『父ちゃんは騒ぐことがなかった』

716/10000 2021 04 22
毎週木曜日は、◆子どもらに寄せて ① 子どもたちに伝えたいこと ② 私の来し方・思い出の内 今日は ②で
息子たちの父ちゃんが❝騒がなかった❞ことについてメモします。


★ 『お前はすぐコーフンする』とよく(回数は多くないけれどウエイトとしての記憶で)
あきれていたものだ。まったくだ。

 政治状況がどうであれ、反原発運動が盛り上がろうが、それで興奮することはなかった。
 辛い誤解、曲解にあっても 少なくとも一時は落ち込んだであろう胸の内ををそのまま出すこともなかった。そんなときは黙って何も言わなかった。説明するのは時間の無駄だったのだ。いきり立ってヒステリックになることはなかった。


 
★ 興奮するのは、素晴らしい野生とともにいるときで、同類の素敵ななかまたちといるときは安らいでいたと思う。
 もちろん100%すばらしい人などでは全然なくて、ハチャメチャでもあった。まあ、ナナオだからしょうがない。カリスマとかグルとか持ち上げられることを嫌い避けていた。



★ 3.11の後、第二次安倍政権~菅政権と続き、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法が強硬採決で成立したことになり、今はオリンピック、コロナで騒々しい。
 ナナオが今この世にいたらなんというだろうか?友達とよくこの話になる。ナナオ、先に天国に行ってよかったわ、とその友達は付け加える。
 外国から帰ってくると、『日本では地球環境への危機感がないねえ。障害のある人が街に少ないねえ』とびっくりしていたものだ。ここまで堕ちることも想定外ではなかったと思う。政治には何も期待していなかったし。



★ 小さいとき身体が弱かったこと~生家の紺屋の倒産~そして成長期はずっと15年戦争の時代だったことに 遅ればせながらハタと思い当たる。
 「戦争に反対なんてできるものじゃなかった」
 あの澄んだ目で何を見て何を感じて、その身を処するようになったのだろうか?生まれつきのキャラクター、天からのギフトはあったにせよ。それにまだ 江戸と明治のよき気風と人間律が薩摩藩では残っていたのかもしれない。


★ 毎日毎日これでもかこれでもかと今の政府の出してくる政策はすさまじい。
 たじろぐことなく、感情的に騒ぐことなく、乗せられて興奮することなく、
 冷徹でありたい、とすぐコーフンする私は、プレインなヘッドをたたくのである。



★ 今更ながら、ナナオの時代と今現在を重ねながら、
騒ぐことのなかった父ちゃんが見てきたものは何だったのか?とつらつら思われる今日この頃である。

冷たい北西の風に洗われる空に、雲には夏の気配が感じられます。