『4月1日は特別な日』


1059/10000 4月1日(金曜日)
毎週金曜日は、◆台所大事
食を中心に、衣と住も。浪費を抑える暮らしの工夫も。


ただただ追われて終わる人生も
どうかな、と思われてくる。
『和歴』を新たに取り入れよう
はじめている人たちがいます。

私の母は言っていました。
太平洋戦争が終わるまでは毎年
ばあちゃんに教わった通りのことを
毎年同じようにやっていればよかった、と。
母はばあちゃん子だったのです。

私もだいぶ前から13歳までの月歴での暮らしが
よみがえってきて、せめて毎年
月の満ち欠けが書いてあるカレンダーを
100円ショップで買っています。

世の流れのままになっていたら
暮らしにくく生きにくい世の中で、
『私たちの望むそのもの』を
暮らしの根っこのところから
取り戻そうとするのは、
ひとつ自然なことですよね。

新しい時代が
底のところから始まっている
そんな気がします。

我が家なりの年中行事のひとつ、
これは太陽暦で、今日4月1日は
私の師匠(と私が勝手に思っている)の
お誕生日です。
数えてみました。ご存命なら103歳、
天に還られて早くも16年になります。
頂いた最後のお葉書を仏壇の前に出し
友だちが送ってくれた緑茶を入れて
いつもより丁寧に手を合わせてお参りして
不甲斐ない自分を励ましました。

★翌9時には就寝
 寝る前のYoutubeサーフィンは止める
★ちょい喰いはやめる
★ちょいスマホ+ちょいSNSはやめる
何回も同じこと言ってますね(汗)

さいわいなことに
こなしていかなくちゃならない
課題がてんこ盛り、
集中度がUPしますようにと
頭を下げました。

別に派手なことも目に見えて
いつもと変わったこともありません。
あまりキマっていないこの居住空間と
4月1日という時間に 清冽な水が
音もなくしみだして流れているのは
BGMのリラックス音楽のせいだけではないな、と
何につけてもビギナーの私は
感じています。

我が家なりの年中行事、
自分だけの記念日を
新たに少しづつセットしたら、
場所と時間、それを形作るすべてのものへの
畏敬の念がよみがえってくるのではないかしら?

13歳で県庁所在地に引っ越すまで
誕生日のごちそうは、
お母さんが山の畑で作った豆を
囲炉裏か七輪で炒って
神仏にお供えしてから、
きょうだいは年の数だけ
桝から食べる、
それだけでした。
引っ越してからは、
七輪はありました。
豆、桝はどうだんだろうか?
ケーキなど、マリー・アントワネットの
おやつだったのです。



何事もない 静かな4月1日です。

我が家の神木、ガジュマルの木に
新葉が出てきました。
年越しにお供えしたガジュマルの枝からは
根っこが伸びています。