『言葉に気をつけねば』

毎週水曜日は、◆読む・書く・話す

ずいぶん範囲が広いですね。

今日は、渡辺京二さんの『万象の訪れ』から、ズキリとした箇所のメモです。

京二さん、今90歳、読書量の膨大なることにもまして、思考と感覚を文になさるその力に圧倒されています。図書館にある全巻約25冊を読むことになるでしょう。

あまりにもものを知らなすぎるとため息つきつつ書き出します。

鈍感な言葉たち P220~222 より

『「体を張る」というのは賭博用語だから、革命家たる者がそんな言葉を遣うのは不見識だと中野重治が書いたことがあった。・・・中野の言葉に対する感覚の鋭敏さに脱帽した。・・・なにげなく遣う言葉に対しても敏感であれという教えを、このとき私が肝に銘じたことは間違いがない。』

(「体を張る」 知らなかった)

『「ちなみに」というのは相当構えた言い方で、学者ででもなければふつう遣うことはなかったと思う・・・

気取りたいと思っても、はずかしくてできやしない、これがひとむかしまえまでの感覚だったと思う。はずかしいということがわからなくなった。「特段に」とか「ちなみに」とか言いたがる自分を、うろんなものに感じる感覚がなくなった。つまり、言葉に対して私たちはいちじるしく鈍感になったのだ。』

(特段は私には初耳、ちなみには知らなかった。もう遣わない。)

『鈍感といえば「あげる」の流行こそそのきわみではなかろうか。「やる」と言えばいいものを、みんな「あげる」と言い換える。・・・これは気取りからではなくて、はやりのやさしさ志向、あるいは人権意識からのことだろう。・・・「あげる」というのが、目下の者あるいは弱者への慈恵的な表現であることがまったく忘れられている。』

(「これは気取りからではなくて~ことだろう」は要熟考。あげるの遣い方は知らなかった)

ああ、いやだいやだ P223~225 より

『三十年ほど前の映画を観ると、男も女もきちんとした切れのよい綺麗な話し方をしていたのがわかる。語尾もすっきりと言い納めている。しかし、こんなふうに話すというのは意識的なコントロールを要し、多少の緊張を伴う行為なのだ。それにひきかえ、語尾のばしはねあげ話法は、本質的に自分をたれ流すモノローグなので、緊張もコントロールも必要ない。つまりは人前で寝そべっているような話し方なのである。・・・ダラーッとしているのが反抑圧的で自由でよろしいという、八十年代以降この国を支配しているイデオロギーが喋りかたにも具現しているわけだ。』

(語尾のばしはいけないと話し方教室でも教えて頂いた。純正な話し方に触れる機会がまずないし、ましてトレーニングは意識してやらなければできない。伝統芸能の若い人の話し方は立派ではなくてまともなのだ、と気づいた)

『自分が喋ったあとで、いちいちうんと首を振る。・・・昔はこんなのは威張りたがり屋のすることで、ひとなみの羞恥心の持ちぬしならできることではなかった』

(いる、いる。自分も同じことを二回続けていう癖があるので意識してやめるにことにする。)

『にたーとして、無礼で横着な人間が好まれる。芸人がみなそうである。芸人は万人のあこがれであるから、日本人全部がそうなってゆく。写真をとれば必ずVサイン。ガキではあるまいしと思うが、実はみんなガキが理想なのだ。』

(Vサイン、もう止めた。吉本の芸人達の興行に行ったら会場は笑いの渦、1人取り残される私であった。人をこ馬鹿にして笑いが取れるって、ああ、いやだいやだ)

『「-させていただく」という言い方も、やさしさを装って大衆のご機嫌をとり結ぶ時代であればこそ横行する。・・・こういう欺瞞的で無知な言辞が横行する時代に生きるのはほんとうにつらい。』

(「させていただく」は、いいづらくて殆どつかわなかった。藤本先生のブログで教えて頂いて文書でもやめることにしたばかりだ。)

『・・・現代が何から何まで悪い時代だとは思っていない。むかしの悪弊があらたまった面はいくらでもある。だが、今日のように胸くそ悪い自己顕示欲・自己肯定、鈍感で無知な言辞が横行する時代は、これまでの日本にはなかったと信じる。

・・・半可通が威張っている今の日本・・・戦時中の軍人政治家や狐憑き的日本主義者の言辞を、額面通り受けとるのは子どもばかりだったのである。。

かつて日本人の話法を特徴づけていたあのしっとりとした抑制、成熟した落ち着き(実例を知りたければ昔の名人の落語、講談を聴け)は二度と戻らず、アーアーアーとカラスみたいないまどきの喋りかたが、おそらく日本語の革命的なイントネーションとして、この先定着してゆくのではあるまいか。ああ、いやだ、いやだ』

(・明治うまれの母の言葉を失わせる行儀の悪さを自由と思って威張り散らしていたガキの自分を思い出す。・わが師と私が一方的に思っている先生はよくご自宅の中に入れて下さったものだと赤面する・二周り年上だった息子たちの父親の話し方、あれが時代の文化環境だったのだ、悪いことをしたと思う。

山河破られて国あり、なこの国の現況である。破れているのは、山河だけでない。文化そのものが根こそぎ引っこ抜かれてしまっている。一般庶民の共通認識、倫理的な人の道の支えが低劣極まりないものに取って変わった。まがりなりでもトップの空気をこの国の多くのひとびとはそのままコピーする。

絶望的ではある、しかし、雑草の息吹きのごとく諦めない人々があちこちで生息している。起死回生に向けて、能天気にも、あくまで希望に焦点をあてる。コツコツ作業を重ねて継いでくれる次の世代に、未来に手渡したい、とわが身のほども弁えず、願うのである。なんとしてもオトナの門をくぐろうとの願いを久しぶりに思い出した。)

ゾクゾクしながら一読。どの本も一回では間に合わず、二回三回と読みたい。速読法覚えるかと思う。