『私たちが失ったもの』

710/10000 2021 04 16
毎週金曜日は、◆望む未来を今生きる~政治は身近・気軽に政治
苦手、と言っていられなくなった政治のことあれこれです。
今日は、私たちが失っしまったものについてのメモをひとつ書きます。



 飯嶋和一さんの本、全巻読破に向かって3冊目は、『狗賓童子の島』です。
隠岐の島を舞台に、江戸末期の、幕府方の善政とは言い難い統治、相次ぐ反乱蜂起・天変地異、異国船の来航と江戸幕府・国際情勢とダイナミックに話は進みます。
 その一方で、暮らしの仔細が、手に取るように、まざまざと描かれております。

 

・引用その1

『生まれました河内の家では、長男に生まれた者は、十八になりますと代々綿作りをすることが定められておりました。実際に綿を作らせて、家を継ぐに値するかどうかを試されます。畑を作らせてみて、親戚が集まって後継ぎとして家に残すかを決めます。わたくしには、もはや畑も家もありませんが、一度自分で田なり畑なりを作ってみないことには、何かを己がやれるようになるとはとても思えません』

 A 消費すること、金儲け、コンピューター技術 VS B 農、漁業、林業の基礎産業
Aは、Bの 直接いのちにかかわるなりわいあってこそであることを忘れたら、滅亡に向かって衰退の道を転げ落ちるよりほかはない。
 幸い私たちは、いのちを大切に作物を作っている農家ネットワークに恵まれている。
感謝というよりも畏敬の念をもつべきだと思う。
 日本全体が60年前の 汚染前の大地を取りもどすことができますように。



・引用その2

『五月十七日、山ツツジが薄紅色の花を隙間なくつけて、いよいよえを待つばかりとなった。田の神を迎えるために、他の水口に松葉を敷き、三把の苗と餅とを供えた。天から田の神が降りてくるのを迎える「サオリ」の儀式だった。田に植える苗を「サナエ」と呼び」、田植えをする娘を「サオトメ」という。「サ」とはいずれも神のことだとお初は常太郎に語った。天から山へ、そして田に降りてきた神は、わずかな儀式の手違いや、不用意に漏らされた言葉ひとつで、その田から去ってしまう。お初は、恵みをもたらす田の神への畏怖の思いを一際強く持っている人だった。』


わが家は大工で、建前の日には、朝、出かける前に梅干を食べることになっていた。建前重要な神事であり不具合、まして事故があってはならないのだ。
 生業事は神からのギフトであり、罰があたらないように、畏れ多いと感受していることを完璧な儀式で伝えなければならない。
今なら言葉は、神でも、宇宙でもよいと思う。

 カミに生かされている、カミは畏れ多い、バチがあたりませんように。
1960年、わが家が県庁所在地に引っ越すまでは、このことが暮らしと地域共同体の根っこにあったと思う、完全なものではないとしても。

 わがまま娘が、こんなの んまくないと雑炊を囲炉裏端でぶちまけた時、バチがあたるから!と米粒をひろう母は、怒るよりも悲しそうだった。今では釜の底にこびりついたご飯を排水口に捨てることを気にする若い人は殆どいないのではないだろうか?私はもちろん今は一粒も捨てることができない。


山河破られて国もなし、あるのは、どうにも止まらない金の亡者の専横跋扈。 
尊敬する先生は言っておられた。『日本人がこの50年(当時)で失ったものを取り戻すには千年かかるだろう』
 
 そうかもなあ。それでも千年後の人々と共有すべく、生きることに欠かしてならないことを次の世代とわかちあえればと願うことをやめることができない。少なからぬなかまたちが日々骨身を削って頑張っているのだから。

ニラは強くて伸びるのが早い。春一番はやっぱりニラ卵にします。