『子どもたちに伝えたいこと』

751/10000 2021 05 27
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて
次の世代とわかちあいたいと願われることが浮かんでくるトシとなりました。
そのことをあらためてメモ書きしていきます。合い間に私の来し方、自分史も入れます。

今日はその前書きです。

『子どもらに寄せて』
この題名は、ゲーリー・スナイダーの詩集『亀の島』の中の一篇より拝借しています。
この詩集はピューリッツアー賞を受賞しています。

原書初版は1969年、この英語・日本語版は1991 年 山口書店刊です。


“ FOR THE CHILDREN ”  ↑ 上記版では、『 こどもたちよ 』と変わっています。日本語ははうちの息子たちの父ちゃんのナナオです。


子供たちよ

みんなの前に 立ちはだかる
統計という名の
せりあがる丘 のびあがる斜面
何もかも ひたすら登る けわしい道
ほんとは
みんな 落ちるしかないのに

次の世紀
さらに その次の世紀でも
噂では 谷あり 牧場あろ
ーもし うまくゆくならー
そこで みんな 平和に集えるそうな

迫りくる 峰また峰を越える
君に 君の子どもたちに
ひとこと

離ればなれにならず
     花々を学び
よそおい軽く 進みたまえ


ゲーリーがこの詩を出版してから50年以上になる。
この国では今日も 東京都内でオリンピックのパブリック・ビューイングのために
公園の木が切られようとしているし、列島全体にわたって 太陽光発電版がはびこり 風力発電の計画が山々を直撃中である。これはほんの一例だ。どうしてこんなに自滅しようとするのだろうか? 『みんな 落ちるしかないのに』


一方では、
畑を耕し、田んぼをつくり、山菜を摘み、薪を割る暮らしをする人々が
列島中に棲息している。
子育てコミュニティができて、
無料食堂の地域社会運動に精を出し、
歌と踊りと祈りの祭りも❝自然発生的に❞あちこちで開催されている。
地産地消、旬の美味しい食べ物ネットワークも活発だ。

『離ればなれにならず 花々を学び よそおい軽く』
をこころがけつつ、現場では奮闘が続く。


今人間社会は 100年単位の根底からの揺さぶりをかけられている、
人類の存亡を賭けた揺さぶりである。存続が可能か、自滅に任せる他ないのか?
答えは私たちが見つけていかなければならない。
withコロナの今も、コロナが過ぎたその後の時代も、歴史の大河の中で、きっと何世代にもわたる作業になるだろう。


いのちをつないでいくことができるように、
 これは一度この世に生を受けたオヤ、
 とりわけ母親の生物としての本能です。
これはわかちあいたいとカンじられることを、
手元足元から出発して
ふだんの言葉で
メモ書きしていきます。

このブログ2年を超えて 気持ちを新たに再出発します。
あなたの思い、アイディアをお寄せくださいませ。
ごいっしょに答えを見つける作業をしていきましょう。






これから5か月で一生をおえるキュウリ2本とツルムラサキです。芽を出し伸びて蕾をつけ花が咲き実がなる、
目の当たりにしていると本当に生きる喜びが湧いてきてうれしくてたまりません。

『子育ては理想通りには行かないもの』

745/10000 2021 05 20
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて 
① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方 のうち

今日は②で、ハチャメチャだった子育てを振り返ります。
前にも書いたことがあるようなきがしますけど。


★ 子育てで思い出すのは、失敗ばかりである。
 ・生まれて一か月、90%ダメです、と病院で宣告された →助けて頂いた
 ・2人とも大アトピーに →気を入れて集中して数ヶ月でなおした
 ・二重窓を閉めての親子喧嘩 刃物は投げないように配慮した
 ・自分の思いを押し付けていた、管理しようとしていた
 ・イチイチ欠点をあげつらった→❝追い詰めてはいかん、逃げ道を取っておくものだ❞
                と父ちゃんにいさめられた。



 これはいやだと感じていたことを、子育てとなると、逐一そのまま実行していた。
やれやれ。
 母は口を開けば常にごしゃぐ=怒る(山形弁)ので、いつもびくびくしていた。私はゼッタイこうはならないと決心していたまではよかったが、いざ本番となると母ソックリだった。
 話し合いのない家がイヤで、家庭を持ったらゼッタイなんでも話し合うようにしようと、思っていたけれど、それどころではなかった。
 子どもと同じ目の高さでちゃんと向き合って話を聴いた覚えもない。

 生活に余裕がなかったのと、ノウハウとトレーニングの経験がなかったのだ。潜在的に願ってはいたものの。悪気はなかったんですけどね、私なりに必死だったのだろう。



★ ところが、
こどもは、親が言葉にできなくても最も伝えたいことを、
 ちゃんと心の中心で感じ取り受け止めて育つものだ』
という。
 確かに思い当たるフシは数々ある。親としては救われる思いだ。



★ 今、ひとり孫姫は高校2年、体力は今がピーク、こわいものなし。

❝お前はお前の道を行くしかない。
付き合いきれないし疲れて消耗させられている、
でもタッチの差で
何があってもお前を見捨てない、何があってもお前の味方だ、何があってもお前を守る❞

 私が親なら、いきり立つアタマを抑えて、胸で苦虫を踏みつぶしながら、
今ならこんふうに思い願えるかもしれない。

それに、若い人達は、言葉に出さなくても時代の空気を全身に受けている。withコロナの今大人たちもけっこう頑張っているのだから。



★ 時がたてば、笑い話、何事もなかったようにつきあうことができる。
withコロナの今、ハチャメチャだったことがかえって役立ちそうな気もする。
時のチカラを借りて、不思議なことにいまここにこうしていられるのだから。
母は今でも天国からアホ娘を心配して守ろうとしている。

今日は、ハチャメチャだった子育てを振り返って いっとき物思いにふけっていました。

赤いメギノキが花盛り、お祭りのようです。@中央公園。

『川端部落の職業』

734/10000 2021 05 13
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと
② 私の来し方 のうち今日は②で 生まれ育った川端部落の22軒の職業を思い出してみます。22軒と記憶していたけれど22軒になりません。思い出せないところは姉に送って足してもらいます。

★ 一軒一軒の記憶をたどってみましょう。

北側本通りから中に入って
通りの東側が
松沢さん―農家?大晦日には鶏肉を買いに子どもたちが詰めかけた。
     目の前でグラグラ沸騰したお湯につけて鶏を絞めて売ってくれた。
     蕎麦も雑煮も鶏だしなのだった。
青木(何か商売をしていた)の倉庫があって
     雪解けのころ日差しのいい日、子どもたちが屋根に集まって春の日を浴びた
     通りを雪が埋めていてまだ屋根に登れるくらいまで残っているのだ。
?さん
我孫子?さん  何か行商していたおばさんがたいへんに楽しい人で、わが家の兄の結婚式の 
     ときにドジョウ掬いか何か陽気に踊ってくれた。
?さん
?さん  いなせな大工さん 最も早くテレビを入れたので、弟と二人テレビを見せてもらい
     に行った。囲炉裏のそばに借りてきた猫のように座って『ハイウエイ・パトロール
     』などを見せてもらった。テレビの出始めはアメリカもののドラマが多かったのだ
奥さんは勤め人。おばあさん、元気なひと。
大場さん 桶屋さん兼馬喰さん。冬に滑り下駄の竹を取り替えてもらいに行く
細谷さん 庭に椿の木があって春先花を拾ってままごとした。みごとなノウゼンカズラも
あった。
武田さん 呉服店コマスの番頭さん 息子さんは確か専売公社、サラリーマン。
     わが家と一番の仲良し。風呂をもらいにいくと檜風呂の湯に垢がいっぱい浮いてい
     た。山形に出てから、ばあちゃんがよくわが家を訪れた。


金平神社 川端は最上川の水運の港だったので神社は金平様。川端コミュニティの
     中心です。祭りは9月15日、母は必ず山形から出かけた。婦人会、子供会、   
寄合、幻燈会、無尽、御詠歌の日、お斎火なんでもここで行われた。
     石けり、縄跳び、おにごっこ、ままごと、花見、夏休みの朝の学習は机を持って
     行った。ラジオ体操ももちろんここで。隣接の武田さんのよしずが見える。

1985年秋、清水平から北海道に来る途中、金平さまに寄って、私達の北海道行きのご加護をお願いした。




西側は
板垣さん 左官か大工だったような気がする
斉藤さん 学校の先生
有路さん ?
     遊びに行くとコンクリート敷の広い井戸の場所があった。
佐藤さん 左官?
井刈さん 農家?最上川で釣り用の長い長くつをはいて釣りをしていた。
     同級生 井刈君は真室川町で製麺所、ネットで全国販売
阿部さん 農家?おじいさんに冬前に藁靴と雪踏み用の俵を編んでもらいに行く。
引田さん たしか左官。同級生引田君は大工さん。私が小学校に上がった時お姉さんが確か6 
年生でお世話になりました。父と母が大喧嘩をしたとき聞きつけて、まあまあと
     仲裁に来てくれた。
     お寺が同じでおばあさんが暮に位牌壇に菊の花を飾ってくれた。 
鍛冶さん 鍛冶屋さん。川端ーの立派な家。 男子はコマの調整に集まっていた。
     馬が蹄鉄の取り換えにくる。
     お弟子さんが毎朝山羊を最上川の川岸につなぎに来る
     わが家との間に排水用の細い水路があって、
鍛冶屋の嫁さんが掃除をなさっていた。
荒木   大工
叶内さん 呉服店コマスの番頭さん。
     お母さんはお針の先生。結婚前の娘さん風呂敷包みを手に習いにきていた。
     お兄さんがそろばん教室をやっていた。同級生叶内君は埼玉で農機具販売
?さん  職人さん


★ どの家も土間と路地(ろうず)があり、鍵は、戸に取り付けてある木片を下ろすだけ。
何か足りなくなると隣に借りに行っていた。
 どの家の周りにも花と木が植えてあり、家庭菜園という言葉以前でそれが当たり前だった。
 魚屋さん、つくだ煮屋さん、お菓子屋さんが行商にまわってきて、紙芝居やさんも毎週来た。冬になると木曽から漆職人さんが漆器の修理に、まわってきて、囲炉裏端で雑炊を一緒に食べて泊っていく、そんな時代だった。
 1960年の夏に、荒木一家は川端を出て県庁所在地に引っ越した。


最上川と大橋。わが家はこの手前、堤防の真下になっている。堤防のために立ち退いたのだ。

『形見の品のリスト』

730/10000 2021 05 06
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方
のうち、今日は ②で

私からの形見の品をリスト・アップしてみます。

★ 私のお母さんからもらってきた簪と鼈甲の櫛。桐の箱に入っています。
 由来をきいておくべきでした。

★ 瀬戸物の七輪のおもちゃ。一部欠けています。流しにいつも置いてあります。
 白に紺の縦じまの入った醤油さし。花瓶になっています。
 この二つは物心ついたときから生家にあったものです。

★ 父ちゃん関係
 ・アレンが撮った写真 いつも掛けてあります。
 ・SAVE SHIRAHOの詩の朗読会のポスター 額に入れねば。
 ・詩集
 ・手ぬぐい
 ・アメリカから送ってきたアナサジのカレンダー
 ・帽子

★ 生成りの絹のおくるみと手編みの産着
 由来は今度会ったときに伝えます。

★ 私のお父さんとお母さんの写真 きょうだいの写真は山形から送ってもらうか。
 いつも掛けてあります。サイズを縮小してもいいですね。

★ この2年、毎週木曜日に、◆子どもらに寄せて を書いてきました。
 加筆推敲する時間があればいいですね。編集・印刷して二部つくりましょう。

これくらいでしょうか。中くらいの箱ひとつに収まりますね。

荷物も整理して、終活ノートも記入していきます。
終活ノートはババ友といっしょにわいわいやるのもいいですね。

つつましい形見で、いのちの継続を感じてもらえたらと願っています。

お母さんからもらってきた櫛と簪。醤油さしに七輪です。

『鯉のぼりの思い出』

723/10000 2021 04 29
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せ手 ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方
のうち、今日は②で、
鯉のぼりの思い出です。



 今年も鯉のぼりを出して玄関に掲げた。
遅くならないうちに、月暦もあるけれど5月5日には やはり出しておかないと落ち着かない。100円ショップで買った二本、だいぶ色がはげてきた。
掲げてふたりの息子の無病息災を祈りお願いする。


この年になると思い出すのは、13歳の夏まで 生まれ育った山形の大石田のことばかりだ。
五月節句が近づくと、出稼ぎ先から父と兄たちが帰ってきて鯉のぼりを立てる。棹は、杉の木の一本丸太だった。上の細い方は しなる。てっぺんに杉の葉を飾る。向かいの最上川の岸の林から取ってきたものだ。

 兄二人は昭和7年と9年の生まれだから 色は少し褪せていたけれど、風格となっていた。
吹き流しはなかったけれど、母が建前のお飾り(父は棟梁だった)の五色の旗を縫い合わせて作った。色鮮やかで鯉のぼりの風格とちょっと不釣り合いではあった。でもわが家にも吹き流しがあるんだ、とうれしかった。

 夕方には鯉のぼりを降ろして朝にまた上げる。

 五月節句が過ぎると、棹を片付けねばならないのだけれど、母はできないので男手が帰ってくるまで待つことになり、杉の葉は赤くなった。いつまでも片付けなくて、と父がぶつぶつ言ってたような気がする。軒下にソガキ(冬に雪から家を守るために家を板で囲って保護する。添垣か?)の板と一緒にしまっておく。

 県庁所在地に引っ越すとき、この杉の木の棹は、なかなか手に入らないからとトラックに積んで山形まで持ってきた。しかし、一回も立つことはなく小さな借家の前の作業所に積んであったのがいつか折れてしまった。

 軒先に、ヨモギと菖蒲をさして、頭には菖蒲を巻き、風呂は菖蒲風呂、
 全部やらなくなったような気がする。菖蒲風呂はやっただろうか?ヨモギと菖蒲を挿す茅葺屋根もない、トタン屋根に挿しただろうか?
 母はなんと感じていたのだろうか?胸の内で言葉になっていたのだろうか?
笹巻つくりも、どうだろう、お母さん山形で作ってくれたかな?生意気盛りだった私の記憶は朧だ。つくっていた気もする、引っ越してすぐに全部やめたのではなかった気がする。私が家を出てから帰ると、しう子が食べたいからと、笹巻をつくってくれた(涙)。もち米を笹に入れて煮てつくる笹巻のスゲでの結び方、一度では覚えられずそのままになっている。

 1日の土曜日に(5月4日に書いています)鹿追迄行ったとき、風が強くて鯉のぼりが絵のように風に泳いでそれは見事だった。でも2軒か3軒くらいで、ほんとに少ない。
 そう 60年前は男の子のいる家にはどこも鯉のぼりが立ったものだった。

 私たちが失ったものを思い、どうしても伝えたいことがある。新にアップデートした形で年中行事を復活させたいという願いが 食養に出会ったころからいつも胸の中にあった。

 100円ショップの鯉のぼりを,手の届く限り高く掲げて、生まれ育った家で天高く泳ぐ鯉のぼりを偲ぶ。子どもたち健やかなれの願いは変わることはないにしても。

  

『父ちゃんは騒ぐことがなかった』

716/10000 2021 04 22
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は ②で
息子たちの父ちゃんが❝騒がなかった❞ことについてメモします。


★ 『お前はすぐコーフンする』とよく(回数は多くないけれどウエイトとしての記憶で)
あきれていたものだ。まったくだ。

 政治状況がどうであれ、反原発運動が盛り上がろうが、それで興奮することはなかった。
 辛い誤解、曲解にあっても 少なくとも一時は落ち込んだであろう胸の内ををそのまま出すこともなかった。そんなときは黙って何も言わなかった。説明するのは時間の無駄だったのだ。いきり立ってヒステリックになることはなかった。


 
★ 興奮するのは、素晴らしい野生とともにいるときで、同類の素敵ななかまたちといるときは安らいでいたと思う。
 もちろん100%すばらしい人などでは全然なくて、ハチャメチャでもあった。まあ、ナナオだからしょうがない。カリスマとかグルとか持ち上げられることを嫌い避けていた。



★ 3.11の後、第二次安倍政権~菅政権と続き、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法が強硬採決で成立したことになり、今はオリンピック、コロナで騒々しい。
 ナナオが今この世にいたらなんというだろうか?友達とよくこの話になる。ナナオ、先に天国に行ってよかったわ、とその友達は付け加える。
 外国から帰ってくると、『日本では地球環境への危機感がないねえ。障害のある人が街に少ないねえ』とびっくりしていたものだ。ここまで堕ちることも想定外ではなかったと思う。政治には何も期待していなかったし。



★ 小さいとき身体が弱かったこと~生家の紺屋の倒産~そして成長期はずっと15年戦争の時代だったことに 遅ればせながらハタと思い当たる。
 「戦争に反対なんてできるものじゃなかった」
 あの澄んだ目で何を見て何を感じて、その身を処するようになったのだろうか?生まれつきのキャラクター、天からのギフトはあったにせよ。それにまだ 江戸と明治のよき気風と人間律が薩摩藩では残っていたのかもしれない。


★ 毎日毎日これでもかこれでもかと今の政府の出してくる政策はすさまじい。
 たじろぐことなく、感情的に騒ぐことなく、乗せられて興奮することなく、
 冷徹でありたい、とすぐコーフンする私は、プレインなヘッドをたたくのである。



★ 今更ながら、ナナオの時代と今現在を重ねながら、
騒ぐことのなかった父ちゃんが見てきたものは何だったのか?とつらつら思われる今日この頃である。

冷たい北西の風に洗われる空に、雲には夏の気配が感じられます。

『天に還る準備を始める』

709/10000 2021 04 15
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと
② 私の来し方 のうち 今日はどちらでもありません、どちらかというと②になるかな、
天に還る準備を整えてスッキリさせよう、と思い始めたことについてメモします。

2人の息子がわが借家に来るたびに、最初の一言は
「物が多すぎる!捨てろ,捨てろ!誰が片付けると思ってるんだ!」
確かに。

息子たちに迷惑かけたくない、と思い過ぎるのはどうかな?なので、
第一の理由は、
『私自身をシンプルに片づけなおして、新しいスタートを切ろう』
と思ったのです。
この借家も10年たち、引っ越しのムシが蠢き出しており、毎日風呂に入れる家に引っ越す準備でもあります。

息子たちにドヤされても、「老いては子に従え」とか、かなり馬耳東風だったのです。ところが、
この春 思いがけない絶不調に見舞われて(おかげさまで只今ぼちぼち回復中です)
❝人生何がおこるかわからないものだ❞と知らされて
我が人生をシンプルに整え直さねば、と思った次第です。


★ 早速注文しました。
近藤麻理恵さんの『人生がときめく魔法の片づけノート』、
ほんとうに見事な本です。
『しうこばーばの自分史講座』とも共通の感性がいっぱいで、
ひとの気持ちに沿った配慮と微調整への思いやりに感嘆しています。
そうそう、まさに天然の恵みですね。

隙間時間で1~2年がかりで少しづつです、急ぐ気持ちを抑えて。

★ グッド・タイミングで、最新号の『通販生活』に 閉じこみ付録で
『人生決算書のつくり方』がついて来ました。
前にゲットしておいた『エンディング・ノート』と合わせて、
時間をつくって記入していきましょう。

★ ❝自分の空間を片付けて、終活ノートに書きこんで、天に還る準備をしよう❞、
 と心がセットされると、それだけでスッキリしますね。
 1~2年がかりでこつこつ シンプルにしていこうと思いはじめたところです。

春の雨に、ギョウジャニンニクもグイっと伸びてきました。今年は何本食べられるかな・

『沢庵の古漬けを煮る』

702/10000 2021 04 08
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は ②で、春先にお母さんがつくってくれた田舎料理のことを書きます。



東京の三鷹の八百屋さん、『やさい村』の大友映男店長がFACEBOOKにあげて来ました。

❝今日はヌカ漬けの古漬けをスライスして生姜と大葉を散らして、晩酌用(おかず用)のパックを作ってみました。お好みでゴマ、鰹節、ゴマ油、純正醤油など加えてお召し上がりください。今が旬の、筍や蕨、蕗の薹、野菜などとも良く合いますよ!❞

 これで思い出しました。
 春先雪もだいたいとけた頃、お母さんがつくってくれた沢庵の煮つけのことを。
 桶の下に残った沢庵を四角に切って、塩抜きして、油、醤油、花かつおで煮たものです。



 学校で習う栄養学では、どうでしょうね?栄養あるんでしょうか?
私も県庁所在地で暮らした 13~24歳の10年以上は、我儘いっぱい、
お母さんのつくるものは全部茶色だ、と文句を垂れていました。


 
 山形を出てまもなく『食養』に出会って、感覚がすっかり変わりました。
 旬、地物、家庭での手作り~それだけで❝栄養❞が溢れているんだ、と身体が目覚めたのでした。


この冬、沢庵を、こっちに来て初めてだと思います、漬けました。冬の間おっくうでで出さなかったのを、どうなってるかな?と見てみました。
 そうなんです、大友さんの記事に触発されて、お母さんの古漬け沢庵の煮つけをつくろうと思ったのです。


刻んで塩抜きします。

 大根は上の息子の嫁さんのお母さんが仲の良い親戚の農家さんから持ってきてくれたもの、米糠は友達が教えてくれた雨竜町の農家さんの無農薬栽培のお米のものです。加えて、手間、時間、季節の進行、配慮と思い、それに❝手❞と、すべて❝栄養❞であると、『食養』に出会って
悟りました。


出来ました!油少々と醤油に花かつお、唐辛子~My Litte Gardenの、殆ど辛くない、です。
たいへんに食充実感があるんですよ。

重しのかからなかった部分の柔らかくなったところはだいたい除きました。

 今日は、母の春先の定番だった 沢庵の古漬け煮物を何十年かぶりにつくって、豊かな気分です。母はよく近所の友達を呼んでお茶飲みをしていました。漬物、煮もの、あればお菓子を山盛りにしてよもやま話に、たぶん噂話にも花を咲かせていました、久しぶりに思い出しました。

『「おかあさんのがっこう」さんのインタビューを受けました』

695/10000 2021 04 01
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は,主に②で、
私の子育て失敗エピソード集です。

3月の29日に『おかあさんのがっこう』
木村康子さん(ビューティフルライフ研究会・二級電磁波測定士)と
樽見真樹子さん(アトリエ 樹(いっき)・エイサーサークル美ら風)、

お二方から子育てのインタビューを受けました。
子育ては、私の最大の関心事ですのでホイホイ イソイソと出かけました。

康子さんが早速書き起こしてブログに掲載して下さいました。
とてもよく書いて下さってありがとうございます。

そのブログのアドレスはこちらです。
『みんな違ってみんないい 100人いたら 100通りの子育て』
素敵なプロジェクトですね!。私はちょうど20人目でした。
https://note.com/okaasan100/n/nbe8a3895e9f6?fbclid=IwAR3eEC7Cfh6ryy2ureKpHq8jUgdNiFP6d0sAQ5-3Z98PBsnq3EycplOmA4c

康子さんの書き起こしを転載致します。ご了解を頂いております。
ちょっとムシがよいかも・・コラボ、ということでお願い申します。



★では、お借りします。

二人のお子さんを育てながら、電気、水道、ガスなしの自給自足生活を8年半長野県から十勝に移住して、無農薬野菜の引き売りをされていた荒木しう子さん。マクロビオティックにはまり、食を大切にしながら、家庭で出来るお手当を行い、病院にかからずお子さんを健康に育てあげます。生む、育む、分かち合うこの言葉がしう子さんの人生のキーワード、子育ては失敗ばかり〜と笑いながらも、体験から語られる言葉には沢山の気付きを頂きました。しう子さん、貴重なお話しをありがとうございました!!、


100人いたら100通りの子育て         
№.20 荒木しう子さん

3おかあさんのがっこう魅力プロジェクト“みんな違ってみんなイイ“2021/04/02 11:20

 北海道の十勝地方の三月下旬、雪解けが進み、畑の黒々とした土が現れ、福寿草や蕗の薹がちらほら目に留まるようになりました。日高山脈の残雪と黒土の畑のコンストラストが美しく、シベリアへ渡る直前の白鳥が畑の中で羽を休める姿も十勝ならではの春の風景です。

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今回、取材をさせて頂いたのは荒木しう子さんです。まだお子さんが小さい頃に長野県の山奥で自給自足の暮らしをしていたことを以前お聞きし、ぜひ詳しく聞かせて頂きたいと取材をお願いしました。

この企画は帯広を中心に足寄町、横浜市で活動をする「おかあさんのがっこう」の魅力プロジェクトと題して、100人のお母さんに子育てについて取材させて頂いているものです。おかあさんのがっこうの詳しい活動内容につきましては以下をご覧ください。おかあさんのがっこうおかあさんのがっこう – 「いいね!」489件 · 26人が話題にしています – コミュニティwww.facebook.com


しう子さんのご出身は山形県、大学を卒業後は東京で暮らし、人生に影響を与える人々との出逢いがありました。マクロビオティックをきっかけに「食養」を知り、当時発行されていたマクロビオティックのあらゆる本を読み食養の実践をしてきました。


時代は高度経済成長真っ只中、お金優先ではなく、自然といのちを壊さない生き方を求めて「ミルキーウエイ・キャラバン」に参加、延べ数百人のなかまたちと沖縄から知床半島まで縦断しました。
その後、長野県の山の中の一軒家で電気・ガス・水道なしの暮らしを八年半、その中で二人の息子さんを育てました。
その時の生活の様子がどんな生活だったのかとても興味深く、色々と質問しました。

電気がないので洗濯は洗濯板で手洗い、夜はランプで過ごす。薪を炊いて煮炊きをしたこと、水は沢から汲み上げだったそうです。
その当時の暮らしを一言で言えば「生きていただけ」と笑います。長野の暮らしはしう子さんにとって、ひとつの原点だそうです。消費ばかりをしてきた暮らしから、自ら生み出し、育む生活へのシフト。生むことも、育むことも今までしてこなかった事に衝撃を受けたといいます。山の中での生活は近くの年配の方々に教わって麹をおこして味噌や醤油を作ったり、雑穀を育てたりと、自らの手で生み出し育もうという生活でした。ままごと程度でしたけれどと話されるしう子さんですが、想像をはるかに超えるご経験をされていると感じました。

最初の子育てが長野の山の中で始まり、子育てをしている他の家族が近所にはいなくて、勝手が分からず七転八倒だったといいます。「子育てとそれにご飯を頂くことは社会的なものである」と実感されたそうです。

長男さんを母乳で育てたいと思い母乳育児を実践していましたが、母乳が足りていず栄養失調状態になり命の危険な状態になった時には、病院の先生にはもちろん、寝ずに祈って下さった方がおり、助けて頂いたといいます。


自身の経験から、「妊娠中は絶対に冷やしてはいけない!!!」と話してくださいました。
妊娠中、火照った身体を川の流水で冷やしていたことで、産後も冷えと神経の昂りで母乳に影響を与えていたことから、経験者として、これはぜったいに大切な事と話してくださいました。

長男さんが粉ミルクアレルギーで顔が赤く腫れあがり、周囲からは可愛いと言われず、可哀そうと言われた時期がありました。マクロビオティックの先生に相談したところ、粉ミルクの代わりに玄米ミルクで育つと教わり、10カ月でお肌がつるつるになったそうです。毎日すり鉢で玄米をすって沸かして飲ませて、母乳を出せない分の愛情を注がねばとテンパっていたそうです。

次男さんが赤ちゃんの時には、食べてはいけないと分かってはいるけど止められなくて、アトピーが酷い時期があり、アトピーの原因になるような食べ物を一切排除して食事に気を付けて3カ月で良くなった経験を教えて下さいました。

長男さんはとても素直なお子さんだったそうで、しう子さんは理想の子育てをすべく厳しくしつけをしたと言います。保育園に行く前には必ず雑巾がけをさせるというスパルタぶりでしたが、素直な長男さんまでは上手くいったものの、次男さんの時には「どうせ言うことをきかない」からと早くに方向転換し、ほぼほったらかしになったそうです。

しう子さんが子育てで経験した中で、これは絶対、今子育てをしている人にお勧めしたいと語ったのが、「おんぶ」です。ずっとおんぶをして家事や仕事をしてきて、「おんぶ」がスキンシップであることはもちろん、子どもの視野が広くなり脳の発育にも良いことや、何よりも何かあった時にとっさに逃げる事が出来る事など、「おんぶ復活連盟」をつくりたいと思うほどですと話してくださいました。

しう子さんの子育てでは「食べ物に気を付けること」を何よりも大切にしてきました。医者にはほとんどかからずに、体調不良になれば、東条百合子さんのお手当てや桜沢如一さんのやり方で家庭でお手当てをし、健康に育ったそうです。「はしかにはかからせました。『はしかはおなかにいた時の胎毒の排泄である』とマクロビオティックの先生に教わっていたからです。今のお母さん方には安易におすすめできませんけど」

「自分ははちゃめちゃな子育てだったけれども、子どもは親が一番伝えたいけれど、言葉にならないことをちゃんと感じて成長する。だから、完璧を期さなくてもよいとおもうし、そもそもそれは無理(笑)」といいます。


「生きることは子育てに尽きる。なるべく健やかに育てて、いのちを次の世代につなぐこと」と話してくださいました。

食べ物に気を付けてきたしう子さんだからこそ、今現在の子ども達を取り巻く環境を心配されていました。

高度経済成長以前に山形の美しい自然の中で育ったしう子さん。山形の原風景を心に刻み大切にしながら、経済優先の社会とは真逆の命や自然を大切にする暮らしを追い求め、実践しながら子育てをしてきました。そこで得た経験は今、子育てをしている私たちに大切な事を教えて下さっています。何を大切にするかはそれぞれの子育てで違いはありますが、命を育み、育て、最後には分かち合うことは全ての人に共通するテーマになると思います。

現在74歳のしう子さんですが、自分史講座を始められて、本当にエネルギッシュに活動されています。
そんなしう子さんから、エネルギーを分けてもらったような取材でした。

しう子さん、貴重なお話を大変ありがとうございました。

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康子さん、真樹子さん、ありがとうございました。↑ 写真はby真樹子さんです。
最後になりますけれど、『おかあさんのがっこう』はすばらしいそして今必要とされているプロジェクトですよね。
子育ては、核家族だけでは無理、地域にコミュニティあってこそ なんですもの。
最近ばあちゃん連中で❝次の世代に伝えるべきことって何だろう?❞とか話はじめてます。
これからもよろしくお願い申します。

『親切な隣人に助けて頂いてやってきた』

688/10000 2021 03 25
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は ②で,度重なる引っ越しのたびに親切な隣人がいて下さったことを書きます。

☆ 今住んでいる借家のお隣は一人暮らしのお爺さんだった。何かと親切にして頂いた。クンシランの鉢を下さり、去年初めて花をつけた。うれしかった。葉は,教えて頂いたように光の当たる方向を一定にしなかったので開いてしまったけれど。今年は鉢替えかな。
 今は息子さんご夫婦で春になるとチューリップの大きな花束を頂く。

同じ棟のお隣さんは、自転車を直してくれたりライトも自動的につくのに替えてくれた。お菓子やら花やらよく持ってきて下さる。

 花友達のおばあちゃんもできた。My Little Gardenを愛でて下さり苗を何種類も分けて下さった。通りに面したガラス窓越しに 色とりどりの丹精込めた花の鉢が並んでいる。去年あたりからお外でお会いすることがなくなった。お花が元気だからおばあちゃんも元気だといいな。

  美容院もあった。きさくに付き合わせて頂いた。お引越しなさって何年だろう。
ここも10年になって、あれこれ変化があったんだな、とふと思う。


☆ ここに引っ越すときはもう大変だった。息子がトラックをレンタルしてやってきたけれど時間制限があった。隣の借家のおばあさんが大車輪で手伝ってくれた。不用の本を何度も町内会の資源庫に運び、ガラスを磨いて下さった。助かりました。

☆ 大空団地から引っ越すときは、Mさんのお父さんとTさんに手伝ってもらった。今はあんな大きな引っ越しはとてもじゃないができません。

☆ 東京の駅国立、市国分寺に住んだときは、アパートが大家さんの敷地内にあって、となりに大家さんのやっている風呂屋があった。大家さんは大地主だったのだ。広い庭があってタイサンボクの木が大きな白い花をつけた。道路沿いにケヤキの大木が並んでいたのが私がいるうちに伐られて悲しかった。武蔵野の雑木林と花々が懐かしい。


☆ 忘れることのできない日向のおばさん。信州の清水平にいたときほんとうに親切にして頂いた。ギブアンドテイクなしだった。
下の息子が生まれた時手縫いで亀の子を縫って下さった。なんで捨ててしまったのだろう。
北海道に来るとき頂いた手作りの木目込み人形も。
 亡くなるまで毎年、野沢菜漬け、干し柿、キビ餅、梅漬けを送って下さった。いつか松本に行ったときお参りをしなければならない。御恩返しが不十分だ。
日向のおばさんを思うとき、おばさんに頂いたお心に『生かされている』のだとしみじみとする。


 目の前のことに気を取られて普段意識に登ることがほとんどないけれど、振り返る時間を持つとわが来し方が映画のようにも見えて、けっこうドラマチックではないかと感心して感謝より先に自分をねぎらったりするのである。

タイサンボクの木と花です。北海道ではホウノ木で我慢です。