『持続可能な地域・地球のための活動見学』

1110/10000  3月19日(日) 2023
◆シリーズ 3/14~2 山形・宮城報告その
今日は、宮城県石巻市の一般社団法人『サステナブルデザイン工房』さんの見学の報告です。
『サステナブルデザイン工房』さんは、なにをやっているところかというと
スーパーやドラッグストアの棚にずらりと並んでいる洗剤詰め替えパックの回収・リサイクル事業を通じて持続可能な地球のための活動を地域密着でやっているのです。半日ほど便乗しまして見学させてもらいました。レポート致します。


① 超地道

回収してきたパックを一枚一枚チェックして底に残った洗剤をバケツにあけて、パックを重ねてビニールの大袋に詰めます。香害、化学物質過敏症に苦しむ友達を脳裏に浮かべながら私もちょっとだけ手伝いました。私は50年以上合成洗剤とは無縁ですが、反対して自分の領域に入れないだけでことは済むのか、と目を開かされた次第です。
ビニール袋を段ボールに入れてメーカーに送ります。そこで変幻自在なブロックに変えていましたが、今は別の形を考えているとのことでした。

② ネットワーク、回収、仕組みはガッチリ
集積場所が石巻市内に数十か所あり、そこを定期的に回って回収します。子どもたちのためのスペース、自宅をお茶会などのコミュニティ・スペースになさっているお宅、ラジオ放送を聞いて❝私たちもいっしょにやります❞と連絡してきて下さったファミリーマートさん~とまわりました。リアルな回収には心の交流がうまれるものなんだな、と実感しました。
⤵ ファミリーマートさんの片隅に、ではなくて、入ってすぐレジの手前に置かれた回収ボックスは段ボール製の完全手作りです。堂々たる回収ボックス、善意にすがって肩身を狭くしていません。

③ ダイナミックにコラボ
・洗剤メーカーの最大手とコラボ。企業としてSDGsの次の戦略企画+活動資金面でも。
・公教育の教室に出向いて、地球環境の現況についての出前授業、わたしたちが暮らしの中でできることのワークショップも。現場の現役教師の方が相談に見えておられました。
・大きな事務所には宿泊もできます。一晩お世話になりました。

ボランティア活動と言えば
清く正しく線は細く賛同者は少なく資金は善意が頼りギリギリ低空飛行なものしか知らなかった私にはなかなかダイナミックな活動内容です。



『ご飯粒と紙が落ちているのはめぐさい=みっともない』このことばが私のエコロジーの原点です。当時は、川岸にある川端部落のゴミ捨て場のゴミは、雨が降って上がった最上川の水が、水に流してくれておしまい、でした。プラはなくセロファン紙が少々,干しシイタケの袋とか。
放射能と同じようにプラスチックも、海に流し込めば一挙に生態系に無毒化される技術が開発されないだろうかなど夢想されつつ、地道な手と足と頭を使い心の通うアクション(私好み)が支えているものが底の底にあるんだよなと、得心するのでした。



⤵石巻市 あいのやさん。とってもオリジナルなポップもかなり新鮮

『2011.3.11から12年』

1102/10000 3月11日(土)2023

今日は、3.11 東日本大震災から満12年になります。
慎んで亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
未だ復興途中の方々、避難生活の方々にお見舞い申し上げます。
福島原発の後始末の作業に従事なさっておられる方々に敬意を表します。


市役所のテレビに映る津波の実況中継はCGにしか見えなかった。
東京にいた能登の息子三郎は即荷物をまとめてお父さんに迎えに来てもらって能登に返った。
二郎は飯田橋のビルの何階かのコンピューター専門学校から歩いて板橋のアパートに帰った.。4月から行く会社が決まっているのでそのまま東京にとどまった。

テレビに釘付けになりながら引っ越しの片付けは捗らなかった。お隣の親切なおばあちゃんが
大量の本を町内会の資源庫の運び、ガラスを洗い、台所を掃除して下さった。

一番古い友達の実家は浜通りで網元をしていた。遠洋漁船団は乗組員ともどもばらばらになり気仙沼の事業所は壊滅した。
山形の姉は名取まで大石田時代の近所の仲良しの見舞いに行った。
ここ十勝のなかまたちはすぐ子供たちの保養運動を始めた。(私たちはチェルノブイリの子供たちの保養運動をしていた)親御さんたちが必至のの思いで送り出したであろうお子たちのなりが小さい、胸がぎゅっと締め付けられる。
古い友達夫婦が福島 から移住してきた。孫たちが遊びに来れるようになった。
十勝に移住してきた人と友達になった
山形の甥が突然首の動脈瘤が破裂して亡くなって3年になる。会社の現場が仙台方面にもあり、ICの会長もしていたから支援のためたびたび現地に赴いていた。家族は、放射能の害についてほんとに何も知らない、知らされていない様子で何も言わず黙って帰ってきた
北海道から毎月南三陸町まで炊き出しトラックに支物資を満載して支援に行っていた友達は去年コロナ下 病院で亡くなった



脱原発を訴える声はアクションをやめていない。
一方政府は、再稼働、運転期間の延期、あろうことか新設迄言い出している。破滅に向かってまっしぐら、洪水よ、我が後に来たれ、今だけ 金だけ 自分だけ。脳が思考を停止している。南海トラフ地震も眼中になさそう。
巻き添えはまっぴらごめんだ、私たちの子どもたち、孫たち、大切な友達、一般庶民みなみな。


さてこの15日から山形に行ってきます。
そのとき石巻迄連れて行ってもらいます。友達が石巻でプラスチックの海洋汚染を減らす超地味な活動をコツコツやっているので、その見学と実習です。
その友達はもうひとつ、地元遺産を次の世代に伝える活動も長くやっています、その見学もあります。

原発新設、とかの声はでかく見えるけれども、思考と思いやりの欠如した、まもなく剥がれ落ちる瘡蓋に見えます。その下に、この列島中あちこちで、自然発生的に(当事者はご苦労多いかとお察し申します)キミドリ色の息吹きがツンツンと芽を出しています。
『この列島はどこでもほっておいたら雑草が生える、これがこのクニの資源』、とおっしゃたのは、農芸家の藤井平司さん。この言葉を胸に、飛び跳ねるお子たちに目を細めながら、
あくまで希望にフォーカス、新生日本起死回生プロジェクトの基礎の基礎の礎を担って、次の世代に手渡そうとしています。雲をつかむようですけれど仮説検証を繰り返していきましょう。

『高度経済成長以来、この国が失ったものを取り戻すには1000年はかかるだろう』尊敬する総合栄養療法のドクターの言葉です。+今朝SNSに入ってきた二つの言葉、
「足元を見ろ」。まず自分の靴を揃えなさい。加速主義の正反対ですね。「まず立ち止まれ」ですから。百年河清を俟つ」「真理は歴史を通じて顕現する」』(内田樹さんonTWITTER 縮めております)
『インチキ先進国だからこそ世界に解決策の先例を示すことができる可能性がある』(宮台真司さん)

なんか肩が軽くなりますね。今できることを一歩一歩積みかさねていきましょう。
子どもたちに あきらめていなかった背中が伝わったらありがたいことです。
3.11満12年の日のメモ書きでした。


⤵2年前の3.11の夕日@帯広です。

『やっぱり!出てきた』

1089/10000 2月26日(日)2023
今日は、カテゴリー◆新生日本起死回生プロジェクト
の再開一回目です。

『新生日本起死回生プロジェクト』とは?
一言でいうと、
お子たちが安心してスクスク育つ世の中にしていこう、
そのための礎(いしづえ)を担いましょう
という提案です。

何十年もかけて、豊富な時間、人、金を駆使しして粛々と
プランを実行、成果を積み上げてきた権力と金を
わが手に握っている人々 に対して
私たち主権者(であるべきものたち)は何をどうすればいいのでしょうか?

低い投票率、既存の政党で間に合うのだろうか?
選挙で変えよう、で間に合うのだろうか?
立憲野党の今までの表現だけで間に合うのだろうか?
戦後民主主義世代の爺さん婆さんの表現が
今日びどれだけ有効なのだろうか?
『戦争をさせない』ために、どうやったら
力を結集できるのだろうか?
食糧、教育、学術研究、貧困格差、移民問題、自然破壊、
救済とサポートの不備、どケチ、国民いじめのマイナンバーカード、
文化、人倫の凋落~押し返して起死回生させることができるのだろうか?

きっと若い人々から出てくる、
斬新で、ストレスフリーで、

いのちのまん真ん中から声を上げる人々が。
体力、センス、これから生きる時間、危機感、
どれをとってもシニアにはかなわない。
若い人のアクションに鵜の目鷹の目な私の目に飛び込んできた
#反戦行進0225NO WAR MARCHの映像!

秋山理央さんの写真をお借りします。
秋山さん、さすが!ですね。
#反戦行進0225NO WAR MARCH ⇒検索してみてね、
昨日の渋谷の空気が伝わってきますよ。


解説、感想は省略して、(映像見てみてね)
なんか希望という名のもわあとしたものが大きく広がります。
『やらずにいられないからやる、
いきるために生まれてきたんだから』
そんなシンプルなひとことでいいんじゃないかな。


『新生日本起死回生プロジェクト』のFACEBOOK グループを作ろうと
準備してきました。迷っていたけれど公開しよう、はじめは非公開で、
そんな気になっています。
子供たちが安心してスクスク育つ世の中の礎(いしづえ)の石を
ひとつひとつ積んでいきましょうね。



⤵ 今日のつらら・コレクション、気温が上がってきました。