『奨学金を募る』

581/10000 2020 12 08
毎週火曜日は,◆自分史をつくろう、今。未来に向かって
このブログのメイン・テーマです。

★ 今日は弟に、このブログからのコピーを送る準備をしました。のり子姉さんからの手紙に、弟が生まれてすぐ菌に感染して胴体がやけど状態になったときのことが書いてあった、その回のです。同じコピーを二番目の兄と三番目の姉にも送ります。
 こうしてきょうだい同士で一緒にファミリー・ストーリーを語り合うのはいいものですね。
これも姉が書いてくれたからこそです。私達は7人きょうだいなのでその分、『人は色々』と多様性に寛容になるメリットもある気がします。まあ、すぐ頭にきてお互いに欠点を指摘し合ったりもしますけどね。

 そこに、先日久しぶりに会った札幌の友達から電話があって、『(先日亡くなった)かあさんのこと書いたから送るね。』と、なんと、すでに『しうこばーばの自分史講座』が始まっているではありませんか!

★ 私は今、クラウド・ファンディングを思案しています。
『しうこばーばの自分史講座』を、深く充実したものにすべく学ぼうとしていてその学費が欲しいのです。
 1 自分史活用推進協議会様の自分史講座で自分史アドバイザーの資格を取る
 2 フォト・リーディング・ホール・マインド・システムの加速学習法の講座
    限られた時間で学ぶ密度をアップする
 3 リード・フォー・アクションの読書会ファシリテーターの講座
    読書会も、友人と一緒にやろうとしています。
 
 以上を修了することと、
 自分史講座の初級を開講しながら、講座内容の編集構築がこの冬の課題です。
それにプラス
 4 手元に必要な本
  5 本棚10台 で 200,000円というとこでしょうか。
それに、YouTube発信とパワー・ポイントとオンライン講座のおよそを掴むとなるとその分もかかりますね。わっと一気にはできません、匍匐前進です。

 今クラウド・ファンディングについて調べて慣れようとしていて、冬至がセットした締切です。
私にとってクラウド・ファンディングの一番の課題は、
『なぜ』を今出てくるのでいいから言葉にすること
生まれてこの方ずっと問題だった『お金』の意味を腑に落ちるまでとらえることですね。
 そうなんです、私、今、自分史をつくっているんです。

この秋から追っかけている二本のカシワの木@中央公園です。


 

『山本真吉先生のこと』

580/10000 2020 12 07
 毎週月曜日は、◆小さなビジネスを始めるにあたってのあれこれです。
私の小さなビジネスは、『しうこばーばの自分史講座~今、未来に向かって』
私はこの講座の講師とファシリテイターをつとめます。

 今日は山本真吉先生のことを書いておきます。
 私がこれから『しうこばーばの自分史講座』をオープンして(ただ今プレ・オープンンの段階です)お客さまと出会うためにマーケティングするとき、マーケティングの原点から動かないものを山本先生から頂いたからです。

 そうなんです。山本先生は、けばいマーケティングとは無縁でした。コロナで加速しているものの一つがオンラインで、SNSにはオンラインでの集客のノウハウの無料広告がじゃんじゃん入ってきます。その一部を後で見るかもと “自分だけ”でシェアしながら、胸の中にはいつも山本先生がいます。

 山本先生は、小樽商科大学を卒業され御父上様の会計事務所勤務を経て独立、経営コンサルタントをなさっておられました。その傍ら漢方をはじめとして医学を独学なさっておられ、無料の公開講座の途中で渡米、American holistic Collage of Nutritionの博士号を取得、博士論文のテーマは『癌治療と栄養素』で英語で書かれて満点、総合栄養療法の隠れ権威でいらっしゃいました。

山本先生との出会いは1998年、当時仕事として取り組んでいた補助食品のことで直面していた問題がテーマのオープン・セミナーが札幌である、との情報に接して、これは!と出かけたのでした。
 そこで最初に見せて下さったのが、血液検査のデータでした。自然食と自然療法を実行するようになって20年以上経っていました、でもデータは初めてで、これだけでも衝撃でした。
 続くお話も、医学の最前線の貴重な内容は満足のいくほどにはアタマに入らなかったけれども、一言でいうと、先生の『人間力』に深く感動して、そのあとほぼ月一回の無料のオープン・セミナーに帯広から8年以上夢中で通いました。
 20年前に無料で頂いた資料は、総合栄養療法のバイブルで必要に応じて開いています。先生にはこの続きを、改訂版を書いて欲しかった。

 “経営コンサルタントとして独立したばかりの頃は仕事がなくて電気が止まったこともあるのよ。”、と奥様に伺いました。“それでも異業種交流会の会食などには出ようとしないの。”
 出会わせて頂いたころは、有名なお菓子屋さんの役員をはじめとしていくつもの大きな会社のお仕事をなさっておられました。
 会社の経営と人の健康は同じ、ご自分の一言で生きもすれば死にもする、と講座の中で物言い穏やかに仰いました。

 睡眠時間3時間、起きているときは殆どパソコンの前、世界中の最新情報に目をこらしつつ、一日100人の健康相談に応じて(長く無料だったのを友人の助言で有料になさったけれども無料でも受けておられた)いるさなか、ある朝突然パソコンの前で亡くなっておられました。3.11の直後には、放射能汚染に対応する栄養素のとり方をいち早く発信されて、その確か一年後2012年の春だったと思います。

 『経営とはお互いに繁栄すること、生死を掛けたものであること、人を、世の中を、国を幸せにすることであり、そのためには学び続けて自身を練磨することが核であり基本中の基本である』
 下手な言葉ですけれど私が山本先生から感じ取ったことです。先生は小樽商科大学在学時図書館の本全巻を読破なさいました。胎の座りように感動して奥様におたずねするとお若いときから変わっていらっしゃらないとのことでした。
 今山本先生がご存命でいらっしゃったら、インターネットの進化、ミトコンドリアの活性化製品の登場とともにどんなにか本領を発揮されたことか、影の内閣の厚生大臣に就任してほしかった。神様は我儘でもあり自分に近いものをそばに置きたいと思うらしい、神様にも困ったものだ、日本がこんなときに。

 山本先生を偲びつつ、自分の幼稚さ加減に呆れております、でも仕方ない、私なりに頑張らなくちゃな。


1998年、山本先生に頂いたバイブルより


=12月21日冬至までの課題=

 1 課題リスト
 2 事業計画書を推敲して相談する  藤本先生 他2人~3人
3 クラウド・ファンディング  学費他
4 SNSの編集  連携について藤本先生に相談

まずはここまで、この4つに集中。
あ、ONE MORE,オフィスの大掃除もやってしまおう。
何としてでも『しうこばーばの自分史講座』でやっていくと覚悟しています。

今日もシンプルに青空が広がっています。

『友達は大切』

579/10000 2020 12 06
毎週日曜日は、◆素敵にエイジング
今日は “友達は大切”です。

☆ 冬の快晴の美しい午後、ばあちゃん3人でよもやま話をしました。
ブログ一日遅れてるし・・と気になりながらほいほい連れて行ってもらって正解でした。気の置けない女同士というわけで話は自由自在にあっちとびこっちとび、女ってこれ平気ですからね。
これまでの人生のクライマックスやら、若いときのことやら、今の政治状況やら、家庭菜園に信仰のこと、などなど。とてもくつろいだ日曜日の午後になりました。じっくりまったりお話を聴きあうことが出来るトシになったのですね、お互いに。

 私は、もちろん、『これを紙に書いたらどんなにか素晴しいだろう、話してる人の人生が何倍にも輝くだろう』、と『しうこばーばの自分史講座』をうんといいものにしなくちゃな、と胸で思いながら耳を傾けていました。ひとりひとりの来し方をそっとHUGする思いです。

☆ 『コロナの影響で女性の自殺者が二倍に』、やっぱり、とはいえグサッと刺さります。
 これからトシをとっていくときに、本当に、友達は欠かせない。
  うんうんと肯いて聴いてくれて、励ましてくれて、見守っていてくれて、テリトリーをわきまえている友達のネットワーク、コミュニティなしにはとても寂しい、つらい。

☆ 私『外から帰ったら、お疲れさま、お茶にしましょ』と言ってくれる友達が近くにほしくなってきたのよ。
 友達Aさん『私は、一人暮らしがしたい。同居人に気づかいしなくちゃならないのに疲れた』
まあ、今すぐどうこうなるもんでもなくても、誤解曲解なしと安心してしゃべっているうちに気も紛れます。

☆ 今日登場の食べ物は、どれもこれもとびきりうまい、キャベツ、南瓜、サツマイモ、気の合う友達と一緒にご飯を頂く、至上の幸福です。

風景は冬枯れでも心はあたたかく。

『心ゆくまで話を聞きあいたいねえ』

577/10000 2020 12 04
毎週金曜日は、◆望む未来を今つくるー政治は身近・気軽に政治
苦手、といっていられなくなった政治のことあれこれです。

金曜日の分を日曜日に書いています。
今日の午後、ばあちゃん3人でよもやま話をしました。65歳 71歳 73歳の3人です。
そのうち政治のことをピックアップしますね。

“顔を合わせて話したかったよね”
“うんうん”、から始まって・・・

「酷いよね、今の内閣総理大臣、前よりもっと凄いよね。
私達は危機感募らせているけど、
10代、20代、30代、40代の若い人たちって、どう思いどう感じているんだろうか?、
いまのままでいいと思ってるのかしら?それが知りたいわ。お話を聞きたいな。」
「そうね、平成生まれの人が30歳超えているわけでしょう。私達戦後民主主義世代と全く違ってるみたいだし。」
「50年前なら、日本中がデモで溢れかえっているよね。
若い人たちの声がほんとに少ないもんね。マイノリティだけどもちろんいるんだけど」
「若い人が出て来てくれるとジジババ俄然元気、だもんね」
「戦後民主主義年金世代中心にねばり強く全然あきらめないで行動を続けている人が全国にいるしね」

「公教育の現場では〇×式の管理が強くなって、現代史、憲法も教わってないらしいよ。
平成の30年でまったく変えてしまったみたい。その上、マス・メディアも批判をキッチリしないし、テレビなんて殆どだめだしね。」
情報の伝え方、きっとあると思うの。
民度が高くないのはホントだと思うけれど、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう、
公教育、マスメディアを超える、表現とその伝え方があると思う。
論理はさておき、肌身に直接入ってくる表現も必要よね。
一目でわかって、共感が湧いて、希望が持てる、そんな表現ね。
生活が楽でないのは、税金の使われ方=政治がこんな風に勝手なことやってるからなんだ、ともう一つ、イヤなことはイヤと言っていいんだ、って伝えたい。」
「うん、無関心無投票層の100%でなくていいんだって、その15%に伝われば押し返すことができるらしいよ」
「そうね、戦後民主主義年金世代の表現と違ったやり方、表現が待たれてもいるよね。」

「安心してなんでも話せる集まりがいいよね、何を話しても傷つけられない。
誰だって間違うし。」
「その限られた時間を有効に使うやり方があるのよね。お若い方々はきちんと仕切ってうまいわよ。ファシリテーションもやってるし」
「そうだよね、〇×を摺り合わせてもっといい新しいものを生み出すことが必要なんだものね」

「このままじゃ死んでも死にきれない」(これは戦後民主主義世代の、いわゆるリベラル派の共通認識だよね)「うん、殺しに来てるもんね。」


「年内は無理としても年明けにはひとつ場がつくれないかな」
「トシヨリだけ集まってもダメよね、若い人たちと一緒でなくちゃ」
「そうそう」

 コロナのおかげで骨休めできたのはメリットでした。政治はご飯といっしょ、そんな感じでお子たちといっしょに一度集まってみたいですね。いかがでしょう?

緑はノラニンジンです。

『少しはクリスマス気分ー土曜の朝はホリデー気分』

578/10000 12 05
毎週土曜日の朝は、NHK-FMで “WEEKEND SUNSHINE” に続いて “世界の快適音楽セレクション” を聞きながらまったりすることにしています。

☆ 今朝ははじめのほうで、John Lennonのアコースティック・ギターのシンプルな演奏がかかりました。やっぱりアコースティックはいいですね、そんなトシでもあります。

☆ 今日もラジオをかけて台所で夕ご飯の弁当をつくりました。できました。
小笠原農園さんのエリンギ、ニンジンは協働学舎さん、鶏肉と春菊の卵焼きです。
 玄米に添えた漬物は、頂いた大根葉と小松菜の、山形のやたら漬け風です。今風においしいかというとそれはわかりません。お母さんの漬物を思い出しながら食べると言うことなしなのです。それに冬は置漬けです。それにしてもこじんまり、ジップロックに入って冷蔵庫で待機しています。子どものころはなんでも大量だった、大きな漬樽、甕もそこそこ大きかった、その分うまかったな。

 冬になって緑の濃い野菜はちびちび使っています。
冬仕舞いの時発見したルッコラと、コンテナの春菊をしまって冷蔵庫に入れてます。友達が持ってきてくれたエリンギも貴重品です。甘くて何とも言えない旨みがあります。

夏なら一回で使うところを数日もたせています。

☆ 昨夜は10時前に寝落ちしてあらためて布団に入るときに、お月様が見えるかもと窓を開けたら、ちょうどお隣と我が家の間にいました。

スマホを取りに下まで降りて窓から落ちないようにして撮りました。

こちらは今朝の残月@市役所の駐車場です。

今朝のスロー・ジョギングは朝焼けの雲を追いかけました。

今年追いかけたいつもの場所です。
その少し北側、カシワの木を離れると
@市役所の植え込み
帰り道にかかって@中央公園

 雪が遅いのでまだ外を走ることができます。自転車は、空気が冷たいのでやめました。

☆ クリスマス、ですね。恒例ということで今年も出て来てもらいました。これも我が家の家宝です。

 孫姫もあっという間にばあちゃんのとこに来なくなってクリスマスの飾りは袋に入ったままになっています。今年はガジュマルの木をクリスマス・ツリーにして少しはこのシーズンを我が家なりに盛り上げようかな。

『我が家の災難史』

576/10000 2020 12 03
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ①子どもたちに伝えたいこと ②私の来し方
の内今日は①と②にまたがります。

★「お前は帯広育ちだから台風も洪水も自然災害を知らないよねえ」
ある日下の息子が小学生のとき話しかけたら、
「僕知ってるよ、おかあさんと兄ちゃんの親子喧嘩。」
し、失礼しましたっ。
それはさておき、本人抜きでプライバシーに配慮した上で私が書きます。

★息子その1の場合
① 生後一か月で「90%ダメでしょう」と医師に言われた。どうしても母乳で育てたかった私は神経が立っていて母乳が出ていないのに気付けかった。わが人生の最大の失敗である。
→ お医者さんの手当はもちろん、宇野先生,佐々井先生、木村先生が「いのちの綱を切らないで」と寝ずに祈って下さり、生還させて頂いた。

② 中学の時、だめだこりゃと母は独断、「それならうちに来ればよい」とのねむの一言で父ちゃんと一緒に能登に向かった。途中音威子府の砂沢ビッキさん(父ちゃんと親友同士)を尋ねるというなかなかの旅であった。
→ ねむ一家と一緒に暮らし、その後宮さん一家にお世話になり、女性の長橋(?)校長先生と金沢の教育委員会の村井様の特別な配慮で能登の中学校に転校できてそこを卒業した。高校は全道一区の釧路へ。八木教頭先生、マシオン恵美香ちゃんのご配慮を忘れない。結婚式には担任の先生と同級生が何人もかけつけてくれた。このことだけで小冊子ができそうだ。今日は詳細略。

③ JRの運転士になりたてで人が飛び込んできた。おろおろしたのは母だった。
→ お客様のいのちをあずかる運転士仲間の結束は固い。「同じ釜の飯を食べてますから」とのこと。

★ 息子その②の場合
 子育てとは思い通りにならぬものと悟った私は手抜きでリラックスした上多忙で夏休み何をしていたか覚えていない。何事もないなあと間延びしていたら、
① 3.11のとき都心の飯田橋のビルの何階かにいた。歩いて板橋の赤塚のアパート迄帰った。
「どうする、引っ越す?」「4月から行く会社が決まっているから」
しょっちゅう東京を離れてもいるのでその分少し母は安心、でも何事もないようにと祈っている。

② 今年はコロナでテレワーク中。ここ帯広でも状況は変わらない。

★ 二人とも高校生のときからバイトしまくり、小遣いは勿論、学費、自動車免許取得料も自分で稼いだ。お金のことが下手だった私のおかげで逞しくなったかも(?)
信州の清水平にいたときは、一雨降ると小さな山崩れが何か所も発生して車道をふさいだ。これはたいしたことない。生まれ故郷では最上川の洪水が毎年だったから。

時代が変わる。あれやこれやあるのが当たり前だったのだと思う。
  ☆ 溢れるネガティブ情報は抑えつつ引き摺られないで、
    ポジティブ情報をキャッチするアンテナを磨いておこう。
  ☆ 既成の思考と技術では間に合わないのだから、頭は柔軟に保っておこう。
  ☆ 「目の前の人はあなたを生かそうとしているのか、
         あなたを殺そうとしているならあなたはどうするか?」
  ☆ それに、ウマいことかわすコツも大事だね。
  ひとり孫姫のみいちゃんといっしょに元気にやっていきましょう。
  私は遅まきながら「これからだ」と思っています。

冬枯れです。

『「スパイの妻」見てきました』

576/10000 2020 12 02
毎週木曜日は、◆読む・書く・話す
随分範囲が広いですね。コミュ二ケーション全般を含みます。
今日は、・書く で、今見てきた映画『スパイの妻』の感想です。
アト・ランダムに参ります。

 蒼井優さんが楽しみです。アニメ『ペンギン・ハイウエイ』のお姉さん役の声に圧倒されて以来、ファン以上の感があります。
 黒沢明監督ははじめてです。名匠とのこと、興味深々です。
 お客さん、週日のお昼なのにけっこうな入り、帯広としては、です。上映も一日一回から3回に増えています。

☆ 舞台は太平洋戦争前夜1940年の神戸、蒼井優さんの愛する夫、高橋一生さんは、貿易会社を経営しています。感覚抜群、社員の面倒見もよく、冒険心も旺盛、機転もききます。二人は夢のように愛しあっています。
  満州を訪れた一生さんは、なんと関東軍による細菌人体実験の現場を目撃することになって・・・

☆ 一瞬一瞬が長く感じられるスリルにハラハラの場面が長く続き、見るのに体力を要しました。複雑に絡み合った謎に翻弄され、夫への不信と心の葛藤に苦しんだ後、夫が意を決してついに真実を告げると、優さんは一瞬にして 夫と生き死にを共にする覚悟を決めます。ここは優さんパワー全開です。

☆ 素敵な街神戸、その中を軍隊が行進して、憲兵本部では厳しい取り締まりと拷問がなされている、今のこの国の情況がかぶさって過去のものとは思えず真に迫ってくる。
  731部隊による人体実験の検証と責任も、太平洋戦争の責任もうやむやにした結果を戦後75年以上引きずり、この国の今の政治現況がある。

☆ 厳しい情況に追い込まれても、一生さんの信念は微塵も揺るがない、“僕はスパイなんかじゃない、人の道として人間として許せないから行動するのだ” と。80年後の今、この列島のあちこちで戦争をさせないためにコツコツとアクションを継続している多くの同志たちに姿が重なる。

☆ サスペンス・エンタメ仕立てもバッチリ、正義を声高に強制することなく、二人の変わらぬ愛の絆を軸に、場面は展開していく。敗戦後、二人は生き延びて融通無碍に逞しくやっていくであろう未来を暗示して映画は終わる。その子ども達孫たちひ孫たちが今生きているとしたらどうだろう。

☆ 高校生世代の女子に見てほしい。たぶん70前のおばあさんふたりの評論家っぽい雰囲気の話をチラ聞きしながら老婆心がうずきました。


『「わたし遺産」に応募しました』

574/10000 2020 12 1
毎週火曜日は、◆自分史をつくろう、今、未来に向かって
このブログのメイン・テーマです。

 昨日30日は、「わたし遺産」(主催 三井住友銀行様)の応募締切日でした。とにもかくにも応募してよかったです。南無三 商品券300000万円分(祈)、大賞3作品の賞品です。

私の一番の「わたし遺産」は、上の息子が小学校2年の時に私ににくれたラブレターです。
これをテーマに400字で書くのです。

傾向と対策を探るべく、過去7回の大賞作品を読みました。
 どの作品も無駄なく、心の琴線、襞を、上にも下にもオーバーになることなく、丁寧に綴られています。殆どが市井の身近なことが主題できめ細やかな暮らしの目を感じ、また心の平穏を保とうとする意志と感性も伝わってきました。


 実際自分も応募するとなると、作品の中の心の動き、文章表現がグッと我がこととして迫って来ます。読み手を意識して、更に賞品をイメージして(!)書くことで成長するんですね。自分一人でではなく読んで下さる人に共有してもらえるようにと心を砕かなくてはなりません。

 おとといの夜は、推敲を重ねていると止まらなくなって1時過ぎまで起きていました。400字の中におさめて最も伝えたいことを伝えなければなりません。ああでもない、こうでもないととやっているうちに、ふだんは胸の中に仕舞われている、しかしわが人生の大切な忘れられない出来事がいくつも思い出されてきました。そうこうしてうちに、この手紙が持っていた意外な意味にはたと気づいたというより、その意味が向こうからやってきたのです。
 
『しうこばーばの自分史講座』では、このようなときを共にできますようにと願っています。書くことで、思い出す、気づく、自身の、それにまわりの人々の新たな面と意味を発見することがあるんですよね。
 紙とペン、またはパソコンがあれば、二倍は生きられる。
 自分史をつくりましょう、今、未来に向かって。

 私の「わたし遺産」作品は最後に下の息子が手を入れてインターネットで応募してくれました。結果はさておき、充実の時間でした。

ラブレターをくれてから約5か月後の息子たちです。1985年。