『私たちの後の人たちに伝えたいことがある』

1091/10000  2月28日(火)2023
今日は、結城登美雄さんへの手紙です。

三月の半ばに53年ぶりに結城さんに会えることになりました。
結城さんは山形大学文理学部文学科の同期で、結城さんは国文学、私は日本史を専攻しました。結城さんは卒業後広告会社を経営しながら、東北を中心に各地を回り地元の伝統を今に生かす地元活性化の数々の企画を成功させた『地元学』の先駆者にして第一人者です。

結城登美雄様

 ご無沙汰です。50何年ぶりでしょうか。
 結城さんと『再会』したのは、当時やっていた小さな無農薬八百屋の在庫置き場で作業中でした。野菜をくるんであった古新聞紙、確か朝日新聞のコラムに、大石田の本町(もとまち)の雛祭りの記事を見つけ、筆者は結城登美雄さんとありました。
 私たちが子供のころは、三月節句となれば小学生の子供たちが10人くらいでしょうか、一緒になって『お雛さま見せでけらっしゃい』と何軒かの家をまわり入らせてもらって、家の中の路地から大きな雛飾りを見せてもらってお菓子をもらって帰るのでした。この年になると思い出すのは、13歳の夏まで生まれ育った大石田のことばかりです。
 
 三月の半ばから赤倉温泉に参ります。タマキさんが、本の出版のアイディアを出してくれて、その初顔合わせが主な目的です。3年間毎日更新していたブログを見てくれての案です。ブログ、去年は足踏み状態となりましてこの2月から毎日更新を再開しています。❝生まれつき文芸部❞で書くことは好きなのですが、本となるとつい気張ってしまいます。商業出版の勝手を抑えておこうとベテランの出版プロデューサーの配信メールで学んでおります。


 牛馬耕からインターネット、さらにAIの時代へとあっというまのかれこれ80年です。
 ばあちゃん子だった私の母(明治43年生まれ)は言っていました。『太平洋戦争が終わるまでは、ばあちゃんに教えられた通りのことを毎年同じようにやっていればよかった』と。母の最も大切な仕事は、八百万の神々を祀る旬の食べ物とひとつになった年中行事を執り行うことでした。上の息子が生まれる前入院中のお母さんに、その年中行事の聞き取り調査をしたのですが度重なる引っ越しで紛失してしまいました。農文協の『日本の食生活全集』の山形版に今宿の隣の土生田(とちゅうだ)部落の年中行事が載っており近いと思いました。家ごとに子細は違っていたのではないかと思います。大石田に行くことがあったら役場に寄って記録がないかたずねてみたい、昭和30年前半の地図もほしいものです。
 こちらは川端部落の家地図、一番上の姉(昭和12年生)の記憶です。この職業のバラエティにはワクワクしますね。
 わが家が生まれ故郷を後に県庁所在地に引っ越したのは昭和35年、高度経済成長政策真っ盛りとなる時代でした。引っ越す前から川端の金平様のお祭りも、旅回りの一座から町の映画館の二番煎じの映画へと変わっていました。一学年100人二クラスの学校から一学年400~500人8~10クラスの学校へ、その寒々しさ、あとで『疎外』という言葉を知ることになります。それが何かを知りたくてここまで来たぜ、という感じです。

『高度経済成長以来この国が失ったものを取り戻すには1000年かかるだろう』
私の尊敬する先生が言っておられたことを忘れることはありません。
 太平洋戦争体験者がこの世から姿を消すのに続いて、まもなく高度経済成長以前の世の中を知る私たちがあの世に還ります。
 どんな時代になっても変わらないことはあるはず、ここさえ抑えておけば大丈夫とまではいかなくても、倒れずにすむ、
 このメモ書きを後続の世代に渡しておきたい、これは生物のオヤとしての本能でしょうね。
もう一つ、急激にすすむ少子高齢化社会の只中で、私たち年寄りがなるべく元気で現役世代をささえて子供たちをまもる存在として生ききる『シニア心得帳』もわたしなりにまとめておきたい。
 うまいこと、クサくならないことばで、重くならないようにしようと思っています。
 問も答えも自分たちで作っていく他ない道のりをできるだけ軽やかに歩んでいけるように。

 
 豪雪地の大石田のメインストリートに初めてブルトーザーが来た時の違和感と屈辱感、私はそう感じる子どもでした。誰にも言いませんでしたけれど。
 大学に入ると優秀な先輩が『期待される人間像、ここが問題』読みとき講座をやってくれました。そのころすでに一年違っても高度経済成長時代の影響は私たちの方が大きく受けていて年ごとにそれは大きくなっていきました。1965年からのベトナム戦争反対行動に加えて1968年からの大学闘争の時代、私は活動家ではありませんでしたけれど連日キャンパスに繰り広げられるジグザグデモを見ながら,『いったいこれは何なんだ?』それが知りたくてここまで来たぜ、という感じです。
 もっともっと勉強すべきであった、学内外の様子がいかなれ、ずっと後悔しています、素養の欠如に。生きているうちに些かなりとも追いつきたくて、池澤夏樹編集現代語訳日本古典文学全集から始めています。それはそれとして、わけのわからないままここまで来た、その時間を与えられた、これこそは『成果』と言ってもいいのかもしれません。

 何年ぶりになるでしょう、気分は修学旅行です。結城さん方のプロジェクトの見学もセットしてありとても楽しみにしています。結城さんと会えることもあって『コモンズ』『社会的共通資本』などの情報が次々と入ってきます。時代は中世に回帰しつつあるような気もします。過去からも現在からもいいとこどりして穏やかな世の中になっていきますように、心からの願いです。数の少ないお子たちが安心してスクスク育つ世の中の礎になろうと小さな胸に決めております。
 あれやこれや、山形に行く前に、書きたいこと、胸から出てくることのリストだけでもできればいいなと思っております。

 お会いできる日を楽しみに。
                            しう子 拝

ニンジンのシリシリ、卵ナシ、生です。
グリーンは豆苗。このところの定番。