『すこやかでいるのが好きなのは』

1082/10000 2月19日(日)2023

今日は日曜日、あまり考えずに書けることにしましょう。
カテゴリーは、◆75歳からの挑戦 にしようかな。

私はよく言われます、そのお年には見えません、と。
そうかな、と人並みに
目の下のたるみ、75過ぎると違うな、なんとかしたいとか、ほうれい線を上げてみたり、
スキンケアは趣味なんです。こころが美しいのは自信があったので、化粧とか、お肌の手入れとかまったく興味がありませんでした。それがある会社のある製品との出会いで一変、せっせとケアしてます。皮膚と脳は直結していると知って、ますます入れ込むようになって4半世紀たちます。その会社の信者です。

それはさておき、今のところまずまず元気でいられるそのわけを振り返ってみますと・・・

① 13歳まで高度経済成長前の田舎で育ったこと
 お母さん手作りが当たり前、野菜も豆もゴマも芋もつくっていました。化学農薬ゼロ、食品添加物も今のように多くはなく、遺伝子操作食品もありませんでした。放射能は太平洋での核実験のが来ていました。ご飯粒と紙が落ちているのはみっともない、母に教わった私のエコロジーの原点です。
 医者にはどこの家もめったなことではいきませんでした。家の周りの薬草と富山の薬で治していました。

 13歳で県庁所在地に引っ越してスーパーマーケット経済に巻き込まれ、お母さんのご飯は全部茶色でダサいと文句をたれ、弁当は100%作ってもらうというわがまま娘でした。

② 東京に出てマクロビオティックを通じて『食養』に出会って一変、激変。心身爽快。以来かれこれ50年。出会った仲間といっしょに学びあってハマりました。このことはみいちゃんへの手紙にも書きました。
 心身が一変した時、ふっとひらめいたのです。
人が年を取ると衰えて脳も身体も弱くなっていく、これが常識である、でもこんなに爽快になれるのなら、そうでない生き方も可能なのではないだろうか?と。

身土不二、一物全体、化学添加物を身体に入れない、合成洗剤は使わない、家庭でできる自然療法をマスターしまして、二人の息子は医者に行かずに育てました。但し上の息子の生まれてすぐの大失敗と、腕の関節を外した時、下の息子が耳が痛いといったときを除いて。

③ 更年期・慢性疲労でマクロビオティックが全く効かなくなってしまったときに、Holistic Nutrition総合栄養療法に出会うことができました。助かりました。軽い鬱が1週間で解消しました。この分野の隠れ権威でいらした山本真吉博士のオープンセミナーに札幌まで月一8年以上夢中で通いました。以来しかるべき補助食品を摂るようになって25年以上になります。
山本先生に教わったことの一つが、『遺伝子には老化という因子はない』ということでした。
さらに詳しく知りたいところです。

 この三つが私の健康の自分史のメルクマールになっています。
 ではずっと健康で来れたのか、というとそんなことは全然ありません。
 体重の増減の繰り返し、顔面総崩れ、日光湿疹、アトピー、ぎっくり腰、軽い鬱が二回,全心身疲労などなど、骨折以外は家庭でできる自然療法と総合栄養療法で治してきました。学んだことの一つが、やっぱりストレスが原因なんだ、このことの体験です。

 健康のことは好きなのでしょうね、いい、よさげとなったらすぐ実行,習慣となります。
では、健康についての学びでもっとも衝撃だったことは何か?それは、
『健康が〇で病気が✖ということはない生命現象としては同じことである』
これも山本先生の講座で教わりました。さらに詳しく知りたいところです。
これを知って私は、健康を目標にしなくていいんだ!とすごい解放感を味わいました。自然食の仕事をしていたので、健康MUSTとがちがちこだわっていたからです。

 今は、意識して何か自分でやらないと目に見えるように衰えていくので、ほぼ毎日ストレッチやらいそしんでいます。
 健康はやっぱりありがたいことですね。先立った友達、尊敬する先生方、山本先生も、の最期に唇を嚙み締めつつそう思います。満100歳、自力二足歩行・脳力向上をイメージしています、もし実現出来たら自分よりも先に感謝するところはありますね。


⤵ 山本先生の講座で教わってできた『健康の家』です。
①睡眠・エクササイズ・ご飯の生活習慣が25%、後の75%は気の持ちよう
②しかるべき補助食品を併用して細胞を積極的に作って
③環境を自律神経が働くように整えます。
日進月歩、今ではこれにミトコンドリアのエネルギーを低下させないようにすることが加わります。