『好きだったこと』

681/10000 2021 03 18
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は②で、私が好きだったことを振り返ります。

❝生まれつき❞ってありますね。
物心ついて以来、好きなことはそれほど変わっていない。

生まれつき好きだったことがいくつかある。
植物、紙、本、音楽、自然
これは小学校の低学年から好きだった。

家のまわりにはが植えてあり、どこに何があったか思い出すことができる。夏休みの宿題に雑草の押し花をつくった。
新聞折込のチラシの中からきれいなを机の引き出しに入れてコレクションしていた。
紙人形、ままごとも大好きだった。着せ替え人形はてい子姉ちゃんがつくってくれた。
好きは父のDNAかもしれない。春日八郎、三橋美智也、美空ひばり・・夢中で聴いた。

も大好きで、20歳前後は世界文学全集から大長編物を読んだ。
『チボー家の人々』『戦争と平和』『アンナカレーニナ』『復活』『カラマーゾフの兄弟』
『罪と罰』『ジャン・クリストフ』『魅せられたる魂』・・・

生まれ育った大石田町は自然がいっぱいだった。最上川。朧気川,小山、金平さまの境内がが遊び場だった。
山登りも好きで、大学生のとき、月山、鳥海山、葉山、吾妻連邦の一部、蔵王山系と登った。

高校生のころから映画が大好きで月1~2本くらい見ていた。
山形にもアートシアターとミニシアターができてあれこれ見た。
夢中になった映画は、シナリオはじめ資料を必死になって漁った。
映画音楽も大好きで、ドーナツ版のサウンドトラック20枚くらいあったような気がする。手元に置いておけばよかった。

高校・大学のときは学校の勉強そっちのけで読んだのがファンタジーである。『ナルニア国物語』『メアリー・ポピンズ』『熊のプーさん』『楽しい川辺』『長い長いお医者さんの話』『アーサー・ランサム全集』・・・
『ゲド戦記』は家を出てからだろうか?『エリナ―・ファージョン集』と『指輪物語』は20代の最後だった。

今好きなことは?と問われたら
① 本 ② 音楽 ③ 植物+My LIttle Garden ④ 映画 ⑤ 台所
に加えて 学ぶこと場をつくることがある。
『場をつくること』には自動的に脳が動き出す。まだうまく言葉にならないけれど。

今日は、好きだったことと今好きなことのメモ書きでした。

 

苔から春が来ています。スマホを持つようになって写真も大好きになって、もっとうまくなって絵葉書をつくろうと思っています。

『生き抜いていけよ』

674/10000 2021 03 11
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は①と②にまたがります。

 今日は、3.11、10年になる。その日上は十勝にいて、下は東京の飯田橋のビルの何階かのパソコン学校にいた。私は帯広の年金事務所にいて、職員さんがすぐに入り口のドアを開けて固定した。その後市役所に寄るとテレビが押し寄せる津波を実況中継していた。CGのようで現実感との間に空白があった。夜中に下から無事の電話が入っていた。(去年かおととしもも同じことを書いた気がする)

10年記念といっても何が変わるわけではない。今日は14時46分に黙祷する、そして静かにいつもと同じように過ごす。明日地球が滅びるとしてもリンゴの木を植えるのだ。

 2021年3月11日 東日本大震災が発生して福島原発3基がメルトダウンがした。
 2015年9月19日 安保法制=戦争法が「成立」した。私たちは「この国は戦争をしない」ことを空気のように当たり前にして暮らしてきた、しかしこの前提が変えられてしまったのだ。

それでもなおこの国は原発を再稼働させ新規建設しようとしている。世界はすでに自然エネルギーに舵を切っているというのに。南西諸島の軍事基地化が急速に進み、超過密東京の空の上で米軍機が我が物顔で飛び軍事予算は膨らむ一方で、社会福祉の予算は減らされて非正規労働者が増えていく。大雨災害が頻発、地震も各地で発生、南海トラフ、東京地震も要警戒である。賃金は下がる一方で経済力も下降の一途、リニア・モーターカー工事、風力発電の全国への拡散をはじめ自然破壊は止まるところを知らず、一番悲惨なことは文化と人倫の凋落である。ネガティヴで悲観的な状況に事欠かない。胸がぎゅっと詰まって泣きそうになる。

 ところがどっこい、揺るがない人々がいる。ひとりひとりの尊厳を尊重して暮らしといのちを大事にしてまっとうに生きて行けるようにと声を上げて、段ボールのプラカードからITの駆使迄情報を発信して、アクションを積み重ねている人々がいる。
 望む未来を実現するには課題山積、どこから手を付ければいいのやら。一朝一夕にできることではない。課題は伸びしろと脳天気に捉えたい。私もできることが限られているけれどひとつ絞ってやって行こうと心している。次の世代に一つでもいい、希望を伝えたい。
 ❝あくまで希望にフォーカス❞である。どんなに絶望的でも絶望できない人々がいるのだ。

★ 子どもらに寄せて
何があろうと生き抜いていけよ  身体を鍛えて健康を保ち  ソウル・メイツのコミュニティを大切に 食糧ルートを確保して  必要な場合は逃げること 笑いを忘れず 陽気に❞

2021年3月11日今日の
最後にナナオの詩集『犬も歩けば』所収『鶴の舞』より

『 そのおさな児は 遠からず
生きとし生けるものすべてを 導く星となる
旱魃 飢饉 疫病 戦争
忍びがたい悲惨の日 ながくつづくとき
そなたたちの子は
愛と真実に飢え乾く すべてのものを
限り知らぬ 魂の大地へ
終わり知らぬ 舞の大地へ 導く星となる 』

今日の夕日です。意外と空気が冷たかった。


 



 

 

『ひとり孫姫のみいちゃんへー起業準備を今から』

667/1000 2021 03 04
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は①で、ひとり孫姫のみいちゃんに宛てて書きます。
 
とは言っても、みいちゃんはみいちゃんのやりたいようにやっていくでしょうから、教えたり、まして押し付けたりするものではなくて、
 今私が高校一年だったらこうするだろう、というイメージです。前にも書いたことがあるので、復習と確認です。とうのも、しうこばーばは、この27日でパートの仕事を卒業して、『しうこばーばの自分史講座』を始めることにしたので、その記念でもあります。

 ◆もししうこばーばが今高校一年生だったら

① 二年分の生活費の貯金を今すぐ始める  どれだけ必要かを知る・計算する
② 素養を積む 古典の名著読破から始める
③ 日本と日本語に詳しくなる 読む・書ける・話すことができる
  外国語は、英語に加えて中国語、スペイン語をマスターする
④ 自分自身とは何者か?他者とは何か?社会とは何か?を考えあう友達を持ち、言葉にする
⑤ 必要なIT技術をマスターする
  +アナログな技術に親しむ 衣食住・子育て・農・手づくりなど
⑥ 時間の使い方を学び工夫する この世で一番貴重なもの、それは時間です。
⑦ 新しい発想、技術、学習法を知る
⑧ よき師、ソウルメイト、チームメンバーに出会う
  出会える自分であるようにイメージする
  みいちゃんは一人っ子なのでよい出会いに恵まれますように、祈っていますよ。
⑨ お金には不自由しないと決める+他人に使われない生き方をすると決める
  起業準備を今から始める

  そのためのノウハウ、技術と能力を身に着けて、ネットワークを持つ
  ・理念の作り方 ・マーケティング・マネジメント ・コミュニケーション
  ・お金の管理法 ・ビジネス・チャンスの作り方を学ぶ
⑩ 人と自然に敬意を払う。傷つき苦しんでいる人を思いやる、但し臨機応変に。自身のエネルギーが奪われないように気をつけて。  お父さんとお母さん、はっちゃんを大切にしましょう。
⑪ 一生をイメージして紙に描いておく+随時調整する
⑫ 食糧を備蓄して食糧ルートを確保しておく
⑬ 健康に気をつけて体力の維持につとめる、といっても今が一番体力のある時期ですでから
ピンとこないですよね。健康と教養が基本です。
⑭ コロナとその後の時代を何があろうと生き抜いていく
  解答が用意されていない未知の時代、問題を解決する力が必要とされます。若い人たちはIT時術の急激な進歩とあいまって、感覚が全く違っていて斬新な発想と表現で切り込むことができます。期待していますよ。ババたちにはできないことですから。
⑮ 今日の最後は、笑いとユーモア、ノンセンス・センス、これなしにはやっていけません。

 では今日はこんなところです。私たちはもう見まもることくらいしかできません。
 お父さん、ミヅ叔父さん、みいちゃんたちの世代、その後の世代が、希望を胸にのびのびと生きていけますように、無残に破壊されてしまった山、海、大地がもとに戻りますように。
 いつもみいちゃんをまもっていますよ。『しうこばーばの自分史講座』を応援してもらえたらうれしいです。

遅くなりました。そろそろ届くようにしますね。春休みにぱらぱらめるうてみてもらえたらうれしいです。

『高1の孫姫にYouTubeのデザインを頼む』

660/10000 2021 02 25
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は①で、高1のひとり孫姫へ、です。

みいちゃんへ
 
みいちゃん、しうこばーばは近未来、4~6月から、毎日1分、YouTube発信をしようと思っています。このYouTubeのデザインをみいちゃんに頼めないかな?とひらめきました。

 しうこばーばは、IT NATIVEでないので、パソコン覚えるのがタイヘンなのです。70過ぎて外国語に挑戦しているようなものです。あと10歳若かったらなとぶつぶついいながら、今はミヅ叔父さんに教えてもらっています。何回も同じことを聞いてます。
 自分で覚えるよりIT NATIVEの若い人にやってもらった方が早いかも、と思うわけです。

 今、オンラインが急速に普及しているのと同時に、情報は動画優先となりました。
 高校の授業もオンラインのがあったのでしょうか?
 オンライン、どうかな?といぶかしくも思っていました。ところが、ミヅ叔父さんにZOOMへの参加を教えてもらって、参加したら、もうワクワク!写真と文でしか知らなかった 遠くに住む人と、リアル・タイムで話ができるですもの!
 みいちゃんにしてみたら、ばあちゃん、何言ってるの?って感じかもしれませんね。

 来月から始める『しうこばーばの自分史講座』も、はじめはリアルで、顔見知りの人に声かけて、十勝の人にSNSで情宣して、から始めて、6月の夏至迄にはオンラインも、と思案しています。そうなると、パワーポイントとZOOMを主催することも覚えなくてはなりません。なんとかしなくちゃ。
ITは空気のみいちゃんたちが羨ましいです。お父さんが、俺よりもできるよ、と言ってました。

 そんなこんなで、YouTubeの画像編集、そのときはよろしくお願いします。教えてもらうだけでもOKですよ。

 本、『ポスト・コロナを生きる君たちへ』まだ届いていませんね。手紙を添えて春休み前には着くようにします。ページをめくってくれたらうれしいです。
 春に向かって充実の日々でありますように!


                       しうこばーばより

『ひさおが来る』

652/10000 2021 02 18
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は、②で今北海道に来ているひさおのことを書いておきます。

 ひさおが北海道に来て今帯広にいる。まもなく会える。35年ぶりになる。長い間、オーストラリアのタスマニアをベースにしていたのが、日本に帰ってきてコロナで帰れなくなって福井の実家に長逗留することになったのだ。

 ひさおは、私たちが北海道に来る前、清水平に突然やってきた。一雨あった後でいつものように小さな土砂崩れが起きて、それを踏み越えて作務衣姿でやってきた。シドニーの、当時ロバート・ハリスさんがやっていた店で、ゲーリー・スナイダーとナナオが詩の朗読会をやったとき、ナナオに会って、日本に行ったらということでやってきたのだ。

 ひさおは眠くなるとすぐ寝るひとでなんかいつもリラックスしていて一緒にいて楽な人だった。私たちが北海道に来るときは、ひさおの緑色のワゴン車に荷物を詰め込んで、松田トムと私と息子ふたりでの半月ツアーだった。私は産後の疲れがまだ後を引いていてテンパっていた、それを除けば夢のような道行だった。旅費もひさおが出してくれた。

 今思い出した。山形の実家に寄ったとき、寝たきりの母が杖をついて馬鹿娘を迎えに起き出してきた。歩くとすぐ転んで骨折するので杖は隠してあるのに。お母さん、このシーン、一生忘れません。

 そう、ひさおと会うのはそれ以来なのだ。
 今日は実は23日、19日の日曜日に滞在先の仲間の車でひさおがやってきた。ふたりの友達と一緒に。古い仲間たちの消息やらどうってことない話をした。ずっと近所にいた雰囲気だ。集まった4人それぞれ病気したり故障を抱えたりで動きもゆっくりだ。私も正座ができなくなって10年以上になる。帰ってからもなんか遠いところに行ってしまった感じがしない。

 私たちはファミリーなのだ。何年合わなくてもすぐに話が通じる。
 鶴見俊輔さんのこの言葉がさすがにうまいこと言って下さっている。確かに私たちは一種の難民とも言えるかもしれない。今の支配構造が成立以前の、2000年前の気風がよみがえっているのかと感じることがある。NATIVE JAPONECIAN BIG FAMILYである。


鶴見俊輔bot@shunsuke_bot
· 2021  TWITTERより
難民の行進の中で、不釣合の力をもつ数人が助けあう時、そこに家族の原型が表れる。文明が崩壊に向かう時、血縁による家族、私有財産の共有による家族は吹き飛んでしまって、それよりもっと根本のつながりが表れる。「人間と家族」

自然なグリーン、ひさおの妹さんの手織りです。


『雪国の早春』

646/10000 2021 02 11
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は ②で、
生まれ故郷の山形の大石田の早春の思い出です。

 春一番は、フキノトウだった。日も当たらない ウロカの塀のそばで 道路より一段高くなったところにフキノトウを見つけたことがある。すり鉢状の穴の底に顔を出していた。フキノトウの熱が雪を融かすのだろうか?常緑樹のヒノキの葉っぱが雪の上に落ちていたかもしれない。ウロカは屋号で三角の下に加だったろうか、大きな屋敷でぐるりと立派な塀で囲われていた。

 冬の終わり近く 日差しが強くなると、川端部落の入り口近くの、“青木の倉庫”の屋根に子どもたちが集まって、何をするでもなく黒い屋根に座って 春近いお日様の光を浴びた。まだ道路は雪で高くなっていて屋根に登れるのだ。

 家と家の間に積もった雪に掘った迷路に近いあなぐら(かまくら)には近づかないようになる。
 家の前は階段になっていて、融けた雪が水になって流れてくるので、階段のヘリに石垣沿いに
ある年のこと最上川の川面全面に、溶けた雪の塊が流れていったことがある。どこから来たのだろうか?二階から眺めた。融雪期には最上川の水位が上がる。やがてその岸辺にツクシやノカンゾウが生えてくる。

 アサヅキ取りに小山に行く。掘る鉄製の道具を見えなくしてべそをかいていたらゑい子姉ちゃんがなだめてくれた。すぐ泣きだしては姉たちがうまいこと慰めてくれた。

 ウロカの隣は空き地になっていて、塀の外に大きなコブシの木から花びらが散ってきて、その花びらで,ふくらますかして遊んだ。スモモの季節には、塀の外からウロカのお手伝いさんに呼び掛けた。❝〇〇さん(なんと呼び掛けたか忘れた))サダンキョ,けでけらっしゃい!!!❞、スモモ,下さい!!!女中さんの姿を2,3度見たことがあったような気がする。でもサダンキョ、くれたかな?

 彼岸になると役場から、春の“清潔”(大掃除)の通知が役場から来る。天気の良い日にお母さんが頬かむりして畳を上げて大掃除をする。囲炉裏の灰は灰通しを通されてリフレッシュする。大掃除が終わると役場の『清潔済』のお札を入り口に貼る。
それにしても子どもたちは手伝いもせず何をしていたんだろう?婿取りでばあちゃん子だった母はチームワークつくりは得手でなかったのかもしれない。
 彼岸にはメリケン粉で団子をつくって仏さまにお供えする。

 早春のメイン・イベントは雛祭りだ。大切に仕舞ってあるお雛様を出してきて雛壇を組み立て飾る。集まってきた人形や瀬戸物のウサギなども雛壇に並ぶ。完全なお揃いものではなかったけれど、お内裏様とお姫様は一番上ののり子姉さんが生まれたときに買ったもので、なかなかいいお顔で、時代が進んでから、この頃のお雛様の顔は・・、このお顔が一番だねと語り合ったものだ。
 雛壇にお供えするのは稲荷寿司と海苔巻き、それに生のニシン、
もう一つこれが三月節句のメインのお菓子、くじら餅である。もち米とうるち米の粉を練って一晩寝かして一日がかりで蒸篭で蒸す。白砂糖味、黒砂糖味、クルミ入り、味噌味もあったかな?上に色とりどりの細かい粒をまぶしたのと多種多様。一か月くらいお菓子はこれだったような気がする。今では年中売っているけれど、お母さんが竈で蒸篭で蒸したくじら餅が食べたい。

 民俗年中行事、自然と空とともに暮らすこと、息子たちに伝えたかったけれど、母一人では無理だった。せめてこうして書いておきます。世代を越えてあらたな年中行事が生まれると胸にイメージしつつ。

気温が上がった帯広の街の舗道で

『冬の遊びー1960年以前』

630/10000 2021 02 04
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ①子どもたちに伝えたいこと ②私の来し方 のうち
今日は②で、子どものころの冬の遊びのことを書いておきます。

 迷路のようなかまくら(山形ではかまくらと言わなかった。なんと呼んでいたのか思い出せない、あなぐらかな?)が溶け始めるから危ない、と親に言われたかで、近づかないようになるのは、立春を過ぎた頃からだったろうか?
 屋根から降ろしたのが積みあがって家と家の間を埋めている雪に縦横無尽に姉たちと、たぶん近所の子どもたちで掘ったのだ。中学生、高校生の男子も一緒だった気がする。力仕事だし。

 雪の遊びは、そり滑り、竹下駄、迷路での鬼ごっこが代表的であった。
 雪でスロープをつくってそこを滑る。金平神社の脇の坂には子どもたちが集まる。大工だった父と兄たちが作ってくれたそりが物心ついたときにはすでに,3、4台揃っていた。うちは7人きょうだいだ。竹下駄は、それ用の下駄の底に竹をうちつけたもの。川端部落の桶屋さんの持っていって竹を打ち付けてもらったり修理してもらったりする。プラスチック、ビニールのない時代である。
 新雪が降ると、最上川の岸の平らなところに長靴で踏みつけて迷路をつくって鬼ごっこをする。今ではもうずいぶんと前から 雪が積もっても市内の公園はまっさらで、そのたびにこの迷路のシーンがよみがえる。

 大好きだったのが、箱ぞりである。大きな箱がそりになっていて後ろに手押しがついている。小さい子をのせて遊んだ。私は遊んだ記憶しかないけれど、母たちは荷物運びにも使ったいたのかもしれない。

 学校で、小山に雪遊びに行く日があって、今思うと大変だった。そりや竹下を持って小山までみんなで歩いて行く。もう途中から足が濡れてびしょびしょ、靴下か足袋か、履き替えても効果なし。今のような完璧な防寒着以前の話です。

 毎年冬前に、川端部落の阿部さんの爺ちゃんに、子どもたちの藁沓(この漢字、なかなかぴったりだ)を母が注文してくれる。雪踏みの俵も爺ちゃんの手編みだったのだろうか?
雪が降った朝は、家の前があいていないのは恥である、と母は思っていたから姉たちと母で道を開けた。私もやったことがある。朝目が覚めると入り口が塞がるくらい積もっていることがよくあった。

 メイン・ストリートの両側にはうず高く雪が積み上げれら、馬車が材木を運び、豆腐屋さんが箱そりに豆腐を積み込んでチャルメラを吹いて売りにまわってくる。
 やがて小学校3年か、4年のころ道路の舗装が始まり、ブルトーザーが侵入してきた。その時の違和感と屈辱感を忘れない。そのときは言葉にならなかったけれど。

この冬の公園での子どもたち。イラスト描く時間がなくてこの写真で代用します。

『こたつの思い出』

632/10000 2021 01 28
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方 のうち今日は②で、こたつの思い出を思いつくままに書きます。

 大石田の生まれ育った家の冬の暖房は、囲炉裏とこたつだけだった。囲炉裏は途中で、おおきなやぐらをつくって、たぶんお父さんが、建具もできたから、こたつになった。
 こどもだったこともあり、寒いと感じた覚えはない。豪雪地帯で家は、文字通りすっぽり雪に埋もれていたから保温もしてくれていたのだろう。

大晦日になるとこたつに足を入れてお寺の除夜の鐘を聴きながら紅白歌合戦を最後まで見るんだと決意しても最後まで聞いた覚えがない。


 一番の思い出は、お母さんが、子どもたちが学校から借りてきた本を私たちに読んでくれたことだ。弟と姉と私でお母さんを挟んで耳を傾けた。まだ小さい弟はなにか別のことをしていたかもしれない。お母さんが今日はここまでと読むのをやめると、私は決まって「それでどうなったの?」と聞くのだった。日常口語訳にしてもらわないとわからないのだ。姉は、馬鹿みたいと鼻をまげていた。『嵐が丘』『怪人二十面相』『少年探偵団』などだったかな?
 この年になって思い出すと、生きるよすがとして身の内に定着していたのを感じる。本、知識、ストーリー、お母さん、きょうだい、出稼ぎに行っているお父さんと兄たち、豪雪地の冬、がトータルな記憶となって甦る。

雪遊びで濡れた、今のように防雪服などはない、手袋、足袋、など衣類をこたつの中に入れて乾かした。囲炉裏のこたつには、お父さんたちがネットを張ってそこにのせた。

冬の洗濯、どうやって乾かしていたんだろう?覚えていない。ごろごろと4枚か5枚着せられた。とにかく寒くないようにと。上着、セーターは冬の半年着替えがなかった、一枚だけだった、気がする。

こたつはもうひとつ小さいのがあって、それは、今思い出して数えると六畳間、もっと広く見えた、の真ん中に冬用の炬燵が切ってあって、夏の間は畳の蓋をかぶせてある。このこたつに家族全員足を突っ込んで寝るのである。
 残ったご飯を握ってこたつに入れて保温して朝ごはんにした。温さで味噌とご飯がねまっていた、今なら食べるだろうか?その頃はそんなもんで風呂敷を開いてみんなで食べた。懐かしい。

 火の用心、火の用心、お母さんを中心に気を着けていた、でも、衣類が焦げたことがあったような気がする。焦げのにおいがよみがえる。

 信州の清水平、ここでは囲炉裏とルンペン・ストーブと炬燵、間に合わなかった、外との間が障子と毛布のカーテン一枚で柱と荒壁の間から外が見えた。菜食だったこともあって、あのころ体温はおそらく36度なかったと思う。今は気をつけて36.5度あるから大丈夫です。若かったから旺盛な気力でキーキーと乗り切りつつ、私たちの前の世代嫁さん方の苦労を偲んだ。一部屋でいいから冬にタンクトップで過ごせる部屋が欲しかった。
 
 こたつに足を入れて毎日,うるかした玄米をすり鉢で摺って沸かして母乳の代わりに飲ませた。哺乳瓶にあけた穴の大きさが、大きすぎないか、小さくて飲みにくくないかと気遣った。おかげで10ヶ月ころには粉ミルクアレルギーも消えてつるんときれいなお顔になった。これは上の息子です。

このこたつが活躍してくれたのは、麹つくりと納豆つくりのときだ。農文協のバイブル『わが家の農産加工』と首っ引きでがんばった。湯たんぽも動員してよくやったわ。

 今では立ったり座ったりが大変になって椅子の方がいいけれど、
 畳にこたつ部屋、ほっこりする。

 
 

つららが下がってきました。豪雪地うまれなので雪ハネはわりと苦になりません。

『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』

625/10000 2021 01 21
毎週木曜日は。◆子どもらに寄せて ①子どもたちに伝えたいこと ②私の来し方
の内、今日は①で、ひとり孫姫のみいちゃんに宛てて書きます。

 年越しプレゼントのひとつ、内田樹さん編『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』読み終わりました。お父さんに持っていってもらうか、送るかしますね。
お父さんが、“本、読まないから”と言ってましたけど、パラパラめくって面白そうなところから見てみて下さいね。

私なりに簡単にまとめてみます。私の思案も含みます。

① コロナは、諸説芬々である。いずれにしても警戒して予防に努める他はない。

② この国のコロナ対策はなにもかもトンチンカンである。一方自国にひろがらないように対策を立てて実行して感染の食い止めに成功している国もある。台湾、ベトナム、シンガポール、ニュージーランドなどである。

③ 今私たちが目を向けて考えるべきことは何か?医療、政治、文化、経済、雇用、ものの考え方、情報の取捨選択の仕方などなど各方面からのアプローチが示されている。
 答えが示されていない問いに解決の方法を編みだすために、私が思うに最も必要とされるのは、相手に身になって感じて、話し合うことができる力だと思う。この国でこれができている場面に出会うことは殆どない。 

④ コロナによって、今まで常識とされていたことの足元が崩れかけている。この数十年の繁栄をもたらしたものが揺らいでいる。
 これはひとつのチャンスでもある。私たちが、本当に生きたいのはどんな生き方なのかを考えざるを得なくなっているからである。この本にはそのヒントがたくさんあります。
  頭を柔軟にしておこう。自分で自分の意見を持ち、伝えることができるように準備しておこう。


⑤ いつ終わるか今は不明であるコロナの時代、その後を生きるみいちゃん達若い人々を、しうこばーばたちは見まもって応援している。センス、ノウハウ、スピード、IT能力、なによりもこれから生きる時間が、絶対にみいちゃんたち若い人々にはかなわない。
 コロナの前と後で変わらないものもあるし、変わるものもある。変わるなら、イキイキノビノビと、大人もこどもも暮らせる、そんな世の中にしていきたいとしうこばーばは願っています。

 みいちゃんはこれからやりたいことなんでもできます。どんどん本を読みましょう。インターネット、教科書、友達との会話よりもはるかに広く深い世界が本にはあります。『読書ノート』用のノートも入れておきますね。
 『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』面白そうなところから見てみてね。

 

『小正月の報告ー息子たちへ』

618/10000 2021 01 14
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ①子どもたちに伝えたいこと ②私の来し方 の内、今日は①で、正月後の小正月の現況報告です。
 私たちが子どものころは正月は元旦と三が日の後、15日が小正月だった。すべて月歴に寄っていた。小正月には小正月の餅をつき、ミズキの赤い枝に“だんごさし”をして天井に飾り豊穣を祈りました。なんと豊かな小正月だったことか。
1960年、高度経済成長政策が本格化する年に県庁所在地に引っ越して、暮らしは激変、スーパーマーケット経済に巻き込まれていく。

 さて、年末年始にはいろいろとありがとう。その現況報告を致します。

 眼鏡は行方不明になって半年?かな。ぐっとおしゃれになってうれしいです。失くさないように置き場所固定せねば。私も何時の間にかパソコンに向かっている時間が長くなって視力も加齢もあってそれなりに低下中。パソコン、小一時間もすると大きいスクリーンの文字も見えづらくなる。眼鏡屋さんが一度眼科医にと示唆してくれた。一度見てもらう必要あるかも。それまでは指圧と補助食品でしのいでやってみますわ。

 パソコンの画面が大きくなって、一週間に一本くらい映画みようかな。スクリーンが前傾していたのでかまぼこ板を入れてました、仰せの通りやってみたら何のことはない、少し後ろに倒すことができて快適です。今、文字盤とスクリーンに慣れようとしているところです。

冬用の靴、結局これだったりして。かかとの安定がバッチリ、暖かい、底のスタッドレスもまずまずの4年目。いいものはいいですね。新しい方も滑りませんよ。とにかく転倒防止第一です。靴は大事です。

 沢山のマスク・コレクション、ひも、ついてました。大きいのでゆとりと安定感がナイスです。TPOと季節に合わせて楽しめます。

ではでは今日はこんなところで。
今年も何事もない一年でありますように。