『静かに深まってゆくようだ』

628/10000 2021 01 24
毎週日曜日は、◆素敵にエイジング、
今日は、ビギナー・ババの今のエイジングへの思いです。

 去年の今ごろは、どっと疲れが状態、歩くと胸がぎゅっと狭くなって息が苦しい。でも週5日のパートは大丈夫、パートのプロ、というか。
 疲れに加えて、トシをとることの実感があった。
 あれから一年近く、新しい力がしみだしてくるのを感じている。でももう勢い込んではやらないよ、できないから。

 2015年夏国会に この国が戦争ができる国になる法律が上程されると知り始まった反対行動から5年が経っていた。無我夢中でできることをやった。週一のほぼ一人街宣、立憲野党と市民とが一つになるための行動、国政選挙には支持政党のポスティング、一人で何百枚入れただろうか、フライヤーを1枚でも残してなるものか、新得でも頑張ってるし。振り返るとけっこうてんぱっていたな。コロナでペースダウンできると知った時にはほっとした。
 ここ一年は、思案が続いた。いったい私たちに何が足りないのかと。もう先頭は若い人たちの役割となるだろうしそう望んでいる。そのとき自身なりの軸を持っていたい。私ができる役割はあるだろうか?

 70過ぎてパート、ちょっと前までは平気だったのに。もう無理はできないな。体力と時間と課題のバランスを取らなければならない。

 鶴見俊輔さんが70歳ころからご自分のことを “もうろく” なさっていると仰っていて、え、それはないでしょう、と感じていたけれど、そうかあとうなずくことが一つ二つと増えてきている。(鶴見先生と比べるのはどうかと思うけれど)

まあ、私は遅いのよね、歩みが。あと30年とは言わないけれど10年早かったらな、と思わないこともないけれど、このままやっていくしかないし、急ぎたいけれど急げないので、毎日ひとつづつ片付けてぼちぼちやっていくしかないな、と思っている。

 一番の進歩だと思えるのは、『エイジングは素敵に』だけれど、100%素敵でなくてもいいじゃないの、と心に開き直りというか、余裕というか、悟りというか、ありのままがすっと入って来ざるを得なくなったというか、そんな感じになってきたことかな。

 習慣になっているストレッチ励行、できそうな新しい身体の動かし方を先日からひとつ新しく加えた。フレッシュな刺激も意識して触れるようにしていこう。
 警戒しているのは、生きることをわかってしまわないことだ。幸い、触れる本、習っていることのすべてが知らないことばっかりで、脳の血流不足を感じながらも課題をリスト・アップしている。

 これから冬か、と思うと長いなあとため息が出ていたのは11月の末ころ、寒は寒なりに楽しみも喜びもある、寒干し、漬物、越冬野菜の管理、などなど。その時その場になってみると気づくことがたくさんある。冬は静かに力をためるときと心得て焦りを抑えよう。焦り、なんてなにかもう合わなくなってるし。

正月の昆布巻きがうまくできたので、また作りました。