだ)、人びとは、「恒久不変の装置として受け取るだけになる。このとき国家は反対に、「社会的自発性」を吸収もしくは抹消する装置として現象しだす。

こうして、「理由を説明して相手を説得することも。自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断固として強制しようとする人間のタイプ」がはびこるようになる。』(・・・そうか、今、この国ではその見本市状態だな)

●しかし、<大きな否定>は今の若い世代にはなじまないのか、「合わないな」「無理だな」と思えば、黙って消えるか見限って場所を変えてしまうだけだ。ここでも、<社会>の底が抜けだしたという思いが日々つのる・・・。

さらに、この<否定>の思考や感情を、貧困と格差の<否定>の現実が追い越していっている。

★ しかし、<大きな否定>ではなく、<小さな肯定>をもういちどゼロから積み上げてゆこうとの思いもまた生まれつつある。

これは、たしかに<大きな否定>、つまり世界のありよう総体に、理想や理念をを基に「アンチ」を唱えるのではなく、<小さな肯定>を一つずつ体感で足下に確認してゆく、そのような態度であろう。

底の抜けた社会を自前で再建してゆくその一歩なのだと思う。集団が粘度を失い、まるで砂粒のように時代の構造変化に流されるばかりといった状況を、<大きな否定>ではなく<小さな肯定>を丹念に積み重ねながら押し返していこうという静かな意思をそこに感じる。そのなかで、信頼、助け合い,おつきあい、憐れみ、共感といった古い「特目」が。これまでと違う感覚で模索されていると思う。

問題解決のコンテクストをみずから紡ぎ、編んでゆくこと、これこそ民主的な社会における<政治的>な行動の、基本だったとあらためておもう。

「押し返し」の試みは、メディアと人びとの関わりを、素手で構築しようとする動きにも見られる。

★ 『経済の問題は数字の帳尻合わせで、数字で計れないひとの心の問題はどこかへ行ってしまいます。我々が考えなければいけないのは、「失われていないもの、残されているものの数をかぞえる」ことではないでしょうか。』(橋本治さん)

☆以上、復習でした。今日はここまでと致します。

来週は、“あくまで希望にフォーカス”している私が、

<小さな肯定>と、『残されているものの数をかぞえて』みます。

『断捨離のやりすぎは、禁物!』

毎週木曜日は、◆子供らに寄せて

3.11から、10年目、この借家に引っ越して10年目になります。

今日は、その引越しのとき、捨て過ぎて今も後悔している、という話です。

★ 3.11が発生したとき、私は国民年金の事務所にいた。職員さんが急いで入り口の戸を全開にした。その足で市役所に寄ると、テレビに、押し寄せる津波の実況中継が映し出されていた。え、なにこれ!? 近くにいたおじさんが、津波だよ、流されているんだ、と言った。CGのようで現実感がわかずしばらくの間戸惑っていた。

そのあとは家でテレビに釘付けになり、迫る引越しの片付けはどんどん遅れていった。

お隣の親切なおばさんが見かねて手伝って下さった。ガラスを磨き、大量の本を町内会の資源庫に運んでくれた。

★ 当日、兄がレンタカーを引っ張ってやってきた。時間がない!と急き立てられ、おっとり刀で残りの大量の荷物を分け始めた。バック・ミュージックは、兄の“捨てろ!捨てろ!”コール。

3.11パニックに加えて、急き立て捨てろ!パニックに煽られ、自分の段取りの悪さに唇を噛むいとまもあらばこそ、ええい、ええい、と大切にとっておいた思い出の品々を、くりりん(ゴミ処理場)行きのトラックの荷台に放り込んだ。

★ そのあといつも胸にある後悔リスト

 ・清水平記念品の  ●お焼き鍋  背負子(確かに使わないわな)

 ●日向のおばさんが、下が生まれたときに手縫いでつくってくれた亀の子。おんぶするときお子を覆うあれ、です。(その端切れのみ裁縫箱にある)

 ●山形の父がくれたぬいぐるみのまるい人形。これは写真がある、喜んで遊んでいる。

 ●息子たちの父ちゃんと出会ったときに着ていたブラウス。『地球の上に生きる』を見て同じパターンで何枚も縫った一枚。姉のお下がりのスカートのリフォーム。これは写真がある。

 ●小学校のときから大切に塗らずにとっておいたぬり絵。

 〇産着とおしめ(おむつ)ワンセット。清水平の水の気配を残していた。

●には、特に胸が痛む。とっておいても場所とらなかったわね。被災した方々が失ったものに胸がいっぱいになっていたこともあった。

 ★ 若いときはバンバン捨てたり上げたりしてみかん箱ひとつで引っ越したりした。確かに息子たちの仰るとおり もちょっとシンプルにセネバとは思っております。

でも、大切な思い出の品々の断捨離は、禁物と、トシとともに悟る。それは共に生きてきて、自分を支えてくれたものだから。

2人の子供の小さい頃の作品や成績表などをいれた「思い出箱」をつくる余裕もなかったな。

山形の実家にあった、太平洋戦争前後の、大量の写真。大工の仕事の現場で活躍している父、最上川と大橋、当時の両羽銀行の竣工間近の工事現場で近所の友達と3人並んでいる母(現場の掃除に行ったのだ。婿取り専業主婦の母の唯一のアルバイト・シーンか)、立ち退き直前の実家と近所の全景・・・

もはや二度と見ることはないね、惜しいけど、ときょうだいでうなずきあったて、一年になる。