897/10000 2021 10 20
毎週水曜日は、◆読む・書く・話す
今日は、前回、前々回の続きです。
辛いとき、ネガティブな様子をどう表現するか、笑えるのか?
このことを考え続けて頭がてんぱっていました。
自分が辛いとき、
どう言ったらいいのか、言っていいのかとか
考え込んでしまうときはありませんか?
そんなときちょうど、
ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんの
スタンダップ・コメディの公演があり、
ひとつの答えに出会った、と思いました。
いくつか抜き書きしますね。
『ユダヤ人の芸人がアウシュビッツをネタにする。彼は「喜劇と悲劇はルームメイトだ」と言っていた。悲しいことは笑えることでもあると。』
『悲しみを笑い飛ばす、というように、どんなに重い苦しみも、笑えば飛ばせる。笑いはあなたが“重い”と背負っている“それ”にふれて、軽くする仕事だと思っている。』
『タブー視されることのつらさ。
僕はそれにふれたい。・・・コメディを使って、それに優しくふれたい。』
『オチのところで大きな拍手が来た。その場にいた人たちが、満面の笑みで手をたたいて笑っていた。だけど泣いていた。・・・なんだろう、僕はあんな悲しい笑いを見たことがない。』
『なるべく好まれようと(して)、表現が安心安全に向かって、すごくつまらないものになる。嫌われてもいい、傷つける覚悟で笑いを表現することは、笑いを本当の意味で成長させる。』
『正しいか、間違っているかではない。・・・彼(西部邁さん)にはそれが全くなかった。彼はずっと楽しそうだった。・・・彼は涙を誘わない。彼は怒りを煽らない。・・・僕もいつか怒りながらではなく、可愛く夢中に話せるようになりたい。』
『(西部さんは)多摩川で自殺する。ずっと苦しかったんだろうが、ずっと目を輝かせて、・・・頭の痛くなるようなテーマを話し絵くれた。』
『僕はあなたの“普通じゃない”を“面白い”(interesting)に変える』
『こんな時感傷にひたり、悲壮感を漂わせてくるやつがたまにいるけど、ああいうのはこっちのエネルギーが奪われてしんどい。・・・一番傷ついていただろう平松さんは、その場の空気を明るくするために、そんなジョークを言ったのだ。これぞ人間の強さだと思った。』
『自分のコンプレックスを笑いに変えられる人の笑いは、観終えたあと、本当に清々しくなる』
『いじめてくるやつらを笑いの力でぶち殺したい。』
『痛みを感じる少数に芸人がふれて、笑いで痛みを和らげてやればいい。』
付箋紙が貼られた箇所を殆ど写してしまいました。
すぐ深刻にてんぱるときもある私の課題でもあります。
村本さんは、福井の原発銀座のひとつである 大飯町の生まれで弟さんは自衛隊、
原発にも、自衛隊にも、すぐ白黒つけてバッサリ切ることをしない。
様々なことがあってバッサリできないことを体験しているからです。
福島原発、福島の被災地、朝鮮学校を訪れて
『現場に行くと心がぐちゃぐちゃになる。・・・僕たちは合理的とは程遠い、複雑なことを実感する。・・・自らの目で見て心を動かし、涙するような気持になる。それが、感じるという大事な人間の工程だ。』
一言でまとめることがまだできないけれど、
❝ 深刻さを実感しつつも 深刻で表現せず 深刻なことを笑いでぶち殺す ❞
これこそ、タフということではないかと思うわけです。
一般庶民の底力ではないかと。
これって、ファシリテーションそのものではなかろうか?
もちろん、村本さんの芸には大拍手の連続で
どんなひとの気持ちにも寄り添おうとする優しさもタフなのですけど
なまなかなものではないのでした。
いかがでしょう?
村本さんの公演、まだでしたら動画でごらんになります?
当地の会場では顔見知りは1割くらい、
この国が穏やかになごやかに変わっていくにはどんな表現がいいのだろうか?
とつらつら思われたことでした。