『これからの世の中をを生き抜くために』

毎週火曜日は、◆自分史をつくろう 、今、未来に向かって
このブログのメイン・テーマです。

きょうは、なぜ自分史をつくるのか?についてです。

★ 昨日は、血の気が引いてしまいました。
なんとこの国の超一流の国立大学で教授の集めた歴史資料書2万点をこの国でで引き受けるところがなく、韓国の大学がが引き取ったとの情報にTWITTERで出会ったのです。

その記事はこちらです。
https://twitter.com/shirai_satoshi/status/1287370339651997696

 過去の歴史から学ぶ、これは国を運営するときの基本中の基本です。こんな基本中の基本さえこの国ではすでに放棄されている事実に直面して受けた衝撃は相当なものでした。文化を放棄する、これくらい恐ろしいものはありません。まあ、ここ数年~ここ数か月の現政権の動きを見ていたらそれほど驚くことでもないのかもしれません。

★ 私たちはひとりひとり意識的にも無意識にでも過去の蓄積を踏まえてその場での判断をします。国となるとその規模は途轍もなく大きくなります。だからこそ過去の史料と資料はできる限りファイルして保存することは基本中の基本です。いつ役に立つかわからないものであっても、です。国の過去と現在を見据えて未来をつくろうとするとき、資料は必須です。いつ役に立つかわからないものであってもです。史料の存在がこの国に生きる人々のバックボーンのひとつになります。
  この国は、公文書の改竄、廃棄、隠蔽に加えて歴史資料まで不要とするようになったのです。太平洋戦争に負けた時には役所が公文書を焼く煙が国中あちこちで充満しました。

★ この国の政府のコロナ対策の支離滅裂に私たちは呆れつつ、コロナ感染に対して自衛しています。

『日本は簡単には 元気にならない』
自分史活用推進協議会さんのパンフレットにこの言葉を見たときはびっくりしました。自分一人の出来事と思いを綴ればそれでよい、のではないのだ。そしてそのあとに続きます。
『しかし私たちは信じている   自分史の力を』
『しかし近い将来「時代の先頭を走った開拓者」そう呼ばれる日を信じている』



★ 世のエライ人たちが信頼に値せず、空気中にもおぞましいものが溢れています。
  2015年夏までは、日本は戦争をしないのが空気のようにあたりまえと過ごして来ることができました。
しかしこれからは少なからぬ場面で、まっとうな人生を全うするためには、ある時はかわし、あるときはスルーし、ある時はたたかいつつ、わが身と家族と仲間をまもり、とばっちりを受けないように自衛して、さらにまもるだけでなく、積極的に望む未来をつくっていくことも要ります。


 ★ 私たち一人一人が心ある人たちと共に子供たちをまもり自分の人生をまっとうしようと心から願われるとき、
 紙とペン、又はパソコンに向かって自分自身と向き合い、言葉を紡いでいく作業が、ひとりひとりの人生の基礎の基礎の土台をつくることになり、石垣のひとつひとつの石となる、そんなシーンをイメージしています。

『継続して蓄積する』

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今日は、記録して蓄積することのメリットについてメモします。

★ この春から5年日誌をつけ始めました。F先生のブログで拝見して即マネしたわけです。
何冊目かの10年日記は10年目で 今年の分まだ残っているので両方とも書き込んでいます。10年日記の方は“とにかく埋めねば”でなぐり書きになることが多いです。

この5年日誌のほうは、
 ・中心は、私の ちいさなビジネスの進捗状況です。
 ・具体的な実践記録です
 ・スケジュール ノートの後ろにルーズ リーフをファイルしての手書き手作りです。
このルーズリーフは10年分買ってあります。
 ・勢い込んでつけているのも、“5年後が楽しみ”だからです。どれだけ成長しているだろうか!?

既成の手帳から、やっぱり自家製になってます。

★ 今朝SNSに、素晴らしい少年の動画が流れてきました。
この少年は、全員同じでなければならない学校生活になじめず、ひとり好奇心のおもむくままに取材して取材内容を写真入りで克明にノートに記録しています。ノートは、『ペンギン・ハイウエイ』のアオヤマくんと同じ 方眼ノートでした。17歳の今までの蓄積が何冊もきれいに棚に並んでいます。長い間続けるうちに著名人と出会ったり学芸員さんと友達になったりして世界が、現在進行形で広がっていっているのです。


★『何冊もきれいに棚に並んでいる』
このように継続の結果の蓄積が目に見えていると、うれしくなります。なんかどっしりとしてきます。気持ちにゆとりが生まれてハラが座ってきます。自信になります。
 かくいう私は、今私なりにそれを始めたばかりです。
 ・分身手帳 これは一冊です。いつも一緒です。
 ・ありがとう・ラッキー ダイアリー これはずっと10年は続けているかな。
 ・5年日誌   
 ・家計簿  この夏3年ぶりに復活
 ・『思考』の整理用ノート  問題にぶつかった時用
 ・段取り帳
などなど、それに・毎日のブログの記録もようやくファイルをつくりました。

1年分の整理が待っています。はじめから毎日ファイルすればよかったです。

★ 『自己達成こそは最高の勇気である』
 継続した結果の蓄積が目に見えていたら、目標のポスターと同じくらいの効果があるかもしれません。


 やっぱり一番のキモは、コツコツ淡々、コツコツ坦々の作業=努力だと思っています。地味ですね。(努力のノウハウはこのブログの大きなテーマの一つです)
 単純な繰り返しのうちに、あるときヒラメキがやってきたり、またあるときは新しいアイディアがその姿を見せてくれたりするとき、これだっ!と喜びが湧き上がってきます。(繰り返しについてもこれから何回も登場予定です)

実りはうれしい、どんなにわずかでも。唐辛子、1年分とれるかもしれません。

『幹をつくろう』


毎週火曜日は、◆自分史をつくろう、今、未来に向かって
このブログのメイン・テーマです。きょうは
『自分自身の幹をつくろう』について書きます。

★ わたしは大きな木が大好きです。これまでに見た一番大きな木は屋久島の屋久杉です。今住んでいる場所の近くの公園に大きなポプラの木があります。

 大きな木のそばにいくとほっとやすらぎます。まもってくれているのが伝わってきます。

★ “ 練習も準備もなしに突然舞台の上に放り出されて、なにがなんだかわけもわからず右往左往しているうちに一生が終わる ”
 

 20年前にこの言葉に出会ったとき、これって私のことじゃない!その通りだ、と身に沁みました。これではイヤだ!と感じて、自身の人生の幹つくりを始まりました。

 

★ 『しうこばーばの自分史講座』は
① 今  ② 未来 ③ 過去
と3部で構成されています。

ふだんの言葉で、ちょっとの手間で、
“ステキな自分”を発見して、毎日がクリア・アップされていきます。

 雨風雪にも大きな木は、太い幹でしっかりと立ち幹を揺らすことはありません。大災害のときはこの限りではありませんけれど。
 私達凡人は少しの風にも葉っぱはもちろん、幹まででぐらぐら揺れてしまいます。

 いつの間にか気づいたら、自身の幹が少しずつ太くしっかりとしてくる、そんな手作業を毎日少しの時間で続けてみませんか?

 コロナの様子を見ながら、開講準備中です。

セリ科の花は 全宇宙

『きょうだいで自分史する』

毎週火曜日は、◆自分史をつくろう、今未来に向かって
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★ 私は7人きょうだいです。昭和7年から昭和25年までいます。2番目の姉は亡くなって長兄とは疎遠になりました。
 一番上のねえちゃん(いちばん上の姉ははただ“ねえちゃん”と呼ばれています)と最近、前よりいっそう頻繁に手紙のやりとりをしています。このブログで毎週木曜日にこのところ生まれ故郷のことを書いていてそれを送るとすぐ返事が来るんです。いっしょにサクランボやら衣類やら切手やら、ねえちゃん、ありがとう!。さすが長女、いつまでも困った時のねえちゃん頼みでねえちゃんも困るときもあります。

さて、故郷のことを書いたので、先日二番めのゑい子姉ちゃんと弟の利明君にも送りました。ノートも一冊入れました。何か書いてくれるかもしれません。
そしたら、姉ちゃんが、賢ちゃん(二番目の兄、昭和9年)にも送ったら、と手紙に添えてきました。賢ちゃんにも聞きたいことがいくつかあります。・父との大工修行 ・出稼ぎ先 鬼怒川温泉の現場などです。

★  ねえちゃんからの今度の手紙で思い出したことが三つありました。
① 洪水は、“水上がり”と言っていたこと
② 対象12年の大洪水、ああ、大人たちが言ってた言ってた!
③ “ろうず”、これは路地の意味でしょうか?玄関(というほどのものでもありませけど)から家の中に土の通り道が裏迄通っていたのです。大石田弁と共にあの“ろうず”がさっと甦りました。
 私たちが生まれてもの心つく前もたびたび“水上がり”はあったとのことです。



★ 私達きょうだいも全員70過ぎ、賢ちゃんは85歳です。今のうちです。5人で書きあえば、その時の思い、知らないことがたくさん出てきそうです。
昭和20年代、出稼ぎ先からの葉書には家族間のおもいやりが書かれていました。兄二人にも面倒みてもらったものです。その後昭和35年に県庁所在地に引っ越して、我が家もそれなりに高度経済成長政策以降の時代の波をかぶることになります。
残った5人で書きあいながら、悪口言いあいながらでも、あれやこれや共有しあって笑いあえればと願われます。
 一人で書くときと違って、グッと幅と広がり、重なりが幾重にも交差してきます。

賢ちゃん、姉ちゃんのとこでも取れていることでしょう。北海道でももう3本は食べましたよ。

 

『明治の女性たち』

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今日は、島本久恵刀自の『明治の女性たち』について書きます。

★ 奥付けを見ると、初版は昭和41年、1966年、かれこれ55年ぶりに私はこの本を手にしています。

 島本久恵刀自は1893年のお生まれでこのご本のあとがきをお書きになったのが1966年、その時私と同じ73歳でいらしたことになります。較べるのも憚られることですけれど、私はこの先も刀自と呼ばれることはなさそうです。

 この本は、出会って以来いつも私の身体の中にありました。私の人生を決めた本の一つです。ずっと手元にほしいと願っていました。『しうこばーばの自分史講座』が私のメインの課題と決まってついに手に入ることになりました。息子からのプレゼントです。

 自分史講座のために、伝記・自叙伝など100冊読むと決めています。その筆頭に来るのがこの本です。

★ この本は、島本さんが、幕末から明治、大正、昭和にかけて活躍した女性にインタビューし、お話を伺ってお書きになりました。女性に選挙権のなかった時代に、凛として自身の生き方を貫いた素晴らしい女性たちです。
 登場する主な女性は、東京女子医科大学を創設した吉岡弥生、女優の東山千栄子、新宿中村屋を創業した相馬黒光、歌人の與謝野晶子、自由学園を創設した羽仁もと子、などなど錚々たる方々です。

★ 『明治』とはいかなる時代であったのか、そのもっとも素晴しい面を、苦闘に次ぐ苦闘を重ねて体現した女性たちです。「昭和のいまの物と人をもってはくらべもつかない若々しさ瑞々しさで、」です。令和のいまではいかがなものでしょうか?というだけ野暮でしょうか?

 島本さんの筆致は、毅然として、二番手の毀誉褒貶に揺るぐことなく、その人の真実に迫るべく、真実には骨太、仔細には配慮繊細です。その両性具有な書き方は私のお手本となりました。

「老いの身とはいえ吉田妙は、心憎いほど女のなよびを離れ切っていた。・・・対座のあいだ余事が一つもまじらないのは、年の高い人の威だけのものではないようであった。」

★ 「それでは、深い印象でいまも目にある、その忍耐が無量の重さで示されていた刀自のおもかげは、下の下にも語らぬものをおししずめていて定まったもので、・・・」(『森有禮夫人のこと』)

 このページを再び目にして胸がいっぱいになりました。以来私の生き方の通奏低音の一つとなったからです。他者と接する際にもです。

★ あとがきには、これから私が自分史講座で皆さんと接するときの姿勢のお手本が示されていました。

 「そう考えてくると、仕事を中にした場合の人と人の責任のおもさ、誠実を尽くしてようやくそこに探りあたる一点があり、もしお互いがちょっとでも気をはずして話のはこびを弾みにまかせたり、自分の好みにひきつけるとか書くのにらくな方向を取るとか、何にしても仕事の苦しさに負ける弱さがどちらかに出たなら、求める真実はその瞬間に失われてしう。・・・つらい仕事というほかない。」
 「ただ、私は人間が好きであった。人間のすることや考えることや、それが備えている欠陥や、あやまりや、またその一念の不可解や、愛情や、要するに人間のすべてが好きで、だから、つらくてもつらくても、好きなものから離れなかった、そういえるのではなかったかと思う。」

TAKE IT EASY,リラックスも大事、リラックスだけでなく一つのスジを通すのも大事です。

★ 55年ぶりに島本久恵著『明治の女性たち』を手にしてひとつ安心立命を得ているいる私です。


『誰かと一緒に、自分史しましょう!』

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今日は、“誰かと一緒に” 自分史を書くと盛り上がる、というお話をしましょう。

★ というのも、このブログの先週の木曜日分、「来し方を振り返る、山の畑のこと」を、山形の姉に印刷して送ったら(ツルハで求めた膝用のベルトと共に)すぐに返事が来ました。

なんと、姉の山の畑のことが臨場感たっぷりに書かれていたんです!

そこには、我が家の山の畑について、私たちが物心つく前の、私や弟が知らない、我が家にとっては歴史的エピソードがいくつも記されていました。あさっての木曜日にここに載せますね。

胸がいっぱいになってこころがふわーっと盛り上がりました。姉の手紙で何倍も、事実の数も心も豊かになるのを感じたのです。

10歳上の姉は、中学卒業と同時に山形市の理容店に住み込みで奉公見習いをして理容師になりました。姉ちゃんがいなくなったらわからなくなってしまうことがたくさんあるんです。

賢ちゃん(二番目の兄)、ゑい子姉ちゃん、弟の利明くんにも書いてもらったら、わがファミリーもよくやってきたわ!という話になるんではないだろうか?

父(明治39年生)が生きているうちにこの時間を持てたら、父は父なりに書くことが好きだったし、母(明治43年生)もノートを前に鉛筆握っている姿が目に浮かぶ。親孝行したいときには・・・です。

★ そういえば、小学校・中学校の還暦同級会もほんとに楽しかったな。

村井裕子先生の話し方教室では、ひとりひとりがひとつエピソードを語るプログラムがあって、おひとりおひとりの真実にじ~んと来ました。

・子供が小中校のとき、おかあさんたちとの懇親会でも、『生きてるってことはそれぞれ胸にひとつしっかりしたものが座ってるもんだ』と感動したものです。

“自分史”も、家族、同級生、部活、ボランティア・グループ、趣味の同好会、また事業の歴史も、仲間たちと一緒にやったら、

違った見えかた、知らない事実がどんどん出てきたりして、ぐっとふくらみ、生きてきたことが何倍にも実感できる、自分の真実にも、仲間の真実にも、ハッと気づくことがありますよ。

『しうこばーばの自分史講座』で、そんな場をつくりますね。がんばります!

『映画「ジュディ」見てきました』

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今日は、映画『ジュディ』を見てのメモを今のうちに書いておきます。

★ 史上最高のエンターテイナーの一人であるジュディ・ガーランド。

ジュディの“自分史”の最後のシーン、ロンドンでの公演中心にを映画化しています。

ジュディの人生が波乱万丈なのは齧っていました、でもあのジュディがなんと二人の小さな子供と一緒に文無しでどさまわりをしていたとは知らなかった。

愛に飢えていた子供時代、売れる商品として薬と食事制限で徹底的に管理された子役時代。あのCGのようなダンスもスパルタでトレーニングの賜物。薬物、アルコール中毒、破産、五回の結婚、孤独・・・ 

VS ジュディの持って生まれた才能とタフネス。これが沁みる。

★ レネー・ゼルウィガーの大名演に圧倒されます。ジュディの壊れぶり、我がままぶり、うなります! 二人のお子を思う母の愛、そして歌もレネーが歌います、信じられない!ジュディの歌を誰かが歌うなんて!ライザ・ミネリも見てるだろうし。

メイクアップもまあ、よくやるわという感じ。

★ 最後の最後に、観客に『希望と力』を与えてくれます。ジュディの壊れっぷりと不幸が凄まじければ凄まじいほどに、この希望と力がじわじわとくる。そうだ、ジュディは、才能とヴァイタリティ、それに愛にも溢れていたのだと気づく。勇気が湧いてくる。

希望、力、愛、タフネス、そんなものがふわんふわんと甘いものではありませんよ、とがっつりこれでもかこれでもかとかましてくる。

だから、ラストシーンが沁みる。荒野に流れる清水のように。

☆ 久しぶりの映画館、日常の暮らしをいとおしんでいても時にはパーっと違った世界へ。映画ってほんとにいいですね。

『しうこばーばの自分史講座』に欠かせない多様なものの見え方が鈍くならないようにと、改めて心しました。

『この方は、言葉のうしろに何をお持ちなのだろうか?』

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今日は、『自分史を書いてみると、相手に思いやりが湧いてくる』ことについてのメモです。

★ 何を読んでも、誰と会っても、“自分史な自分”になりつつあります。

ひとりひとり、みな違うんですよね。当たり前ですけど。

お一人お一人、それぞれに深いんですよね。

★ 自分史に取りつくと

今まで気づかなかった自分に気づいたり、忘れていた出来事を思い出したり、

こんな見方があったんだ、と驚いたり、あの人のおかげで、と涙ぐんだり、

紙、またはパソコンの前で

自分が、未知の自分と出会って新しい世界が開けたり

いつものことがぐっと深くなったり、

私も、自分を決めつけないようにして自身を育んでいこうとしています。

自分史に上手、下手はありません。

★ 同じことが、自分でない他の人にも起こるとしたら、どうでしょうか?

バッサバッサと手持ちのナイフで相手を切ったりできなくなりますよね?

もしかして、まだ言葉にならないことを持っていらっしゃるのでは?

言葉に出せないことをお持ちなのでは?とおのずからの配慮が

(そんなときにはずかずかと入り込むのはタブーですよね)

★ そう、『自分史を書き始めると心が優しくなる』のでは?と期待しています。
物言えば即欠点をあげつらわれ評価を断定されるので、それを言うならてめえ自分でやってみろよとか心の中で応酬することが、減っていくといいですね。まずは自分のまわりから。

自分史は、そんな『一人ひとりの優しさ強化プロジェクト』でもあります。

必要ならNO!も普通にいえる優しさが、ささくれ立ったとげとげしい空気を和らげて

新生日本の、柔よく剛を制する基礎の基礎になりますように。

☆ 『自分史活用推進協議会』さんでもオンライン講座が始まりましたので近々参加予定です。