『自分史で人格をつくろう』

476/10000 2020 08 25
毎週火曜日は、◆自分史をつくろう、今、未来に向かって
このブログのメイン・テーマです。

今日は、自分史をつくることで自信がつき人格がつくられることについてです。

★ (何度も同じ話を致します)私は実は、“しうこばーばの自分史講座”は個人的にひとりひとりが充実した人生を送るためのものとしかとらえていませんでした。
ところが、 FACEBOOKの友達の柳澤史樹さん(すでに自分史講座を実践中でいらっしゃいます)にきいて、すぐ取り寄せた『自分史活用推進協議会』さんのパンフレットの裏表紙の3行に目をグイッと開かれる思いを味わいました。

日本は簡単には元気にならない
  しかし 私たちは信じている
    自分史のチカラを


個人的にひとり充実すればいい、のではないのだ、ひとりひとりが充実することでこの国全体が元気になるのだ。この国が元気になればひとりひとりが元気になる。

★ では、何が日本の元気を奪ってしまったのだろうか?その実情はどのように現われてしまっているのか?

 その一つの例です。
Holmes#世論の理性@Holms6さんのtwitterより。
·差別でしか自我不確実性を埋め合わせることのできない日本人は多い。元々、自我が確立していない日本人は集団や国家に自我を埋没させることで、自我不確実性を埋め合わせてきた。しかし、集団への帰属意識が失われ、国家への同一視のみになると、政府の方針に盲目的に従う。

 自我が確立していない日本人・・・それはどういうことなのでしょうか?
太平洋戦争で負けたとき、アメリカの支配層は、日本人は10歳の子供に過ぎないと捉えて支配戦略を微に入り細にわたり綿密に立てていました。それは大成功して今のこの国の現実があります。
ひとことでいうと、イノチと生きることがないがしろにされ、生かされていることへの感受が退化し、与えられたものを如何に消費するかが生きることになってしまい、それが大勢を占めてしまっているのです。かくして若者の死因のトップが自殺という 私たちが子供の頃だったら口に出してはならない現実が現前しているのです。

なぜこういうことになってしまったのだろうか?
なぜ自我が確立していないのだろうか?
それはなぜなのだろうか?
これは大きな問題です。基本的人権、人としてあることのお互いの尊厳,これが尊重されることが難しい場面にしょっちゅう出くわします。この問題は今日は脇におきます。

 ★ ではどうしたら、自我が確立し、基本的人権、お互いの尊厳が尊重される世の中にできるのだろうか?どうしたら、日本がこの国なりに元気になれるのだろうか?


 自我が確立する、このことひとつとってもこの国には西欧社会とは違ったやり方があるのかもしれません。
 
 その一つのやり方として、自分史をつくってみませんか?
 自分が何者であるのか?を言葉にしていきましょう。
 ふだんの言葉で、一歩一歩です。
 尊重してほしい自分を明らかにする、随時調整を加えながら、ことで相手をも尊重したいという思いがきっと湧きあがってきます。
 すこしづつ自信が湧いてきて、相手を尊重することで人格がつくられていきます。
 作られた流行や、権力者層の洗脳戦略に惑わされない自分をつくっていきましょう。
 そう、まともなまっとうな生き方をふだんの言葉で明らかにしていきましょう。
 たくさん笑ってたくさんの出会いが訪れてくれるように! 
 自分史の幹が太く確かなものに育つのを楽しみましょう!
 頭の中から、出して書き出しましょう!

『しうこばーばの自分史講座』は、『新生日本に向かって・起死回生プロジェクト』の基礎の基礎講座でもあるのです。

 

カツラの木@帯広中央公園。紅葉が楽しみです。芽吹きも美しい。