『取り残されている課題~その②』

989/10000 2021 1月21日金曜日
毎週金曜日は、◆台所大事
食を中心に、衣と住も。浪費を抑える暮らしの工夫も。

こちらはここ数日の朝ごはんです。
最後の南瓜と豆乳のスープに青のり
ニンジンのしりしり、蓮根、
セロリ入りコールスローに
おからと米粉と全粒粉をこねて
揚げたの、です。

今日のお昼ご飯、なんにしよう?
そんな感じで、政治の話をしましょう。
戦争こそは最大の浪費ですものね。


衆議院が壊憲勢力3分の2を超えて
この夏の参院選が
すごく気になってハラハラして
胸が落ち着くことがありません。

いろいろな国会答弁・国会審議のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや



今この本を読んでいます。
先週は加藤さんのブックレットを一読、
今日は、内田樹さんの本から
メモしておきますね。


① なぜ日本人は国家として
太平洋戦争の責任を取ることが
なかったのか?



『民主主義国家になるということは
この時点では、ポツダム宣言の
「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す
過ちを犯させた勢力を永久に追放する」
という厳格な条項を
履行するということである。
とはいえ
日本人には権利上も事実上も
「除去」を履行する実力はない。
だから、(その履行については)
誰が除去され
誰が除去されないのか、
それはいかなる基準によって
判定されるのか、は
占領軍の専管事項に委ねられた
そうである以上、日本人にとって
「なぜ私たちの社会は
軍国主義者とそれに賛同する
圧倒的多数の国民を生み出したのか?」
という問いは喫緊のものでは
ありえなかったのである。
考えても仕方がないし、
そもそも考える権利を
与えられていないのである。
だから、日本人は
それについて考えるのを止めた。




なるほど
考えることも
占領されていたわけか!




なぜ、歴史修正主義者、改憲派が強くて
護憲派が弱いのか?
+護憲派の課題とは何か

(P184~188)


生身で戦争を体験した戦中派は
次のことについて
何も言わないことを選んだ。
 ●戦争責任を厳しく追及して
  彼らの加害事実を告白する
 ●憲法は「下賜」されたものであり
  空文に過ぎない。
(ここは、内田さんはこの側面を強調する
表現をなさっているのではないか、
と推測します。)

それはこのタスクが非常に厳しいもので
あったからであり、
「空語」としての憲法に
自分たちの願望と

子供たちの未来を託すという
はっきりした自覚
を持っていたからである。




・戦中派の後の護憲派は
戦中派の身を切ったプレゼントである
「自然物としての憲法」を
ぼんやりと豊かに享受し、
それに敬意を示すこともなく
ぼんやり拱手傍観するのみで
憲法はもっと堅牢なものだと
ナイーブにも信じて
さんざん利用しつくしてきた後に、今

改憲して、日本をもう一度戦争ができる国にしたい
と思っている人がこれだけ多く存在するという
現実に直面している「年取ったこども」に過ぎない。



では、私たち平和護憲派の
これまで気づくことができなかった課題
とは何か?

●「護憲運動の劣勢」という痛苦な現実を受け入れて
われわれの憲法は脆弱であること、
われわれの負けと失敗をを認めることから始める。

●護憲運動を1950年代、60年代と同じように
進めることはもうできない。
(平成の子どもたちは殆ど、戦後史も日本国憲法も
公教育で習わない実情もある)

●もう一度戦中派の常識と抑制が
始まったところまで時計の針を戻して

護憲の運動を
はじめから作り直さなければならない。


●死文に命を与えるのはわれわれの「ヴァイタルな」
涙と血と汗によって、身銭を切って
不断にエネルギーを補給していかなければ
憲法は生き続けられない。



・付記
これは私のラフなメモです。詳しくは本文、また
内田さんの他の文もどうぞ。内田さんは
襞、仔細を疎かにはなさいません。

600枚メモ帳”がスゴかった…コスパも良いし書きやすい!




以下
マーカーで重くなった
4ページを繰り返し読んでの私の感想です。

・2015年夏、安保法制が
国会に上程されたときの
❝しまった!❞と臍を噛んだ
あの思い忘れることはない

・この国には立憲民主主義の
根っこがないという実感がある

・「ヴァイタル」では確かに
自公維に負けている。

少なくても数ではマイノリティーで、
民全体としてその経験が遠のいている

・戦後民主主義年金世代が
何があってもあきらめないのは
戦中派の贈り物の上に乗っかって
いたのだ。
この歴史認識をハッキリと
知ることができてよかった

・今この時代に会って
ヴァイタルに身銭を切る行動、表現とは?
全国各地での継続されているアクションに
改めて敬意を表します。

・私たちの行動が
今どの位置にあるのかがわかった。


・底の底からやり直す。
大小無数の多種多様なプラットフォームをつくり
自発的に学び、記録して。アクションを継続する
ムーブメントをつくろう。

・「年取ったこども」である私たちは
体力、気力、センス、スピード
それにIT力と、いずれも
若者には絶対にかなわないので
お若い方々、御頼み申します。
まだできることがあろうかと
思いますので
何かありましたらいつでも
いっしょにトークしあって
アイディアを出し合い
大小のアクションを
積み重ねて参りましょう。

戦後民主主義年金世代は
なんとしても
子供たちに
戦争のない国、戦争のない世界に
向かう思いを伝えたい、
せめて、若い人たちを支える
存在でありたいと
心から願っていますからね。