『生き馬の目を抜かれそうになったら』

1277/10000  10月16(月)分 2023 10/27記
今日は、コミュニケーションのトレーニングのお話です。

幸恵ちゃん
おはようございます。昨夜は寝落ちしてしまってごめんなさい。

コミュ二ケーションのトレーニング、しますか?
もしYesだったら、以下をどうぞ。

✅以前の職場でいじめの元締めだった同僚の名刺がポストに!? その時去来したことは

済   書いてくれてありがとう        

□どう応じようか?  選択肢は三つ。

① あの時の無念さをそのままぶつけて思い知らせてやる
② 悔しいけれどほっておこう。よみがえってきたあの時の心の傷も
  時が過ぎれば薄くなるだろう
③ 絶好のトレーニング素材が舞い込んできた。
  これは私の力がUPした証拠だ。
  どう活用しようか?これからにどう活かせるか?
  この名刺にどう応えるか?


あるんですよね。ありますあります、想定外の反応がくることが。
実はこの夏ずっと思案が続いていました。
何度も何度もノートに書いてまとめて対処法を考えていました。

◎同じ土俵に立たない
◎相手にそうさせたものは何か?(エンパシーを発揮する)
  ①個人的な事情 ②所属グループの現状 ③世の中の現況
  私に落ち度はなかったか? →詫びる
◎再発させないためには具体的にどうすればいいか? 時間をかける  すぐ一致しなくても気にしない

なかなかいいトレーニングになりました。
おかげさまで、雨降って地固まる に近づきつつあります。

最近知ったのは
『愛と共生』は、コミュニケーションの目的にはならない❞ということ(内田樹さんonTWITTER)です。


なるほど、とうなずいています。
コミュニケーションの目的は、『調整』である、ととらえなおしています。


もちろん、『愛と共生』を可能にしてくれる、師匠、家族、ソウルメイトに恵まれたら
心の支えであり、いつでも帰れる場所となってくれます。まさにありがたい。
でも愛と共生の相手でも、調整は必要ね、親しき中にも礼儀あり。

なんかね、私ようやくガキから脱しつつあるみたいです。
案件、問題を、自分一人の個人的な問題から、
相手あっての共通点を探る、より普遍的な視野に立てるようになる必要があるなと
つらつら思われています。世慣れてなくて大変ですわ。

請負大工で棟梁を張っていた父が茶舞台に座ってふっと一言
『(世間というものは)生き馬の目を抜く』と口に出していたのを思い出します。
7人の子供を養うためにどうやって仕事をとってきていたんだろうか?親孝行したいときには親はなし。

生き馬の目を抜く、相手の尊厳に踏み込んで傷つける、
もちろんやらないように心配りしているつもりでも、うっかりミスしちゃったり
はたまた思わぬ誤解をうけることもアリですしね。

幸恵ちゃんは、バリバリ現場で何十年もトレーニング重ねているからスゴイ!☜尊敬のまなざし

どうにもならない、そもそも違う人からは、逃げる、近寄らないことも必須ですよね。
人生は短い。親切でデキルよい人はたくさんいるし。


紙に書いてみてね、エクセルかなんかで整理をつけようとするの、おすすめ。
書いているうちに、気づきやひらめきがきっとありますよ。

                  グッド・ラック!


⤵ カシワの木の紅葉進行中。@中央公園