『六人のきょうだいのこと』

毎週木曜日は🔷子供らに寄せて

今日は、「息子たちに伝える母の来し方シリーズ」で、きょうだいのことを少し話しておきます。

★ 私達は7人きょうだいです。

昭和7,9,12,15,19,22,25年、

男、男、女、女、女、女、男で

私は四女です。

職業は、一応大工、大工、理容師→専業主婦、理容師→専業主婦、理容師、フリーター・自営業・パート・起業準備中、いろいろ・居酒屋・大企業の賄い、となります。

★ 7人、といっても当時は珍しくなく、22軒の川端部落でも小1から中3迄全学年揃っていました。

7人全員揃うことがあったかな?

兄二人と父は出稼ぎで、盆と正月、最上川の洪水、親戚付き合いの時に帰って来ました。

★ ねえちゃん(一番上の姉)は、山形の床屋さんで住み込みで見習いでもう家にいなかった。その床屋さんのお客さんと結婚しました。

ねえちゃんが帰って来るとなると、恥ずかしかった、都会の匂いに加えて美人でした。

★ てい子ねえちゃんは、理容学校時代汽車に乗って山形に連れていってくれた。弁当売りから氷ったミカンを買ってくれて一緒に座席で食べました。

人形を作ってくれたり、宿題をやってくれたり、私にはいいねえちゃんでした。

左官屋さんと結婚して子供はいなくてもう二人とも亡くなりました。

山形に帰って戻るとき、駅のホーム迄来てくれて最後の最後迄気遣ってくれました。

若かった私は、山形の家族愛が濃密過ぎて息がつまりそうでした。

今は、ほんとにお父さん、おかあさん、六人のきょうだいにしっかりまもられていたんだ、としみじみとします。

★ あんつあ(長兄)が下の二人を寿司屋さんに連れて言ってくれて、弟と私は腹いっぱい食べまくったことがある。寿司屋さんが急いでご飯を炊いていたのを覚えています。

山形にきたばかりのころ、自転車の後ろに乗せて市内を案内してくれました。

このころはまだ私達が小さかったこともあり、家族きょうだいの絆があったな。

その後一番上の兄一家とは疎遠になりました。

★ 私は四女で姉3人にはよく面倒見てもらいました。

今でもお世話になっております。

★ えい子ねえちゃんは今は横浜で、娘の恵ちゃんの治療院の手伝いと

週一理容師もやってます。とても健康で元気です。

小学校の低学年のとき、登校途中に弁当の箸を一本落としてしまい昇降口で泣きそうになっていたら、えい子ねえちゃんが自分の箸の一本を私にくれて、二本の箸で食べることができた。あのとき、えい子ねえちゃんは一本箸だったんだとときどき思い出しては気になっています。

★ 次兄の賢ちゃんは、合格した高校に進学できず、私達を育てるために父と上の兄と一緒に大工として働いてくれました。

★ 弟の利明君はあの通り、小さいときからおどけて人前に出るのが好きでした。体格は小さいときそのまま全く変わっていません。

伴侶に恵まれました。なんとか元気にやっていってくれますように。

★ あれこれいろいろとある世の常のことは省略しておきます。

そのこと含めて、ま、いっかと思えるトシになりました。

書きながら、思い出がひとつ二つとよみがえり、懐かしくなんとも言えない気持ちになっています。

★ 実家にあった手紙、葉書、写真、ちゃんと保存して私達で保存しておけばよかったと思います。写真を見ながら父と母にエピソードを聞いておくべきでした。

利明くん、のり子ねえちゃん、えい子ねえちゃん、てい子ねえちゃん、南通りの親戚の姉さんに挟まれて私。小4のころ。

『声を磨く』

毎週水曜日は、🔷読む・書く・話す

コミュニケーション全般がテーマです。

今日は、『声を磨く』ことについてです。

★ ボイス・トレーニングを毎日少しずつしています。

テキストはこちらです。

私、村井裕子先生の『話し方教室』に月一回二年ほど通いました。

通い終えてから、分けて頂いたこのテキストで、声を出すトレーニングをしています。

★ 話し方教室に行こう、と思ったきっかけは、

① 歌手の島倉千代子さんが候の顔で手術なさった後でボイス・トレーニングを受けて、

引っ込み思案だったのが、積極的に変わって、自信をもって人前に出て行けるようになった、

② もうひとつは、

『自分史講座をやろう。そのために人前で話す訓練をしておこう』

と、思ったからでした。

★ 村井先生の教室でびっくりしたのは、

呼吸法とボイス・トレーニングは一部で、

大半が

『なぜ話すのか』

『私は何者なのか』

『生きることの意味と喜び』

について考えることにあてられていたことです。

★ 声は、技術だけのものではないのですね。

★ 毎日テキストとボイス・トレーニングをそれぞれ1~2ページづつ、というつつましい訓練です。

それと、これも教えて頂いて、

腹筋、丹田の鍛錬と、股関節のストレッチも欠かせません。

★ とはいうものの、いざとなると呑まれてしまって、ボイス・トレーニングもどこへやら。

★ 鍛錬の積み重ねと、

もうひとつは、準備 ですね。

何を、なぜ話すのか、それが言葉になるように準備しておくことを心がけるように、なりました。

★ ↑ 今繰り返し読んでいる、

声を出すときの、距離と方向性 のページです。

★ はつらつとしてきますよね、声を磨いていると。

ずっと一生続けようと思っています。

今日は、かず子さんに情報発信のあれこれを教えてもらい泣きに行って来ました。

『ポスター、カードの力は偉大』

毎週火曜日は、🔷自分史をつくろうー今、未来に向かって

このブログのメインテーマです。

今日は、

『ポスター、カードの力は偉大』

であることについてです。

★ ポスターを作って、貼りました。

なかなかいい感じです。

2024年迄のイメージです。

台所のガス台の壁です。

ここなら、よく目に触れて、心にぐいっと入って来ます。

★ カードも作りました。

手帳、エプロンのポケットに入れていつでも、見たり、手で触ったりできます。

★ ついでにもう一枚。

これも台所の配膳台=洗濯機のある壁に貼って、お膳を整えるときいつも見えるようにします。

フラストでつい、疲れてコントロール機能が低下したときに助けてくれます。

★ 何を今さら、ポスター!?

教室の壁に貼ってありましたよね。

当時はあまりピンと来ないのも少なからずでした。

★ ところがどうでしょう!

自分が本気でやろう、身に付けようとしてると、

これがキクのです。

本気モードにさせてくれます。

★ うかうかしていたらすぐ忘れて流されてしまいます。

★ かけ算九九、漢字書き取り、英語のスペル、何度も何度も繰り返しました。

そう、あれと同じです。

★ 「何度も繰り返すことの妙味」につきましては、またお伝えしましょう。

★ ポスターとカード簡単で楽しくなる、

成長しようとするときのひとつのワザとして、

いかがでしょうか?

My little garden はindoor に引っ越し中です。

『13才で知りたかった』

毎週月曜日は、🔷小さなビジネスを始める に当たってのあれこれです。

今日は、“この本にワクワク!” です。

東京にいる息子が送ってくれました。

★ 始めようとしている、『しうこばーばの自分史講座ー今、未来に向かって』必読本です。

実践内容は、もちろん、はるかに先を行っています。

この内容の教育を共にしている麹町中学校の生徒さん、なんてラッキーなんでしょう!

13才で知りたかった!です。

★ 13才、それは私にとって転機の年でした。

・ 一学年2クラス100人の学校から、8~10クラスの県庁所在地の学校に転校しました。

その時のすさまじい違和感は、『疎外』というものであったことを、後になって知りました。

・ 引っ越しのさなかに、生理が始まりました。

・ 60年安保闘争、三井三池闘争、以後、高度経済成長に向かってまっしぐらとなりました。

・ 何をどう考えて、どうしたらよいのか、暗中模索が始まりました。

★ もし13才で教えてもらっていたら!と思っても仕方ありません。

60年かかってたどり着けたことを祝福して、

内に蓄積されたものを、一歩一歩出して表現しようとしています。

★ この本の中からひとつだけあげますね。

『ゼロから価値を生み出す力』

『問題発見力と問題解決力』

そうそう、そうなんだ、私がやって来たことと、やろうとしていることは!

★ 孫姫には、回りの状況に左右されず、自分自身を維持して生きていけるように、

自営業感覚と技術とコミュニケーション力を身につけて欲しい、

ババのたどり着いたところからスタートしてほしい。

★ これから必要な力は、一言で言うと、

フリーランスでやっていける力、起業して自営できる力、

『起業や転職ができる力』と先生は仰っています。

★ AI を取り込んだ授業もあり学習スピードが大幅に短縮されているそうです。

なんか宇宙人のような気がしますけれど、そういう若い人たちのせめて気だけでもちょこっと吸ってみたいです。

(ごめんなさい) こういうことが、公立の学校でできることについては、考えさせられます。

『夜10時に寝られない』

毎週日曜日は、🔷素敵にエイジング、

トシを重ねることについて、ビギナーババからのあれこれです。

今日は、“寝られないときは・・・”です。

☆ 夜10時過には寝て、

10ー2時の細胞再生時間は、身体をしっかり休ませて、

朝は5~6時には起きて、

11時迄には、主な仕事が片付いて、

午後は、余裕で細々とした雑用を

と もくろんで、決心したものの

・これが、意外と難しい!

トレーニング・ノートになかなか、ごほうびの◎がつきません。

★『今年は歯が一本も悪くなりませんでした。こういうことが、

本当の進歩なんです』

我が師がある時おっしゃったこの言葉を、毎日思い出す。

☆ 昨日は寝る前に、ちょっと瞑想をしたのが運の尽き、寝そらけて寝ることができません。

脚の疲れが取れてないのは、

たい焼きのパートが休みだったので、足湯をしなかったからだな。そういえばけっこう自転車こいだし。

・ええい、と思いきって下に降りて

足湯をじっくり、いつもの足と脚の手入れもゆっくりと。

・腹式呼吸をゆっくりして

なんとか眠りにつきまして、

でも、6時過前後には、就寝時間にかかわらず、目が覚めます。

☆ 近年、なんか寝られなくなるときがあります、トシのせいみたいです。

で、気をつけていることは、

・ カフェインは極力避ける。出されても、朝のみ。

といいつつココア大好き。ココアってどれくらいカフェインがあるんだろうか?

・ 玉ねぎを夕飯に食べる。カレーを食べるとぐっすり眠れることがある。

・カモミールは、大好きだけれど、自家栽培のは利尿作用が強くてお昼迄。

・イワタケがいいというので、だいぶまえに貰ったのをお茶にしてみた、けれど効果ははっきりしていない。

・ 足湯したら暖まっているうちにすぐ寝る

・ 夜は、パソコン、スマホにさわらない← これも難しい!

☆ 睡眠不足できない凡人の私、

不足すると、身体がきっちりその分昼間に取り返します。

☆ 夜10時にはなんとしても寝なければならぬ、

と、自分にシバリをかけすぎているかも・・・

不足した分、昼間取り返すお利口なお身体さん、

なるべく10時に寝るのはどうかしら?

ぐらいにしておきますか。

庭の白菊には ハチがいっぱい群れています。菊の香りもいいですね、枕元において寝てみましょう。

『土曜の朝は、ホリデー気分』

🔶土曜の朝は、ホリデー気分

で、今日も気分で、今しがた、昨日の分のブログを書いて投稿したところです。

WordPress との格闘が続いております。

☆ “weekend sunshine ”では、最後に、Richard Thompson が何曲もかかりました。

今年70才、ロンドンでセレブレーション・コンサートがあったそうです。

生きているうちに、LIVE に行けますように(祈)

☆ 昨夜パートのたい焼きやから帰って来たら、文化ホールの駐車場が賑やかです。

でかくてゴツいツアー・トラックが三台。横浜と品川ナンバーです。(必ずナンバー見るんです)

ちょっと見えないですよね、

クレージー・ケン・バンドのコンサートだったんです。

道路に大型バスがやって来ました。

“団体で見に来ているんですか?”

運転手さん“スタッフですよ、もう一台来ます。50人くらいね、あれだけのもの、運ぶんだから”

そうなんだ!人手かかるんですねえ!

☆↑ 今日のおめざでした。麦茶を濃く出したのと、定番、村田ナホ先生直伝 バチバチ豆です。

バチバチ豆、ゴボウ、ニンジン、ニンニク、生姜は、フード・プロセッサーで。

味、生命力はどうでしょうね?

「ミンチにかけた味噌は旨くない」(清水平で日向のおばさん)

動力を使わないで栽培、調整した玄米、最高に美味しかったな

など 脳裡に去来しつつもラクしました。

☆ ↑ こちらはお昼です。玄米のバジルソースからめ、割り干し大根の煮付け、大根と紫蘇の実、ラッキョウです。

こんな風に慎ましく落ち着いて頂けば、体重が増えすぎることもないのですけど・・・ね。

やぶ田さんの大根を頂いたので、皮としっぽは、生姜といっしょにオリゴ糖につけました。

台所大事こそは、一番のリクリエイションなんです。

☆ インパチェンス、今年はどうかな?と見ていたら、大盛り上がりに勢いづいてます。

インパチェンスも秋の花なのですね。

My little garden  あと20日もすればすっかり冬仕舞いです。

ヘブンリーブルーは、今朝は60以上でした。来年は芯の止め方 ちゃんとしてみようと思っています。

『直面している課題の数々』

毎週金曜日のテーマは、🔷政治は身近・気軽に政治

苦手、と言っていられなくなった政治のことアレンジです。

今日は、『今 直面している課題の数々』の整理をしてみます。

★ 実は私、「市民の風とかち」というミニ政治団体の共同代表をしています。

↑ こちらが名刺です。新版準備中です。

キャッチ・コピーは、「ふつうの市民と立憲野党は心ひとつに」ぐらいがいいのでは?と私は思っています。

“ふつうの市民と立憲野党がひとつになって、まともな政治を取り戻そう!何よりも、戦争をさせない!ために”

この思いで、振り返れば無我夢中でまもなく二年になろうとしています。

日本史上初のアクションなのですから、

自分達で思っている以上に、実は頑張っているのかもしれません。

★ それでこの夏から、態勢を整える作業を始めておりまして、私が事務局長を仰せつかりました。

 トシを感じる回りきらない頭で、

それでも、マネジメント、となると自動的に心身動くものありで、

形を整えて、仕事をやりやすくしていこうとしているわけです。

その仕事を整理してみますね。

⚫は、担当私です。

① まずは、⚫趣旨、理念を再確認して

言葉にして共有する作業。

これは、新リーフレットをつくるプロセスで出来上がってくるでしょう。

② ⚫郵便振替口座の取得

申請はしたのですけど、

規約・会員リスト・活動記録を出して下さい、とのことで、

“会員リスト?何故!”とか要交渉。

この機会に記録の整理も。

③ ⚫コミュニケーション原則を明示する作業

立憲主義がどうのこうのと標榜しているにもかかわらず、

私達、話し合いの経験も、トレーニングの機会も殆どないんですよね。

そこを乗りこえようとするチャレンジです。

ここまでが基礎工事です。

次は、いよいよ具体的なアクション計画です。

④ イベントを張る

イベントをやると、大変なのですけど、大いにパワーアップするわけです。

ま、「市民の風とかち」の発表会 というところです。

・ 政治家とのタウン・ミーティング  交渉始めてます

・仮称・“しゃべり場”

地元人に講師をお願いして、少人数でも頻発。

⚫第一回は、

『T先生に聞く 軍備と武器のリアル』

・12月7日 佐々木寛先生(市民連合@新潟共同代表 政治学・平和学)講演会

(⚫講演会の前に佐々木先生に、ファシリテーション・ワークショップをやっていただきます。これは、入れ込んでやります!)

以上、完成して、イベントページとフライヤーができたら、

➄ ニュースレターを発行しまして、会員+αに送るか、手渡します。

→ ⚫会員を1人2人と増やしていきます。

ここまで年内に11月半ば迄にメドがつくでしょう。

⚫・スケジュール化 ⚫・マニュアル化←記録 各種リストの整備 ⚫・記録の整備

あともうひとつ、どうしてもやりたいことは、

⚫ “必携!マイリスト”を作って配って共通アイテムとすること。

これは、『私は何票持っているか可視化プロジェクト』です。

ふうう・・・

段取り九分、段取り組めば、大丈夫

チームメートを信頼しているから、大丈夫!

そうなんです、

皆の力が出やすくなるように『場を作る』となると

いそいそと、意思と無関係なところで自動的に動き出してしまうんです。

この本含めて、本をネタにしての読書会 は来年に。
生物的にイヤだに+知らないことが多すぎます。
紅葉が進んでいきます。





『父のこと』

毎週木曜日は、🔷子供らに寄せて

今日は、私達のお父さん、つまりおじいちゃんのことを話しておきます。

二人とも、じいちゃん、ばあちゃんのことは覚えていないよね。

信州の清水平からこっちに来るとき、一晩か二晩実家に寄った。

ぬいぐるみやいろいろとものをくれた。

ここに引っ越すとき、3.11の直後でパニック状態で、捨ててしまった。一つだけでも残しておけばよかった。捨て過ぎた。

その前兄者が小さい時に帰ったとき、喜んで風呂に入れてくれた。

・父は、今の村山市富並、当時は富並村の生まれで、阿曽家から母のところに婿入りしたのだ。

自転車で山方から大石田まで云ったとき、富並を通った。夢のように美しい村だった。

・父は、姉の夫に弟子入りして建築大工になった。

師匠のなくなるときは、何度も家と師匠の家を往復していた。

思い出すままに書き留めておきます。

・花が好きだった。芙蓉は、父が苗木を背負って来てそれで覚えた。

ダリアの球根を背負って帰って来たこともある。家の裏に大小何種類かのダリアが植えてあった。

とかちむら にて

・1960年に山形市に引っ越す迄は、家にはほとんどいなくて、上の兄二人と一緒にずっと出稼ぎに出ていた。

下の子どもたち4,5人を食べさせるためである。

・帰ってくる前は、大掃除である。

「ほれ、きれいにしないとごしゃがれっから(怒られるから)」と、母は子どもたちを急かした。

私は父は恐いものだと母に刷り込まれてしまった。損した。

・ 今、久しぶりに思い出したことがある。

小学校に入る前か、一年生のころ、お盆の時だったと思う。

出稼ぎから帰ってくる時のおみやげの、だったかな、漫画の本を父埜おねだりして膝枕で読んでもらっているうちに寝てしまった。数日後同じ漫画をまたおねだりしてまた父の膝枕で寝てしまった。

この膝枕の心地よさ、今も覚えている。心地よさの一生にわたる記憶です。とても大事にしている。

このブログのおかげで思い出しました。

あといくつか今日は書いておきます。

・父が帰ってくるとなると、ビー玉は目に触れないように隠すのだった。子どもが飲みこんだら大変なので、家においてはならないものだったのだ。

サル、という言葉も縁起が悪いので、父の前では禁句だった。

・上の姉は、父に怒られて雪の中にほおりだされていた。私は、そういえば怒られた覚えがない。

・フリーランスの大工だった父、一体どうやって仕事をゲットしていたのだろうか?

・ (世間、人間というものは)生き馬の目を抜く、といってたな。

・歴史的建造物の大石田小学校と、斎藤茂吉が大石田に疎開していたときに済んだ??庵には、棟梁のひとりとして記されている。

名前は、荒木新吾です。明治39年1月11日生まれ、92か、3で天国に返った。

・よく夫婦喧嘩をしていた。一度父は土間との間の障子を約4枚、踏んだり蹴ったりしてぶち壊した。

弟と二人、震えて見ていた。

隣の引田さんが、まあまあと仲裁に来てくれた、声を聞き付けて。そんな時代だった。

寝て起きると、父はかんなをかけて障子を治していた。かんなくずが回りに散らばっていた。

(我が家にはいつもかんなくずがあった)

父は建築大工の前に、建具も習ったのでお手のものだっのだ。

母は囲炉裏で、たしかさつまいもを煮ていて、食うか?と私にきいた。

私は、『子どもの前では、絶対に夫婦喧嘩をしない!』と固く心に決めた。

喧嘩の原因はすべてお前たちのことだ、と母が言ってたな。

・ でも、父は母に手をあげることはなく、出されたご飯に文句をつけることもなかった。

我が家では、女のくせに、という言葉を、私は聞いたことがない。

そろそろ今日は終わりです。

家にいてやりたい放題だったころは、

父を尊敬などできるものではなく、うざい、ださい、トンチンカン、偏屈、アホらしいと、一顧だにしなかったものだ。

ある時、美輪明宏さんともう一方(名前度忘れ)の番組を見ていたとき、ふっと、

今は亡き父と母が語らなかったこと、言葉にならなかったことがどれくらいあったのだろうか?

とこみあげて来るものがあった。

今では、ありがとうと、父直筆の荷札と封筒をお守りにと財布に入れている。

歌が好きで民謡コンテストに出たとき、三橋美智也が審査員だったと言っていた。

建前のとき飾る建前用の絵も描いたそうだ。大石田の家の壁にあったと思う。

大石田に行くことがあったら、町長の健一くんに、当時の建前の絵のこともきいてみよう。

お父さんとお母さん。利明くんが送ってくれました。

『山本太郎さんは、人と時間を大切にして集中している』

毎週水曜日は、🔷読む・書く・話す

今日は、9月27日に帯広に来た 山本太郎さんのパフォーマンスに学んだことをお話しますね。

You tube でいつも見ていても、ナマはやっぱり全然違います。

★ 今、この時に集中している。そらさない。

★ 謙虚と自信がひとつになっている。たじろぐことがない。

体幹、丹田鍛えてます。

★ ひとりひとりを大切にする

★ ツーショット写真の長蛇の列に、ミーハーな私も並びました。

その写真がこちら。

並んでいるとき、なかなか列が進みません。

それもそのはず、

まず握手、そして一言お話して、名刺を渡しているのです。

機械的にこなすだけ、ではまったくないのでした。

★ 翌日は、ポスター貼りでした。

れいわ新選組のポスターを、一軒一軒歩いて貼ってくれるところを探し当てるのです。

・ そのマニュアルとシステムが、完璧!なのです。

ただまわって時間が過ぎればいい、ってものではないのです。

この時間と労力と気働きを、少しも無駄にせず、

有効にすべく、

微に入り細にわたりシステムをつくってあるのです。

これにはほとほと感心しました。

信じられる、と思いました。

『ことの成否を決めるのは、微調整です』

と師に教わった言葉を思い出しながら歩きました。

・ 飛び込み営業って勇気要りますよね。

インストラクターの若い人がとても丁寧で、

「時間あるときに三軒とか、気張らないで」ぼちぼちやりましょう。

年内にも衆院選か、という情勢ですけど、

急がば回れ、ですよね。

・ 初めてお会いする方に、イエスかノーか答えを強制してしまうことになる言葉を、最初に出さないで、

と、ほんとに優しく導いてくれます。

★ ポスター貼りに太郎さんは参加しませんでした。でもトップの気配が漂っています。

会社、団体、グループは、まずトップ、っていいますものね。

★ すぐまわりにのまれておろおろしてしまい、

人にもつい斜めにかまえちゃったりするこの私、

こんなエネルギーのロス、やめることができそうな気がしました。

★ 今この時、目の前の人にこころから集中するナマの太郎さんに会えて、幸運でした。

それは、私ひとりではなかったのです。

プラカードの字は私が書きました。れいわだんだらは会場内で入れました。

『心のガーデニング』

毎週火曜日は、

🔷自分史をつくろうー今、未来に向かって

このブログの、メイン・テーマです。

今日は、“心のガーデニングをしませんか?”

というおさそいです。

★ 私が、“心のガーデニング”という言葉がひらめいたのは、

この本を読んでいたときです。

(直しかた、近々教えてもらいにいきます。ごめんなさい)

サラ・バン・ブラナックの『シンプルな豊かさ』

私のバイブルのひとつです。

ファンレターを出してご返事を頂きました。

花と庭の大好きなサラ、

『苗を植えたり、雑草を抜いたりしているときの無心な没頭、私が経験する神秘的な現在の瞬間は、たとえようもない満足感をもたらすのです。

私の精神は鎮められ、心は広がります。』

★ そうなんですよね。

土と植物、見ているだけで、さわっていると、心もからだもすーっと爽やかになっていきます。

手入れが一通り済んで、小さな庭を見渡すときは、なんともいえない心地よさに満たされます。

★ こちらは、私が本格的に『自分を変えよう!変えなくちゃ!』

と思うようになった最初のきっかけとなった

大切な一冊です。

(すみません)

ルイーズ・ヘイの『ライフ・ヒーリング』です。

1997.3.30とあります。手元に来てくれた日です。

“Shiuko A, あなたは素敵、大好きよ

今日もまた人生の中で最高の1日

あなたのこの上ない幸せのために

知る必要があれば示され

必要なものは手に入る

なにもかもうまくいってるわ”

どうでしょう、この言葉は?

ルイーズを自分の名前におきかえたんです。

うわ、恥ずかしい!わざとらしい!

が私の反応でした。

でも何かある!、と感じて毎日、ことあるごとに繰り返すようになりました。

私の、“心のガーデニング”の本格的な開始の出来事のひとつです。

今では、鏡の前でにっこり笑って、自分に声をかけてウインクすることもできるようになったんですよ。

『知る必要があれば示され』

これは、本当に実感の連続です。

『必要なものは手に入る』

これは、① 小さな恵みに一つ一つありがとうするようになりました。

② あと一歩二歩三歩。その一歩が、『しうこばーばの自分史講座』を始めることです。

My little garden 集合写真です。

★ 大分前から、整理収納のワークショップが盛んになっています。

心も片付けて整理整頓、

“心のガーデニング”はいかがでしょうか?

よくわからない、混乱しているところも大切にしましょう。

時のちからでかぐわしく発酵してくるのを待ちましょう。

ヘブンリーブルーの花の数を数えるのが、この季節の朝の喜びです。やっているのは水と光合成菌と発酵させた米糠水です。