『健康の家』

793/10000 2021 07 08
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

日ごとに急変するかに見える時代です。
どんな時代になっても変わらないであろうことを 子どもたちに伝えたい。
それをこの図に沿ってメモ書きしていきます。

人生の中身を表にしました

きょうは、健康の2回目です。
ここにちょっと重宝な絵があります。❝健康の家❞です。
このブログでは、初公開になります。

この図ができたのは、今から20年前、札幌まで
山本真吉博士の総合栄養療法の講座に通っていたときです。山本博士は総合栄養療法の隠れ権威でいらっしゃいました。

① 生活習慣、睡眠・ご飯・エクササイズとリラックス
病気や怪我をしたら治療を受けなければなりません。
この4つは、健康の基礎の基礎の25%に過ぎません。

あとの75%は何でしょう?
それは、心、気の持ちようなのです。
前向きな気持ちが大切なんですね。感謝の気持ちも大切です。
ただでできることが75%を占める、とはすごくないですか?
でも知らず知らずに自己満足にならないとも限りませんから
この辺は要注意ですね。

③ 生活習慣と治療と気の持ちよう、その上の
細胞を積極的につくる
ミトコンドリアのエネルギー生成能力の低下を防ぐは、
補助食品の分野になります。

補助食品なんて絶対に摂ってなるもんか、
とかたくなに思い込んでいました。
それが取り始めてかれこれ25年になります。
山本博士に基礎の基礎を教えてもらいました。

④ 基礎の上、家の中は、
整理整頓、ハーブの香り、植物のマイナス・イオンなどで整えて
自立神経の安定につとめましょう。
(只今引っ越しに備えることもあって荷物の大整理敢行中です)

⑤ 家の中の部品が壊れたら、それに応じて対症療法を施します。

以上、健康の家の説明でした。
では、次回からそれぞれの項目について
私なりの基本をざっとメモしていきます。

みごとなヒソップ @アサヒ湯さん向かいの舗道の植え込み


『なるべくすこやかでいるために』

786/10000 2021 07 01
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。


『子どもたちがスクスクのびのび育つこと
いのちを次に世代につないでいくこと』
これ以外の願いと望みはない、といっていいくらいです。


次に世代に伝えたいことを下の図を見ながらメモしていきます。


今日のテーマは、健康です。

 マクロビオティックを通じて食養に出会ったのはかれこれ50年前のことです。それ以来、健康は私のメインテーマの一つになりました。
家庭でできる自然療法を学び、息子ふたりは殆ど医者に行かず台所にあるものでなおしました。
思い出すのは失敗ばかりです。でも食べ物と自然療法の基礎を学んでおいて、本当によかったと思っています。
いまだに食べ過ぎる癖を直したいと格闘が続いています。なかなか100%健康って難しいですね。


健康のこと その① 基本的な心構えの1
 『健康が〇で病気は✖ ということはない。
  健康も病気も生命現象としては同じものである』


 このことを聞いたのは、山本真吉博士の総合栄養療法の講座ででした。
 私がこれまでに聞いた健康に関する情報で、最も心に迫ってきた言葉です。
 もっと詳しく知りたいと思っているうちに山本先生はお亡くなりになりました。

 この言葉に接したとき、私は大きな解放感に包まれました。
健康でなくてもいいのだ!と。
 私なりに解釈しますと、
 健康なときは健康に感謝して
 『 疲れた時、病気に見舞われた時には、養生して病から学び、
 次には気をつけて少しづつでも賢くなっていけばよいのだ。』
 これが、それほど簡単でないことはご存じの通りです。


 私が息子たちを育てている頃は、
 食品添加物、化学農薬、除草剤、大気汚染に気をつけていればよかったのに、
 今ではPCB、フクシマの放射能、電磁波、遺伝子操作作物、大陸からの汚染気流と
 目を覆わんばかりの汚染状況です。

一方で、その汚染物質を排出するなすすべも情報はあります。それぞれの生命カン
 選択することになります。

 どんなに気をつけていてもどうにもどうにもならない場合も少なくありません。
不治の病、難病、事故などなど、
私の先生方、友達、知り合いのことを思い出すと言葉になりません。
 健康でいられるのはたまたまで、先に亡くなった方々に生かされているのだ、
そんな気になります。

 健康をつくっている75%は、気の持ちようである、とのことです。
 信頼関係があって、感謝することができること、大切ですね。
でも一方では、憎まれっ子 世に憚り
 のうのうと長生きなさる方もいらっしゃいますので
 ことはそれほど単純ではありません。

いずれにせよ、
 100%健康でなければならない、
 と思いこんで自分を追い詰めたら辛いですよね。
 疲れた時、調子の出ないとき、身体が動かないとき、病気の時には
 なるべく呼吸を深くしてなるべくまったり養生できるといいのですけれど、
 痛かったり辛かったらそれどころでなく、
 もうただ過ぎるのを待つのみですものね。
通り過ぎてくれたら、ちょっとは賢くなってるかな?
 喉元過ぎれば熱さは忘れちゃいますよね。

今思い出しました、
私の食養の先生の佐々井譲さんが仰っていたことを。
 『若いときはなんでも治るとイケイケだった。
  今では恐くて若いときのようにはとてもできない』と。

 健康100%を目的にはせず
 健康でいられるときには健康に感謝して
調子がよくないときにはなるべくまったり回復を待つ
 そんなところでしょうか?

優しい薄紫の、名前、忘れました、ほっとします。

『学ばなければ、ヤラレてしまう』

779/10000 2021 06 24
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

今日は、子どもたちに伝えたいことのメモ書きで
『 学ぶことは大切~その②
❝学ばなければヤラレてしまう❞
』ことについて、思いつくままにメモします。



どうでしょう、同じ生きるなら、
のびのびとイキイキと生きて行きたい!と思いませんか?
どうせこんなもの、と引っ込んでしまうのは、いかがなもんでしょうか。


最近❝武器としての・・・❞とついた本を目にするようになりました。
❝武器❞ とは穏やかではありません.。

目の前にいる相手があなたを殺そうとしていたらあなたはどうしますか?
精神的に、の場合もあります。


生命の危険にさらされたらやり返さなければなりません。
そのとき相手よりも賢く立ち回るためには
相手より『知っている』必要があります。
そのとき過去に学んだ実績は❝ 武器❞となります。

相手と同じ土俵に立ってはならない、
相手の土俵に引き摺り込まれてはならないからです。

『 相手のペースを完全に超えることだ』

知識だけでは足りません。
知恵も必要です。

『認識とカンは、相補うものである』
学ぶことが必須です。身体全体で感じ取ることも同じくです。

もっとも大切なことは、
自身の思いとアイディアを言葉にして出すことです。

このところ、その言葉を発するレベルが絶望的に違い過ぎるシーンをいやでも目にします。
この問題をどうすればいいのか?このことがこの国の一つの大きな課題となっています。

しかしながら、ときには逃げることも❝武器❞のひとつになります。
そういう場に身を置かない判断も有効です、でもそうはいっていられないときもあります。
その判断は、蓄積された経験と学びから発する その時に応じたカンによります。

トリセツを読めるだけで間に合うでしょうか?

答えを自分たちで見つけていかなければならない今とこれからの時代
地球と人類が調和を取り戻して 生命を持続可能にしていくための
新しい発想と解決策もどんどん出てきています。
古典がシンプルに道を示してくれることもあります。


どうでしょう?
同じ生きるならイキイキノビノビと生きていたいなら
学ぶことは ❝武器❞ になるのではないでしょうか?




花たわわ、ウツギだと思います。


『学ぶことは大切 その①』

772/10000 2021 06 17
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

この表を見ながら思いつくままに書きます。
今日は、学ぶことは大切 その①です。


生きていることの中身です。思いついたら随時書き換えます。


なんで勉強するの?
こんなこと考えたことも教えられたこともなかった。成り行きでやらなくてはならないことになっているからやらなくてはいけないことだった。
 勉強はどちらかというと好きだったけれど、『なんで勉強するのか』がなんで教えられなかったんだろうか?

 それを始めて何となく感じたのは1968~70年の大学闘争の時代、キャンパスに連日繰り広げられていたジグザクデモを見ながら、(私は活動家ではなかった)『いったいこれはなんなんだ?』という問いが湧いて来たときだった。このデモの一番の本質の意味は何なのだろうか?
それが知りたくてここまで来た47年だった。2015年夏安保法制反対行動の年である。



★ 『せめて日本と世界の主な古典だけでも読んでおくべきであった。
せめて英語だけでも読み書き話すことができるようにしておくべきであった。』とつくづく思う。
 それができた上でアップデイトな知見を取捨選択しつつ読むことができていたら、と日が西に傾いてきて、目がショボショボになって読書に労力を要するようになってから実感している。ま、できるところまでやってみよう、『チボー家の人々』も『戦争と平和』も読んだし、と自分を励ます。

★ なぜ学ぶのか?
 思いつくままにメモすると、
 ① 生物的な理由
   生まれつき好きだから 面白いから  
   認識の喜び 脳に新しいシナプスが結ばれる快感

② からは来週に続きます。
学ぶことで武器を手にする、ほかです。

アマの花です。@郵便局の植え込み。

『イノリについて』

758/10000 2021 06 03

毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

この図の中から、今日はイノリについてアトランダムにメモ書きします。
この図は生きることの中身を書いてみたものです。

★ 私は、言われなくても仏壇の前で祈る子どもだった。
初物、頂き物は、まず仏壇にお供えしてから人間が頂けるのであった。
近年ようやくそれが私の中で復活できた。ほっとしている。

 正月過ぎ 大工祝の日には餅をついて 大工の神様である聖徳太子の掛図をかけた。
建前の日には無事に済むように梅干を食べて現場に出かけた。
主婦である母の最重要の仕事は民俗年中行事をつつがなく執り行うことだった。
 正月、小正月、大工祝い、節分、春の彼岸、3月節句、五月節句、七夕、お盆、ここに金平様のお祭りが入る、秋の彼岸、・・・冬至、大黒祝、正月準備、私が今思い出せるのはこれくらいだ。彼岸と金平様以外は月歴に拠っていた。家族の誕生日には豆を炒ってお供えした残りを一升升から分け合って食べた。
 『太平洋戦争が終わるまでは、ばあちゃんに教わった通りに毎年同じことをしていればよかった』と母は言っていた。ここにクリスマスが入ってくる。お菓子屋さんに大きなケーキが飾られて、ケーキを食べる日だった。母はなかなか買ってくれなかった。

 要するに、人間は二の次、神様ファーストだったのだ。
 言葉にしなくても十分だった。それがあたり前だったのだ。アミニズム、というのだろうか。

★ 1960年に県庁所在地に引っ越してからは、年中行事の生活の中に占めるウェイトは低くなっていった。母は心の中の寂しさをどのように感じていたのだろうか?私もそれどころではなくなった、別に私が年中行事をやっていたわけではないけれど。

★ これは私の自分史でも、私の一家でも最重要の出来事、それは上の息子が生後一か月で死にかけた時、私はどうやって電話したのだろうか、公衆電話からか、
3人の先生方が、寝ないで祈って下さったのだ。おかげさまで今年の10月には44歳になる。

★ イノリの時は欠かせなくなってきた。朝イチで神棚兼仏壇にお茶を上げて蠟燭をともして手を合わせるとほっとする。昨日の無事にありがとうして今日の無事をお願いする。
 黄泉に還った大切な懐かしい人を思うとき、その人の魂がそっと寄り添ってくれる。写真が増えていく。
殊更に祈らなくても 炊事、洗濯、掃除、ビジネスの課題の仕事一つ一つがイノリとなっている清々しい暮らしに憧れているのである、でもちょっとそれどころでないときが多くて、朝の一分は大切な時間だけでも。

★ 『結局はイノリなのです』とわが師に教えて頂いた。それが有効である体験に恵まれたことを思い出すと 頭が下がる。

花は白が一番、とわが師は仰っておられた。

『子どもたちに伝えたいこと』

751/10000 2021 05 27
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

今日はその前書きです。

『子どもらに寄せて』
この題名は、ゲーリー・スナイダーの詩集『亀の島』の中の一篇より拝借しています。
この詩集はピューリッツアー賞を受賞しています。

原書初版は1969年、この英語・日本語版は1991 年 山口書店刊です。


“ FOR THE CHILDREN ”  ↑ 上記版では、『 こどもたちよ 』と変わっています。日本語ははうちの息子たちの父ちゃんのナナオです。


子供たちよ

みんなの前に 立ちはだかる
統計という名の
せりあがる丘 のびあがる斜面
何もかも ひたすら登る けわしい道
ほんとは
みんな 落ちるしかないのに

次の世紀
さらに その次の世紀でも
噂では 谷あり 牧場あろ
ーもし うまくゆくならー
そこで みんな 平和に集えるそうな

迫りくる 峰また峰を越える
君に 君の子どもたちに
ひとこと

離ればなれにならず
     花々を学び
よそおい軽く 進みたまえ


ゲーリーがこの詩を出版してから50年以上になる。
この国では今日も 東京都内でオリンピックのパブリック・ビューイングのために
公園の木が切られようとしているし、列島全体にわたって 太陽光発電版がはびこり 風力発電の計画が山々を直撃中である。これはほんの一例だ。どうしてこんなに自滅しようとするのだろうか? 『みんな 落ちるしかないのに』


一方では、
畑を耕し、田んぼをつくり、山菜を摘み、薪を割る暮らしをする人々が
列島中に棲息している。
子育てコミュニティができて、
無料食堂の地域社会運動に精を出し、
歌と踊りと祈りの祭りも❝自然発生的に❞あちこちで開催されている。
地産地消、旬の美味しい食べ物ネットワークも活発だ。

『離ればなれにならず 花々を学び よそおい軽く』
をこころがけつつ、現場では奮闘が続く。


今人間社会は 100年単位の根底からの揺さぶりをかけられている、
人類の存亡を賭けた揺さぶりである。存続が可能か、自滅に任せる他ないのか?
答えは私たちが見つけていかなければならない。
withコロナの今も、コロナが過ぎたその後の時代も、歴史の大河の中で、きっと何世代にもわたる作業になるだろう。


いのちをつないでいくことができるように、
 これは一度この世に生を受けたオヤ、
 とりわけ母親の生物としての本能です。
これはわかちあいたいとカンじられることを、
手元足元から出発して
ふだんの言葉で
メモ書きしていきます。

このブログ2年を超えて 気持ちを新たに再出発します。
あなたの思い、アイディアをお寄せくださいませ。
ごいっしょに答えを見つける作業をしていきましょう。






これから5か月で一生をおえるキュウリ2本とツルムラサキです。芽を出し伸びて蕾をつけ花が咲き実がなる、
目の当たりにしていると本当に生きる喜びが湧いてきてうれしくてたまりません。

『子育ては理想通りには行かないもの』

745/10000 2021 05 20
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方 のうち

今日は②で、ハチャメチャだった子育てを振り返ります。
前にも書いたことがあるようなきがしますけど。


★ 子育てで思い出すのは、失敗ばかりである。
 ・生まれて一か月、90%ダメです、と病院で宣告された →助けて頂いた
 ・2人とも大アトピーに →気を入れて集中して数ヶ月でなおした
 ・二重窓を閉めての親子喧嘩 刃物は投げないように配慮した
 ・自分の思いを押し付けていた、管理しようとしていた
 ・イチイチ欠点をあげつらった→❝追い詰めてはいかん、逃げ道を取っておくものだ❞
                と父ちゃんにいさめられた。



 これはいやだと感じていたことを、子育てとなると、逐一そのまま実行していた。
やれやれ。
 母は口を開けば常にごしゃぐ=怒る(山形弁)ので、いつもびくびくしていた。私はゼッタイこうはならないと決心していたまではよかったが、いざ本番となると母ソックリだった。
 話し合いのない家がイヤで、家庭を持ったらゼッタイなんでも話し合うようにしようと、思っていたけれど、それどころではなかった。
 子どもと同じ目の高さでちゃんと向き合って話を聴いた覚えもない。

 生活に余裕がなかったのと、ノウハウとトレーニングの経験がなかったのだ。潜在的に願ってはいたものの。悪気はなかったんですけどね、私なりに必死だったのだろう。



★ ところが、
こどもは、親が言葉にできなくても最も伝えたいことを、
 ちゃんと心の中心で感じ取り受け止めて育つものだ』
という。
 確かに思い当たるフシは数々ある。親としては救われる思いだ。



★ 今、ひとり孫姫は高校2年、体力は今がピーク、こわいものなし。

❝お前はお前の道を行くしかない。
付き合いきれないし疲れて消耗させられている、
でもタッチの差で
何があってもお前を見捨てない、何があってもお前の味方だ、何があってもお前を守る❞

 私が親なら、いきり立つアタマを抑えて、胸で苦虫を踏みつぶしながら、
今ならこんふうに思い願えるかもしれない。

それに、若い人達は、言葉に出さなくても時代の空気を全身に受けている。withコロナの今大人たちもけっこう頑張っているのだから。



★ 時がたてば、笑い話、何事もなかったようにつきあうことができる。
withコロナの今、ハチャメチャだったことがかえって役立ちそうな気もする。
時のチカラを借りて、不思議なことにいまここにこうしていられるのだから。
母は今でも天国からアホ娘を心配して守ろうとしている。

今日は、ハチャメチャだった子育てを振り返って いっとき物思いにふけっていました。

赤いメギノキが花盛り、お祭りのようです。@中央公園。

『形見の品のリスト』

730/10000 2021 05 06
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方
のうち、今日は ②で

私からの形見の品をリスト・アップしてみます。

★ 私のお母さんからもらってきた簪と鼈甲の櫛。桐の箱に入っています。
 由来をきいておくべきでした。

★ 瀬戸物の七輪のおもちゃ。一部欠けています。流しにいつも置いてあります。
 白に紺の縦じまの入った醤油さし。花瓶になっています。
 この二つは物心ついたときから生家にあったものです。

★ 父ちゃん関係
 ・アレンが撮った写真 いつも掛けてあります。
 ・SAVE SHIRAHOの詩の朗読会のポスター 額に入れねば。
 ・詩集
 ・手ぬぐい
 ・アメリカから送ってきたアナサジのカレンダー
 ・帽子

★ 生成りの絹のおくるみと手編みの産着
 由来は今度会ったときに伝えます。

★ 私のお父さんとお母さんの写真 きょうだいの写真は山形から送ってもらうか。
 いつも掛けてあります。サイズを縮小してもいいですね。

★ この2年、毎週木曜日に、◆子どもらに寄せて を書いてきました。
 加筆推敲する時間があればいいですね。編集・印刷して二部つくりましょう。

これくらいでしょうか。中くらいの箱ひとつに収まりますね。

荷物も整理して、終活ノートも記入していきます。
終活ノートはババ友といっしょにわいわいやるのもいいですね。

つつましい形見で、いのちの継続を感じてもらえたらと願っています。

お母さんからもらってきた櫛と簪。醤油さしに七輪です。

『天に還る準備を始める』

709/10000 2021 04 15
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと
② 私の来し方 のうち 今日はどちらでもありません、どちらかというと②になるかな、
天に還る準備を整えてスッキリさせよう、と思い始めたことについてメモします。

2人の息子がわが借家に来るたびに、最初の一言は
「物が多すぎる!捨てろ,捨てろ!誰が片付けると思ってるんだ!」
確かに。

息子たちに迷惑かけたくない、と思い過ぎるのはどうかな?なので、
第一の理由は、
『私自身をシンプルに片づけなおして、新しいスタートを切ろう』
と思ったのです。
この借家も10年たち、引っ越しのムシが蠢き出しており、毎日風呂に入れる家に引っ越す準備でもあります。

息子たちにドヤされても、「老いては子に従え」とか、かなり馬耳東風だったのです。ところが、
この春 思いがけない絶不調に見舞われて(おかげさまで只今ぼちぼち回復中です)
❝人生何がおこるかわからないものだ❞と知らされて
我が人生をシンプルに整え直さねば、と思った次第です。


★ 早速注文しました。
近藤麻理恵さんの『人生がときめく魔法の片づけノート』、
ほんとうに見事な本です。
『しうこばーばの自分史講座』とも共通の感性がいっぱいで、
ひとの気持ちに沿った配慮と微調整への思いやりに感嘆しています。
そうそう、まさに天然の恵みですね。

隙間時間で1~2年がかりで少しづつです、急ぐ気持ちを抑えて。

★ グッド・タイミングで、最新号の『通販生活』に 閉じこみ付録で
『人生決算書のつくり方』がついて来ました。
前にゲットしておいた『エンディング・ノート』と合わせて、
時間をつくって記入していきましょう。

★ ❝自分の空間を片付けて、終活ノートに書きこんで、天に還る準備をしよう❞、
 と心がセットされると、それだけでスッキリしますね。
 1~2年がかりでこつこつ シンプルにしていこうと思いはじめたところです。

春の雨に、ギョウジャニンニクもグイっと伸びてきました。今年は何本食べられるかな・

『「おかあさんのがっこう」さんのインタビューを受けました』

695/10000 2021 04 01
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は,主に②で、
私の子育て失敗エピソード集です。

3月の29日に『おかあさんのがっこう』
木村康子さん(ビューティフルライフ研究会・二級電磁波測定士)と
樽見真樹子さん(アトリエ 樹(いっき)・エイサーサークル美ら風)、

お二方から子育てのインタビューを受けました。
子育ては、私の最大の関心事ですのでホイホイ イソイソと出かけました。

康子さんが早速書き起こしてブログに掲載して下さいました。
とてもよく書いて下さってありがとうございます。

そのブログのアドレスはこちらです。
『みんな違ってみんないい 100人いたら 100通りの子育て』
素敵なプロジェクトですね!。私はちょうど20人目でした。
https://note.com/okaasan100/n/nbe8a3895e9f6?fbclid=IwAR3eEC7Cfh6ryy2ureKpHq8jUgdNiFP6d0sAQ5-3Z98PBsnq3EycplOmA4c

康子さんの書き起こしを転載致します。ご了解を頂いております。
ちょっとムシがよいかも・・コラボ、ということでお願い申します。



★では、お借りします。

二人のお子さんを育てながら、電気、水道、ガスなしの自給自足生活を8年半長野県から十勝に移住して、無農薬野菜の引き売りをされていた荒木しう子さん。マクロビオティックにはまり、食を大切にしながら、家庭で出来るお手当を行い、病院にかからずお子さんを健康に育てあげます。生む、育む、分かち合うこの言葉がしう子さんの人生のキーワード、子育ては失敗ばかり〜と笑いながらも、体験から語られる言葉には沢山の気付きを頂きました。しう子さん、貴重なお話しをありがとうございました!!、


100人いたら100通りの子育て         
№.20 荒木しう子さん

3おかあさんのがっこう魅力プロジェクト“みんな違ってみんなイイ“2021/04/02 11:20

 北海道の十勝地方の三月下旬、雪解けが進み、畑の黒々とした土が現れ、福寿草や蕗の薹がちらほら目に留まるようになりました。日高山脈の残雪と黒土の畑のコンストラストが美しく、シベリアへ渡る直前の白鳥が畑の中で羽を休める姿も十勝ならではの春の風景です。

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今回、取材をさせて頂いたのは荒木しう子さんです。まだお子さんが小さい頃に長野県の山奥で自給自足の暮らしをしていたことを以前お聞きし、ぜひ詳しく聞かせて頂きたいと取材をお願いしました。

この企画は帯広を中心に足寄町、横浜市で活動をする「おかあさんのがっこう」の魅力プロジェクトと題して、100人のお母さんに子育てについて取材させて頂いているものです。おかあさんのがっこうの詳しい活動内容につきましては以下をご覧ください。おかあさんのがっこうおかあさんのがっこう – 「いいね!」489件 · 26人が話題にしています – コミュニティwww.facebook.com


しう子さんのご出身は山形県、大学を卒業後は東京で暮らし、人生に影響を与える人々との出逢いがありました。マクロビオティックをきっかけに「食養」を知り、当時発行されていたマクロビオティックのあらゆる本を読み食養の実践をしてきました。


時代は高度経済成長真っ只中、お金優先ではなく、自然といのちを壊さない生き方を求めて「ミルキーウエイ・キャラバン」に参加、延べ数百人のなかまたちと沖縄から知床半島まで縦断しました。
その後、長野県の山の中の一軒家で電気・ガス・水道なしの暮らしを八年半、その中で二人の息子さんを育てました。
その時の生活の様子がどんな生活だったのかとても興味深く、色々と質問しました。

電気がないので洗濯は洗濯板で手洗い、夜はランプで過ごす。薪を炊いて煮炊きをしたこと、水は沢から汲み上げだったそうです。
その当時の暮らしを一言で言えば「生きていただけ」と笑います。長野の暮らしはしう子さんにとって、ひとつの原点だそうです。消費ばかりをしてきた暮らしから、自ら生み出し、育む生活へのシフト。生むことも、育むことも今までしてこなかった事に衝撃を受けたといいます。山の中での生活は近くの年配の方々に教わって麹をおこして味噌や醤油を作ったり、雑穀を育てたりと、自らの手で生み出し育もうという生活でした。ままごと程度でしたけれどと話されるしう子さんですが、想像をはるかに超えるご経験をされていると感じました。

最初の子育てが長野の山の中で始まり、子育てをしている他の家族が近所にはいなくて、勝手が分からず七転八倒だったといいます。「子育てとそれにご飯を頂くことは社会的なものである」と実感されたそうです。

長男さんを母乳で育てたいと思い母乳育児を実践していましたが、母乳が足りていず栄養失調状態になり命の危険な状態になった時には、病院の先生にはもちろん、寝ずに祈って下さった方がおり、助けて頂いたといいます。


自身の経験から、「妊娠中は絶対に冷やしてはいけない!!!」と話してくださいました。
妊娠中、火照った身体を川の流水で冷やしていたことで、産後も冷えと神経の昂りで母乳に影響を与えていたことから、経験者として、これはぜったいに大切な事と話してくださいました。

長男さんが粉ミルクアレルギーで顔が赤く腫れあがり、周囲からは可愛いと言われず、可哀そうと言われた時期がありました。マクロビオティックの先生に相談したところ、粉ミルクの代わりに玄米ミルクで育つと教わり、10カ月でお肌がつるつるになったそうです。毎日すり鉢で玄米をすって沸かして飲ませて、母乳を出せない分の愛情を注がねばとテンパっていたそうです。

次男さんが赤ちゃんの時には、食べてはいけないと分かってはいるけど止められなくて、アトピーが酷い時期があり、アトピーの原因になるような食べ物を一切排除して食事に気を付けて3カ月で良くなった経験を教えて下さいました。

長男さんはとても素直なお子さんだったそうで、しう子さんは理想の子育てをすべく厳しくしつけをしたと言います。保育園に行く前には必ず雑巾がけをさせるというスパルタぶりでしたが、素直な長男さんまでは上手くいったものの、次男さんの時には「どうせ言うことをきかない」からと早くに方向転換し、ほぼほったらかしになったそうです。

しう子さんが子育てで経験した中で、これは絶対、今子育てをしている人にお勧めしたいと語ったのが、「おんぶ」です。ずっとおんぶをして家事や仕事をしてきて、「おんぶ」がスキンシップであることはもちろん、子どもの視野が広くなり脳の発育にも良いことや、何よりも何かあった時にとっさに逃げる事が出来る事など、「おんぶ復活連盟」をつくりたいと思うほどですと話してくださいました。

しう子さんの子育てでは「食べ物に気を付けること」を何よりも大切にしてきました。医者にはほとんどかからずに、体調不良になれば、東条百合子さんのお手当てや桜沢如一さんのやり方で家庭でお手当てをし、健康に育ったそうです。「はしかにはかからせました。『はしかはおなかにいた時の胎毒の排泄である』とマクロビオティックの先生に教わっていたからです。今のお母さん方には安易におすすめできませんけど」

「自分ははちゃめちゃな子育てだったけれども、子どもは親が一番伝えたいけれど、言葉にならないことをちゃんと感じて成長する。だから、完璧を期さなくてもよいとおもうし、そもそもそれは無理(笑)」といいます。


「生きることは子育てに尽きる。なるべく健やかに育てて、いのちを次の世代につなぐこと」と話してくださいました。

食べ物に気を付けてきたしう子さんだからこそ、今現在の子ども達を取り巻く環境を心配されていました。

高度経済成長以前に山形の美しい自然の中で育ったしう子さん。山形の原風景を心に刻み大切にしながら、経済優先の社会とは真逆の命や自然を大切にする暮らしを追い求め、実践しながら子育てをしてきました。そこで得た経験は今、子育てをしている私たちに大切な事を教えて下さっています。何を大切にするかはそれぞれの子育てで違いはありますが、命を育み、育て、最後には分かち合うことは全ての人に共通するテーマになると思います。

現在74歳のしう子さんですが、自分史講座を始められて、本当にエネルギッシュに活動されています。
そんなしう子さんから、エネルギーを分けてもらったような取材でした。

しう子さん、貴重なお話を大変ありがとうございました。

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康子さん、真樹子さん、ありがとうございました。↑ 写真はby真樹子さんです。
最後になりますけれど、『おかあさんのがっこう』はすばらしいそして今必要とされているプロジェクトですよね。
子育ては、核家族だけでは無理、地域にコミュニティあってこそ なんですもの。
最近ばあちゃん連中で❝次の世代に伝えるべきことって何だろう?❞とか話はじめてます。
これからもよろしくお願い申します。