『晩秋のもみじ』

912/10000 2021 11月4日(木)
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて
次の世代と分かちあえればと願われることをメモ書きしていきます。
あい間に私の来し方が入ります。



今日は先週に引き続き私の思い出です。
紅葉もそろそろ末。霜待ち、雪待ちの11月、
この時期になると思い出されることがあります。


紅葉したもみじを打つ冷たい雨の中、
私は泣きながら家に帰ろうとしていました。
確か小学校一年生でした。
手には、頭にかぶる ボール紙に描いた大きなもみじの葉っぱ、
その頭にかぶる輪っかががゴム紐ではなくて、みんなのは紙だったのです。
それだけで悲しくなって泣きながら家に向かっているのです。

家に帰って 作ってくれたてい子姉ちゃんに
べそをかきながら訴えました。
ていこ姉ちゃんは、そうかそうかと
ゴムひもを紙のわっかに付け替えてくれました。
もみじの葉っぱも描きなおしてくれたのだったかも。


❝ あかいあかいもみじのは
もみじのはっぱはきれいだな
ぱっとひろげたあかちゃんの
おててのようでかわいいな ❞


学校の文化祭の出し物で、
この歌に合わせて何人かで
壇の上で手をひらひらさせて踊るのです。
踊りは私は大の苦手で
隣の友達に首を向けて見ないとできないのでした。




この時、数えてみると、
ていこ姉ちゃんは13歳、中学1年か2年?
9月生まれでした。
ていこ姉ちゃんは、布人形も作ってくれたし
夏休みの宿題もやってくれて
じぶんでやる!とていこ姉ちゃんの鉛筆の字を
消しゴムでけしたこともありました。
山形の理容学校に通っていた時、山形につれていってくれて
汽車の窓から凍ったミカンを買ってくれました。
家を離れてから帰ると、
山形駅のホームまで名残惜しそうに見送ってくれて
若かった私は 愛で息が詰まりそうになったものです。
ていこ姉ちゃんは左官だった連れ合いに先立たれ
誰にも看取られずにひとりで亡くなりました。



雪待ちの11月、
呉服店の「こます」と「ウロカ」の間の道に
冷たい雨に打たれるモミジの赤、
手にはていこ姉ちゃんの手描きの大きなもみじ、
泣きながら家に向かっている小さな私が見えます。

雨の文化の日の翌朝、今朝のもみじの落ち葉です。