『健康のこと⑦ー治療について』

828/10000 2021 08 12
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。


★ 病院にかかっていますか?
病院のお薬、摂っていますか?

今日は、子どもたちに伝えたいことのうち、
健康の7回目、治療のことです。
こちらが『健康の家』です。
これを見ながら項目を追っていきますね。

山本真吉博士の総合栄養療法の講座に参加しているうちにできました。


★ さて、治療についてです。

『一般の病院の治療と自然療法を併用したときに最も治りやすい。
まず血液検査をすること。血液検査でわかるのは、全体の80%である。』
これを教えて下さったのは、山本真吉博士です。


★ 自然食に出会ってかれこれ50年、私は殆ど病院に行っていません。
子どもたちもそうやって育てました。
だいたい台所にあるもので、『家庭でできる自然療法』でなおしてきました。

でもトシと共にお医者さんのお力もお借りしようかな、と思い始めたところです。
ここ帯広にも、自然療法も修めて話を聞いてくれる方がいらっしゃるとの情報もゲットしています。でもまだ実行していません、今のところ まだなんとか間に合っています。


食養、自然食に出会って以来、私は医者なんかに行くものか、とそれをポリシーにしていました。
それが変わったのは、1998年、札幌の山本真吉博士に出会ってからです。
そう、上記の結論を教えて頂いたのです。


★ 急を要する時には、救命装置のある病院に駆け込まなければなりません。

そういえば、あらためてよみがえってくるのは、上の息子の時がそうでした。
生後一か月で90%だめといわれました。私が育児ノイローゼで母乳が出ていないことに気づかなかったのです、手厚い看護と私の師匠の方々の祈りで助けて頂いてこの秋44歳になります。

抗生物質を摂るほかないこともあります。
自然療法だけにこだわることは危険なこともあることを覚えておきましょう。
自然療法もピンキリです。ひとりひとりの価値観と生命カンで選ぶより他ありません。

★ 身体を損なうものは、入れたくないですよね。
医師と病院に上から目線で管理されたくもないですよね。


相性のいい、自然療法も修めた話がしやすい医師を見つけておきましょう。
食を中心にふだんの暮らしの中で健康を養っておきましょう。

でも急を要する時、重症の時,一般病院で治療を受ける必要があります。

(やったことがない、行ったことがないので億劫なのですけど
一度行ってみるのも悪くないかな、と思い始めている私です。)

シネラリアとインパチェンスの組み合わせ@北の夢広場

『定期的にエクササイズすると』

821/10000 2021 08 05
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

次の世代に伝えたいことをこの図を見ながら
メモ書きしていきます。


今日は、健康の6回目、
「健康の家」の基礎の基礎のうち
エクササイズとリラックスについてです。
こちらが「健康の家」です。

Holistic Nutorition

では、健康のうち、今日は
エクササイズとリラックス
のことをメモしていきます。

★ 若いうちは定期的なエクササイズとかピンと来ないかもしれません。
体力のピークは、17,18歳、こわいものなし。
30過ぎると20代と違うなと感じるようになります。
40過ぎるとミトコンドリアのエネルギー生成力が、ガクンと落ちます。
以後 何もしないで放っておいたら、老化への道をまっしぐら、となります。
もちろん 個人差は大きいですよね。

私の場合、6まわり72歳の誕生日前後から 遅まきながら
老化なるものをハッキリと意識せざるを得なくなりました。
なにもしないでなるがままにまかせていたら
目に見えるように衰えていくのがわかります。

★ そのなかで一番手軽ななすすべのひとつがエクササイズです。
ウオーキング、ジョギング、ラジオ体操、
ヨガ、ティラピス、太極拳、などなど
沢山の種類がありますね。
その中で、自分に合ったものを取り入れましょう。
毎日、1日おき、週2回、3回など定期的にやると
身体にリズムができてきます。
やらずにいられなくなります。

★ 鍛えるのだ、若いうちはそれも必要ですね。筋トレとか。
年を重ねると、変わってきます。無理もできなくなります。

魂のすみかである身体をケアして上げねば,
そんな感じになってきます。
エクササイズは、リラックスが目的になってきます。

呼吸も大切ですね。
腹式呼吸を意識しましょう。自律神経が動き出してくれます。
心が落ち着いて来ます。

体幹を意識しましょう。
姿勢に気を配りましょ・・

★ これから老人が増えて、若い人、子どもたちが少なくなっていくのは
今のままだと避けられそうもありません。

若い世代の負担にならないために、はもちろん、
ちょっとばかりポジティブに、
いるだけで、若い人たちに知恵が伝わる
そんなチャーミングなしうこばーばでいたい
2本の足で自力歩行、ほんのわずかでも脳力向上
寝たきりなっても3か月、
助けあい、支えあっている、和やかなコミュニティに暮らしている
年とってもこんなすてきな生き方ができる

近未来の自分たちの暮らしをこんなふうにイメージしながら
スロー・ジョギングにいそしんでいます。

定期的にエクササイズしてると、
やっぱり違いますよね。
若返りホルモンも出るんですって。

もしなにもやってることがなかったら
ラジオ体操でも十分ですよね。
無理のないところから
定期的にコツコツ続けてみませんか?

大好きなローズヒップティー、今年は手作りしようと摘んできました。
ハマナスの実です。ブログ書きながらさばいています。

『健康のことー食べることについて』

814/10000 2021 07 29
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

今日は健康のことのうち、食べること、ご飯についてです。
こちらが、「健康の家」です。

① ご飯のことで伝えたいことは、
 『いただきます』『ごちそうさま』、この二つの言葉に尽きます。
 ありがとうと感謝して、
 おいしい、うまいと感動して、
 楽しいと喜んでいただきましょう。

② なるべく決まった時間に
      決まった場所で頂きましょう。

③ テーブルを整えて清々しく整えて頂きましょう
  ゆっくりと噛んでいただきましょう。

④ ご飯の頂き方に人の全人生が現れます。
  品よくみめよく、気を配りましょう。

⑤ いのちを損なうものは、極力避けます。
  化学調味料・化学食品添加物・人工着色料・化学農薬・除草剤・遺伝子操作食品・放射能
  旬でないもの・精白された砂糖、塩

⑥ なるべく、旬のもの、暮らしている土地で生産されたもの、誰がつくったかわかるものを
 選びましょう。
 食は本来、人と人とのコミュニケーションであり、季節・土地と一体になっていたのです。
 マクロビオティックでは「宇宙の秩序に則った食を」と教えてくれます。

⑦ なるべく一物全体を頂きましょう。
 ・複合炭水化物-玄米・分搗き米・雑穀・豆・全粒粉を食べましょう
 ・野菜・海藻・胡麻・蛋白質・油(トランス脂肪酸はなるべくさけます)
  のバランスをとりましょう。
・野菜他生鮮食品なるべくは新鮮なものを食べましょう

ざっとこんなところかな。

最後に、ネイティブ・アメリカンのホピ族の長老の言葉をどうぞ。

    ずうっと続く
生命の営みが
   豊かであるよう
    水はどこから来るのか
    食べ物はどこから来るのか
    本当のことを語り
    誰とつながっているのか
    何をしてどこにいるのかを知って
    仲良くみんなで
喜びの時を持てる


My Little Garden 久しぶりの雨に喜んでいます。

『健康に気をつけよう!~③』

800/10000 2021 07 15
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
子どもたちがまっとうな人生を送ることができますように!
この願いを込めて 次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

今日は、
私が如何にして健康に気をつけるようになったか?
を振り返ってみますね。前にも書いたような気がします。


すこやかでいることができるように、
誰でも願いは同じですよね。


私がこのことに本気になったのは
1972年にマクロビオティックを通じて「食養」に出会ったときからです。
この出会いは私の人生を変えました。
よくキレていたのにキレようにもキレることができなくなったのです。
食べ物と心身は一体であることを悟りました。
桜沢如一先生の直弟子のおひとりの佐々井譲先生には細かいコツまで教えて頂きました。
夢中で学び、台所にあるものでなおすようになりました。
2人の息子は、長男は生後間もなくいのちを取り留めてもらって以来、殆ど医者にかかったことがありません。
整体治療も、八光流鍼灸指圧の神業治療師、木村翁助先生にに出会うことができました。


県庁所在地に引っ越した1960年までは、ほとんどの家庭ではよほどのことがない限り医者には行くことはなかったのです。富山の薬と、ゲンノショウコ、ドクダミなどでお母さんがなおしてくれました。


だからと言ってその後順風満帆だったわけではなく大小の失敗に学んで来ました。
更年期に、これまでの経験とノウハウが全く効かなくなったときには、
総合栄養療法に出会わせてもらい、山本真吉博士の講座に8年半札幌まで通いました。
この春絶不調に陥ったときには、ダルビッシュ投手の動画を通して日野重明先生の背骨コンディショニングに出会うことができました。



困ったときに出会いを用意してくれているのは 天国で見守って下さっている先生方に違いない、感謝しなければなりません。


このように数々の出会いに恵まれて74歳迄来ることができました。
現今のこの国の医療体制がすぐに変わるとは予想できません。
現代病院と自然療法の両方からいいとこ取りして
なるべく元気でやっていきたいものですね。


72歳過ぎから、遅ればせながら「老い」を実感するようになって
健康100%を目的にしなくていいと悟りを深めております。


魂の住処である身体を大切に」
「天からの預かりものである身体を大切に」

この言葉が今 少しづつ必要になってきているのを感じています。


以上、私の健康との出会い史のメモでした。
来週は、「健康の家」を見ながら、
これまでやってきてよかったことをリストアップしていきますね。
お役に立ちますように、お楽しみに!



中央公園のシロツメクサです。木立の中で太極拳をしますと澄んだ空気の中に幾種類もの鳥の声がしてきます。

『健康の家』

793/10000 2021 07 08
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

日ごとに急変するかに見える時代です。
どんな時代になっても変わらないであろうことを 子どもたちに伝えたい。
それをこの図に沿ってメモ書きしていきます。

人生の中身を表にしました

きょうは、健康の2回目です。
ここにちょっと重宝な絵があります。❝健康の家❞です。
このブログでは、初公開になります。

この図ができたのは、今から20年前、札幌まで
山本真吉博士の総合栄養療法の講座に通っていたときです。山本博士は総合栄養療法の隠れ権威でいらっしゃいました。

① 生活習慣、睡眠・ご飯・エクササイズとリラックス
病気や怪我をしたら治療を受けなければなりません。
この4つは、健康の基礎の基礎の25%に過ぎません。

あとの75%は何でしょう?
それは、心、気の持ちようなのです。
前向きな気持ちが大切なんですね。感謝の気持ちも大切です。
ただでできることが75%を占める、とはすごくないですか?
でも知らず知らずに自己満足にならないとも限りませんから
この辺は要注意ですね。

③ 生活習慣と治療と気の持ちよう、その上の
細胞を積極的につくる
ミトコンドリアのエネルギー生成能力の低下を防ぐは、
補助食品の分野になります。

補助食品なんて絶対に摂ってなるもんか、
とかたくなに思い込んでいました。
それが取り始めてかれこれ25年になります。
山本博士に基礎の基礎を教えてもらいました。

④ 基礎の上、家の中は、
整理整頓、ハーブの香り、植物のマイナス・イオンなどで整えて
自立神経の安定につとめましょう。
(只今引っ越しに備えることもあって荷物の大整理敢行中です)

⑤ 家の中の部品が壊れたら、それに応じて対症療法を施します。

以上、健康の家の説明でした。
では、次回からそれぞれの項目について
私なりの基本をざっとメモしていきます。

みごとなヒソップ @アサヒ湯さん向かいの舗道の植え込み


『なるべくすこやかでいるために』

786/10000 2021 07 01
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。


『子どもたちがスクスクのびのび育つこと
いのちを次に世代につないでいくこと』
これ以外の願いと望みはない、といっていいくらいです。


次に世代に伝えたいことを下の図を見ながらメモしていきます。


今日のテーマは、健康です。

 マクロビオティックを通じて食養に出会ったのはかれこれ50年前のことです。それ以来、健康は私のメインテーマの一つになりました。
家庭でできる自然療法を学び、息子ふたりは殆ど医者に行かず台所にあるものでなおしました。
思い出すのは失敗ばかりです。でも食べ物と自然療法の基礎を学んでおいて、本当によかったと思っています。
いまだに食べ過ぎる癖を直したいと格闘が続いています。なかなか100%健康って難しいですね。


健康のこと その① 基本的な心構えの1
 『健康が〇で病気は✖ ということはない。
  健康も病気も生命現象としては同じものである』


 このことを聞いたのは、山本真吉博士の総合栄養療法の講座ででした。
 私がこれまでに聞いた健康に関する情報で、最も心に迫ってきた言葉です。
 もっと詳しく知りたいと思っているうちに山本先生はお亡くなりになりました。

 この言葉に接したとき、私は大きな解放感に包まれました。
健康でなくてもいいのだ!と。
 私なりに解釈しますと、
 健康なときは健康に感謝して
 『 疲れた時、病気に見舞われた時には、養生して病から学び、
 次には気をつけて少しづつでも賢くなっていけばよいのだ。』
 これが、それほど簡単でないことはご存じの通りです。


 私が息子たちを育てている頃は、
 食品添加物、化学農薬、除草剤、大気汚染に気をつけていればよかったのに、
 今ではPCB、フクシマの放射能、電磁波、遺伝子操作作物、大陸からの汚染気流と
 目を覆わんばかりの汚染状況です。

一方で、その汚染物質を排出するなすすべも情報はあります。それぞれの生命カン
 選択することになります。

 どんなに気をつけていてもどうにもどうにもならない場合も少なくありません。
不治の病、難病、事故などなど、
私の先生方、友達、知り合いのことを思い出すと言葉になりません。
 健康でいられるのはたまたまで、先に亡くなった方々に生かされているのだ、
そんな気になります。

 健康をつくっている75%は、気の持ちようである、とのことです。
 信頼関係があって、感謝することができること、大切ですね。
でも一方では、憎まれっ子 世に憚り
 のうのうと長生きなさる方もいらっしゃいますので
 ことはそれほど単純ではありません。

いずれにせよ、
 100%健康でなければならない、
 と思いこんで自分を追い詰めたら辛いですよね。
 疲れた時、調子の出ないとき、身体が動かないとき、病気の時には
 なるべく呼吸を深くしてなるべくまったり養生できるといいのですけれど、
 痛かったり辛かったらそれどころでなく、
 もうただ過ぎるのを待つのみですものね。
通り過ぎてくれたら、ちょっとは賢くなってるかな?
 喉元過ぎれば熱さは忘れちゃいますよね。

今思い出しました、
私の食養の先生の佐々井譲さんが仰っていたことを。
 『若いときはなんでも治るとイケイケだった。
  今では恐くて若いときのようにはとてもできない』と。

 健康100%を目的にはせず
 健康でいられるときには健康に感謝して
調子がよくないときにはなるべくまったり回復を待つ
 そんなところでしょうか?

優しい薄紫の、名前、忘れました、ほっとします。

『学ばなければ、ヤラレてしまう』

779/10000 2021 06 24
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

今日は、子どもたちに伝えたいことのメモ書きで
『 学ぶことは大切~その②
❝学ばなければヤラレてしまう❞
』ことについて、思いつくままにメモします。



どうでしょう、同じ生きるなら、
のびのびとイキイキと生きて行きたい!と思いませんか?
どうせこんなもの、と引っ込んでしまうのは、いかがなもんでしょうか。


最近❝武器としての・・・❞とついた本を目にするようになりました。
❝武器❞ とは穏やかではありません.。

目の前にいる相手があなたを殺そうとしていたらあなたはどうしますか?
精神的に、の場合もあります。


生命の危険にさらされたらやり返さなければなりません。
そのとき相手よりも賢く立ち回るためには
相手より『知っている』必要があります。
そのとき過去に学んだ実績は❝ 武器❞となります。

相手と同じ土俵に立ってはならない、
相手の土俵に引き摺り込まれてはならないからです。

『 相手のペースを完全に超えることだ』

知識だけでは足りません。
知恵も必要です。

『認識とカンは、相補うものである』
学ぶことが必須です。身体全体で感じ取ることも同じくです。

もっとも大切なことは、
自身の思いとアイディアを言葉にして出すことです。

このところ、その言葉を発するレベルが絶望的に違い過ぎるシーンをいやでも目にします。
この問題をどうすればいいのか?このことがこの国の一つの大きな課題となっています。

しかしながら、ときには逃げることも❝武器❞のひとつになります。
そういう場に身を置かない判断も有効です、でもそうはいっていられないときもあります。
その判断は、蓄積された経験と学びから発する その時に応じたカンによります。

トリセツを読めるだけで間に合うでしょうか?

答えを自分たちで見つけていかなければならない今とこれからの時代
地球と人類が調和を取り戻して 生命を持続可能にしていくための
新しい発想と解決策もどんどん出てきています。
古典がシンプルに道を示してくれることもあります。


どうでしょう?
同じ生きるならイキイキノビノビと生きていたいなら
学ぶことは ❝武器❞ になるのではないでしょうか?




花たわわ、ウツギだと思います。


『学ぶことは大切 その①』

772/10000 2021 06 17
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

この表を見ながら思いつくままに書きます。
今日は、学ぶことは大切 その①です。


生きていることの中身です。思いついたら随時書き換えます。


なんで勉強するの?
こんなこと考えたことも教えられたこともなかった。成り行きでやらなくてはならないことになっているからやらなくてはいけないことだった。
 勉強はどちらかというと好きだったけれど、『なんで勉強するのか』がなんで教えられなかったんだろうか?

 それを始めて何となく感じたのは1968~70年の大学闘争の時代、キャンパスに連日繰り広げられていたジグザクデモを見ながら、(私は活動家ではなかった)『いったいこれはなんなんだ?』という問いが湧いて来たときだった。このデモの一番の本質の意味は何なのだろうか?
それが知りたくてここまで来た47年だった。2015年夏安保法制反対行動の年である。



★ 『せめて日本と世界の主な古典だけでも読んでおくべきであった。
せめて英語だけでも読み書き話すことができるようにしておくべきであった。』とつくづく思う。
 それができた上でアップデイトな知見を取捨選択しつつ読むことができていたら、と日が西に傾いてきて、目がショボショボになって読書に労力を要するようになってから実感している。ま、できるところまでやってみよう、『チボー家の人々』も『戦争と平和』も読んだし、と自分を励ます。

★ なぜ学ぶのか?
 思いつくままにメモすると、
 ① 生物的な理由
   生まれつき好きだから 面白いから  
   認識の喜び 脳に新しいシナプスが結ばれる快感

② からは来週に続きます。
学ぶことで武器を手にする、ほかです。

アマの花です。@郵便局の植え込み。

『あ、このことだったのか!』

765/10000 2021 06 10

毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。


 今日は二人の息子たちの父ちゃんのことをちょっと話そう。前にも書いた気がする。重複するかもしれない。
 今『しうこばーばの自分史講座』で、はじめに私の自己紹介をしている。その中で子育てのことに 父ちゃんに登場してもらわないと父ちゃんの立つ瀬がないのではないかとふと思われて 一冊詩集を持参して短いのを朗読して入れることにした。これがなかなかイケるのだ。
 そう、ここ数年、時の恵みもあって、❝ああ、ナナオが言ってたのはこのことか!❞とはたと腑に落ちることがいくつかある。すぐにこれとは出て来ないものの。


 そうだね、ナナオはこの列島ではまさに絶滅危惧種だった。
 『俺のような人があと何人かいれば』とよく言っていた。
 俺のような、とは何か? そのものと直に接する人である、世俗的な地位、階層、収入によって価値を判断するのでなく。

 私はナナオのことをそれほど詳しいわけではない。亡くなった時は10年ぶりの再会だった。垣間見たいくつかのことをアトランダムに書いてみよう。

 細かいことについてあれこれミーティングをすることはなかった。そういう場を極力避けていた。面倒でたるかったのだろう。細かいことをジャンプして言葉を発するので嫌われることもあったようだ。無理もない。
食い違いや行き違いに鈍感だったわけではないけれど、そこで時間とエネルギーを取られたくなかったのだ。
このう!とヒステリーをおこしても真に受けることはなく、逃げるが勝ちの必勝パターンだった。

 身のまわり、愛用の道具の手入れ、メモの取り方は秩序正しく極めてマメだった。
 英語での朗読はネイティブの人にお願いして真面目に練習にいそしんでいた。清水平の囲炉裏端でのシーンが目に浮かぶ。


ナナオは、目が覚めるような男だった。短い言葉でその場を圧倒した。新書なら一時間で読んだ。
 一方、いたずらが大好き、ノンセンスと笑いが大好き、しんねり真面目一方はおよびでなく、グルとかカリスマは当然拒否した。ナナオ、といえばまずやれやれの表情が浮かぶなかまは少なくないと思う。
 『ここでアメリカでは笑い声が起きるのだけれど、日本では誰も笑わないね』よく言っていた。

私は女で子育てと生活できりきり舞いしていたから、生活とは関係ない父ちゃんと遊ぶ気持ちの余裕はなかったけれど、ま、いっか。ごめんねしなくてもあれで十分だったと思える。
 とにかく世の常の事に引き摺り降ろされることには警戒心を怠らなかった。

 オーストラリアで先住民族のアボリジニと交流して一言メッセージを求められたとき
ひとこと言ったんだ、❝BE PROUD!❞ってね。

自分と気の合う人、サポートしてくれる人は本当に大切にした。一方嫌われたり迫害されたりすることがきっとあったのだろうけれど それをうじうじと口に出して嘆くことはなかった。

ナナオは幸せだ。天国に送る集いに大鹿村のボブとミドリさんのところに100人近くが駆けつけてきて、賑やかに歌い踊り手作り料理と酒が並んだ。『名前のない新聞』は追悼号を組み、10年後にはナナオ、三省さん、ポンと仲間たちをを偲び国分寺に200人?もの❝部族❞が終結した。集った私たちには一生のよすがである。

 自身のことが思うようにならなくなったときすでにいつでも天国に引っ越すのを待っていたと思う。

 あと10年もない、ナナオが天国に還ったトシに私も近づいていく。
 ❝あ、ナナオがいっていたのはこのことか!❞とハタと腑に落ちることがひとつふたつと増えていく。この世で間に合わなくてごめんね、する必要もない、そんなこと気にしなかったから。
 母の真似をして欠点をあげつらったりせずに もちょっときりきり舞いせずにやって行けてたらな。もういい、過ぎたことだ。私たち3人と家族ははなんとか毎日を無事に過ごせている。
行き違いがあったとき、わが師に頂いた言葉が私の人生を決めたのだった。
 『ユイさん(上の息子)を下さっただけでありがとう』

ヤマボウシ、清水平にもあった。散歩に行っては花を摘んできた。図鑑を揃えて丁寧に精げるのを常とした。

『イノリについて』

758/10000 2021 06 03

毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

この図の中から、今日はイノリについてアトランダムにメモ書きします。
この図は生きることの中身を書いてみたものです。

★ 私は、言われなくても仏壇の前で祈る子どもだった。
初物、頂き物は、まず仏壇にお供えしてから人間が頂けるのであった。
近年ようやくそれが私の中で復活できた。ほっとしている。

 正月過ぎ 大工祝の日には餅をついて 大工の神様である聖徳太子の掛図をかけた。
建前の日には無事に済むように梅干を食べて現場に出かけた。
主婦である母の最重要の仕事は民俗年中行事をつつがなく執り行うことだった。
 正月、小正月、大工祝い、節分、春の彼岸、3月節句、五月節句、七夕、お盆、ここに金平様のお祭りが入る、秋の彼岸、・・・冬至、大黒祝、正月準備、私が今思い出せるのはこれくらいだ。彼岸と金平様以外は月歴に拠っていた。家族の誕生日には豆を炒ってお供えした残りを一升升から分け合って食べた。
 『太平洋戦争が終わるまでは、ばあちゃんに教わった通りに毎年同じことをしていればよかった』と母は言っていた。ここにクリスマスが入ってくる。お菓子屋さんに大きなケーキが飾られて、ケーキを食べる日だった。母はなかなか買ってくれなかった。

 要するに、人間は二の次、神様ファーストだったのだ。
 言葉にしなくても十分だった。それがあたり前だったのだ。アミニズム、というのだろうか。

★ 1960年に県庁所在地に引っ越してからは、年中行事の生活の中に占めるウェイトは低くなっていった。母は心の中の寂しさをどのように感じていたのだろうか?私もそれどころではなくなった、別に私が年中行事をやっていたわけではないけれど。

★ これは私の自分史でも、私の一家でも最重要の出来事、それは上の息子が生後一か月で死にかけた時、私はどうやって電話したのだろうか、公衆電話からか、
3人の先生方が、寝ないで祈って下さったのだ。おかげさまで今年の10月には44歳になる。

★ イノリの時は欠かせなくなってきた。朝イチで神棚兼仏壇にお茶を上げて蠟燭をともして手を合わせるとほっとする。昨日の無事にありがとうして今日の無事をお願いする。
 黄泉に還った大切な懐かしい人を思うとき、その人の魂がそっと寄り添ってくれる。写真が増えていく。
殊更に祈らなくても 炊事、洗濯、掃除、ビジネスの課題の仕事一つ一つがイノリとなっている清々しい暮らしに憧れているのである、でもちょっとそれどころでないときが多くて、朝の一分は大切な時間だけでも。

★ 『結局はイノリなのです』とわが師に教えて頂いた。それが有効である体験に恵まれたことを思い出すと 頭が下がる。

花は白が一番、とわが師は仰っておられた。