『知っていることよりも知らないことの方が圧倒的に多い』

511/10000 2020 09 30
毎週水曜日は、◆読む・書く・話す
ずいぶん範囲が広いですね。コミュニケーション全般を含みます。

今日は、コミュニケーションの前提、心していることをひとつ書きます。

★ 2年ほど前びっくり大ショックに直面しました。
 私を全否定されたのです。否定した人は姿を現すことなく文書とメッセージで一方的に断定の言葉を寄こしました。その根拠は第三者の話にあったと推定されました。
 私はその時少々疲労状態だったこともあり、そもそも相手が出て来ないしで返す言葉を十分に出すことができませんでした。今思うと必死に礼儀的な対応はなんとかやりました。
どうして直接私の話を聞くことなく否定して断定するのか?がどうしてもわからなかった。顔も見たくないほどなのか?
人格を否定されるとどうなるか?真冬の一か月以上朝の目覚めが鬱になり心の傷はおいそれと消えるものでないことを知りました。

★ おかげさまで大変勉強になりました。
  こんなことは別に特別でなくよくあることだと友人が教えてくれました。パート先ではま、しょうがないかと歯を喰いしばってスルーしたり、たまに爆発したりしてました。同じことが仲間の間でもあるものだと知ってかなりショックだった。

  時間がたち、おかげさまでその分タフになりました。
  賢くなった点がいくつかあります。

  ① なにかのグループを立ち上げるときには、先にコミュニケーション原則を提示して
共有する作業が必要である。先手を打つわけです。
あるグループにお邪魔した時、すでに実践されておりその表現が実に心優しく暖か
いものでおおいにほっとしました。

② ファシリテーション
の技法と基本の心構えを学ぶ  これは2回ほどワークショップ
に参加しました。さらに学びたいところです。

★ 私の人生の師(と私が一人で思っている方)が、若輩者のこの私に常に敬語でお
話なさって下さるのが不思議でたまりませんでした。
 今にしてそうだったのか!と腑に落ち始めていることがあります。それは、
生きてあり今ともにいてくれることのありがたさの表現であり、
ご自分が目の前にいる相手について知らないことの方が多い、ご自分が知らないことを相
手が知っているかもしれない、そもそもご自分は知らないことの方が圧倒的に多いので
礼を失することの無いように礼儀を尽しておられたのです。畏れ多いという感受の表現であったのです。

自身が無知であることを知っていること、それを従属隷従卑屈の形ではなく表現する言葉を持つことですね。私のコミュニケーションの課題です。

名残のヒャクニチソウです。