『「予祝」の日々が始まる』

1154/10000 5/2分 5月22日(月)記 2023年
今日は、久しぶりに、カテゴリーの◆その時私は76歳だった
このところの様子をメモしておきます。


最近教えて頂いたのが『予祝』なる日本語です。
検索しました。

豊作多産を祈って,一年間の農作業や秋の豊作を模擬実演する呪術行事。農耕儀礼の一つとして〈予祝行事〉が行われることが多い。あらかじめ期待する結果を模擬的に表現すると,そのとおりの結果が得られるという俗信にもとづいて行われる。小正月に集中的に行われ,農耕開始の儀礼ともなっている。一種の占いを伴うこともある。庭田植(にわたうえ),繭玉(まゆだま),粟穂稗穂(あわほひえぼ),鳥追成木(なりき)責めなど地方色豊かなものが多い。』

小正月ならよく覚えています。
当時は暮らしは月歴で 母が執り行っていた年中民俗行事、小正月は『予祝』だったのか!一月十五日前に餅をつき、向かいの林からミズキの赤い枝を二枝切ってきて、団子を差し、八百屋で買ってきた飾り物の○○○?を枝に通し、枝の根元にそれ用にこさえた○○餅を飾り、
それに藁で作ったものに餅を通したのが粟(穂稗穂)だったと知ったのは大人になってからだった。天井一杯にだんごさしの飾りが広がっていた。いまでは飾り物の一つひとつの名称が思い出せない、覚えていないのもある。今度姉に手紙を書くとき聞いてみよう。
あれは予祝だったのか!お飾りをつくり団子をミズキにさしている母の姿がよみがえる。もっと手伝ってその技を覚えればよかった。

予祝は神道の行事としても長い歴史があり、日本古来のポジティブな引き寄せ行事であるとして、このところアップデートした形で流行しているようだ。花見も豊年満作の前祝いであるとか。なんかすーっと身に内に入ってくるものがある。ポジティブ発想なるものが頭で無理している気がしてきて途端に後ろに引っ込んでいく。長い歴史がありこの土地に根差してるものだからだろう。子供のころの町内の行事、わが家の年中行事も神々への捧げものでもあり、神々の気を先に頂こうとする予祝であったわけか。

去年の秋ごろからふっと予兆に襲われることが多くなっていた、それは前祝いのような喜びで、この先に実現することの気が先に来ているような感じだった。五月の連休にもいまだかつてないくらいの気に包まれた。たどってきた道とこれからの道を信頼して歩んでいこうと思えた。

どうにもこうにもならなくて,チカラがなくてなんでこんな難しいことをやろうとしたんだろう、と身動きできなくなる、でもきっと世界は、今できること、見えていることよりも広い、
求めよ、さらば与えられん、この恵みがいくつも向こうからやってきた、この2年間に。
危機は飛躍のチャンス、今目の前に見えている課題を一つ一つこなしていくだけだ。
思い方、見え方が逆転したこともいくつかある。そのことはまた書きますね。

2年前の今ごろは15年にわたったパートをようやくやめて寝込んでいた。自営業でやっていこうとしたけれど仕事としてのやり方が何もわかっちゃいなかった一年目、2年目の去年は、新しい事態に戸惑いまくって固まっていた、その中にいくつもの助けが向こうからやってきてくれた。

どうしてもやりたいことがある、その原動力を今日も数えていた。胸の内から動かないもの、それがが形になるには、もう一度バラバラになることが必要みたいだ。秩序はウソで現実は混沌、これでいいのだ。課題リストをスケジュール表に落とし込んで少しづつ少しづつ、一日一行を書き加えることの蓄積をも複利効果というそうだ、これマジ醍醐味となりそう。
予祝を胸に舞い上がらないように心して坦々とやっていけますように。
今日はこんなところです。

今年も見事に咲いてくれたサクラソウ、
ここに引っ越してきたばかりのころ買ってきた一株から増えて
友達に分けました。